泣き出すことはなかったと思うが、恐がりの筆者は絶対に入ろうとしなかったはずだ。昨日比叡山に三度上ったことがあると書いたが、そう書きながら、それ以外に小学生の時、従兄に連れられてお化け屋敷に行ったのではないかと思っていた。その記憶が定かでない。
夏休みには毎年京都の親類の家に行って数日は泊まり、その間にあちこちへ連れて行ってもらったこともあった。比叡山頂上のお化け屋敷は有名で、そこに連れて行ってやろうと言われたことは覚えている。5,6人で車に乗って出かけたような気もする。そしてびくびくしながら、また目をつむりながら出口まで進んだとも思える。記憶がうすいのは、内部を何を見ていなかったからではないか。当時の京都は今ほど暑くなく、比叡山の山頂はさらに涼しく、お化け屋敷を経験するとさらに数度は気温が下がったように感じたはずで、山頂の遊園地はなくてはならないものであった。天橋立に行った時もそうした遊園地があったが、あれは昔の名残であろう。京都の伏見桃山の山頂の遊園地にもお化け屋敷があって、筆者は小学生の息子をそこに連れて行った。とても恐いところで、息子が大人になってからも行く機会があったが、息子は頑として入るのを拒んだ。それほどに恐かったのは、内部が暗いからではなく、あまりにさびれて廃墟のように不気味であったからだ。人件費が高くつくので、アルバイトにお化けの格好をさせず、機械仕掛けのお化けのマネキンなどがカタカタと動いていた。それが非現実的で恐かった。やがて遊園地は大型化し、山頂にあったものは閉鎖されて行った。比叡山の遊園地は10数年前になくなり、その跡地にガーデン・ミュージアムが出来た。比叡山の京都側の八瀬に遊園地があったが、今もあるだろうか。それがないとすれば、枚方まで行かねばならない。あるいは百貨店の屋上の小さな遊園地で幼ない子は我慢するか。ディズニーランドは大人向きで、2,3歳の子に面白いだろうか。そうした小さな子には小さな遊園地の単純に動く遊具で充分と思う。お化け屋敷がわかるのは小学校に入ってからだと思うが、今時の子はませているから、昔の子のように驚かないかもしれない。
ガーデン・ミュージアムにはまだ行ったことがない。噂によれば大好きで何度も出かけている人がいる。女性向きで、花や絵画が好きな人にはよいそうだ。車があれば比叡山ドラブウェーを走ればすぐだが、そうでない者は比叡山は縁がないように思う。だが、つい先日気づいたことがある。阪急嵐山駅前のバス停を京都バスが絶えず出入りし、そのバスの前方に横断幕がくくりつけられ、そこに「バスで比叡山に行こう」と大書されている。比叡山に行って来た後なのでそれに気づいたが、もっと前からそのように宣伝されていたのかもしれない。関心がないことには目が行かないことの好例か。ともかく、車を持っていなくてもバスで行けばよいわけで、筆者が考えたように坂本まで京津線で出てケーブル・カーを利用しなくてもよかった。とはいえ、経験のないことはやっておいた方がよい。遠回りであったかもしれないが、ケーブル・カーで上ったことはよかった。今日はそのことを書く。坂本から山頂に至るケーブル・カーは日本一長い。そのことを当日知った。乗車時間は10分ほどだ。途中にふたつの駅があったと思う。そこで降りたい人はその旨を車掌に告げると、停まってくれる。その最初の途中駅からすぐのところに、たくさんの石仏がある場所が見えた。それに関心のある人、あるいは途中から自分で足で上りたい人がたまにいるのだろう。そう言えば、比叡山を自力で登頂する人は少なくないはずだが、彼らはケーブル・カーの線路とは全く違う山道を利用するのだろうか。山登りが好きな人にとってはそんなことは常識のうちで、比叡山を千日回峰する阿闍梨が使うのと同じ道かどうか知らないが、山道を苦労して上下するのが楽しいのだろう。そうそう、ケーブル・カーが上って行く途中で思い出していたのは、20年ほど前か、女子大生が比叡山をうろついている浮浪者に殺された事件だ。女子大生はその浮浪者を怖がらず、むしろ親しみを抱いたようで、聖なる山に殺人を犯すような悪人はいないと思っていた。純真と言えばそうかもしれないが、それが過ぎると取り返しのつかない被害を受けることがある。その事件で筆者が記憶を強くしていることは、女子大生の母親の態度だ。やや太った、そしてしっかりとした人で、娘が殺されたことに対して、そういう事件に巻き込まれる娘に落ち度があったといったようなことを語った。涙を見せず、また犯人を恨む素振りを全く見せず、かといって仕方ないといった投げやりな態度でもなかった。当時60歳くらいだったろうか、その母親がとても立派に見えた。独身の娘が殺される無念は筆舌に尽くしがたいはずだが、人生にはそういう理不尽なことが突然起きるものであることを達観した態度で、昔流に言えば武士の妻の典型に思えた。
その事件以降も同じようにして比叡山を徒歩で登る女子大生がいるだろうか。筆者はケーブル・カーの眼下に見える薄暗い森林を見ながら、とてもひとりで登山する勇気が出ないと思った。となると、千日回峰の阿闍梨は何という途轍もないことをする人たちかと思えるし、またそれよりも最澄がいかに人間離れした僧で、いかに信仰に対して命がけであったかを痛感させられる。比叡山は京都市内のどこからでも見える。これは反対の滋賀県側でも同じで、その誰も見上げてよく知る山の頂に大きな寺を建てることは、現代で言えばどういう大きな事業に匹敵するだろう。比叡山は洛中の鬼門に当たり、そこに鬼封じのために寺を建てる必要があった。今なお京都市内は大災害に遭わず、比較的安定した気候に恵まれ続けているが、それが延暦寺が建っているお陰と言えなくもない。そんな迷信など信じないという人は今は多いはずだが、京都市内に住んでいると、この比叡山が目に入って仕方がなく、またそこは侵しがたい雰囲気が満ちている気もする。そのことはケーブル・カーに乗ればなおさら実感出来る。日本一距離が長いからでもないが、登山する人の姿を見ることがないままにゆっくり山頂に向けて運ばれると、いかにも霊界に踏み込んで行く感覚に囚われる。それはやはり下界よりも気温が少しずつ低くなって行くためでもあろうが、やはり鬱蒼とした樹林のためで、よくぞそんなところにケーブル・カーを敷設したと思う。それを言えば山頂の一画に遊園地やお化け屋敷を設けたこともだ。最澄がそのあたりのことをどう思ったかとふと考えてしまうが、たくさんの人が訪れ、楽しみながらまた根本中堂をお参りしてくれることは歓迎したであろう。車が通る道路やケーブル・カー、またホテルやそれに付随する施設は比叡山全体から見るとほんの少しの人間の痕跡で、それで霊界が汚されたということもないのだろう。ケーブル・カーの眼下に見える森林が人を寄せつけないように見えたことがそれを証明している。これは、現代の人間が造った施設以外は最澄やもっと前の時代の自然そのままということで、そういう中の獣道を阿闍梨が千日回峰するのだろう。
ケーブル・カーは1時間に2本で、坂本からは○時ちょうどと○時半といったように覚えやすい出発時刻になっていた。2両編成で、それだけ利用する人が多いと見える。駅舎は古めかしいビルで、これは山頂の駅も同様であった。坂本駅では30人ほどが乗った。駅舎で待っている間、手持ち無沙汰で売店を覗くなどした。駅舎の片隅に小さな一画があって、そこで信楽焼きや菓子などを販売している40代とおぼしき女性店員がひとりいた。愛想がよく好感が持てたが、ほとんど売れている気配がなかった。ジュースなどの飲み物はそこで買わなくても、駅舎の外に自販機がある。その売店でしか買えない何かがあればそれを目当てに訪れる人があるはずで、もっと工夫が必要だろう。ケーブル。カーは比較的新しく、何代目かに当たると思える。改札口の扉が開かれ、車内に入る寸前に車掌が冷たいおしぼりを手わたしてくれた。このサービスはなかなかよい。きつい坂を上ったところに駅舎があり、出発を待っている間に汗はかなり引くとしても、べたついた後では冷えたおしぼりはありがたい。途中で下りのケーブル・カーと擦れ違うのはどこのケーブル・カーも同じで、車窓からもっと写真を撮ればよかったものを、シャッターを押したのはただの1回でそれが今日の3枚目の写真だ。遠くに坂本の町と琵琶湖が見えている。それが遠景としても最大の見物で、近景では線路に沿って数十メートル間隔に建てられた木彫りの動物像が目を引いた。リスやウサギ、猿といった小動物の彫刻が車窓から数メートル向こうの柱のてっぺんに据え置かれている。子どもにとっては遊園地気分だ。それらのいわばサービスは悪くはないが、撮影したくなるものではなかった。京津坂本駅を一緒に降りた子連れの若夫婦があって、彼らと一緒に駅舎で待ち、また同じケーブルに乗って山頂に着いたが、そこで別れてしまってその後は姿を見なかった。30代後半の夫婦で、子どもは男子ふたりで、服装からして豊かな生活ぶりには見えなかった。それでも夫婦は夏休みに子どもを楽しませるために比叡山を訪れた。山頂に遊園地、お化け屋敷があれば彼らはもっと楽しめたが、学校の遠足の延長のような寺巡りでは早々と子どもたちは根を上げたかもしれない。それに、ぐずって泣き出すと、線が細そうで、しかも厳しそうな父親は大いに叱ったかもしれない。筆者は父親に叱られた記憶がなく、また筆者が数歳の時にいなくなった。