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●比叡山にて、その4
閣であるからには上り下りが大変なのはわかるが、これほどに急な階段はないだろうと思ったのが、根本中堂の向かい側の小高い丘に建つ文殊楼だ。こういう建物は外から見るだけで、内部に入ることが許されるのはとても珍しい。



●比叡山にて、その4_d0053294_049530.jpgそれで、あまりに急な石の階段を上った直後、すぐ目の前にあるこの建物の階上に上がってよいとなれば、誰しも上ってみようという気になる。靴を脱いで木製の階段を上がるが、幅はひとりでいっぱいで、傾斜角度はたぶん80度くらいではないか。ほとんど直立した梯子で、現代の建物ではまずあり得ない。もっと緩やかな階段に出来なかったかと思うが、楼閣の構造を見ると、そのきわめてきつい傾斜は仕方ないようだ。それほどに建物が小さいからとも言えるが、たぶんきつい角度にすることで上に行くことに緊張感が生まれ、また誰でもがそうたびたび内部に入ることがないようにと考えられたのかもしれない。ともかく、この文殊楼は2階に上ってみるだけの価値はある。窓はなかったと思うが、内部はうっすらとしていて、わずかに光が入るような構造にはなっている。空気の通りがなければ内部に黴が生えるし、それは当然だが、うす暗い中で階段を上りきってすぐ左を向いたところに文殊菩薩の像が聳えているのは、かなりはっとさせられる。それは手を伸ばせば触れられるからでもある。そういった仏像を鑑賞するのは、間近で見る場合はガラス・ケースの中にあるのが常識だ。そのガラス・ケースに相当するものがこの文殊楼全体であって、いわば展示のガラス・ケース内部に入ってガラス・ケースで保護されている対象に対面するわけで、さすが広大な延暦寺に来たという感慨を覚える。内部は次々と入って来る観光客でいっぱいで、押される形ですぐに文殊菩薩の前を通り過ぎ、下りるのに専門に使われている同じく傾斜が急な階段の前に行く羽目になったが、9月の今頃になればゆっくりと内部で瞑想することも可能なはずで、出かけるならば観光客が少なくなった頃がよい。たとえば、絶えずいちゃついていたいカップルは、この建物の階上は申し分ない場所だが、菩薩像に見下ろされているとなれば落ち着いてそんな行為に及ぶ気にはならないだろう。だが、それでも無視してくつろぐ連中がいるかもしれない。
●比叡山にて、その4_d0053294_0494513.jpg 文殊菩薩が祀ってあると書いたが、これは文殊楼であるからには絶対そうであろうという想像だ。この建物やまた文殊菩薩像が国宝並みに貴重なものであれば、内部に入ることはまず許可されない。そう考えると、比較的新しい建物と像かと想像するが、それでも100年や200年は経っているに違いない。ともかく、観光客が多い季節ならば、後から後からこの建物に上る人があって、お互い妙なことをしないように監視の思いが働くが、人影がまばらな頃になれば、落書きなど、どんな悪さをする者がいるかわからず、階上に入ることを許可していることはかなり思い切ったサービスだ。無料であるし、動きを監視している関係者もいない。お化け屋敷と比較するのはとんでもないが、この文殊楼に上ってみるだけでも比叡山を訪れる価値があるほどに、それは他ではめったに経験出来ないことだ。その思いからではないが、今日は文殊楼の写真を2枚載せておく。1枚目は100段ほどの石段を上り切ってすぐに見える正面で、内部の暗がりに白シャツの男性が見えている。これは急な階段を上ろうとしているところだ。2枚目の写真は建物の裏側で、写真中央に上が白、下が黒スカートの若い女性が少し見えている。これは階段を下りて来て靴を履いたところだ。このような格好の女性が梯子のような急な階段を上るのであるから、昨日書いたように、すぐ後ろに男性がいると、女性のパンツ尻が目の前30センチのところに丸見えになる。それはともかく、最初の写真が上下2枚つないでいるのは、後方に立っても間近すぎて1枚に収まらなかったからだ。2枚目を撮ったのは、緑の楓に照る光がなかなか趣があったからで、これが赤くなると別の美しさが出る。文殊楼の裏手に立つと、目の前に鉄筋コンクリートの建物が樹木の向こうに見えた。延暦寺会館で、宿泊施設だ。数百人は泊まれるほどの大きさに見えたが、どういう人たちが利用するのだろう。延暦寺は天台宗で、末寺が各地にあるのかどうか、また檀家はどうなっているのか、あるいは一般人に墓地用の土地を販売しているのかどうかなど、他の宗派とどう違うのかとふと考える。最澄が最新の密教を唐で学んで帰国した空海をいわば羨ましがって教えを乞おうとしたが、空海はけちったわけでもないが、うんと言わなかった。最澄の無念さはどれほどであったかと思うが、京都では空海の東寺は街中にあって毎月21日は縁日で賑わい、大勢の人々が訪れるのに対し、最澄の本拠地の延暦寺は比叡山の山頂にあって市民にとっては東寺とは比較にならないほどに遠い。そのことは空海と最澄の人気の差を示しているようにも思える。別の言葉で言えば、空海の快活な馴染みやすさと最澄のどこか仙人めいた透明感という対比で、最澄はやはり奥深い比叡山が似合っている。
●比叡山にて、その4_d0053294_0493816.jpg
 双方とも命がけで中国にわたって仏教を勉強して来たのに、空海が最新の情報を得て帰国したことは、何だか現代にも通じる熾烈な情報獲得合戦を思わせる。つまり、今も昔も情報は刻々と更新され、新しい情報がより価値を持つ場合が多い。空海も最澄も密教を取り込もうとし、その密教が曼荼羅を見てわかるように、体系化を特徴とする。最澄はいわば不完全な情報しか持ち帰らず、それによって自信の考えをまとめ上げるには材料が不足していたのだろう。そこで空海に頭を下げて情報を教えてほしいと懇願したが、空海がそれを拒否したことを不親切であったと言い切ってしまうことはどうか。現代でも命を削って何事かを研究している人が、自分の業績をまとめ上げる前に、そう簡単に他の研究者に根幹となることを教えるだろうか。とはいえ、最澄がまた入唐すればいいではないかと簡単に言える時代ではない。であるからこそ、最澄の無念がどれほど深かったかと胸が痛むが、ともかく天台宗を成立させたのであるから、その才能や人間の大きさは途方もないほどに大きかったのは確かで、空海とともに平安時代がそういった人物を生み得たほど、当時は仏教が重要な位置を占めていたことを今さらに思う。彼ら以降も偉大とされる教祖を何人も生むが、空海と最澄は別格と言ってよく、またそうであるだけに一般人からは遠いような気もする。天台宗は法華経を根本に据えるとされるが、後の日蓮宗とは区別される。日蓮は天台宗とは違う教えを唱えたからだが、同じ法華経であるのにこの差はなぜ生じて来たかと言えば、たぶん日蓮は天台宗があまりに中国的でしかも難しいと考えたからではないか。そして、時代と国情に応じて改変する必要を感じたのだろう。もちろんそこには社会の上層部だけの仏教とせず、庶民も救われるべきとの思いがあった。今回初めて知ったが、バス停から横川中堂に向かう途中、山肌に多くの絵看板が並べられ、日蓮の生涯を解いていた。そして、横川中堂の奥に日蓮が学んだ寺があったが、そこまでは足を延ばさなかった。ともかく、日蓮は比叡山に籠って天台宗を学び、そしてやがて自らの教えを広めるようになる。宮沢賢治は法華経の信者であったが、それは日蓮宗であって天台宗ではないのだろう。とはいえ、両者は底ではつながっている。
●比叡山にて、その4_d0053294_0502823.jpg
 昨日は根本中堂を見下ろす坂の上に広がる土地で僧の「ゆるキャラ」を見かけたことを書いた。今日は3枚目にその「ゆるキャラ」の写真をもう1枚載せるが、背後右手に「根本中堂」の石柱が見えている。左手は下り坂に向かい、その先に根本中堂がある。それはいいとして、昨日の「ゆるキャラ」が写る写真は、「根本中堂」の石柱の前に筆者が立って、石柱の右手奥を向いて撮った。そして、今日の4枚目の写真は、その右手奥に向かって右端に建つ「萬拝堂」だ。シャッター・チャンスが悪かったので、見知らぬ女性が写っているが、見てほしいのは奥の金色に輝くチベットの千手観音の坐像だ。これの周囲360度にマニ車がびっしりと組み込まれていて、参拝者はそれを回しながら時計回りに堂内を一巡する。すると日本中の寺を参ったのと同じ効力がある。「そんな馬鹿な」と思うが、これに似た手っ取り早いお参りは各地にある。「萬拝堂」は新しい建物で、ここ数十年のものではないだろうか。気軽に入って一巡するといった感じで、子どもでも楽しめる。チベットの仏像がなぜあるかと言えば、天台宗の密教性から説明がつくだろう。とすれば東寺にも似たものが設けられているかもしれない。筆者がこの建物で興味深かったのか、今日の写真で示している。この写真も上下2枚をつないでいるが、つなぎ目の右端を見てほしい。わざと1枚の木版画を切らないようにつないだ。その木版画を見た時は少し驚いた。10年ほど前か、筆者はこれと同じものを中京のとある店の玄関で見た。早速それが何かを調べたのは言うまでもないが、そのままになっていた。それをまた「萬拝堂」で見かけたので、これはいい機会であるとばかりに、堂内を入ってすぐの右手の窓口にいた男性に訊ねた。「あの表の柱に貼ってある版画はここで売っているのですか」「いいえ、それは横川で売っています」。で、気乗りしない家内を連れて横川に向かうことにした。明日はそのことを書く。
by uuuzen | 2013-09-10 23:59 | ●新・嵐山だより
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