働き過ぎたとは思えないのに、TVについているブルーレイ・レコーダーが壊れた。毎日韓国ドラマを予約録画していたが、幸い今は高校野球の放送があるため、2週間ほど休みだ。再開は25日だったか。
それまでに録画をどうにかせねばならないが、TVが表示するデータにしたがってネットで調べると、ブルーレイ・レコーダーの修理代は2万円という表示が出た。TVは1年半ほど前に買ったものだ。録画機能が壊れるにしてはえらく早い。日本製品は世界でもダントツに故障が少ないという先入観を持っていたのに、どうやらそうでもないらしい。というのは、筆者のそのTVをネットであれこれ調べると、「すぐに壊れるので有名」とある。それに、「そんな製品をよく調べもせずに買った方が悪い」とまで書いてある。そういう商品であったので安かったのだろう。今調べると、26型で38500円だ。修理代2万円は、買った価格の半分ほどで、これは妥当かもしれない。だが、ネットには直してもすぐにまた壊れるとある。それで、今度は壊れにくいメーカーのものを単体で買うつもりでいる。問題はそれを据える適当な場所がないことだ。それにしても、電気製品が昔のように単純なメカニズムで出来ていない。基盤を交換するなど、素人にはとても修理出来ない。精密な機器になったことで故障も多くなったと見える。数年経てば、あまりに多い故障の箇所の設計を抜本的に見直すはずで、世の中に出てまだ新しい機器は故障が多いのはあたりまえでもある。そのようにメーカー側の立場で物事を見る筆者は珍しいだろう。買って1年半で壊れるのでは、全く詐欺ではないかと激怒の電話をかける人も多いに違いない。その気持ちはわかるが、38500円で新品の録画機能つきTVが買えること自体、筆者にはほとんど信じられない。TVが安くなったとはいえ、そんな調子ではメーカーや小売店に儲けがどれほどあるのか。それはともかく、新たに録画機器を買うと、その接続と使用法の習得に丸1日はかかる。それを考えると鬱陶しい。アナログのビデオ・デッキがあるので、その録画テープにデジタル放送がアナログに自動的に変換して録画出来ないかと、一昨日は2,3時間かけてあれこれ調べ、そして配線し直したが、駄目であった。雑音混じりに音はどうにか入っても、映像は砂嵐だ。これがある程度の見られる画質で録画出来るのであれば、当分ブルーレイ・レコーダーを買わずに済むのに、そんなうまい話はないか。

1年半の使用は働き過ぎかどうか。これは使う人によりけりだ。酷使すると壊れるのも早い。TVを置いている場所も影響するだろう。筆者は熱がこもりやすい場所に設置している。そのために壊れたように思う。わが家で最も涼しい場所に置いているとはいえ、数時間ほど見続けていると、ブルーレイ機器の周辺の温度はたぶん40数度から50度にはなっている。やたら暑いのに、さらに熱くなるような酷な使い方をされれば、機械も「こき使いやがって」と癇癪を起す。で、筆者も同じ気持ちだ。7月に入ってからは自分で夏休みと決め込み、隣家のリフォームのための作業も放置した。秋には再開と思いながら、この調子では10月になるまで腰を上げないかもしれない。何もしないでも食べて行ける身分と羨ましがられるかもしれない。ところが、何もしないことには収入がない。これは世間の常識で、筆者も例に漏れない。収入がなければ貯金を崩すしかない。そのようにしてどうにか生きているが、残高の目減りが気にならないと言えば嘘になる。ま、こんなことを書いても仕方がない。筆者にとっての「働き」は世間とはかなりずれている。これは昔からだ。だいたい「仕事」を「働く」こと同じとはあまり思っていない。筆者にとっての仕事は、収入を得ることだけとは限らない。収入にいつどのような形でつながるかわからないことに、多大の時間をかけて生きて来た。それは傍から見れば「趣味」や「遊び」だ。筆者は創作に人生のかなりの部分を費やして来たが、それにはまずある程度のお金が必要だ。つまり、製作費だ。そして、製作中は収入がないから、製作中は出費が増す。今はそんな創作をストップしているから、必要なのは食費や高熱費程度で済む。この状態は他人から見れば「遊び」で、筆者もそう思う。ただし、創作することの「遊び」とは違ってあまり心地よくない。ただ生きているだけという思いがするからだ。無為徒食だ。それで早く創作の日々に入りたいが、それには暑過ぎるし、また部屋を整理しければならない。そうして準備を整え、心を落ち着かせ、ようやく創作に入ると、本格的に仕事している気分になれる。ただし、無為徒食の日々とは違って、製作費がかかるから、貯金が乏しいなと思っている間は、創作には二の足を踏む。それに、数か月か半年か、あるいは何年か、ともかく新作を完成させたとして、それらの発表の場所はなく、ましてや買い手はない。そのため、創作で散財かつ徒労を経験せず、何もしないで家の中でゴロゴロしている方がましという考え方もある。

最近ある人から個展してみないかと言われた。昔造った作品はたくさんあるので、いつでも展示は出来る。その会場はかなり大きく、筆者の作品ならたぶん三十点は飾れる。1点当たり、隣り合う作品との開きを考慮して、幅は3メートル必要だ。1点当たり絵画で言えば100から150号くらいだ。せっかくの電話での申し出を断った。個展をするなら新作を少しでも披露したいからだ。それは今までにない大作としたい。そんな作品となると、製作に1年は優に要する。それで最低でも3年先にまた声をかけてほしいと伝えた。話は変わる。昨日ネット・サーフィンをしていて、筆者が大嫌いな政治評論家の名前がわかった。フジ・テレビによくゲストとして出演する男で、年齢は筆者よりひとつ下だ。この男がTVで対談相手にしばしば怒りを露わにして喧嘩を売る。その下品さは見るに耐えない。顔もそうだ。知性がない。ネットで評判を調べると、大多数の人は誉めていた。見る目のある少数派の書き込みに、この評論家の収入源が書かれていた。自民党から毎年5000万から6000万もらっている。こういう御用評論家がTVで偉そうな顔をして日本を憂うと語る。その男がどのようにして自民党に接近したかが見える気がする。売り込みに熱心で、適当な意見を報告書にまとめるだけだろう。そしてTVで自民以外の悪口を威勢よく言えばよい。TVもTVだ。そういう男を使うと視聴率が取れるのか、あるいはスポンサーが指名するのだろう。アホらし。それでもその男にすれば、働いているのであるから、自民党からの収入は当然と言うに決まっている。まるで壊れたブルーレイ・レコーダー以上にその男は始末におけない。ブルーレイ・レコーダーを新たに入手すれば、そんなTVの報道番組は一切見ずに、韓国ドラマばかり録画してやる。また話題を変える。今日は白い花三題だ。先ほど、とある白花の写真がなぜ見つからないのか焦った。すぐに思い出したが、それは壊れたMOディスクに保存していたのだ。今も咲いていると思うが、以前と同じような写真となると、もう1か月ほど経っているので難しいかもしれない。ともかく、明日またその花を撮影しに行こう。家から5分とかからないところだ。

今日の3枚は、順に「桐」「プルメリア」「コデマリ」だ。最初の「桐」は6月中旬に天王寺公園の慶沢園で撮った。桐はその気になればよく見かける。その日は公園内の「フェルメールの小径」を歩いていると、道路脇に数個の白い花をが落ちているのを見つけた。手に取ると桐だ。それに真っ白だ。そんな品種は初めて見た。桐の花はうす紫色と決まっていると思っていたが、アガパンサスや桔梗にも白があるのと同様、桐にも白花があっておかしくない。花を手に持って振り返って見上げた。するといかにも桐の葉らしい大きな葉がわさわさと群がっていた。そこに白い花が咲いている。桐は5月の花であるから、かなりの遅咲きだ。その写真を梅雨明けの今頃になって載せるのは題名に偽りがある。ま、在庫整理を兼ねているので、大目に見てほしい。「プルメリア」は花弁が捻じれ状、すなわち扇風機の羽のように重なっているのが特徴だ。園芸種がたくさんあってそうなっていないものもあるが、花弁はやや肉厚で、いかにも熱帯の花という感じがある。沖縄あたりでは普通に咲いているはずだが、今では安価でどの花屋でも小さな苗が売られているのではないだろうか。ただし、ペチュニアほどでもない。「コデマリ」も珍しくない。わが家の裏庭にもある。これは2週間ほど前に見かけた。もうとっくに季節は終わっていると思うが、写真のものは遅咲きだろう。それにいかにもしょぼくれた雰囲気で、この花特有の大きな群れとなって咲く状態からすれば、一見別の花に見える。写真では実際の大きさがわからない。大きな花でも小さな花でも写真の中に収めてその花とわかるようにするのが前提であるから、大きな花は縮小され、小さな花は拡大される。それに2年前の「梅雨時の白花三題」では大き目の花を主に取り上げたから、今回は小さな花しか残っていないと言える。小さな花は地味であるから、それに添えるこの文章もそうなりがちだ。大きな花でも小さな花でも、開花のための働きは同じで、小さいから手を抜いていることはない。筆者のような取るに足らない小さな花のような人間も、のらりくらりとせずに働かねばならない。とはいえ、もうとっくに花の季節は終わり、もう枯れて醜くなる一方ではないかとの声も聞こえる。