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●梅雨明けの白花、その11
が2枚ある人種が政治家や政治評論家で、したり顔で言うことはまともに聞こえるが、実現出来そうもないことや、また矛盾だらけであることは、B層と呼ばれる人でも感づいている。



少子高齢化が加速化した日本は大きな変革期に来ている。政治家が小粒になったとはよく言われるが、それは国民に応じたことだろう。それでも日本はどうにか動いているから、国民の不平不満はまだまだ沸点には達しないと、政治家も国民も思っている。ところが、消費税を上げる程度の改革で今後も進むとして、気づけばさらに国内に閉塞感が蔓延し、国民の生活が苦しくなっているということになっていることも大いにあり得る。水を張った鍋に蛙を入れて熱すると、蛙は茹で死ぬ音度を感知出来ずに鍋の中で死んでしまうという話がある。そのように環境の緩慢な変化に鈍感な人間もいるが、国民全体となれば早期に気づいて煮えたぎる鍋から飛び出る人もいる。そこで、日本が今後人口減少に伴って国力が落ちて行くとして、さまざまな問題が噴出して来るはずだが、そういう時に問題の解決に案を出し、国全体を理想的な方向に導いて行く政治家や評論家が出て来るかと言えば、そうも楽観しておれない気がする。一方では選挙で政権を勝ち取る政党が、その政党の考えとは違う人の生活にも大きな影響を与え、反対しているのに自分の思いとは違う方向に人生が巻き込まれて行く。「靖国神社で会おうと言って死んで行ったんだ!」と、さも日本の兵隊がみな戦争に賛成で、死ぬことを厭わなかったかのように発言する評論家がいるが、兵士たちは日本が戦争に負けることを知っていて、出来ることならば戦争が終わるまで生きたかったのであり、国の考えに心から同意していたのではない。そういう魂が神社に祀られて安らかであるかどうか、これは一度考えてみるべきだろう。特攻で死んだ若い兵士はその後2階級特進の栄誉が与えられたが、兵士は死んでも身分差別がつきまとうことを言っているようなもので、筆者が兵士であったならば、戦争で死んだ軍人たちと一緒に祀ってほしくない。死んでようやく忌まわしい戦争から逃れられるとするならば、祀ってもらうとしても独立した個人としてほしい。靖国神社に祀られる限り、霊は今はない戦場をさまよい続けるような気がする。とはいえ、死人に口なしだ。祀ってやっているのであるから、魂も文句はあるまいと勝手に決めつけられるし、死者の魂はそのことで死者に罪滅ぼししたような気分になってもらうという形だ。死人に選ぶ自由はない。それに日本は自由主義を認めない国で、それは今もあまり変わっていない。ましてや国の軍隊となれば、いやでも国家の考えにしたがわねばならない。そして、そういう軍隊は政治家は多数決によっていつでも実現させることが出来る。ザッパが70年代末期に書いた曲に「I DON‘T WANNA GET DRAFTED」がある。この曲の歌詞でザッパが言いたかったことは、「徴兵されたくないなら、政治をよく見てしかるべき政党に選挙しろ」で、今の、あるいはこれからの日本でも通用する。ところが、投票率は低く、またどの政党が政権を獲得しても何も変わらないとほとんどの人が思っている。「横ばい」ならまだいいが、これが「最悪」に向かうとなればどうするか。そしてその「最悪」化は少しずつ進行し、気づかない人が大半ということになる。先日自民党の政治家がナチス云々と言って物議をかもしたが、彼が言いたかったのは、「国民に気づかせないようにそっとやれ」というのが本音で、もはや「最悪」の方向に舵は取られているかもしれない。
●梅雨明けの白花、その11_d0053294_137858.jpg

 先日のネット・ニュースに、日本の金持ちは収入の半分を税金で取られることに不満を書いていた社長があった。筆者には無縁の話で、どうでもいいことだが、ひとつ思ったのは、税金の安い国に移住しようかという考えだ。外国の大金持ちはそのようにしている人は少なくないようだ。これは国のことより自分のことが大事という自由主義的な考えで、それはそれで非難されるべきことではない。収めた税金がまともなことに使われるならいいが、政治家どもが好き勝手に散財するようなことを見るにつけ、金持ちの納税意欲が減退するのは当然のように思う。そんな大金持ちは国民の何パーセントいるのか知らないが、現在の日本の15パーセントの人が財産が1億以上あるのではなかったか。そういう金持ちは、自分たちがどれほど大変な努力をしたかを口にしたがるし、その努力に見合った年収であると主張する。そのため、収入がきわめて少ない人を努力が足りない、あるいはそもそも能力がないとみなし、そういう境遇にあるのは自業自得と考える。そして、そういう人たちに自分たちの収めた税金が使われることが我慢ならないのだろう。「なぜ、怠け者のために自分たちが懸命に働かねばならないのか」。たぶん現在の日本の大半の金持ちは戦後の成金で、そのように収入の低い人を内心見下している。そのことはどうでもいいが、金持ちが税金をたくさん払うのがいやで日本脱出をするというのは、貧乏人にはない選択肢だ。それは一見とても恵まれているようだが、見知らぬ外国で暮らすことは、贅沢な暮らしであってもどことなく島流しに似ていて、筆者なら選ばない。それでも彼ら大金持ちには平凡な人間にはうかがい知れないライフ・スタイルがあって、住む国を変えたところで、何ら意識の大きな変化はないのだろう。それに、日本にいては今後徴兵されることもあるかもしれず、火花が降りかからない外国にいた方が安心という考えもあるかもしれない。そういう大金持ちを売国奴と呼んでも彼らは痛くも痒くもない。それに売国奴とは言えない。自由を欲するのは人間の本性で、それを可能な限り実現させてくれるのは経済力だ。大金持ちを目指すのはより大きな自由を得るためだろう。だが、その金というものが自由を奪いにかかる。金はたくさん貯まるほどにほしくなるらしく、収入の半分が税金で持って行かれることに我慢がならなくなる。
●梅雨明けの白花、その11_d0053294_1374084.jpg

 人間の一生は短いのか長いのか。そのどちらでもあるが、筆者は短いように感じる。50年前のことを昨日のように鮮明に覚えており、今後20年生きるとして、その年月はあまりにもすぐに過ぎ去るだろう。そのように短い人生の中で、人生の後半を大金持ちになって税金の少ない外国で過ごすというのはどんな気分だろう。定年退職して時間があまっている人が、退屈まぎれに何かをするのは当然として、定年後の人生を現役時代以上に生き生きとして過ごす人がどれだけあるだろう。生き生きするにも金が必要で、年金だけではどうしようもなく、そこで税金を滞納して市役所に火をつけるという人物も出て来る。現役を退いた後の人生をどうするかが大きな問題で、大金があればまだ納税を心配して外国に脱出することも選択出来るが、大半の人は否応なしに日本に住み続けねばならない。人に迷惑をかけずに人生をまっとうするには、とにかく生活に困らないだけの最低限の経済力が欠かせず、それに不安を抱える人の増加は今後ますますいろんな事件を引き起こすだろう。生活保護を視野に入れないとすれば、日頃始末をするしかなく、そんな生活で身体も弱まる老後を過ごすのは何も面白いことがないから、これからの日本は暗い時代に突入する。そして、少しでも老人に笑ってもらおうという商売なりが増える。金をかけずに毎日楽しむには、昔はTVであったが、今ではネットがある。ネットの悪い面も多いが、いい面もあり、それをいかに使いこなすかで、多少の人生の退屈は紛らわせるのではないか。老後の死ぬまでの20年ほどは、おそらくあっと言う間に過ぎる。何かをこつこつやるのもよし、何もしないでゴロ寝し続けるもよい。どう生きてもすぐで、それまでの間、何となく満足出来ていればいい。それに不安を抱える老人が増加するのは間違いないとして、さてどうしたものか。みんな同じような不安を抱きながら老後を過ごし、そしていつの間にかふっといなくなる。外国に脱出した大金持ちも同じだ。満足して生きるには金はあまり関係ないように思う。とにかく、今ここにこうして生きていることが一番面白い。雲は湧き、風が通り、花が咲いては鳥が飛び交う。
●梅雨明けの白花、その11_d0053294_1375533.jpg

 さて、話が支離滅裂になって来たのでここで今日の写真の説明を。最初のものは「ニチニチソウ」だ。「日々草」と書く。ムクゲのように毎日咲いては散るからだろうか。花の持ちはよく、かなり長い間咲いている。白い花弁の品種は、中央の小さな丸が赤いものが多い。それがどこか日の丸に見えないこともなく、そこから「日々草」の名前がついたのかもしれない。花弁の色は赤や黄色もある。庭先でよく見かける花で、「その4」の2枚目で紹介した「プルメリア」に似るが、花弁の枚数が違う。だが、それは「プルメリア」の一種ではなく、「日々草」であるかもしれない。このあたりの同定が難しく、それで昨日書いたように、なるべく似た形の花、葉の植物は取り上げたくないのだが、筆者の身辺で見る白い花には限りがある。次に、2枚目の写真は「ヒャクニチソウ」だ。「日々」が積み重なって「百日」になるが、「日々草」と「百日草」とでは花の形がまるで別世界だ。だが、1日と100日はそれほどに差があると見る人もある。若い頃は特にそうだ。老後では1日も100日も大差ない。「百日草」は八重のものが多い。花の色もさまざまで、白は珍しい方だろう。この写真が「ヒャクニチソウ」であるかどうか本当は自信がないが、葉の形からたぶんそうだろう。「その8」の2枚目とよく似ているが、葉の形が全然違う。3枚目は近所で見かけた。雨水が落ち込む溝の蓋の下に万年青のような肉厚の葉が群がっている。そこから細い茎を出し、白い花序を咲かせようとしている。撮影しながら、昔見た映画『パピヨン』を思い出した。自由を求めて牢獄から脱出することに成功する男を描いた作品だ。死ぬかもしれない危険を冒してまでも脱獄したかったのは、餌を与えられて死ぬまで閉じ込められる生活が我慢ならなかったからだ。それはともかく、この植物の名前はわからない。調べていない。それよりもまるで地下牢のような暗がりで生きながら、花を地上で咲かせようとしていることに感心した。科学的には「生育する条件にかなっているから」と言えるが、それでは味気ない。生育条件はさまざまだ。限界ぎりぎりであることもあるし、大金持ちのように恵まれた環境である場合もある。そして前者を見るにつけ、人間ははたと気づかされることがある。金持ちは収入の半分の税金の幾分かを、貧しい人のために使ってもらっていることを思うべきだ。
by uuuzen | 2013-08-19 23:59 | ●新・嵐山だより
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