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●緑のタペストリーと絨毯、その16
んでおくのをいつにしようかと一昨日も昨日も迷っていたが、今日がいいと決めた。比叡山に行った感想は「その6」ほどまでになりそうだ。それが終わってからでも本当はいいのだが、やはり途中で紹介する方がよい。



比叡山に限らず、筆者はどこへ行くにもブログ用のネタとなる写真をそれとなく探す。そして、それらは以前からの半ばシリーズ化しているものである場合がしばしばある。今日の写真もそうだ。それはさておいて、坂本駅に着いた時、プラットフォームの改札口とは反対の端に目立つ記念碑のようなものがあった。大砲の弾のような金属の塊を横にして、それを台座に載せてあった。それが何を意味するのか近寄って確かめたかったが、筆者らが乗っていた車両が進行方向に向かって最後尾であれば、ドアが開いた後、その彫刻らしきものの目の前に立つことが出来たのに、あいにくその写真を撮るためには車両2台分を改札口とは反対に向かって歩かねばならなかった。改札口とは反対の方向を振り向きながら、電車から降りた人がどんどんこっちに向かって来るから、それらの人の動きをかき分けて彫刻に向かって進むことが何となく憚られた。それに、どうせ帰りにも同じ駅を利用するから、その時にじっくり観察して撮影すればよいと考えた。ところが、機会というものは、二度あるとは限らない。そのことをよくよく知っているのに、相変わらず筆者は同じ過ちを冒す。比叡山に上った帰り、坂本駅には戻らなかった。そして、駅にあった奇妙な金属製のオブジェのことはこの文章を書くまですっかり忘れていた。それを思い出したのは、坂本のことを書こうとしたからだ。坂本の話は「その1」で済ましたから、今日また蒸し返すのはスマートではない。だが、あえて「その1」に書かなかったことがある。それが今日の投稿であり、明後日の投稿にもなる。まず、今日の話題だが、その前に比叡山に上るのに坂本からケーブル・カーを利用しようと決めたのはいくつかの理由がある。そこには自分でも気づかないことも含まれる。
 6月15日に琵琶湖ホールに行ったことは『サロメ・カンマー 声楽リサイタル』に書いた。その中でこんなことを書いた。「電車は山科を越え、浜大津に至るまでの路面電車ならではの景色が好きだからだ。同駅に着く直前、住宅ぎりぎりに電車が走る区間があって、車窓から蔦が繁茂した民家の壁が見えた。ゆっくり走っていたので、予めそれを撮るつもりでカメラをかまえていれば、このブログの「緑のタペストリーと絨毯」のシリーズに使うための写真が得られた。リサイタルを見た帰りに撮ろうと思いながら、帰りはJRを使った」。つまり、写真を撮ろうと思いながら、それが果たせなかった。それでまた京津線に乗ることがあれば今度こそと暗に決めていたのだが、その機会が案外早く訪れた。というより、自分で作った。そして、6月15日と同じように電車の進行方向に向かって左の横長の席に陣取り、進行方向の右手の景色を眺めることにした。そのように座っても車内はとても空いていたので車窓の景色はよく見える。進行方向に向かって右側の窓から見える景色を撮影するのであれば、右側の座席に着くのがよいが、そうすれば線路にきわめて近く位置するものはその全体がファインダーの中に入らないし、またその対象が接近して来るのがわかりにくい。つまり、6月15日に見たのと同じ状態で確認し、撮影したかった。それで左側の座席に座ったかと言えば、そうではない。電車に乗った時には6月15日に見た蔦の絡まる家のことは忘れていた。それを思い出したのは、電車が御陵駅を過ぎて地下から出た時だ。『そうだ。浜大津駅に着く少し前に蔦の絡まる家があったな。カメラをかまえるのはもうしばらくしてからでも遅くはない』。そう思った時、突如眼前の車窓にその蔦の絡まる家が見えた。筆者の記憶違いで、浜大津の近くではなかったのだ。電車はゆっくりと走るから、慌ててバッグからカメラを取り出せば間に合ったかもしれないが、筆者のカメラはカバーを横にずらしてレンズを突き出させる仕組みで、いくら手早く操作しても、バッグから取り出す動作も含めると10秒はかかる。『あれれ、また撮り損ねた』。これはついでに書くと、その翌日また電車に乗って、もっと大量に蔦が繁茂したビルをふたつ見かけた。帰りも同じ電車を使うから、それも帰りに撮ればよかったが、帰りは午後8時過ぎで、真っ暗な中、蔦を探すことは出来なかった。このように、蔦の絡まる建物の写真を先月は3つ見過ごした。これからは秋になって蔦は落ちてしまう。緑にすっかり覆われた様子を撮影するには1年待たねばならないし、1年後に同じ電車に乗るかどうかわからない。このように、人生は機会があっても逃すことは多い。
●緑のタペストリーと絨毯、その16_d0053294_13331441.jpg

 ついでに書いておくと、阪急の松尾駅近くに蔦が覆う壁がある。ただし、その様子を撮影するには電車の中からでないと無理だ。というのは線路に沿って家が建ち並ぶからで、それらのどれかの家にお願いすれば、部屋の窓から撮影出来る。だが、写真1枚のためにそこまでする気になれないし、そこまでして撮る価値もない。また、電車の窓からの方が間近に見えるから、電車が松尾駅に着く寸前、カメラをかまえていてシャッターを押せばよい。そう思いながら、また何度も機会があるのに、撮っていない。これはいつでも撮れると思っているからで、その手軽さゆえにかえって撮る機会を逸してしまいそうだ。それに、電車が速度を落とすとはいえ、筆者のカメラではきれに映らないかもしれない。そんな思いも実行を妨げている。さて、撮り逃した写真は載せられないので、今日は写真は1枚だけだ。坂本駅からケーブル・カー乗り場を目指して坂を歩いていた時に撮った。「こんにちは」と声をかけてくれた女子高生の学校を通り過ぎて間もなく、大きな石垣か石塀を覆う蔦を見かけた。それから可能な限り離れて歩道の端に立っても、全景を収められなかった。それほど見事な蔦の繁茂で、ま、今日はこの1枚でもいいかと思う。そこは料亭で、石塀は歩道から内部を隠しているが、石塀が始まる手前に玄関へと続く砂利を敷いた空間が見えた。そこには甘味のメニューを知らせる幟旗も2,3立てられていて、それが超高級の店を感じさせなかったが、大きな店で、日吉神社を利用する人たちが会食するにふさわしいような風格を漂わせていた。おそらくどの部屋からも豊かな緑が見えるだろう。そう言えば当日はどこで昼を食べようかと決めておらず、その店に入ってもよかったが、比叡山に上る前に休憩してしまえば、上る気力が失せる。そんなことも考えた。また、坂本駅を降りてすぐに食堂がひとつふたつあったが、家内が入りたがる雰囲気ではなかった。
by uuuzen | 2013-09-05 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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