人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●明石にて、その1
圧感があるとの理由で刺青をした女性が入湯を断られたというニュースを今朝見た。マオリ族の中年女性で、唇が上下とも青く、その下の顎の先までアイヌに似た文様が続いていた。いわば顔の中心部であるだけに目立つ。



●明石にて、その1_d0053294_1232038.jpg

見慣れない人がぎょっとするだろう。他の客のそういう反応を予想して刺青を入れた人は入湯を断られることが今では常識になっている。その女性は刺青は家紋のようなもので、入湯を断られたことに納得行かず、裁判所に訴え出た。どういう判決が出るだろう。筆者が子どもの頃は近くの銭湯で刺青を入れた人をしばしば見かけた。それが何かわからない子は無邪気にそれに触りに行ったりし、親が慌ててそれを遮っていたりした。そのようにして社会には刺青を入れた特別な人がいることを知ったものだが、昨今では20歳そこそこの女性でも刺青をファッションで入れるようになった。そういう女性は銭湯やスーパー銭湯に入ることが拒まれるのだろうか。目立たない箇所に入れているのであれば、咎められる心配が小さいが、刺青は入れるほどに増やしたくなるようで、隠すに隠せない人もあるだろう。刺青が威圧感を与えるというのはうまい表現だ。威圧感を与えて何が悪いという見方もあるので、刺青の威圧感は理由にはなり難いように思うが、そのように表現しないと刺青を入れている人に納得してもらいにくい。威圧感で言えば、刺青がないのに、えらく強面の人はいくらでもいるし、そういう人を見れば気に弱い人はそっと顔を背ける。そんなわが者顔の人と刺青を入れた力のなさそうな人とでは、後者の方が威圧感が少ないが、刺青はそのままある特殊な人の印であって、大勢の人が裸で利用する温泉では拒否される。昔は鳶職の人がもっぱら刺青を入れたと言われる。それは高所に上るという仕事柄、自分の恐れを吹き飛ばす意味と、何と言っても厄除けの護符として機能するとの思いからだ。そんなまじないがどこまで通用するか疑問という人があるだろうが、本人がそれで気分を引き締め、職業意識を持つのであればいいではないか。誰もが出来ない特殊で危険な仕事に携わる連中には、それなりの世界観があってよい。工学博士が偉そうな顔をして大きな橋を設計しても、それを実際に建築するには鳶職人がいなければどうしようもない。とはいえ、前述したように、刺青は鳶職人だけのものではなく、今では化粧と同じように手軽に入れる若者がある。そうなれば護符としての効き目もあったものではない。そして鳶職人でも刺青を入れていない人の方がはるかに多いに違いない。アマチュアがプロの真似をする困った時代で、プロはやりにくい。ネットの世界がその好例で、昔は本を出す人は限られた人だけであったのに、今では誰もがネット上に意見を吐く。しかもゴミ以下のそれが圧倒的に多く、目を覆いたくなる。
●明石にて、その1_d0053294_1233570.jpg

 さて、先月16日前後は家内の夏休みで、どこか連れて行けと言われ、まず比叡山に上った。その翌日、思うところがあって明石に行った。そのことを今日から3回ほど費やして書く。明石に行く目的はまず兵庫県立図書館であった。そのことを家内に言うとふくれるのは見えているので、どこへ行くかを言わずにとにかく阪急電車に乗った。明石に行くにはJRが便利かもしれないが、それを利用するには嵯峨嵐山駅まで15分ほど歩くか、小1時間かけて京都駅まで出なければならない。それよりもわが家のすぐ近くにある阪急嵐山駅を利用する方が早い。阪急は神戸三宮までだが、山陽電鉄が相互乗り入れしていて、雨でも濡れることなく明石まで行くことが出来る。そうそう、昨日書いた「明石郡 清水寺」は兵庫県明石にある寺で、明石郡は1951年に廃止されているから、元三大師堂に「角大師」の版画を処分に訪れた人は、1951年以前のものを持参したか、あるいは現在の清水寺では群が廃止される以前の版木をまだ用いて刷っていることになる。たぶん後者で、「明石市 清水寺」と版木を彫り直すのが面倒でもあるし、またそれでは何とはなしに風格が減ずると思っているのだろう。ちなみにこの寺は明石市魚住町にあるようで、JRの西明石と加古川の中間辺りにある。さて、明石に関して最初の思い出は、筆者が建築土木の設計会社に勤務している頃、明石市の下水道設計を会社が請け負い、その打ち合わせで何度か訪れたことだ。会社の車で国道2号線をひたすら西進するか、あるいはJRで出かけた。市役所の担当者はいかにも田舎じみた顔のおっさんで、知的さのかけらもなかった。それどころかかなり横柄で、それが滑稽であった。もうとっくに定年を迎え、今は隠居の身だろう。あるいは亡くなったか。明石市役所の近くにボギーという名前の喫茶店があり、そこのマッチがよく会社の上司の机の上に転がっていた。「ボギー」がハンフリー・ボガードの愛称なのか、それともゴルフ用語なのか、ついにわからずじまいであった。その店が今もあるかどうかわからない。また、市役所は大きく建て変わったかもしれない。明石の下水道の設計を一手に受注出来たのは、神戸市で実績があったからだが、神戸の垂水辺りはまだ整備されておらず、その設計の下準備で垂水も何度か訪れた。だが、わが会社は下請け会社を大量に抱え、受注した仕事はほぼ100パーセント下請けに任せ、役所の人物と打ち合わせを重ね、重要な箇所のみ点検した。それもあって、明石や神戸その他、設計を請け負った地域の土地勘は得られないままになった。
●明石にて、その1_d0053294_124069.jpg

 国鉄を使った場合の明石駅から明石市役所への道のりはほとんど記憶にないが、かすかに覚えているのは、駅から南東へ海に向かって歩いたことで、明石駅前の市街地を見ることはなかった。大阪からでは出張にもならない距離で、打ち合わせが終わればすぐに会社へ戻ったからだが、筆者ひとりで向かったのであれば少しくらい市街地をぶらついたものを、上司と一緒ではそうも行かなかったというのが実情だ。ともかく、市役所以外は何も知らぬままにこの年齢になった。もっとも、岡山や広島など、明石以西にJRで行く時は明石を通過し、車窓からそれなりの繁華ぶりを確認してはいた。それが明石駅に降り立つ用事が7月に出来た。ある本をネット・オークションで見つけたところ、同じものが大阪中之島図書館にあることを知った。それでまずその図書館で中身を確認してから落札してよいと判断した。ところが再出品されなかった。何となくいやな予感があった。中之島図書館に赴くと、あると思ったその本の続編のみが所蔵されていた。ネット検索では正続ともあると表示されたから、司書にいったいどういうことかと詰め寄ったところ、申し訳ないの一点張りであった。そこで他の図書館ではどこが所蔵するか調べてもらった。京都では同志社が持っている。だが、大学の図書館は紹介状が必要など、たいてい手続きが面倒で、一般人には出し惜しみする。それなら古書を買った方がよく、筆者はほとんどの場合、万円単位であっても買うことにしている。だが、ネット・オークションで見つけたその本は『日本の古本屋』でヒットしない。同志社以外では兵庫県立図書館にあることがわかった。そこに行くしかない。それでようやく1か月ほど経った先月17日に調べに行くことにした。その結果を言っておくと、目指す本は思ったほどではなく、ネット・オークションで落札しなくて正解であった。ただし、とても面白いことがわかった。それはどこにどういう形で書くことになるだろうか。たぶん、書かない可能性が大きいが、あまりに専門的は話でありながら、学術論文にするような内容でもないからだ。ともかく、明石行きの第一の目的は早々と達成出来たから、後は散歩となった。
●明石にて、その1_d0053294_1241450.jpg

 今日はまず山陽電鉄の車窓から撮った瀬戸内海の写真を2枚載せる。最初のものは「9月になればなったで…。」の3枚目の写真とほとんど同じ時刻に撮った。海と空以外に何も捉えず、しかも海と空を縦に二分した横長写真は、以前にも投稿したが、これは現代美術家の杉本博司の真似だ。蛇足ながら、6月15日は琵琶湖でも同様の写真を撮った。それをMOディスクに保存し、いつかブログに載せようと思いながら、ディスクが壊れてしまった。その思いを抱きながら、垂水区の舞子の海を電車の窓から眺めながら、シャッター・チャンスを待った。電車の架空線が入らない瞬間はなく、それが水平線近くに見えない頃合いを待つしかない。そしてそういう機会が訪れた。筆者のボロいカメラで、しかも疾駆する電車の中からガラス越しに撮ったにしてはよく出来た写真と思う。2枚目は各駅停車に乗り換えるために一旦プラットフォームに下りた時に撮った。その駅が舞子公園なのか、西舞子なのか記憶にない。たぶん前者だと思う。また、筆者はずっと浜側を見ていたが、明石の花火大会の終了後に起こった歩道橋での有名な事故現場を思い出し、それがどこにあるかと待っていたところ、確かにその特徴あるチューブ状の長い歩道橋を目撃した。それは山陽電鉄の西舞子を出てすぐのところで、JR朝霧駅にある。山陽電鉄とJRは南北にくっついて走っているが、JRの方が山側だ。また、山陽電鉄は朝霧駅はない。その大事故は2001年夏に起こった。それから各地で警備員が一気に増えたように思う。今ではちょっと道路を掘るだけでも警備員はふたりはつく。その意味でこの事故は21世紀の幕開けとしてきわめて象徴的なものとなった。その事故を思い出しながら、舞子にザッパ・ファンの畠中さんが住んでいることをぼんやりと思い浮かべていたが、年賀状だけのつき合いとなっている人にごくたまには会ってみるのはいいことで、そういう機会を積極的に作るべきだろう。そうは言いながら、家内も同じようになっていて、10数年は合わない友人がある。その気になれば翌日でも会えるというのに、忙しさではなく、長年会わないことで面会が億劫になっている。会えば会ったですぐに打ち解けるのに、夫婦を長年やっているとお互い似て来ると見える。
●明石にて、その1_d0053294_1243020.jpg 明石大橋はさすがに巨大で、威圧感がある。下水道や河川の設計とは比べものにならないほど規模が大きいが、それだけに設計に携わる人は全体のごく一部分ということになる。一方で大勢の鳶職が活躍した。橋梁は専門の設計会社があるが、明石大橋のような規模になると、橋脚の基礎を専門に設計する会社もあって、筆者の学生時代の友人はそんな会社に入っていた。瀬戸大橋の基礎工事に何年か携わった後は京都市の地下鉄工事に部署替えになり、その期間中筆者が住んでいた梅津の文化住宅にバイクで何度か訪れたこともある。瀬戸大橋が完成し、京都市地下鉄も動き出し、大手ゼネコン写真はジプシーのように各地を転々として暮らす。そういうゼネコンが今後も経営を成立させて行くためには、大規模な土木建築工事がなくてはならない。それで2020年のオリンピックもぜひとも誘致する必要があった。日本は永遠に大規模な工事を絶えずどこかで繰り広げる運命にある。それほどにゼネコンの力が無視出来ない。この図はアメリカの軍事産業と同じだ。ミサイルや大砲、機関銃の弾丸を製造する会社を食わせるために、アメリカは必ずどこかで戦争をしなければならない。大統領はそういう軍事産業の操り人形も同然だ。かくて戦争はアメリカという国がある限りなくならない。多民族国家のアメリカがそうであるならば、どの国が世界をリードしても同じことだ。それはさておき、明石海峡大橋を見ながら思ったのは、その記念切手だ。それを先ほど探した。平成10年3月20日に2種類が発売されている。ふるさと切手ではなかったかと思う。一方、瀬戸大橋の記念切手はその10年前の1988年4月8日に4種が出た。20世紀の末期、瀬戸内海に続々と巨大な橋が架かった。京都からはもっと遠い広島の「しまなみ海道」に架かる本州四国連絡橋は記念切手が10種も用意され、平成11(1999)年4月26日に発売された。筆者が記念切手を必ず郵便局で買ったのは20世紀までで、それ以降は熱が徐々に冷めた。来年の消費税アップを睨んで、郵便は80円切手を82円に、50円を51円に値上げすると昨日発表した。昔62円切手があり、筆者はそれを大量に所有している。それ1枚と20円切手を貼ってせっせと封書を書こうか。そうそう、明石大橋は歩いてわれるのかどうか、眼下に鳴門の渦潮を見るのもよい。それには山陽電鉄の西舞子で下車すればいいだろうか。
by uuuzen | 2013-09-14 23:59 | ●新・嵐山だより
●比叡山にて、その7 >> << ●明石にて、その2

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?