棒には当たらなかったが、ブログ用の写真の素材を見つけた。まず白い花だ。先週の20だったか、21日か忘れたが、野良犬がほっつき歩くように滋賀にひとりで行った。詳細は後日書くとして、その滋賀で白い花をいくつか見かけた。今日はその3枚の写真を載せる。
ところで、24、5日に行なった地蔵盆は例年にない雨で、足元が悪くて困ったが、涼しさはよかった。雨で濡れたテントを今日の午後6時に数人が集合して片づけた。そしてこれを書く夜の10時半、部屋の気温は30度で、窓の外の空気がまるで10月頃を思わせ、久しぶりに手元を汗で滲ませずに済んでいる。このように一気に季節が変わってしまうと、「梅雨明けの」と題するのは気が引ける。今日の写真を撮影しながら、さてどんな題名で投稿しようかと思ったが、先ほど「その13」とするのがよいと決めた。「その12」に書いたように、2年前の6月は「梅雨時の白花」として「その12」まで連続投稿し、それに合わせてのこの「梅雨明けの白花」の投稿回数であったのに、その均衡を破ってしまうのは本当は美意識の観点からはまずい。なので、撮った写真は来年かもっと先に回し、「盆過ぎの白花」とでも題してまた「その12」まで続けた方がよい。それをしないのは、その「盆過ぎの白花」を投稿する機会があるのかどうかわからないからだ。来年やもっと先のことはわからない。なるべく溜め込まないで、新鮮はうちに投稿してしまう方がよい。また、「盆過ぎの白花」として、白い花が40種近くも見つかるだろうか。とてもその可能性はないだろう。ところが、滋賀を訪れた途端、まだ載せていない白い花をいくつか見つけた。この調子ではさらに各地をふらつくと見つかるだろう。その可能性は見つけるほどに減って行くし、また見つかってもせいぜい10か20で、40種は無理な気がする。そんなことをぼんやり思いながら撮影し、やはり「梅雨明けの白花」の続きとして載せるしかないと思った。「その12」で一旦締めたのに、また続きをやるのはいかにも不細工だが、足で稼いだものを没にする惜しさに比べればどおってことはない。言い訳がましいことを書き連ねてもう一段落が終わろうとしている。それほどにこの「白花」シリーズはどうでもいいことを書いている。文章は写真の添え物で、写真の方が価値がある。とはいえ、筆者がそう考えるだけだ。

白い花を歩いていて見つけるのはいいが、こうして紹介するものが多くなると、どうしてもあまり知らない地味な花ばかりとなって来る。花好きには珍しくなく、筆者が知らないだけだが、知らないことを知った時の喜びは大きく、それで筆者にとってはこの「白花」シリーズはそれなりに思い入れのようなものがある。また、その「知る」には段階があって、まずは「初めて見かける」ということだ。その次に「知らない名前を調べて知る」ことだが、これは骨が折れる。ネットには必ず同じ花の写真があって、根気よく調べるとわかる。ところがその根気が夜になると少なくなる。こうして文章を書く時間のほかに1,2時間もかけて調べる時間が必要で、しかも前者は適当な出任せを書いてもいいが、後者は砂漠の中をさまよっている気分で、いつになれば目指す情報に突き当たるのかわからない。筆者は我慢強い方だが、そういった探し物は苦手だ。で、今日の3枚の写真も2枚が名前がわからない。一気に涼しくなったから調べるのは以前ほどには苦痛ではない。だがその気が起こらないのは、一昨日1時間ほど調べてわからなかったからでもある。今度は別の方向から調べるべきだが、その仕切り直しはそれなりの思い切りがいる。それがなぜか湧いて来ないのは、地蔵盆の疲れとも言える。1年で最も大きな自治会の行事で、それがようやく終わったという安堵感だ。その直後にまた必死になることはしんどい。といったように理由をつけておきたいのも、やはり正直なところ疲れが出たのだろう。さて、今日の最初の写真は膳所の駅前で撮った。不動産屋の玄関脇に植え込みの四角い鉢が4,5個並べられ、そのいずれにもこの花が咲いていた。初めて見る。手入れが悪く、葉はどれも先が枯れて欠けていた。葉は万年青ほどでもないが、肉厚だ。これと似た赤い花をよく見かける気がする。葉や花の形から単子葉類だろう。そこでまず所有する週間朝日百科の『世界の植物』を繙いた。すると、葉はパイナップル科に近い。花もそのようだ。ただし、白は見当たらない。パイナップルの花は鑑賞に耐えるということで、園芸種がたくさん生み出されているようで、白があってもおかしくはない。そこでパイナップルの花としておくが、自信は全くない。

2、3枚目も同じ日に撮影した。場所は瀬田駅前から文化ゾーンに向かうまでの間だ。文化ゾーンは図書館や県立近代美術館がある。瀬田駅前から必ずバスに乗ってそこに向かうが、今回初めて駅から徒歩で往復した。以前から一度歩いてみたかった。バスで10分ほどかかるので、歩けば1時間以上のように思うが、地図で調べると片道2キロ少しだ。これならムーギョへ行くより近い。涼しいバスに乗れば快適なのはわかっている。だが、自分の足で歩けば必ずそれに応じた目新しい出会いがある。ところが、当日は人の体温以上の炎天だ。そこを歩いて往復したのであるから、筆者は半分狂人だ。はははは、今「強靭」と先に変換が出た。まさに強靭な狂人で、そのような強い、そして馬鹿げた意志を通して得た白い花の写真であり、これは「梅雨明けの白花、その13」として早速紹介せねばならない。でなければ、炎天下を汗だくになって歩いた価値があるか。ま、当日歩いたのは、ひとりで出かけたからだ。家内が一緒であれば、それは不可能だ。ということは、筆者はひとりで出かけると無茶をすると見える。いやいや、往復5キロ程度を歩くことはそれほど無茶ではない。わずかな距離でもバスや車に乗る方が異常なのであり、その異常が大多数を占めたので、正常が異常とみなされることになった。異常と正常の区別は、多数決だ。筆者は少数派に属し、それで異常と目される。それはさておき、文化ゾーンに向かう道はもっぱら上り坂で、これは炎天ではさすがに応えた。美術館に着いた時は倒れそうであった。帰りは下り坂であるから、倍の速度で歩き、すぐに駅前に着いた。ま、この瀬田駅から文化ゾーンを往復した話はまたいつかしよう。2枚目の写真はキク科であることは誰にでもわかる。ただし、似た白い花はたくさんあって、名前がわかりにくい。写真からわかるように、細長くて艶のある葉が特徴で、また葉の一部に白の筋が見えている。これに該当するのは「ガザニア」だ。珍しいほどの花ではない。3枚目はとても微細な花が密集している。香草かもしれない。地味な花でもあり、ネットでどう調べていいのかわからない。また、この花は他の数種と混じって咲いていて、どれが葉かわかりにくい。ほとんど放置された状態で、誰にも注目されずに咲いているという感じだ。そういう花に目を留めるところが筆者らしく執拗であり、また走るバスの車窓からでは絶対に見逃し、藪から棒で歩いたからこそ見つけた。