●嵐山法輪寺の人形塚
を担いだ太った童の伏見人形がある。その俵を宝袋に置き換えた石像が嵐山の法輪寺にあることを知ったのは6週間ほど前のことだ。法輪寺はわが自治会に所属する。境内では毎年地蔵盆を開くし、筆者が自治会長を務めていた頃には毎週のように回覧用のチラシなどを持参した。



そのため、境内の隅々まで知っていると思っていたから、ネットでたまたま人形塚があることを知ってびっくりした。その塚の前で毎年10月15日に人形供養が行なわれることもその時知った。法輪寺では十三参りが有名で、そのほかに針供養があって、使い古した縫い針を持参した人が大きなこんにゃくにそれを突き刺す様子が毎年TVニュースで報じられる。人形塚に建つ先の石像を知った時、いったいどこにあるのかしばし思い返したが、わからない。そこでさらに調べると、めったに筆者が歩かない道沿いを少し入ったところにあることがわかった。その道とは、先月の台風で被害を受けた「花筏」と「渡月亭」の間にある石段を上ったところにある。何に使うのか、鉄筋コンクリート造りの大きな和風の建物があって、その際の細い道だ。それを進むと、参道から続く幅広い石段の途中につながる。図で示せばわかりやすいが、筆者はめったに「花筏」と「渡月亭」の間にある石段を利用しない。嵐山に住んでこの30年、数回しか利用していない。その石段の最下段近くから冠水する渡月小橋を眺めて撮った写真は「桂川の反乱」に載せた。それは台風18号が吹き荒れた先月16日の朝に撮ったもので、同じ日に人形塚を確認した。そして撮った写真が今日の1,2枚目だ。冠水していない参道からつながる本堂前の100段ほどの石の階段を上り、その80段目ほどで右手に前述の鉄筋コンクリートの建物が見える。そしてその際を50メートルほど進むと右手に写真1枚目に写る石段がある。そして50メートルの半ばに人形塚があるが、10数メートルほど奥まったところに石像があるので、その前にはほとんどの人は入り込まない。人形塚があるという知識を得て初めてそこに行く人がほとんどだろう。それほどに知られていないと思うが、人形好きには有名かもしれない。そして人形好きはだいたい子どもか女性とされているし、愛着のあった人形をそのままゴミとして捨てるのは忍びなく、この寺に持参して供養してもらおうと思う人はさらに少ないはずだ。
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 人形は今ではキャラクターの縫いぐるみが多いだろう。わが家にも息子が小さな頃にはたくさんあったが、汚れて来るし、また嵩張るので、ある日まとめてビニール袋に入れてゴミとして出した。縫いぐるみにはダニが生息しやすいということを知り、それで息子の健康によくないと思った。ほしい人がいればあげればよかったが、どの家にも縫いぐるみは山積しているもので、またお古はいやという人が多い。人形は使っていた人の思いがこびりついていて、それを他人が所有すると、何かと面倒なことが生じかねないと考える人がある。これが家具や茶碗ならまだましだ。人形は目鼻があって、つまりは表情を持っている。これは所有者と対話しやすい。それで昔から人形は捨てるにしても、供養してもらえるならばそうした方がいいと考えて来た。人形を供養してくれるのはどの寺でもと思うが、淡路島に有名な寺か神社があって、数万体の人形で埋め尽くされている様子がTVで何度か紹介されたことがある。その中には骨董価値が高いものも混じるだろう。そのため、人形を専門に鑑定する人に見てもらい、そこそこ市場価値のあるものは買い取ってもらい、その売り上げをその寺か神社の収入に充てればいいと思うが、そんなことをすればきっとあちこちから抗議が上がる。だが、数万もの人形をいずれゴミとして燃やすか埋めるのはとても無駄なことだ。ほしい人の手に行く方が、人形もいいのではないか、不要になった犬や猫をそのまま殺してしまわず、新たな飼い主のもとに行く方がよい。犬や猫と人形は違うという意見があるが、どちらも主人がいて大事にすることには変わりがない。同じように大切に扱うのであればよいが、ペットを平気で捨てる人があって、犬や猫はゴミとして処分される人形と同じものになっている。そういう筆者も縫いぐるみをゴミの回収日に出した。偉そうなことは言えない。その頃からだろうか、筆者は伏見人形に興味を抱き、集め始めた。その熱はかなり醒めたが、今でもほしいなと思うものがたまにあり、家内に黙って買う。これは以前に何度か書いたが、所有する伏見人形全部を棚に載せて鑑賞してはいない。物がたくさんあり過ぎて、買った時の包みのままになっているものがかなりある。たまに広げて見ると、「ああ、こんなものも持っていたか」と思い出す始末で、これでは愛着を持っているとは言い難い。だが、何でもたくさん集めるとそうなる。筆者は今でも所有していることを忘れて同じ本やCDを買うことがある。
d0053294_0142286.jpg それはさておき、法輪寺での人形供養に参加するつもりで家の中にある人形のうち、なくてもいいと思えるものをそれとなく探した。最初に思い当たったのは、「高砂」の老夫婦の片割れで、伏見人形ではないが、土人形だ。いつどこで入手したのか記憶にない。高さ30センチほどの爺の立像で、婆の方がない。この老夫婦のことを専門用語でどう呼ぶのか知らないが、譲ってくれた人はその名称で呼んでいた。この爺の人形を見るたびに、何となく筆者は将来妻に先立たれてひとりになるのか思ってしまう。そのため、処分して見えなくなった方が気分が落ち着くのではないか。そこでその人形を15日に人形塚の前まで持参し、住職にお経を唱えてもらおうと半ば決めていた。それをすっかり忘れてしまい、先ほど思い出したが、「後の祭り」も2日遅れではあまりにひどい。それほどに筆者は物忘れがひどくなって来ているのかもしれない。予定はメモしておくべきで、10年ほど前はそうしていた。それをしなくなったのは、忘れてしまう予定はどうせろくなことではないという思いだ。となると、人形供養もさして重要ではなかったことになるか。なぜ当日それを忘れたのか。その日は中ノ島に行って写真を何枚か撮ったので、カメラを持って出かける日であることは忘れてはいなかった。中ノ島ではなく、法輪寺に向けて歩くべきが、そのことを忘れてしまった。また来年まで待たねばならない。ネット情報によれば、人形を塚の前に持参すると、人形を製造する島津の社員たちが係員となっていて、記念にタオルを配ってもらえるようだ。そこに人形でも印刷されているかもしれず、そのタオル目当てに爺の土人形を持って行くつもりでいた。ところで、持参された人形を島津はどうするのだろう。ゴミとして焼却処分するしかない。供養されたのであるから、人形にはもう魂は入っていない。写真で見ると、持参される人形はだいたい雛人形だ。縫いぐるみなどは人形の部類に入らず、さっさとゴミ袋に入れて出せばよいだろう。雛人形となると、それなりに高価で、また中には古くて価値のあるものもあるかもしれない。そういうものは資料として処分から除外し、島津が保存してもよい。あるいは人形で有名な上京区の宝鏡寺に持参してコレクションに加えてもらうか。雛人形が多いことは、供養してもらうために訪れる人はやはり女性が中心ということだろう。ならば塚の石像は雛人形をかたどったものにすればよかったのに、なぜ伏見人形を思わせるものにしたのだろう。ならば持参される人形は土人形が昔は多かったのかもしれない。
d0053294_0141174.jpg 法輪寺のこの塚はいつからあるのか。石像はそんなに古くは見えない。戦後のものだろう。だが、人形塚は戦前あるいは江戸時代からあったかもしれない。不要になった土人形を祀る社が上賀茂に今もあるし、市内にはほかにも1か所あったと思う。法輪寺での人形供養ではどうだろう。今時土人形を持参する人があるだろうか。そんなことを知りたいためにも15日は行くつもりであった。そうそう、土人形関係のことを書いておく。ここ10日ほど、来年の干支の馬を主題に、伏見人形では有名な「飾り馬」を自分で作って来た。これがなかなか困難をきわめ、さきほどようやく出来上がった。長さ18センチだ。写真3,4枚目がそれだ。写りが悪いので細部はわかりにくい。もちろん伏見人形は素焼きに顔料で彩色したもので、粘土で固めただけのものではない。だが、素焼きを作るにしてもまず「型」を起こさねばならない。今日完成したのはいわばその「型」だが、これを元に陶土で同じものを作り、素焼き、彩色までの工程に進むかどうかはまだ決めかねている。彩色は筆者は友禅で慣れているので簡単だが、素焼きは窯が必要だ。どこかで焼いてもらうとして、その場所が身近で見つかるかどうか。心当たりがないではないが、費用もかかる。それはともかく、参考にした伏見人形の「飾り馬」をそっくり模造したのではなく、各部を詳細に何度も吟味して作った。そのことを書き始めると、数日分の投稿になる。それほどにこの10日はこの「型」の完成に執心した。そしてつくづく才能のなさを痛感した。あちこち粘土だらけにし、家内は立腹の連続であった。そして、「1日で作ってしまえるものなのに、いったい何日かかっているの」と嫌味を言われたが、実際筆者は1日で作ってしまおうと思いながら、その10倍もかかったのは、細部に凝ったからだ。そして、この10日間に実に多くの造形的なことに思いを巡らせた。確かに1日で作ってしまえるものだが、それでは悔いの残るものになったであろう。満足出来る完成度を目指せば、わずか1ミリの盛りや削りが気になる。立体造形を久しぶりに行ない、改めて平面の絵画について考えるところがあった。立体より絵画の方が造形が平易というのではないが、立体はあらゆる角度から見て表情がある分、絵画より大変とも言える。たまには立体作品に手を染め、それから絵画を描くこともよい。あたりまえのことだが、立体作品が下手な人は結局絵画もそうだ。
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by uuuzen | 2013-10-18 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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