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諸堂めぐり」と題した説明書が手元にある。見開きは「延暦寺三塔巡拝マップ」で、縮尺を無視したイラスト地図ではないのがよい。改めてこれを見ると、巡っていない堂が多く、1日で全部見て回るのは無理であることがわかる。
10数年前だろうか、最澄生誕1200年記念の大展覧会が京都国立博物館で開催された。その時に図録を購入しながら、ぱらぱらと見ただけで、比叡山にすぐに行ってみようという気にもならなかった。同展は延暦寺が所蔵する作品ばかりで構成されていなかったが、それにしてもそれらの展示品が普段はどこにどう保存されているのか。そのことを根本中堂を拝観した後に思ったが、先日書き忘れたのでここで触れておくと、東塔のバス・センターに面する拝観券売り場のすぐ近くに「国宝館」があった。「なるほど、ここで重要な仏画や仏具、仏像などが展示されているのか」と思った直後、もう拝観券売り場から外に出ていた。その拝観券売り場は「その3」の最初の写真に見えるものではなく、もっと大きないわゆる正門に相当するものだ。つまり、坂本からケーブル・カーを利用して頂上に至ると、裏門と言ってよい場所から入り、この正門から出てバス停に立つことになる。三塔を巡るシャトル・バスは1時間に1、2本で、ケーブル・カーと同じようなものだ。これはその程度の便でも充分に参拝者をさばくことが出来るとの判断だろう。筆者らが乗ったバスは往復とも満員にならなかった。シーズン・オフはもっと少ないに違いなく、シャトル・バスを走らせるのはあまり儲からないだろう。京都の八瀬からケーブル・カーとロープウェイを乗り継いで頂上に至ると、東塔までシャトル・バスを使わねばならない。それは比叡山ドライブウェイで、徒歩は許されないだろう。ならば徒歩専用の道があるのかどうかだが、「諸堂めぐり」のマップにその案内はない。またそのような道があっても、ロープウェイの山頂駅から坂本ケーブルの延暦寺駅まで小1時間はかかるだろう。そんなことを予め調べずに坂本から上ることにしたが、それは正しかった。なお。比叡山の正式な山頂は比叡山ドライブウェイの途中にある。
叡山ロープウェイ、坂本ケーブルのいずれを使っても、最初に見るのは東塔で、そこだけをあらかた巡れば下山してもよいだろう。時間がある人はすぐ北側の西塔、そしてはもっと遠方の横川に足を延ばせばよい。「諸堂めぐり」のマップでわかったが、東海自然歩道が比叡山にも走っている。比叡山ドライブウェイに沿ってはいないが、それを挟む形で、またそれからそれぞれ300メートルほど離れて京都側からは2本走っている。どちらも根本中堂の前につながっていて、比叡山の北側を走る方はシャトル・バスの道路にほぼ沿って横川まで続いている。もちろん横川が終点ではなく、仰木峠に至る。仰木は湖西にある町で、ここ20年ほどでたくさんの住宅が建ち、京都のベッド・タウンとなった。美術大学も誘致され、また美術家や工芸家もアトリエをかまえている。筆者は山歩きに全く興味がないので、東海自然歩道がどこをどう走っているのか知らないが、筆者の住む嵐山にもこの道の標識をあちこちで見かけるから、その気になれば時計回りに嵐山から北山へ歩き、そして比叡山に足を延ばして、仰木の里に下りることは出来る。その道のりは20キロほどだろうか。健脚ならば1日で充分だろう。また、そのようにして車が走らない山道を歩けば、最澄やその弟子たちの修行の一端に触れた気分になれるのではないか。文明の便利さはあれもこれも合理的に手に入れさせるようだが、肝心のことが欠落することもあり得る。話は変わるが、昨日わが自治会内でスマホの画面を見ながらバイクを走らせている青年を見かけた。その道路はかなり狭いのに大型バスがよく走る。わが自治会では最も危険な場所で片手運転、脇見運転をして平気というのはどういう神経か。そこまでしてスマホで確認すべき重要なことがあるのか。バイクもスマホも文明の利器だが、両方を操って安全な運転が出来るはずがない。それがわからなくなるほどスマホ中毒があるらしい。その青年が自損事故を起こすのはまだよいとして、児童が歩く道でそのような行為をするのは、1秒の遅れで彼らを殺傷してしまいかねない。文明が発達すると、信じられない愚か者が増えるようだ。ネット時代になってそれが一気に顕著になった。愚か者、恥知らず、どう表現してもいいが、筆者のような年齢になると、そういう手合いを目の当たりにしたくない。「馬鹿は死ななきゃわからない」という表現が昔流行ったが、自分の行動がどういう反響を呼ぶかがわからない想像力の欠如した若者が続出するここしばらくの日本の状況は、まさに死んでもらわねばならず、閉店した店主が賠償を要求するのは当然の措置だろう。そのような若者は遅かれ早かれ、同様のことを仕出かし、社会的責任を問われる。ならば少しでも若い時期がよい。
さて、「その6」まで続けると書いた比叡山での思い出だが、写真が多く、今日までとなる。とはいえ、今日はエピローグで、ほとんど書いておきたいことがない。写真の説明をすると、最初のものは元三大師堂を見た後、時計回りに道を辿って鐘楼に出たところで撮った。この鐘は東塔にあったのと同じで、監視人はおらず、誰が撞いてもよい。東塔に比べると人ははるかに少ないから、鳴りわたる鐘の音の回数も少ないはずだが、人が少ないとみんなが撞きたがるから、ここでもひっきりなしに鳴り響いていた。筆者は撞かなかったが、家内は珍しくも背後に回って順番を待ち、一撞きした。朱色が派手で、塗装し直してまださほど年月を経ていないだろう。同じように派手な朱色をしているのが横川中堂で、2枚目の写真の突き当りにわずかにそれが見えている。この道は鐘楼を背にして撮ったもので、横川中堂を最初に見た参拝者は、その正面から前方に続くことの道の果てに鐘楼の朱色を見ることになる。つまり、中道と鐘楼はこの道によって対峙している。この道は東塔にはない風情がある。高野山の奥ノ院のような感じで、街中の寺では求められない荘厳さが漂う。修行するのに場所は関係なく、むしろ人が多い猥雑ささえ漂うところで修行すべきと、関西のある落語家が口泡飛ばしてTVで主張していた。心迷わせるものが多い場所で修行する方が苦痛であるはずという理由だ。誘惑が多いところに身を置きながら、精神の孤高を保つべきという考えは、一見もっともらしい。だが、修行とは誘惑を絶つことだけが目的か。それに、僧以外の人は誘惑に四六時中負けていても当然というのか。奥深い山地が修行の場になることは人々の心のよりどころとしてはとてもいいことだと思う。俗世間と隔てられたそのような場所に修行で籠ることは精神修養には効果があるだろう。そうして悟った僧が下界に赴いて人々を教化する。山にはそんな力があるのではないか。そのことは筆者のようなさっぱり山地に縁のない者が、比叡山の樹林を見たり、わずかでもその中の道を歩んで感じる。その一方で思い出すのが、富士山登頂の人気だ。それをスポーツのように思う人が増えているのかどうか、富士山がゴミだらけという話を聞くたびに、山登りする人たちの精神修行との縁のなさを嘆きたくなる。で、比叡山も同じような具合になりかねない心配は常にあるが、そこは僧侶たちが毎日清掃しているのだろう。昨日も書いたが、身の周りを掃き清めることがまず寺の役目で、それを思えば俗塵溢れる街中より山中が修行にいいのは決まっている。
横川中堂の中に入ると、まず目に入るのが観音立像だ。これは比較的新しいもののようだ。建物もそうで、外観以外は鉄筋コンクリートだろう。内部は時計回りに一周出来るようになっている。観音立像が据えられる正面以外の三方は、白い布を敷いた数段の雛段が埋め尽くし、そこに高さ10センチほどの観音像のミニ・レプリカがところ狭しと並べられていた。観音立像に向かって左側、つまり堂内を一巡すると最後の面はまだ充分な空きがあったが、それもいつかはいっぱいになる。数万体はあるだろうか。1体1万円だったか、正確な金額は記憶にないが、日本全国からそれを購入して祀ってもらう人たちがある。それが延暦寺の収入にもなっているはずで、横川の落ち着いた空間と雰囲気に魅せられた人ならば、そのミニ観音像を自分の名前で新しく置いてもらいたいと思っても不思議ではない。同じようなことは高野山でも行なわれていたが、そうしたささやかな寄進が墓の建立の代用になるのかどうか知らないが、少子化に伴って自分の墓が死後にどうなるかを心配している人はこの横川中堂に観音像を飾ってもらうことで多少は心が落ち着くのではないか。横川中堂を拝観した後は、「その5」の最初の写真を撮った場所に出て来た。後はバス停に向かい、そして停車中であったバスに乗って東塔のバス・センターに戻った。そこからどのようにして京都に戻ればいいか。また坂本ケーブルを利用しようかと思っていると、目の前に京都駅のバスが停車しては出て行く。そこではたと気づいた。そう言えば京都市内から比叡山を往復するバスはよく走っている。比叡山ドライブウェイを下ればすぐに銀閣寺辺りに出る。そのようにして息子の車で走ったことを思い出した。それで帰りはそのバスに乗った。今日の4,5枚目の写真は滋賀県側の街並みで、これがよく見える場所が2,3あって、当然のことながら、次第に麓に接近してビルが大きく見えるようになった。また、京都の街並みは見えなかった。30分ほどの乗車か、見覚えのある市内に出た。京都駅まで行く必要はないので、出町柳から河原町通りに入り、南下して三条で降りた。当日は五山の送り火で、百万遍辺りはもうあちこち浴衣姿の若者が繰り出していた。出町や百万遍から左大文字が最もよく見え、午後7時になれば大勢の人で動く隙間もないほどになる。そうなる前に嵐山に戻り、しかも渡月橋のたもとから見える鳥居型の送り火はTVで鑑賞した。京都に住めば五山の送り火は珍しくない。比叡山のお化け屋敷があったところは、今は恋人の聖地と呼ばれている「ガーデンミュージアム比叡」になっている。この噂を聞きながら、まだ見たことがない。夜もよさそうだが、それには自家用車がいる。運転免許のない筆者には無理だ。