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●飛び出しボーヤ、その13
って帰っていいものは、たとえばゴミだが、ゴミのように見える落ち葉1枚でも環境保護の立場から持ち帰ってはならないとされる場合がある。先日筆者は嵐山の中ノ島公園で1本の流木を持ち帰った。その1時間後、梅津のスーパーの前でリュックを背負って自転車に乗った男の学生らしき若者を見かけた。



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走り去った後ろ姿を見ると、リュックの中からY字型になった枯れ木が顔を覗かせていた。すぐにそれが嵐山か松尾の河川敷で拾って来た流木であることがわかった。面白い形をしているものを持ち帰り、何かに使うのだろう。流木はそのままではゴミ回収車の餌食になって燃やされる。ならば、有効に活用する方がいい。筆者は取りあえず加工を施さず、ただ持っていようと思った。それもひとつの役目を果たす。同じ頃、もうひとつ拾って持ち帰ったものがある。目玉だ。何の目玉かと言えば、今日の最初の写真中央に見えるように、「飛び出しボーヤ」の片目だ。「飛び出しボーヤ」にもいろいろと型がある。そのどれかと言えば、去年4月下旬の「飛び出しボーヤ、アゲイン」の2枚目の写真のものだ。地元には保育園が1か所ある。その玄関脇に男子と女子の「飛び出しボーヤ」が立っている。去年4月の時点でそれはそうとう痛々しかった。あちこちテープで補修し、処分される日が間近いことは誰の目にも明らかだ。それからおよそ1年半、ついに先日向かって左の目が10メートルほど離れた道路の隅に落ちていた。そのままではただのゴミで、それが「飛び出しボーヤ」の目玉であることはほとんど誰にもわからない。またテープで固定すると、ひとまず元通りの姿になるが、もうあちこちバラバラに崩壊しそうで、貼りつけたところでまたそのうちに壊れてしまうのは目に見えている。そこで、もらって帰ることにした。これも記念だ。そして、何かに使えるかもしれない。そう思ったのだが、今日こうして取り上げることで、片目を失った「飛び出しボーヤ」の一歩早い供養になる。
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 「飛び出し」で思うのは先日の踏切内での死亡事故だ。老人が自殺しようと思ったのか、線路上に寝転んだ。それを見ていた40歳ほどの女性が車から飛び出し、助けようとして降りていた踏切の中に入った。その様子を見ていた父親によれば、電車に衝突されるまで7秒ほどであったという。7秒は短いようで長く、また短い。予行演習をしない状態での咄嗟の判断で7秒はきついかもしれない。女性は死んで紅綬褒章をもらったが、そんな褒章があるのかと調べると、死を顧みずに人命を助けようとした人に与えられる。何となく「紅」が血の色でもあり、また熱血漢にはふさわしい。学生時代にこんな話を友人とした。目の前に溺れている人を見るとして、その時どうするかだ。友人はさっと飛び込んで助けると言ったが、筆者は自分がさっぱり泳げないので、助けを求めに走ると答えた。すると友人はそれはおかしいと言った。そんな悠長なことをせずに、即座に飛び込むべきで、それが本能いったようなことを言った。その後、筆者は無数の水難事故のニュースに接した。もちろん溺れている人が助けられた場合の方が多く、またそのことはニュースにならない。耳に届くのは、助けるために飛び込んだ人が一緒に溺死した場合だ。飛び込んだ人は肉親である場合とそうでない場合があるが、みなそれなりに泳ぎは出来るだろう。それでも溺れ死ぬ。それを思うと、泳げない筆者は飛び込む気にはなれない。飛び込めば、溺れている人の目の前で先に水中に沈んで死ぬだろう。だが、地上ならどうか。踏切の中に人が寝転んだ。それを自殺とまずは思い、次の瞬間、さっと飛び出して救助に向かうか。その場に遭遇しないことにはわからない。それにしても、亡くなった女性の人生は何であったかと思わないでもない。だが、誰にとっても自分の死がどういう形でやって来るかはわからない。生きている限りは死に怯えるのが普通だが、時にそのことを考える暇もなく、死すれすれの行動をする場合がある。これも先日のニュースに、亀岡の通学路を歩いていた小学生の列に車が飛び込んで来た。向こう側の道路から空中を飛んで来たので、まさかという事故だ。そのように、「まさか」にいつ遭遇するかわからない。であるので、「飛び出しボーヤ」の立て看板が、子どもが飛び出しそうな道路際に設置される。
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 「まさか」は予想不可能なことで、それを気にして生活することは無理だ。となると、いつ死がひょいと自分の前に飛び出して来てもいいように、常に心豊かに暮らすことを心がけるべきだ。それは誰でもわかっていることだが、先の踏切事故のような出来事があった時しか思い出さない。普段はなかなか仙人のように達観出来ず、憎悪を抱いたり、また立腹しがちだ。憎悪で思い出した。今朝のTV番組に、いじめで自殺した生徒のことを取り上げていた。背の低い、女性のような優しい言葉を使う教育評論家が出演していて、いじめをした方の心のケアも大切だと意見した。いじめ自殺問題では、ほぼ必ずいじめられた方が被害を訴えて同情を集めるが、いじめた方はそれなりに苦しい立場にあるので、そのことも慮るべきだと言うのだ。これは理性では正しいと思えるが、自殺に追い込まれた家族がそんな優しい気持ちを抱くようになれるのは数か月や数年経ってからの話で、あるいは一生許すことが出来ないと考える人もあろう。何しろ死より重いことはないわけで、いじめた者が生きていると思うだけで、頭がカーッとして来る。筆者が改めて驚いたのは、いじめが都会や田舎を問わずに多くなっており、また子どもが平気で「あいつ、いつになったら死ぬのかな」などと親に話すことだ。それに学校が事なかれ主義で、いじめ問題を喧嘩両成敗のように捉えて、解決に積極的でない。いじめは動物の世界にもある。というより、元々動物はそのように出来ている。弱い雄はなかなかボスの位置に上りつめることが出来ない。それでも何年かするとチャンスが訪れるし、またその間、めげずに機会をうかがい続ける。そういう動物の闘争本能は人間にもあるが、いじめられる者に積極的に同情する仲間がいなかったりして、孤独の果てにふと自殺願望に飛び込んでしまう。これを当人の意志が弱いとだけでは済ませられないほどに、いじめが陰湿になって来たということか。さっさと学校を辞めて別の学校に移ればいいと思うが、校区の問題を初め、それを許さない雰囲気があるだろう。いじめられている子が親にそのことを打ち明けないことがまず問題だが、打ち明けてもらい、学校に相談したところで、相手にされない場合が多い。それでは親はどこへ怒りをぶち撒ければいいのか。
●飛び出しボーヤ、その13_d0053294_0332727.jpg いじめる者は心がどこかねじ曲がっているので、その心のケアをどうにかせねばならないと教育関係者は言う。これは、いじめられた子が本当に自殺してしまった後、自分たちのいじめがよほどあくどいことであったと悩むであろうことを予期した言葉だ。いじられた者はそのことを忘れないが、いじめた方も同じくいつまでもそれを覚えていて、時にその記憶にさいなまれる。確かにそうかもしれないが、それは生善説だ。その反対の立場は、いじめた者はいつまでのその根性が直らず、死ぬまで同じようなことを繰り返すと見る。実際はその中間辺りが正しいだろう。筆者が思うのは、いじめた者はいつか誰かによって爪弾きされることだ。子どもの頃に他者に対して優しい思いを抱き、常識がわかるのであればいいが、そうでないままに大人になった者は、必ずどこかで頭を打つ。先日官僚が変な書き込みをネットにして実名がわかってしまった。勉強はよく出来ても、人の痛みがわからずに成人すると、そういう人物になる場合が多いだろう。先の教育者が主張する、いじめた者の心のケアはそういうことを思えばもっともなことで、少しでも早いうちに、まともな心を取り戻させた方がその人物のためになるという考えだ。自業自得という言葉があるように、うまく泳ぎ回っているように見える奴でも、いつか落とし穴に落ちる。それは自ら招いたもので、世間はまともに動いているところがいつの時代でも大きい。今日の2枚目以降の「飛び出しボーヤ」の写真は、わが自治会内に設置されているもので、場所は筆者が指定した。同じ描き手の「飛び出しボーヤ」は以前に2点ほど紹介した。どれも最初の写真の目玉を持つタイプの部分を描き替えたもので、また今日の分は男女が裏表に重ねられている。製作は地元小学校PTAで、今日の投稿分で去年度新たに作られたものはすべて紹介したことになる。通学路に「飛び出しボーヤ」を据えることで、運転手に子どもたちの飛び出しに注意してもらう。それは親心だ。子どもが車に轢き殺されたくはないし、運転手も轢きたくはない。子どもはそのように社会から保護されるものとなっているが、「親の心、子知らず」で、子どもはそのことにあまり自覚はない。それでいいのだろう。大人になってから常識知らずのことをすると、誰も留意してくれない。そして、なぜ自分が否定されるのか、そのことがさっぱりわからない。かわいそうに、子どもの頃にわかるべきことを学ばなかったのだ。この手作りの「飛び出しボーヤ」は親心を思い出させ、大人の社会に飛び出て行く時に少しは役立つのではないか。
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by uuuzen | 2013-10-09 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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