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●高槻の城北通り、アゲイン
につままれたような最近の話。お盆に家内の実家にふたりで行った。阪急高槻駅から筆者なら徒歩20分ほどだが、手土産が両手を塞ぎ、また猛烈な暑さであったから駅前からタクシーに乗った。



ビール、日本酒、シャンペンなど、義兄とたくさん飲んで、ほろ酔い気分でおいとましたのは夜の8時頃だったと思う。少しは涼しくなっていたので駅まで歩いた。義妹とはそこで別れた。そのまま電車に乗って帰ってもよかったが、筆者はどこか喫茶店で過ごして帰ろうと家内に言った。義兄の家ではエスプレッソのコーヒーまで飲んでいたから、紅茶か何か別のものでも注文すればいい。駅ビルの1階には喫茶店があるし、駅前の古くて大きな商店街には、以前このブログで紹介した古い喫茶店がある。どちらにも、またそのほかの駅近くの喫茶店にも入ったことがあるので、家内にどこへ向かうかを言わずにさっさと城北通りに向かった。駅から7,8分のところに、いつか入ってみたいと思った喫茶店がある。駅の北側は家内の実家とは反対方向なので、筆者はほとんど知らない。その一度入ってみたいと思った喫茶店は2、3年前に前を通りかかったことがある。それを急に思い出した。そのことを家内に言わずにその喫茶店がある道をどんどん進んだ。まず右手に高山右近で有名な教会がある。このことは2年前の1月に「高槻の城北通り」と題して写真とともに少し書いた。実は今、今日書きたいことについてその投稿に何か少し書いたのではないかと思って画面を開いてざっと斜め読みしたが、どうやらそれは記憶違いであった。だが、2年前の1月に文章を書きながら、あえて書かなかったことがある。つまり、思いを全部吐き出したのではなく、一部を棚上げした。それは城北通りで見かけた洒落た喫茶店だ。確かにその傍らを往復歩きながら、いつか入ってみたいと思い、またそのことを当時家内に言ったはずだ。その後何度も高槻を訪れながら、駅から北は縁がなかった。お盆の夜もいつもなら酔っていることもあって、そのまま電車に乗って帰ってしまう。わが家まで30分で着く。その近さからではないが、酔いを少し醒ましたかったこともあって、2年半ぶりについにその喫茶店に行くことを決めた。
●高槻の城北通り、アゲイン_d0053294_036584.jpg

 喫茶店まで200メートルほどと思えるところに来た時、バッグからカメラを取り出して前方を撮影した。何でもない通りだ。それをなぜ撮影したかったかと言えば、シャッターを押しながら家内に言ったように、まるで夢を見ている気になったからだ。それできっと写真はまさに筆者が見る夢とそっくりに写っているはずと思った。だが、すでに30分以上歩き、酔いはさらに回っていた。それでも自分がどこへ向かっているか、また何をしているかははっきり知っている。その一方で、夢を見ている気にもなっている。家内は筆者の様子を薄暗い見ながら通りの中で見ながら、たぶんいつもどおりではなく、かなり酔っていると思ったであろう。前方の写真を撮った後、すぐ右手に教会が見えたので、走って通りを東へとわたった。そして白い教会を左右対称になるような位置に立って1枚だけ撮影した。その直後に数メートルほど歩を進め、黒いシルエットになっている高山右近の横顔を撮った。そしてまた通りをわたって西側を歩き始めた。もう100メートルかそこらで目指す喫茶店は左手に見えるはずだ。そのことを家内にようやく行った。だが、進むほどに車は走らず、人も歩かず、また電灯も少ない。それがまた夢の中の出来事のようだ。ついに通りは尽きて、道が左へと曲がるところまで来た。そこを曲がって200メートルほど行けば、2年前の1月に初めて訪れた「しろあと歴史館」だ。そこには用はない。目指す喫茶店は曲がり角よりうんと手前にあったはずだ。「あれ、おかしいな。確かこのあたりにあったはず」今度はゆっくりと来た道を戻った。やはり見覚えのある喫茶店がない。それは通りに面して階段が少しあって、半地下のようなところに窓があった。あるいは半地下ではなく、0.5階であったかもしれない。格子窓で、窓枠は白だ。一度その窓際に座って外を眺めたいと2年前には思ったのだ。ところがその店がない。何でも目まぐるしく変わるから、喫茶店のひとつやふたつ消えても不思議ではない。たぶん、流行らずに閉店したのだと家内に言って駅前に戻った。
●高槻の城北通り、アゲイン_d0053294_0363134.jpg

 それにしても惜しい。一度入っておくべきだった。筆者はよくそのように後悔するので、喫茶店のことは諦めた。そう思いながらも気になった。2年前に見たのは幻であるはずがない。いつか入ってそのことを「高槻の城北通り」の続編として書こうと思ったのは確かだ。だが、店は見つからなかった。ではどこにあったのか、またその外観写真は手に入らないかと考え、2,3日後にGOOGLE EARTHのストリート・ヴューで調べた。撮影日は2009年だったか、筆者が訪れた時より前だ。であるからにはその喫茶店の外観は見られる。ところが何度見返してもその店がない。ということは、GOOGLEが撮影した2年ほど後に喫茶店が出来、その直後に筆者がその前を通り、そのまた2年かそこら後に店は解体されたことになる。それはあり得ないことではないが、かなり考えにくい。では2年前に筆者が確かに見て、一度入りたいと思った店がなぜないのか。お盆の夜は酔っていたから見逃したのだろうか。そう考えるしかないようだが、そこまでの失態をするほどに酔ってはいなかった。それに、喫茶店が1軒もない。また、8時過ぎにすでに真っ暗に近い通りであるから、喫茶店はせいぜい6,7時までの営業だろう。そしてシャッターを下ろせば店かどうかわからないかもしれない。ともかくあらゆることを考えながら、なぜ目指す喫茶店がなかったのかがわからない。2年前の1月はその店の前を通りながら、歩みをしばし緩め、「ああ、こんな喫茶店は京都にはないな」と珍しがった。それは筆者にすればめったにないことだ。ストリート・ヴューでも見つからず、狐につままれたような気になっている。これが20年や30年前のことならまだ話はわかる。2年半前のことなのに、記憶どおりの店が現実からは消えている。さて、前述したように、お盆の夜はその城北通りで3枚の写真を撮った。その2枚を今日は載せる。3枚目は高山右近の横顔のシルエットが小さく写っているはずだ。その写真が記憶メディアにない。暗かったので、シャッターが下りなかったのかもしれない。そう思いながら、ダウンロードしたばかりのファイル復活ソフトで調べると、サムネイル画像としてその3枚目が表示された。「ああ、やっぱり写っていた」と思ったのもつかの間、その画像を大きく表示して画面全体を保存しようと思ったところ、もうその画像が消えている。狐につままれたような気分だ。確かにシャッターを押したし、ファインダーから覗いたとおりの画像がサムネイルで表示されたというのに、次の瞬間には消えていた。「そんなアホな」と思いながら、先ほどまた同じ行為を繰り返して調べたが、やはりデータは消えてしまったようで復活出来ない。つまり、喫茶店は消え、右近の横顔のシルエット写真も消えた。これはもう一度城北通りを訪れて撮影しろということなのだろう。だが、それを実行すると、また狐につままれたような不思議なことが起こる気がする。高槻の城北通りは心霊スポットなのかもしれない。古い神社もあるし、教会もある。狐がいても不思議ではない。酔っている人には特にそうだ。今日の2枚の写真はとても気に入っている。夢の中の映像のようでもあるし、またただの酔っ払いが撮った写真にも見える。
by uuuzen | 2013-08-24 23:59 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その285(... >> << ●錦市場の若冲、その2

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