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●梅雨明けの白花、その6
善者であったと世間にみなさせるには、恥ずかしい罪をでっち挙げればよい。アメリカに住んだジョン・レノンは平和主義の活動を繰り広げ、それを苦々しく思っていたFBIはその素行を調べ上げ、信用失墜の機会を狙っていたが、麻薬にどっぷりと浸かっていたことを知って、さして何も手を下さなくてもよいと判断した。



ジョンの死後にそういうニュースがあった。それのどこまでが本当なのかわからないが、為政者にすれば有名人が政府批判をすることは黙認しかねるだろう。政治家も有名商売だ。その点では芸能人と変わらない。TV時代になってそうなった。アメリカではケネディ大統領以降だ。さて、昨日書いた若き哲学者は、IQが低くて簡単に世間の動きに染まってしまう「B層」に選挙権があることによって、衆愚政治が行なわれると懸念している。確かにそういう面もあるかもしれないが、筆者が素朴に疑問に思うことは、ゲーテやニーチェを生んだドイツがその後ヒトラーに政権を与えたことだ。このことは、どんなに偉大な学者を輩出しても、国家はあるいは人類は独裁者を生み、たとえば人種差別によって膨大な数の人を抹殺する事態の生起が避けられないことを示している。そうであるならば、ゲーテやニーチェほどの天才を生んでいない日本ではもっと悪いことが今後起こるかもしれない。あるいはそんな天才を生まない国であることは、ほとんど誰もが「B層」で、その単色さが昔から変わらない日本のよさでもあるし、悪いところでもあるか。悪いところというのは、一斉に同じ流れに乗ってしまいかねないことで、たとえば、「在日出て行け」の運動が活発化し、TVの御用評論家がそれに火を注ぎ、ついには在日の人たちを殺す事件が起きるかもしれない。そうなっても誰が責任を取るだろうか。殺人者はみんなの思いを代弁したと英雄気取りで、さらなる事件が続発するだろう。そんな野蛮さはいつの時代でも潜んでいる。そして、そんな野蛮はB層が担うと先の哲学者は考えるが、仮にそうであったとして、最初の煽動を行なった者がいる。流言蜚語は、それを最初にばら撒く者があり、それはB層にはいない。ヒトラーは戦争に敗れたドイツが多額の賠償金を支払わねばならなくなった時に登場し、民衆の心をつかんだ。ドイツ経済を立て直すという掛け声に多くの人が声援を送り、一方金持ちのユダヤはけしからんという思いが高まって、ユダヤ人虐殺が進行して行った。アベノミクスの日本はその頃のドイツに似て来ているかもしれない。金持ちの在日は特権が与えられているためで、奴らをみな殺しにしてその財産を取り戻そうという声がいずれネットに登場しないとも限らない。ヒトラーの罪は、B層が付和雷同に政権に賛成したためであるとは一概に言えず、為政者にまず愚か者がいて、彼らの言葉に惑わされたからでもあるとするのが公平な見方ではないか。権力者もそれにしたがった人も同じだけ浅はかであったのだ。つまり、全員に責任がある。だが、そうなれば誰も責任を取らない。
●梅雨明けの白花、その6_d0053294_1519541.jpg

 筆者は人を4つの層に分け、B層なるものを設定して物事を単純化して考察しようという、そのあまりの単純な頭が気に食わない。ジョン・レノンは世界的人気を獲得した。それはB層がいかに世界中に多いかを明かしていると先の哲学者は内心思っているだろう。IQが高い人でもジョン・レノンのファンはいるはずだ。そういう人の言動がジョンの価値を普遍化し、そのことにIQが低いB層が反応する結果、ジョン崇拝が続いて行くという図式が出来上がっているかもしれない。そうなると、やはりB層は自分で物事を判断出来ない人たちということになるが、IQが低くてもいいことと悪いことの常識的判断はつく人は多いし、その反対にIQが高くても平気で悪いことをし、それを悪いとは思わない連中がいる。筆者が信じたいのはB層という、自ら意見をほとんど発しない人たちにあるはずの良心、良識だ。簡単に言えば生善説を信じたい。それは自治会長を4年経験して思いを強くした。先の哲学者は生善を持ち合わせず、しかもIQの低い人たちをB層と定義したいのだろうが、IQが低いことをまるで人間の大罪かのようにみなす態度は、筆者から見れば「頭の悪い」ことであって、B層よりも劣る人種だ。本当に頭がよいのであれば、IQ自慢をしたりして自惚れるわけがない。ところが、為政者には本当に頭の悪い人たちがいて、それに賛同するB層もいるが、一方ではIQは高くなくてもそういう為政者を唾棄すべき存在と苦々しく思っている人もある。それは本能でわかっているのだ。「頭はいいか知らないが、奴らは我欲だけで、しかも威張りくさってやがる」。こんなふうに思うB層も多いのだ。ゲーテやニーチェの本を読むことは、字が読めれば誰でも出来る。そんな本を読んだからといってゲーテやニーチェのような偉大な人間になれることはまずほとんどない。むしろ、そんなものを読まずに、現在のこの坩堝のような世界にどう対峙して何を考えるかだ。ゲーテやニーチェもそうしたはずで、人間として重要なことは、古典を読破して自分を選良と勘違いすることではない。古典に書かれる核心は、それを繙くまでもなく、人間としてあたりまえに生きていると理解出来るはずだ。そうであるから古典は古典たり得ている。古典を読んで面白いと感じるのは、自分が思っていることと同じことが書かれているからだ。ただし、その核心をさまざまな言葉の綾で導いて行くし、その熟練の言葉の扱いはまさに天才にしか出来ないことであり、その巧みさに同時に感嘆する。このことから、古典を遺す天才は、ごくあたりまえの考えを精密で見事な織物のように言葉で組み立てる才能を持つ人と言える。ゲーテやニーチェを崇拝し、彼らに肩を並べる有名人になるには、名著を書くしかない。ジョン・レノンが有名になったのもそこで、名曲をたくさん書いたからで、平和運動はおまけだ。
●梅雨明けの白花、その6_d0053294_1519363.jpg

 平和運動をしながら、麻薬に溺れていずれ自滅するとFBIからみなされたとして、ジョンの人間的価値が減るだろうか。ロック・ミュージシャンなど、せいぜいその程度の生き方で、偽善ぶりもはなはだしいと良識派は今後も見定めるだろう。そして一方ではクラシック音楽の大家を神のように完全無欠な人格者であったと思うのも自由だが、筆者から見ればそういうお堅い考えの持ち主ほど世間の矛盾に鈍感で、エリート意識に凝り固まっている。そういう連中を「頭が悪い」と筆者は思うのだが、結局ロックなどの大衆音楽は部が悪く、「かわいそうに。彼らはIQが低いから、クラシック音楽のよさを一生理解せず、どうでもいい流行音楽に金を支払って楽しむ」といったように、ろくでもないものと評価されている。「B級グルメ」という食べ物のジャンルがある。そういう食べ物しか愛せない連中を見て「B層」という言葉を作ったのかもしれない。ここで思い出すのは、ジョージ・オーウェルだ。彼はイギリスの高級ホテルのレストランで働き、コックやウェイターを観察し、一流の料理に携わる人たちの本性を暴露したが、高価な料理店ほど乙に澄ましているだけで実際はろくでもないという結論を得た。筆者はそこまでは思わないが、B級と呼ばれる食べ物の最上クラスは、値段ばかり高い高級レストランのまずい食事よりはるかにおいしい場合があることを認めたい。これは、IQが高いエリートにはない「優しい思い」がB層にあったりすることと同じで、尺度を変えればBのクラスはAよりあらゆる点で劣るとは言えないことが見える。だが、残念なことに、拝金主義に心底染まって来た日本では、高い料理をおいしいと認めない者は野蛮人でB層とみなされる。そのため、B級グルメは高級レストラン並みにメニューを10倍くらいの価格に値上げすればよい。馬鹿な金持ちがどんどんやって来て繁盛する。大阪では無理だが、東京ではそうなる可能性は大きい。いや、もうそんな店はとっくにあちこちにあるだろう。ともかく、人はそんな見せかけに弱い。高級な人物を味わいたいから、高級な衣服や持ち物を買い、高級なレストランで食事する。だが、たいていの人は自分の身のほどを知っていて、そうした贅沢の少しでもかなえられればよいと思っている。B層はそのようにささやかでまた愚かな人たちだが、それが人間であって、B層なくしては社会は成り立たない。ジョン・レノンが「POWER TO THE PEOPLE」を歌った時、それはB層の覚醒を促してのことであった。それは労働者階級の英雄気取りであったろうが、英雄は労働者階級からも生まれて来なければならない。それが道化であっても、いや道化であるからこそ多くの人たちに愛される。そのくらいのことはB層は自覚しているし、そういうB層を理解しようとしない連中は頭が悪い。
●梅雨明けの白花、その6_d0053294_15194582.jpg 今日の白い花はまず「ムクゲ」だ。これは韓国の国花で、「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれる。夏の間、散っては咲きを繰り返し、いつまでも花が途絶えない。昨日書いたように筆者はこの花の写真を1か月ほど前に撮影したが、画像を保存していたMOディスクが壊れた。ここしばらく白い花の写真を載せていて、何か足りないと昨日気づき、今日また同じ木のところまで行って同じ角度で写真を撮った。以前と同じようにたくさんの花を咲かせ、また前回は灰色の空であったのが、今日は見事な青空で、雲が一片浮かんでいた。その雲をどう画面に収めればいいかを考えて撮影したが、この青空と白い雲ひとつは、ジョン・レノンとプラステッィク・オノ・バンドの1969年のトロントでのライヴ・アルバムのジャケットを思わせる。そこに「窮まることのない花」のムクゲが勢揃いしているのは、いかにも「POWER TO THE PEOPLE」ではないか。ムクゲが愛されるのは民衆の尽きない力を思わせるからだろう。その民衆をB層と呼んで蔑むのではなく、むしろバランス感覚のある存在とみなせばどうか。2番目の写真は「アンスリウム」で、白い部分は厳密に言えば花ではないが、花の部分を包むので、花とみなしてもよいだろう。アンスリウムは赤の品種をよく見かける。この白の種は、いかにも造花めいた赤とは違ってもっと楚々としている。炎の形をした苞が直立し、また全体にそれが小型であるのが何となく日本的で、仏に供えるのがふさわしい雰囲気がある。これをどこで撮影したか忘れた。花屋ではなかったと思うが、その可能性も大きい。3枚目の白い花は先日近所で見かけた。塀に絡みついていて、てっきり蔦と思ったが、よく見ると白い小さな花がふたつ咲いていた。それを塀の向こうの別の植物のものと思い、しばし立ち止まってその元の植物を探したが、どうやら蔦に見えている葉とセットだ。まさかと思いながら、数日後にまたその傍らを通りがかると、花をもっとたくさん咲かせていた。そして、「蔦には花が咲かないのはなぜか」と不思議に思いながら、写真を撮った。先ほど名前を調べた。「アサリナ」と呼ぶそうで、紫色の花もある。「アサリナ」に「朝理名」を充てるか。筆者が撮影したのは午後2時頃だ。目立たない花で、今年初めて見たところ、近年海外から持ち込まれたのだろうか。蔓性の植物で白い小さな花を咲かせるものはほかに知らない。真っ赤な花ではルコウソウがある。その小さな花の形はこのアサリナに幾分似ている。近隣の種かもしれない。
by uuuzen | 2013-08-13 23:59 | ●新・嵐山だより
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