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●『京の七夕』その1
川通りをバスでたまに走る。それより多いのは西大路通りだ。西大路四条すなわち西院でバスを降り、北に時計回りに市内を一周するコースを走るバスに乗り換える。



●『京の七夕』その1_d0053294_052523.jpg

それではるか府立大学前までよく行く。そこから歩いて5,6分のところに府立総合資料館があって、よく調べものに出かける。西大路通りに平行する堀川通りや河原町通りもバスでよく走るが、道が広くて景色がよいのは堀川通りだ。二条城もあるし、もっと北には秋になると銀杏が黄葉してとてもきれいな並木が続く。堀川通りが幅広いのは、東寄りに堀川が流れているからだ。だが、水はほんのわずかで、本来の河川の底中央に幅1メートルもない。昔はもっとたくさん水量があったはずだが、市内に洪水が発生しては困るので、地下に雨水用の暗渠を縦横に張りめぐらし、堀川を目いっぱい使う必要がなくなった。となると、堀川を埋めて道路にすればもっと交通量が捌けるが、京都市内にそこまでたくさん車を走らせることもないと思われたのかもしれない。東西を走る御池通りはその点、五条通りと同じくらいかそれ以上に幅が広く、車が渋滞する光景を筆者は見たことがない。京都は昔は市電があちこち走っていて、堀川もその例に漏れないが、現在の堀川通りのどこを走っていたかと言えば、以前写真や映像で見たところ、堀川で分断された西側の広い道ではなく、東側の狭いところを利用していた。堀川通りのすべてではないが、そのように狭い道をわざわざ走っている区間があった。時々ネット・オークションで京都市電の大正時代の路線図が売られている。それを見ると市電がわがもの顔で、現在では考えにくい地域まで走っていて、いかに車が少なかったかがわかる。戦後になって日本がせっせと車を作って海外に売って経済大国の道を歩み始めると、日本でも車が氾濫し、それまでの市電は邪魔者となった。何しろ家から家までの車は便利だ。それにアメリカ並みの金持ちになったと錯覚させてくれるにふさわしい所有物だ。車があまりに増えた結果、今度は京都市内になるべく車を入れない動きが出て来た。春秋の観光シーズンがそうで、パーク・アンド・ライド方式が時に採用される。これは観光客に車で京都に入ってもらい、そのまま観光地に向かわせるのではなく、指定した駐車場に停めてもらって、そこから公共交通機関を利用してもらう。これがどれほど功を奏しているのかしらない。観光シーズンになると、嵐山まで2,3キロの松尾橋付近は車の長蛇の列で、しかもほとんど動いていない。歩いて行く方が早いが、車の乗っている人はそこで乗り捨てられない。それで1,2時間かけて嵐山に着き、そこで慌ただしい時間を過ごしてまた車の列にもまれて帰路へと着く。そんな旅が楽しいだろうか。
●『京の七夕』その1_d0053294_05349.jpg 筆者は京都に住んで30年以上経つが、まだ行ったことのない名所は多い。そういうもので、京都人ほど名所には行かない。銀閣寺のすぐ近くに住む人たちはこぞってその寺を拝観したことがないという。そんなことを紹介する記事があった。それは名所などいつでもその気になれば行けるという気持ち以上に、名所はつまらないという思いが強いからではないだろうか。それは京都を嫌っているからではない。京都は嵐山や金閣寺、清水寺だけが見どころではない。ガイド・ブックに載っていない場所でもいいところはたくさんある。そういう気持ちが京都人にあるように思う。筆者は半京都人だが、確かに京都は誰でも知る名所だけが見どころとは決して思わない。それに、筆者は京都だけが観光するにふさわしい都市とも思わない。その気になればどの町のどの横丁もそれなりに味があると思える。それは、車に乗らないからだ。自分の足で歩けば、どこでも印象に残る。町の独特の空気はそのようにして歩かない限り本当にはわからない。筆者のそういう考えを家内は共有しておらず、それに一緒に出かける時は行き先を言わないので、いつもたくさん歩かされる羽目になって立腹する。今月はそのようなことが少なくても3回あった。その最初を今日と明日の2回に分けて紹介する。『京の七夕』と題した催しが今月の2日から12日まで鴨川と堀川で行なわれた。そのことを知ったのは区役所に行った時にもらって来たパンフレットだ。そういうものはほとんど詳しく見ないが、たまにはそれなりにじっくり見るのもいいと考え、ゆっくりとページを繰った。すると、『京の七夕』と題した催しが開催されることを知り、即座に去年か一昨年の8月の夜、堀川通りをバスで南下している時、同じ催しをやっていたことを思い出した。『ああ、あれか。今年は見に行ってやろう』と考え、仕事帰りの家内と京都駅で待ち合わせをした。一緒に展覧会を見た後、地下街で食事し、地下鉄で四条烏丸に出た。その時はまだ『京の七夕』が始まる前で、時間を少し潰す必要がある。家内には『京の七夕』に行くとは言っていない。最初に向かったのは高倉錦の若冲顕彰碑だ。それから錦通りを東進し、寺町通りを北上、三条通りを西へ進み、文化博物館を過ぎて烏丸通りに出た。それを北に御池通りまで歩き、そこから西へ堀川通りに向かった。堀川御池が『京の七夕』の出発点なのだ。そのことを予め調べておいた。上記の徒歩のルートは何キロほどだろうか。筆者にすればしれているが、家内にはきつかったようだ。それに、堀川御池が『京の七夕』のスタートで、そこから北上し、丸太町をまだ北に行ったところが終点だ。それにそこから帰途に着くとして、バスに乗ればいいのに、買い物をして帰ろうということになって、堀川上立売の近くのスーパーで買い物をし、それから何と四条大宮までふたりで雨の中を歩いて帰った。
●『京の七夕』その1_d0053294_0523897.jpg 以上の徒歩ルートはどの道も筆者は何度となく歩いたことがあるので、さほど長いとは思わない。それに、堀川御池に着いた時は真っ暗で、小雨が降り、車の少ない御池通りはとてもムードがあった。どこかヨーロッパの街並みを歩いているような感じだ。夜の御池通りのムードがよいのは以前にも書き、写真を載せたことがある。『世界のマンガ展』で、7年前の11月27日に行っている。その夜も雨で、歩道が濡れてとても風情があった。その時はひとりで、季節は違うが、同じように雨の夜に家内と御池通りを歩くのは今月2日が初めてであった。たくさん歩いていたにもかかわらず、家内はあまり文句を言わなかった。めったに歩かない御池通りで、しかも夜だ。三条通りを歩いていた時は雨は止んでいたが、御池通りに入ってから降り出し、ついには土砂降りになった。さすがそれでは全身ずぶ濡れになるので、閉店した銀行のような建物の庇に駆け込んで雨宿りした。3メートル左手に先客の若いカップルがいた。土砂降りになる寸前、御池通り沿いのコンビニで蒸しパンを一袋買い、それを頬張りながら歩いた。家内は歩きながらでは絶対にそのように食べ物を口にしないが、その時は擦れ違う人はおらず、そのような行儀の悪いことをしても刺す視線を感じずに済んだ。御池通りに近づくと、ぽつぽつと浴衣を着たカップルが目立った。みな『京の七夕』を目指している。そこで家内はようやくただの散歩ではないことに納得した。それに、5分ほど雨宿りしていた時、目の前の御池通りが何度も言うようだが、とてもムードがよかった。それを京の名所のひとつに挙げてよい。ただし、車が少なくなった時間帯で、これは土日に限るだろう。しかも雨が降って路面が濡れている必要がある。そんな時間帯を何も観光するもののない御池通りを歩く人があるとは思えない。だが、それがよい。自分がひとり占めした情緒だ。ガイド・ブックに載ってはいないし、今後も絶対に載らない。それに似たような場所はどの国の都会にもある。なのになぜ御池通りがいいのか。それは、京都市内のどこにも似た場所がないからで、京都のほかの場所を見るのと同時に、そこも見るとよい。家内はその夜の御池通りを歩きながら、思い出して言った。「2000年になる直前の大晦日の夜、この御池通りを歩いたね。その時あちこちに箱型の灯りがたくさんあって、たくさんの人が無言で歩いていた」。家内にすればその時以来、夜の御池通りを筆者と歩いたのだが、筆者は前述のようにひとりでその後何度か歩いている。
●『京の七夕』その1_d0053294_0534369.jpg さて、堀川御池の交差点を右に曲がると、50メートルほど先に『京の七夕』の入り口があった。堀川の底に降りて、そこからコンクリートの狭い河川敷を北へ歩く。一方通行にしたのは、河川敷が狭いからだ。また、途中にある階段を上れば堀川通りに上がることが出来るが、たいていの人はせっかく来たのであるからとばかりに、行き着くところまで行く。その終点は堀川上立売で、筆者らも結局そこまで歩いた。撮った写真の半分は明日紹介するとして、今日は最初の4枚を。『京の七夕』は、京都市が開催する無料の催し物で、これは8月が最も少ない観光客を誘致する目的が大きいだろう。何年前から開催されているのかは知らない。また、鴨川にも会場があるが、そこはよく訪れるので、めったに、いや、歩いたことのない堀川の底をまず今年は見ようと思った。この堀川の底がきれいに整備されたのはそんなに古いことではない。ベンチを設けるなど、それなりに憩の場所としてきれいになったのはここ数年のことだと思う。そこでこういう催しをしようということが決まったのだろう。市街地にあった川を復活利用する試みはソウルに10年近く前にあって大きな話題になった。どうせならそれくらいの規模でやってほしいが、堀川はもともと暗渠にはしなかったから、人がコンクリートの河川敷を歩けるように整備することは簡単であったはずだ。欲を言えば、水量を増やすことだが、それには反対が多いだろう。似た形の河川として神戸市内を南北に流れる数本がある。そこでは雨が降れば下流が急速に増水し、何年か前に逃げ遅れた子どもが溺れ死んだ。堀川の水量を増やすことは簡単だろうが、そうすると今度は河川敷を狭くして、水路幅を大きくするか深く掘る必要がある。どちらにしても河川敷にいる人には危険だ。そこで完全に小さな、そしてごく浅い水路として堀川を固定し、元からの川幅はそのままということにした。これは一見したとこと、干上がった川であって、水流の極端な少なさが川幅の広さにあまりに不釣り合いで、干ばつ化した町を思わせる。川は水が豊富にあってこそで、その点堀川は川とはとても呼べず、家の前を流れる小さな水路に過ぎない。それでもないよりましで、そのわずかな水路沿いをあの手この手と楽しんでもらおうというのが『京の七夕』だ。
by uuuzen | 2013-08-28 23:59 | ●新・嵐山だより
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