鐘を鳴らすことにどういう意味があるのだろう。寺の鐘は時刻を示すものと漠然と思っているが、それ以外では大晦日の夜に108回撞く。ところが滋賀の三井寺では観光客が撞ける大きな鐘がある。
有料であったはずだが、100円か200円程度ではなかったか。それがしばしば鳴ると、麓ではいったい何のことかと訝るが、もう慣れているに違いない。せっかくぶら下げられているものであるから、鳴らさないのはもったいない。三井寺がそう考えて誰にでも撞かせるようになったのかどうか知らないが、鳴らす方にすれば一生にそう何度もない機会であるから、経験としては楽しい。寺側がそうした理由だけで撞かせているのではなく、たぶん仏教的に意味がある。チベット仏教のマニ車は日本の寺にももたらされて、各地の寺院にそれを日本風に改良したものなどがあるが、あのマニ車を回転させる行為は鐘を撞くことと同じ意味があったと思う。つまり、いいことがありますようにとの願いを込めるわけで、鐘の音は邪気を払うのだろう。となれば、各地で毎日盛んに鳴らされるべきだ。そう思ってのことかどうか、比叡山の延暦寺ではチケット売り場を入ってすぐ、鐘の音がしきりに鳴っていた。後でわかったが、まだ新しい朱色の鐘楼がチケット売り場から奥に続く道の左手を少し上がったところにあって、観光客が入れ替わりそれを撞いていた。三井寺の鐘を思い出させたが、どっちが先だろう。さて、延暦寺と言えば根本中堂を真っ先に思い出すし、それは間違いではないが、根本中堂のある地帯を東塔と呼び、それに対して京都寄り、つまり西側に西塔があり、さらに北部には横川(よかわ)と呼ぶ境内がある。これら3か所の総合が延暦寺で、全部見て回るには1日はほしい。先月16日、筆者らが出かけたのが早朝ではなく昼前であったため、空腹感も手伝って比叡山に長らく留まる気があまり起こらなかった。それでも横川まで足を延ばしたので、見どころの大半はこなした。実はタイムリーなことに、今朝の11時過ぎから始まるNHK-TVの「ぐるっと関西おひるまえ」では、「比叡山に行こう」と題して15分ほどの特集が組まれていた。最初に横川、そして西塔、東塔の順に紹介があって、筆者はせっかく現地を訪れながら、西塔を見なかったことを多少惜しんだ。
「ぐるっと関西」は縮めて「ぐるかん」と呼ばれている。少し早い時間帯に関西TVで「よーいどん!」が放送されていて、以前はそれをよく見ていたが、円広志の年寄りを侮ったような態度がだんだんと鼻につくようになって来た。それで代わりに「ぐるかん」を見るようになった。それはさておき、この番組では関西人でも比較的行ったことのない場所をよく紹介してくれる。それがよい。比叡山を今頃紹介するのは、夏休みが終わって涼しくなり、人も少ないのでかえって訪れるのにはよいという意味だろう。根本中堂の内部を若い僧侶の引率で若い女性が入って行く場面が紹介されたが、堂内には彼らふたりしかおらず、筆者らが入った時とはまるで違っていた。筆者と家内が出かけた8月16日は京都では五山の送り火があり、それを目当てに京都にやって来た人はたくさんいたはずで、そのうちの何パーセントかは昼間に比叡山に上ったであろう。つまり、1年でも最も観光客の多い日に出かけたのではないかと想像する。とにかく根本中堂の内部は300人はいたはずで、しかも後に続々と人並みが続いていた。堂内部は撮影禁止であったと思うが、今朝のTVでは内部の奥まで撮影されていて、秘仏があるので絶対に撮影禁止というほどでもないようであった。さて、話が前後するが、根本中堂を見下ろす坂の上に20年ほど前に立ったことがある。その時は車で行った。チケットを買った記憶がないので、運転してくれた者が筆者の分まで買ったのかもしれない。ではなぜ堂内を見なかったのだろう。そこで思うのだが、20年前は根本中堂の内部に入るにはお金を支払う必要があったが、外から眺めるだけならば無料であったかもしれない。たぶんそうだろう。ケーブル・カー坂本駅から最終駅の延暦寺駅で下車すると、根本中堂まで徒歩5分ほどで、簡単な地図ではあるが、それによれば京都側の八瀬からケーブル・カーとロープウェイで比叡山の山頂駅に着き、そこから根本中堂まで歩くより早い。というのは、バスを使う必要があるからだ。筆者らが坂本から上ったのは正しかったと言うべきだ。
今日の最初の写真は根本中堂に向かう道で、拝観料を支払う関所のような場所の手前で撮った。両側の門柱の真ん中の地面に小さなパンダの人形が置かれている。これは筆者らの次に入った若い中国人カップルが置いたもので、各地で同様にパンダと名所の合体写真を撮影しているようであった。中央奥に見える小屋が料金所で、大人は600円ほどであった。これで東塔、西塔、横川の全部の建物の内部が拝観出来るから、かなり割安と言うべきだ。ただし、比叡山に上るのにケーブル・カーやバス料金がそれなりにかかる。また、比叡山では大きな食堂はあるにはあるが、とても高くれメニューも少ない。もっとも、今朝の「ぐるかん」で紹介されていたように、根本中堂からすぐの延暦寺会館で一泊するのであれば、それなりの施設があり、特別のメニューも用意されているだろう。ところで、根本中堂を見下ろす坂に立った20年前は比叡山ドライブウェーを利用して上ったが、どの道をどう歩いてそこに至ったかの記憶がない。それで、最初の写真の門を入った憶えもさっぱりなく、おそらく別の道を使った。根本中堂や付近の建物をひととおり見た後、前述の朱色の鐘楼脇の道を歩いて延暦寺観光のいわば正門に向かい、そこを出たところがバス・センターであった。かなり広い駐車場で、自動車も停められる一画があったと思うが、ないとしてもそれはほとんど隣接しているだろう。つまり、20年前はそうした駐車場に車を停め、正門から入ったと思うが、当時は正門がなく、料金を支払う必要もなかったかもしれない。文字にするとわかりにくいが、最初の写真に見える道の左手の石垣の上に正門に向かう道がある。2枚目のパノラマ写真が根本中堂で、内部はまず比較的小さな庭があって、その周囲に回廊がある。入ってすぐに左に折れ、突き当たりをまた左に折れ。そして靴を脱いで堂の向かって左手から内に入る。拝観者は僧侶の説明を聞きながら右手へと進み、時計回りに一巡して堂を出る。根本中堂の名称は覚えやすいが、「中堂」と聞くと「本堂」ではないのかと思ってしまいかねない。「根本本堂」ではややこしいので、いっそのこと「根本堂」と縮めてもいいのではないかと無茶なことを考えるが、ともかく「根本中堂」と名づけられた。横に長いので、靴を脱いで堂内に入ると、まず最も手前から左奥の格子の向こうの暗がりを覗くことになる。するとそこでどういう光景が広がっているかと言えば、これが何だか凄まじい。格子によって堂の中心部とは隔てられているのはいいが、拝観者はかなり高台から見下ろす。高低差は6,7メートルはあるだろう。そしてその下は板が敷かれておらず、土間だ。継ぎ目が見えなかったのでコンクリートかもしれないが、あるいは石か。それとも突き固めた土かもしれない。いずれにせよ、底冷えするはずで、夏はよくても雪が積もる冬は零下の気温になるのは間違いない。筆者が連想したのは牢獄だ。全体で100坪ほどだろうか、根本中堂の外観の横長と同じだけの幅があり、奥行きは20メートルほどか。その仕切りのないうす暗くて広い空間に3つの大きな壇が据えられ、それぞれの前で僧が読経出来るようになっている。ちょうど最も手前、向かって左端の壇で手元に灯りがともされて読経されていた。中央の壇が一番立派であるのは当然で、その中央、参拝者にとってちょうど目の高さに本尊の薬師如来が祀られている。暗くて、また10メートルほど先なのでよく見えなかったが、今朝のTVでは望遠レンズで撮影されたためか、かなりはっきりと立像が確認出来た。最澄の肖像画がどこかにあるはずと思って探したが、これもよくわからない。また、根本中堂で有名なのは、不滅の法灯で、1200年以上もの間、消されたことのない3つの吊り燈籠が本尊の前に横並びになっている。これは最澄の教えの灯を消さないためで、もちろん電気ではなく、昔のままと同じように油を注いで灯している。
僧が堂内の多くの人たちに説明するには、1か所では足りない。そこで集団は左手から入ってすぐのところと、出口に近い右手に分かれていた。筆者はそれを聴かずに勝手に格子に顔をくっつけて陣内を見下ろしていた。ともかくその光景は想像しなかったものだけにとても驚いた。観光客がその聖なる空間に降り立つことは許されないが、冷気は霊気と語呂を言ってみたくなるほど、最澄の強靭で透明な精神に触れた思いがした。根本中堂を見た後はその正面向かい側のとても急な石の階段が目に入り、それを上った。100段ほどであった思うが、一段当たり、普通の石段の倍ほどはありそうで、上るのに少し勇気を出す必要がある。それを上りかけた時、筆者のすぐ前を若いカップルが先を越したのはいいが、女性が超ミニのスカートで、中のパンツが丸見えであった。坂の角度は45度はあるのではないか。あるいはもっとかもしれない。それほどに急であるから、ミニ・スカートでなくても後方の人からは中が見えてしまう。ともかく、筆者は瞬時に下を向き、後何段あるかわからないままにてっぺんまで上った。後で痴漢呼ばわりされればたまったものではない。近頃の若い女性はそんな格好でパンツ丸見えでも羞恥心がないと見える。男なら誰でも見たいと考えるのは間違いだ。連れの男がそんな格好で上るにはせめて尻を手で覆えと言わないのだろうか。3枚目は上り切ったところで根本中堂を見下ろした。この角度で描かれた絵を採用したふるさと切手があったと思う。山頂に郵便局があるので、その切手とスケッチブックを持参し、根本中堂を写生したところに風景印を捺してもらえばよい。次回はそうしようと思うが、その次回がいつあることやら。さて、石段を上り切ったところで撮影した写真は明日載せるとして、4枚目は根本中堂を左手に見下ろす緩やかな坂の上で撮ったもので、どういう名前がついているのか知らないが、突如出現したゆるキャラだ。筆者も一緒に撮ってもらったが、その写真を撮る直前、着ぐるみの中に入っている人物が明らかにあまり気乗りしていない様子が感じ取れた。「子どもを楽しませるためにやって来たのに、嬉しがったおっさんとツー・ショットとはいただけないな」といった素振りで、こっちは手を差し出したが、相手はそれを握ろうとせず、もじもじしていた。ま、それでその写真は載せずに、赤の他人が写っているものにする。