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●『私の人生、恵みの雨』
行して3つほどの韓国ドラマを見ている。もっと多くが毎日放送されているが、3つでも多い方で、それ以上になると鑑賞する時間がない。録画を溜めたままにしておくのはいやだが、それでも録画したものを数回分遅れで見ることがよくある。



そういう作品は3つのうち、最も面白くないもので、一番面白いものは録画もするが、リアル・タイムで見てしまう。今日取り上げるドラマは感想を書かないでおこうかと思った。つまり、心躍って次回を楽しみに待つというものではなかった。それは筆者が知る俳優がほとんど出ていなかったからだ。男と女、二名だけ以前のドラマで演技と顔を知っていたが、ふたりは主役ではない。本作は題名がしみじみとしていて、詩情豊かな、撮影に細かい神経が使われたものを思ってしまうが、あまりそういうものではない。コミカルな俳優が出て来ず、笑いを意図した場面もないので、その点では韓国ドラマとしては珍しい。また、純愛ものではなく、むしろ復讐劇に近い。完全な悪役が3名登場する。彼らが最後には折れるか改心することが最初の方の回でわかるので、後は彼らがどのように正義に敗れて行くかを安心して見ていればよい。ただし、悪役は最終回まで粘って悪事を企み続けるから、こうした韓国ドラマを見る者は、『こいつ、憎たらしいな』という嫌悪の情を沸き立てるという、一種のストレスを抱えながら最後までつき合うことになる。そして、最後で悪が悪でなくなった場面を見て、ようやくストレスから解放されるのだが、韓国ドラマはいつもそのようなパターンであることがわかっていながら、俳優の違い、脚本のわずかな差などによって『ああ、これは以前のドラマに似た内容のものがあったな』と思いながらも、ついつい見続ける。誰しも日常生活において何らかのストレスを抱えているから、そのうえにさらに韓国ドラマの悪役のふてぶてしい態度を見て立腹する必要はないが、先に書いたように、必ず、絶対にその悪は正義の前にひれ伏すことが確約されているから、韓国ドラマはストレスが解消されることが完全に保証されている。そのことをよく知っているので、また別のドラマを見ようとするのではないか。つまり、悪役の憎たらしさによってもたらされるストレス以上のプラスの要素が大きく、『ああ、面白かった』の思いで見終わる。だが、たとえば本作のように、あまりのめり込めなかったドラマでは、『見た時間を返せ』と言いたい思いが募り、ストレスを抱えてしまうことになる。筆者はそこまでにはならないが、それでもさして楽しめないドラマはやはりある。これは韓国ドラマに限らず、映画でも音楽でも本でも同じだ。あまり楽しめなかった作品はすぐに忘れてしまうだけの話で、人生にはそういうことがよくある。
 本作がなぜあまり面白くなかったか。前述したように、筆者が知る俳優が少なかった。一応ラヴ・ロマンスを扱ったドラマであるので、若い男性と女性がふたりずつ登場する。この4人が四角関係を作りながら、ひっついたり離れたりしながら最後はめでたい場面に落ち着く。それは結婚で、それまでさんざん障害やまた誤解があったふたりであるにもかかわらず、ウェディング・ドレスを着て結婚式まで描かれる。人生の最高の喜びが結婚であるとするのは世界中に共通したことで、若者が主人公のドラマであればそれは当然だ。それでも韓国ドラマの恋愛物は、最終回で結婚式の場面が使われることがとても目立つ。それは半分は主役の女性へのサーヴィスであろう。『今までご苦労さん。最後はウェディング・ドレス姿でとびっきり美しい姿を視聴者に見せてもらい、また共演者たちも晴れやかな場面に同席してもらって、ドラマの打ち上げパーティにそのまま突入しよう』 きっとそんな考えが最初から監督やプロデューサーにあるのだろう。本作は若い男女が1組と、初老の男女1組が同時に最終回で結婚する。それは4人の若者が出演するラヴ・ロマンスものとしては珍しい。つまり、本作は若者4人が恋愛で複雑に絡む物語というより、その親世代の恋愛も同時に描き、話の展開にひねりを利かせている。先の復讐劇と書いたが、それは少し違って、愛されないことへの恨みから相手を陥れようとする行為だ。愛されない原因は本人の意地が悪い場合と、相手が浮気性である場合とがある。本作はその双方が原因だが、後者の「浮気性」に関しては批判的に描かれておらず、「浮気されるのは意地が悪いから」という理由づけをしている。この点は、悪役は思い切り悪人ぶりを演じればいいので楽とも言えるが、「浮気される」からには「憐れな姿」でもあって、視聴者は憎々しげに見る一方で、同情もする。本作の悪役はみなそういうところがあるが、それを言えば韓国ドラマの悪役はみな悪事を働くことの理由がしっかりと描かれる。それでもなお悪事を働くのは悪いことであるから、悪役は視聴者に嫌悪されながら、その嫌悪の情を最大限に喚起することで自身を褒め、また視聴者に賛美もされる。そのため、悪役の方が実力のある俳優を起用せねばならないだろう。損な役であることを知りながら、懸命に嫌われることに徹する。それこそ役者だ。
 さて、悪役の女性をまず挙げると、スジョンというエステ経営者の女性がいて、元有名俳優のマンジュンと暮らしている。スジョンはチョン・ギョンスンが演じる。筆者が最近見たドラマで言えば、『名家の娘ソヒ』や『天上の花園』に出ていた。汚れ役も出来る芸達者な女優で、顔も覚えやすい。マンジュンを演じるのはイ・ヨンハで、『グロリア』でクラブのマネージャーとなっていた。このふたりは本作の本当の主人公と言ってもいいかもしれない。それほどによく登場する。韓国ドラマはラヴ・ロマンスであっても若者だけを登場させない。必ずその親やまた祖父祖母の出番を設け、若者の恋愛の行方に口を挟む。韓国は日本以上に結婚に際しては親族、特に親の了解を得なければならない。若いふたりが駆け落ちしたところから始まるドラマはまず作られない。親の許しがあって初めて幸福な結婚が出来るという考えが強く、日本ほどには核家族にはなっていないのではないか。もっとも、これはドラマからの想像で、現実はわからない。韓国ドラマが家族を登場させるのは、なるべく多くの世代の多くの人たちに見てもらいたからという理由もあるだろう。それはともかく、スジョンとマンジュンは再婚で、マンジュンには連れ子があった。ダンビで、これをイ・ダヒが演じる。彼女はとても長身でスタイルがよい。あまりに足が長く、かえって異様なほどで、その大女ぶりに筆者は色気を感じなかった。超ミニで両足を見せる場面が多かったのは、彼女のスタイルのよさをこれでもかと見せつけるための演出だが、先ほど調べて少し意外なことがわかった。彼女が出演したドラマを以前に見ている。ところがさっぱり記憶にない。また、画像検索すると、本作とはまるで違う優しい表情の顔が多い。それらはいかにも美女だ。だが本作ではさっぱりそれを感じさせなかった。それどころか、目が吊り上がってかなりきつい女性という印象を終始漂わせた。それはそういう役どころであったからとも言える。またダンビは途中でがらりと髪型を変える。まるで別人になって、筆者は目を疑った。同一人物とは思えないほどの変身ぶりで、それほど化粧や髪形で女は印象を変える。主役の女性が途中でそのようにイメージを変えるドラマは今まで見たことがない。イメージを変えたのは、ドラマの内容に合わせてのことだ。ダンビは最初は荒れた女性を演じる。それが途中で改心する。そうなってから雰囲気を変えたのだが、それはそれなりの演技力を見込まれてのことだ。それでも筆者は見たことのないような長身の彼女を毎日見ることが楽しくはなかった。
 スジョンとマンジュンは再婚して娘のウォンミを得た。ダンビの妹になる。マンジュンはダンビばかりを大事にし、スジョンとウォンミはバンビを憎んでいる。またマンジュンはかつて有名俳優であったため、女に不自由せず、スジョンに隠れて何度も浮気をしている。そのことにいちおうは目をつぶっているスジョンだが、本当に信じられるのは金だけと思っている。マンジュンはダンビとあまり年齢が変わらない女性チュ・ソニと浮気する。ソニはかつて弁護士イ・スンジュと結婚し、娘のハラをもうけた。マンジュンはコマーシャル映像の撮影のために気球に乗るが、それが墜落して重症を負い、記憶を失ってしまう。ダンビはその看病のために荒れた生活を改めるが、夫が記憶を失ったのをいいことに、その財産を自分たちのものにしようと、スジョンとウォンミは動く。この母娘は最後までダンビとマンジュンの敵で、財産を奪おうと必死に動くが、当然それは失敗する。スジョンよりも娘のウォンミがしつこい性格で、愛する男ギュオゥンが自分になびかないことを知ると、その男の会社を潰すことに執念を燃やす。ギュウォンは大会社の御曹司だ。彼はウォンミのことを何とも思わないが、ダンビに惚れる。だがダンビは次第に弁護士のスンジュに魅せられて行く。また韓国ドラマ特有の人物の狭い絡み具合が本作にもあって、スンジュはマンジュンから遺産相続の書類のまとめを依頼されたり、ギュウォンの会社のあくどい行状を調べたりする。ダンビを巡ってスンジェとギュウォンが恋の鞘当をするかと言えば、そう簡単に話は展開しない。そこが本作の苦心したところとも言えるが、筆者は肩透かしを食らったような気がした。1時間ドラマが全53話の長丁場であるので、込み入った筋がいくつも必要であるのはわかる。幸いと言うべきか、登場人物は上記以外に脇役が数人で、かなり少ない方だ。ところが話がややこしい。まず、ダンビはマンジュンの連れ子だが、本当の父親ではない。ダンビの父親は死んでいて、姿は見せない。母親は生きていて、後半になって出番が増える。だが、もうひとりダンビの母を名乗る女性も登場し、前半はいったい誰が本当の母かわからず、もどかしい。彼女はかつてマンジュンと結婚していたので、ダンビを生んだと主張するが、これは嘘で、ダンビの母は別にいる。それはギュウォンの母であるリュ博士で、ダンビとギュウォンは異父姉弟であることを最終回に近いあたりで知る。こうなると、ギュウォンはダンビと結婚したいとは言えない。それで自然とダンビは弁護士スンジュとよりが戻り、最終回では結婚する。
 よりが戻るというのは、スンジュが一時ダンビのもとから身を引くからだ。その理由は、これまたとんでもないことだが、彼の死んでいない父親がかつてダンビの父を殺した事件に関係していることを知るからだ。一見他愛ないホーム・ドラマのような雰囲気であるのに、底に流れる話はかなり物騒だ。その原因を作っているのが、ギュウォンの祖父テソプだ。彼は一代で大金持ちになっただけあって、金のためならばどんなことでもする。そうした悪事をスンジュは気づいているが、まさか自分の父がかつてそそのかされて殺人に関与したとは思いもよらない。それどころか、テソプは自分の娘リュ博士がダンビを妊娠したと知るや、アメリカに追いやり、ダンビを捨てさせた。このダンビの本当の母親役のリュ博士を演じるのはチョン・エリで、終始冷たい表情で悪役が多いのではないだろうか。ダンビの父親がマンジュンかと言えば、これは違う。リュ博士は映画監督の男性との間にダンビを妊娠した。マンジュンはその監督に恩義があり、それでダンビを育てることにした。一時結婚していた女性も元女優との設定で、本作の背後には映画の業界が見え隠れしている。テソプがダンビの本当の父親をどのようにして死に追いやったのか、その辺りのことは忘れたが、テソプは唯一男の悪役として登場する。いや、もうひとり中途半端な悪役がいる。弁護士のスンジュと同居している独身のカメラマンで、彼はスンジェにそそのかされて盗撮するなどし、やがてスンジェといい仲になるが、最後に目覚める。ともかく、スンジュは自分の父親がダンビの父を殺したかもしれないことを知り、ダンビに顔向け出来ないようになる。せっかくふたりは相思相愛で言いムードであったのが、突如それが壊れてしまう。身を引くスンジュはいわばダンビよりも父の面子を優先したわけで、その点はダンビへの愛も小さなものであったと思ってしまう。あるいは、まさか自分の父が殺人者で、しかもダンビの父を殺したかもしれないとなると、すごすごと隠れてしまうしかない。
 テソプは会社を大きくするためにある土地をほしがっている。それは記憶喪失になっているマンジュンが所有している。そのため、スンジェとウォンミ親子は必死になって土地の権利書を入手しようとする。そのことの動きがドラマの半分以上の回で描かれる。ウォンミの目当ては土地をテソプに譲ってエステ・ショップの規模を拡大すると同時に、テソプの孫のギュウォンと結婚することだ。前述のように、ギュウォンにはさっぱりその気はない。またテソプは権利書が手に入れば後はどうでもよい。悪人対悪人の戦いは、結局は会社の規模が格段に大きいテソプが勝利する。どうにかしてテソプを潰したかったウォンミだが、若い女性ひとりの考えだけではどうにもならないことは目に見えている。憎悪の塊であったウォンミが最終回では母のスンジェに泣きつきながら、「会社をくびになった」と訴える。テソプの会社の株をいくら持ち、また醜聞もつかんでいたが、それくらいでは相手はびくともしなかった。それはギュウォンが最後の土壇場で倒産をうまく切り抜けたからだ。書き始めるとあれこれ思い出して来るが、ややこしい話の中で最もそうであったのは、リュ博士とマンジュンの間柄だ。マンジュンは女性に持てるという設定であるから、リュ博士とも恋愛関係にあっても不思議ではないが、リュ博士にすればマンジュンはダンビの育ての親であって、結婚したかった男ではない。それなのに、本作ではふたりは長年思い合っていたという設定だ。マンジュンはいつかリュ博士と一緒に暮らすために、思い出の土地と家を持ち続けている。それが「ソンド(松島)」にある謎の家で、「ソンド」がプサンかインチョンのどちらの「ソンド」であるかという謎めきが用意されていたりもする。それはともかく、マンジュンはその家を管理人に任せ、いつ訪れても生活出来るように内部を整えている。またこの家はスンジェとウォンミは知らない。韓国での放送とは違って日本では著作権侵害を恐れたのか、マンジュンとリュ博士がかつての思い出の曲として、その「ソンド」の家で何度も古いステレオで鳴らすサイモンとガーファンクルのアルバムがあるが、いったいどの曲を巡っての話であったのだろう。本作にふさわしい、ふたりが70年代に聴いた曲は筆者には思い当たらない。筆者が見たのは吹き替え版ではないが、ひょっとすれば韓国での放映の際も、サイモンとガーファンクルと言いながら、韓国の女性歌手の新しい曲を使ったのかもしれない。リュ博士は最後はマンジュンと結婚式を挙げる。それはダンビとスンジュの結婚式と合同だ。テソプはついに娘の考えに同意した。それはリュ博士の余命がないことを知ったからでもある。最終回ではまた、スンジュの元妻は娘のハラを取り戻そうとスンジュのもとにやって来るが、ハラはすでにダンビにしっかりなついていて、実の母は断念する。だが、ハラが大人になると、また複雑な問題が待っているだろう。養子や再婚など、韓国ドラマは複雑な家庭事情を描く。その大きな理由は、親が子の結婚に口出すことや、またマンジュンのように性に奔放であることだ。マンジュン役のイ・ヨンハは本当に2,30代の頃から有名であったのだろうか。マンジュンはどこまでも優しい正直な男として描かれ、そうであるから、併行した交際であったのかどうか、女に持てたという設定か。ともかく、本作のムード作りに大きく寄与している。若者だけではドラマは無理だ。
by uuuzen | 2013-10-17 22:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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