人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「秋の桜」と「秋桜」
みな腕前にここ10日ほど触れながら考えを新たにしている。そのことについては12月に入ってから書く予定でいるが、事の成り行き次第では没にするかもしれない。昨日は別な巧みな腕前というものに接し、気分を害している。



300年ほど前に生まれた文人画家の書なのだが、筆者は軸を3点所有している。書の方が絵よりも贋作が難しいとされる。だが、日常的に筆を用いていた江戸時代では、臨書の技術が現在では考えられないほどうまい人がいたはずで、時に有名な書の贋作作りをしたこともあるだろう。池大雅の書は贋作が新作の100倍ほどあるのではないだろうか。真似しやすい、一見粗雑に見える書が大雅には多い。絵もそうだ。最近筆者はようやく大雅の書や絵の真贋の別れ道がわかって来た。あたりまえのことだが、贋作はどこか不自然で、嫌味な印象がある。それは1秒と要せずに伝わる。おかしいなと思う作は、落款を確認するまでもなく、贋作だ。そう言える自信がかなりついて来たと自負しているが、昨日は驚くべきことに出会った。真作と思って落款を精査すると、わずかに彫りに差があり、またそれは致命的に稚拙さを露呈している。文章ではうまく説明出来ないが、わずかな曲線の曲がり具合など、贋の印章は本物のそれに比べると、たたずまいが悪い。双方を比べるとよくわかる。また、じっくり一画ずつ調べる必要がある。そのことからひとつ言えるのは、資料が少なく、眼前にある絵画が真作かどうかの判断に迷う時、印章をじっくり見ればよい。贋作の書や絵画には、それにふさわしい、巧妙ながら、必ずどこかに贋作らしいいやらしさのようなものを内蔵している。つまり、印章の彫りがほれぼれするような完成度である場合、その絵や書はだいたい本物と考えてよい。で、昨日見た巧みな書だが、本物なら絶対にほしいから、筆者の目はよくない箇所を見過ごしがちになっている。最初見た時にふとおかしいなと感じたところはあった。落款の書体が間延びしていることと、その位置だ。だが、書はその文人画家の書風そのもので、書かれている漢詩もよい。次に捺されている二印をよく見た。すると、どちらもごくわずかだが、真印のいい彫りの部分を理解せず、カーヴが甘かったりする。『なるほど、そうか。有名な文人画家であるだけに、絵に限らず、書もこのように100年かもっと前から贋作が製造されて来たのだな。危ない、危ない』ということで、一件落着したが、やけに腹立たしく、丸1日経ってもそれが収まらない。それは、腕の立つ人物がなぜ贋作に手を染めるのかという疑問による。いやいや、最初に見た時におかしいなと思いながらも、ひょっとすればと思い直した自分の眼力の甘さに腹立たしいのだ。とはいえ、最初の直観は当たっていたから、慌てなければいいだけのことだ。
●「秋の桜」と「秋桜」_d0053294_09824.jpg

 その慌てたことが今朝と昼の食事ごとにあった。食パンを焼いてイチジク・ジャムをたっぷりと塗り、それを皿に置いたのはいいが、その皿を移動させる際、勢いあまって食パンが床にベチャリと落ちた。ジャムを塗った面が逆さになった。塗った大半が床にくっついた。パンはそのまま食べたが、床はジャムだらけだ。家内がいなかったからいいものの、いれば大目玉を食らった。昼食時、今度は昨夜ムーギョで買って来たミンチカツなどの揚げ物を電子レンジで温めた。今度はさほど慌てて皿を取り出していないにもかかわらず、皿だけが手元にあって、カツはレンジの中に留まった。油でベトベトになった内部をティッシュで何度も拭ったが、筆者はよく大阪弁で「あわて」と言われて来たことを思い出した。そうかもしれない。自分では慌てているつもりはなくても、動きが早過ぎるのだ。だいたい大阪人はみなそうで、動作ののろいのを嫌う。それはさておき、ここしばらく真夏並みの気温で、秋はあまりにやって来るのがのろい。「暑さ寒さも彼岸まで」というのに、とっくにヒガンバナは散った。観測史上初の10月の猛暑日とやらで、こうも異常続きであると、何が正常かわからなくなる。温室栽培や養殖の魚によって季節感がなくなって来たと言われて久しいが、季節が狂うと人も狂って当然ではないだろうか。毎日のようにおかしな事件が報じられるのは昔も変わらないとしても、昨日書いたように、子ども同士のいじめ、親による子どもの虐待など、筆者が子どもの頃より深刻な状態になっているのかもしれない。ま、そこでようやく今日の本題につなげるが、一昨日阪急嵐山駅前から50メートルほど北の草むらで桜の老木が花を満開に咲かせていた。秋に桜が開花することは毎年ニュースで取り上げられるが、それは丸ごと1本の木ではなく、枝の一部であったりする場合が多い。ところが、筆者が見かけたのは老木の枝すべてが満開で、最初遠目にそのピンク色を見た時、いったい何の木であったかと首をひねった。それが桜であることを知ってびっくりした。5メートルほど際に桜の林や「風風の湯」につながる道があって、人通りは多い。筆者が見ている間も何人も通る。だが、誰ひとりとして桜に気づかない。老木であるので、もう呆けて来ているのだろうか。これほどの猛暑で、春がまた来たと勘違いしているのだろうが、その反応は正しいかもしれない。つまり、人には狂って見えても、気温にまともに反応している。狂っているのは季節の方だ。それにしても、慌てて満開になって、来春はどうするのだろう。これは確かめる価値がある。
●「秋の桜」と「秋桜」_d0053294_010662.jpg

 今日の最初の写真が一昨日撮ったその桜の木だ。左端にごく小さく女性が2,3人写っている。3人は駅前のホテルの宿泊客で、門から出て来たところで筆者と一緒になり、同じ方向を歩きながら、筆者は桜に吸い寄せられた。3人のうち、ひとりだけ青を基調にした浴衣を着ていて、肌が透き通るほど白い白人であった。なかなか美人で、襟元が艶めかしかった。そのことを自覚しているような素振りで、キモノ姿を気に入っているようであった。桜の写真を撮りながら、彼女の姿がフレームに入って来るのを待ってシャッターを押した。それから2日経った今日、また同じ桜を見に行った。花はかなり弱っていた。2枚目の写真がそれだ。よく見ると、背後に金木犀が開花し始め、また長さ7,8センチはある赤いカラスウリの実が4,5個ぶら下がっていた。筆者は10年ほど前に裏庭にカラスウリの雌雄株を通販で買って植えた。そのどちらかが枯れてしまったので、毎年わずかな葉を繁茂させるが、実が成ったことはない。それでその野生のカラスウリを少し家に持って帰ろうかと思い、木の周りを歩いてみたが、実は高さ2メートル以上にあり、また蔓を剥がすにはあまりにもややこしく絡み合っていた。また、実を持って帰ってもどうしようもない。野にあるものは野に置いたままでよい。誰が植えたのかと言えば、きっと鳥が種子を散布した。すぐそばを毎日観光客が通るので、中にはこれはいいとばかりにむしり取って帰る人があるかもしれないが、秋が深まるまでその真っ赤な色合いを楽しませてもらいたいものだ。それにしても桜の花とカラスウリが一緒に見られるとは、季節がむちゃくちゃになっている。旬のありがたみがこうも減って行くと、わざとらしいものこそリアルだと思いかねない。実際そのようになって来ていて、先日のネット・コラムには本物の女性の裸を見ても勃起しない若い男が増えているとあった。そうなると、女性も困るが、さてどうしたものか。それはさておき、秋の桜の写真を載せるからには、秋桜のもと思い、思い当たる畑に撮影に行った。ムーギョへの途上にある、わが自治連合会では最大の畑だ。そこで撮った写真は今までこのブログに何度も載せて来ている。その畑の奥にコスモスが雑然と咲いている。放ったらかしであるから、いい按配に撮るには多少苦労する。それにしてもコスモを秋桜と呼ぶのはどうかと思う。桜のように全体に桃色ではなく、白も臙脂色も混じる。それに幹もない。これでは桜の贋物ではないか。なのに、コスモス(宇宙)というおおげさな名前がついている。そうは言いながら、腹立たしいほどでもない。
●「秋の桜」と「秋桜」_d0053294_0101136.jpg

by uuuzen | 2013-10-10 23:59 | ●新・嵐山だより
●飛び出しボーヤ、その13 >> << ●『三人目』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?