「ささめゆき」と入力すると、ワープロでもパソコンでもちゃんと「細雪」と表示される。これは「さいせつ」「ほそゆき」「こまかゆき」などと読む人がいないことを示しているが、それほどにこの言葉は誰にでもよく知られている。
だが、この言葉を谷崎潤一郎の同名小説を言う時にしか使用しない人が大半なのではないだろうか。雪の少ない関西では特にそう思う。それにこの小説は関西を舞台にしている。それくらいは知っているが、この小説を筆者は実際には読んだことがない。母の住む家に行けば30年もっと前に買った本が本棚に入っているのは知っているし、その解説ページに初映画化時のスチール写真が載っていたのも覚えている。それでも人生は忙しいばかりで、じっくり小説を読みたくてもいつの間にか30年などすぐに過ぎてしまう。そのため買っても読まないままの本がたくさんあることにもなる。いずれと思いながら、ついにそれがやって来ない。これは買えばいつも手元にあるので安心することも理由としてある。そのために、20数年ほど前から、本はあまり買わずに図書館にリクエストして購入してもらい、それを借りて読むことをよくした。こうすれば返却期日があるため、どうしても急かされて読むことになる。2週間に1回、中央図書館にまで行くのはそれなりに運動にもなるし、季節の変わり目を確実に知るにはいい方法でもあった。だが、1年もう少し前か、ちょっとしたことでぷつりと行かなくなった。読みたい本をまたせっせと買うようになったからだ。それまでも買ってはいたが、図書館にない本をわざわざ探して買い、それを着実に読む必要が生じたのだ。その新しい興味が過ぎるとまた適当な読み物を求めて図書館に通うよになるかもしれないが、今は手元にたくさん読むべきものがあって、図書館に頼らなくてもよい。
谷崎潤一郎の小説は『細雪』以外のものも読んだことがない。谷崎がどんな小説を書いているかは大体想像が出来るが、今読まなくては読む機会を失ってしまって困るものとは思えず、機会があればいずれという程度であったことも原因としてある。名作とはいえ、そのようにしてひとまず読まずに済ますことは多い。息子を見ていると、小学生の頃はたくさん読書をしていたのに、高校生以降はその暇もないのか、大人向きの小説を全く読んでいない。このまま就職してしまうと、さらに小説を読む機会などないだろう。そんなことを考えると、今の若者は昔の名作と言われる小説をいつ読むのかと思う。高校では受験のために忙しく、大学になればアルバイトでまた本からは離れる者が多いだろう。一方では軽い小説がよく売れて10代半ばの書き手が新人賞を取って話題になる時代で、若い世代も文字を読むことへの願望はあるようだが、古い名作にはさほど縁も関心もないように見える。それはそれでもあるので、別段文句もないが、若い人が自分のやっていることは新しいと自負しても、大抵のことはもうみんな誰かが何らかの形でやっていて、結局新しいことをするには古いことをよく知った方が手っ取り早いことが多い。ヒントがいくらでもあるからだ。だが、そのヒントをヒントして感じ取る能力があまりに若いとやはり駄目かもしれない。ある程度の年齢にならないと、遠く離れた時代のあるものが、ごく身近なことと強くつながっている場合のあることがわからない。それでも最近の若い人は自分たちだけで通用する絵文字や言い回しを使って電子メールを交換することがあり、この若い世代特有の言葉が小説を著しく変えていて、それが旧世代には全くかなわない斬新なものに映るあまり、評価せざるを得ないことはよく想像出来る。だが、だからと言ってそれがただちに何もかも新しいものであるとは言えない。小説は言葉の連なりではあっても、連なった言葉がかもし出す世界が新しいかどうかが結局は問題だ。若い人が自分たちだけの言葉を使うのは別に珍しくも何ともなく、筆者も実は勝手に家族の間だけで通用する言葉をいろいろ作って使っている。新しく作ったものを発してもすぐに家内などはその意味がわかる。たとえば「さいせつ」と言えば、それは「細雪」なのだ。他人がこの「さいせつ」を聞いて、『ああ、この人は「ささめゆき」と読むことを知らないのだな』と内心哀れみで思うかもしれないことをあえて空想し、それを面白がって「さいせつ」と読むのだ。だが、これはあくまで家内とふざけて話す時だけのもので、他人には使用しない。今TVで頻繁に登場する細○とかというおばさんが、以前「じゅんぷうまんぽ」と発音している場面を見たことがある。これは筆者の「さいせつ」とは違って、「じゅんぷうまんぱん」を知らずに言っていただけと思うが、言葉ひとつで知性が悟られるので要注意だ。「高校三年生」を歌う有名歌手が、「思惑」を「しわく」と何度も発音していた時は、インタヴュアーも当惑しているように見えたが、「さいせつ」などとふざけて言っていると、ついにはこれが癖になって人前で言うことになるかもしれず、ふざけるのは家の内の家内だけにしておこう。つまらぬ前置きでもうかなり書いてしまった。実はさきほど『細雪』の初版本を入手しようと思った。図書館で借りず、また八尾の母から送ってもらうことをせず、文庫本を買うことをせず、古本の初版本を買うことにした。今日この映画を観終えた時、せっかくブログに書くのに小説を読んでいないことを少々恥じた。それならば本をいずれ読んで、映画との差を確認してやろうという気になったのだ。そんな機会がなければ、それこそ死ぬまでこの小説を読むことはないからだ。
さて、この映画を観ることになったのは、女優のひとりである花井蘭子の姿を見たいという家内の希望があったからだ。筆者は『ぼんち』を観たかったが、家内の意向に沿うことにした。映画はモノクロで2時間21分。昭和25年、阿部豊監督の作品だ。小説は中央公論社から昭和19年から23年にかけて3巻本として出ているので、谷崎もこの映画を観ている。大阪船場出身で芦屋に住む4人姉妹が織りなす物語で、映画としてはその後2度リメイクされていることもよく知られている。だが、観るならやはり最初のものだろう。時代が古いほど小説が描く時代をよく反映しているはずであるからだ。ただし、観終わった感想を言えば、カラーでないのがとにかく惜しい。それはたくさんのキモノや着用姿が出て来るのに、モノクロでは繊細なキモノや帯の文様が全部平板な色調に化けてしまい、せっかくの豪華さが台なしになっていた。それでも女優たちの演技は見事で、2時間を長く感じなかった。脇役のひとりの田中春男も実に素晴らしい存在感を示していて、彼がいなければこの映画の成功はなかったと思えるほどだ。もうこんな味のある俳優は出ないだろう。田中春男は森繁久弥主演の『夫婦善哉』でもいやな男の役で出ていて、その憎らしい役どころが森繁の演技以上に思い返されるが、そうしたいやな奴を専門をこなす脇役というものがあって初めて名作が生まれることを改めて確認した。また、この映画では神戸の住吉川が洪水で氾濫するシーンがあって、臨場感がうまく出ていたが、模型を使用した特殊撮影であるのがわかった。会場で配付されたパンフレットによると、特殊撮影と合成撮影の担当者の名前が別々に書かれている。さて合成撮影はどんなシーンであったのかなと思うが、とにかくそうした特別の撮影方法も駆使してリアルさを伝えようとしており、これは「ストーリーを追いがち」と説明にあるところからも納得の行くことと思える。
昭和15年、船場の旧家である藤岡家の本家の住居前が最初に映るところから始まる。そこは上本町9丁目だったか、そのあたりは上町台地と言って、今は地下鉄が走るような幹線道路沿いは繁華だが、少し裏に回ると寺が多く、江戸時代からそのままであろうと思わせる静かな通りがあって、大阪市内とはとても思えない。藤岡家には鶴子、幸子、雪子、妙子の姉妹がいて、それぞれ花井蘭子、轟夕起子、山根寿子、高峰秀子が演じている。花井はあまり登場しない。戦前は鳴らした女優らしいが、筆者はこの映画で初めて知った。最初の方は4人の登場が均等で、どんな話になるかと思っていたが、次第に4番目の妙子の生活が中心に描写される。長女は婿養子を取って本家を継いでいるが、東京に住むことになる。次女幸子は結婚して芦屋住まい。三女雪子はおっとりした性格で何度も見合いするが、なかなか結婚出来ない。四女の妙子は活発な娘で、金持ちのぼんぼんと遊ぶ生活をしている。だが、自分で人形作りの教室をしたり、裁縫を教えたりなど、一応自活をしている。妙子の遊び相手が田中春男演ずる道楽者の奥畑で、ふたりはやがて結婚するものとばかり思われていたが、住吉川が氾濫した時、妙子のいた家がもう少しで押し流されるという瀬戸際に遇い、奥畑の店に丁稚奉公していて今は独立して写真館を経営する板倉が命を張って妙子を救う。この事件以降、妙子は板倉に恋をし、結婚したいと思うようになるが、3人の姉からは家柄が違うということで猛反対を受ける。そんな中、結局板倉は病で呆気なく死ぬ。そして奥畑も勘当され、妙子に買い与えた物などを返還要求する始末。ついに妙子は知り合ったバーテンダーの子を宿し、流産したあげく、その男と一緒に駆け落ちする。長い間独身であった雪子はようやくいい相手が見つかって結婚するが、妙子はその式にも出席させてもらえない。そんな妙子が風呂敷ひとつの荷物を抱えて芦屋の家から出て行くところで映画は終わる。この映画の見所のひとつは豪華なキモノ姿にあるが、こればかりは小説での描写よりも映画の方が実感が湧くだろう。妙子の艶やかなキモノでの舞い姿も見物で、それを板倉が写真に撮るシーンもあって、さすが高峰秀子の貫祿を充分に示している。大阪弁の間や訛もうまく、こうした関西を舞台にした映画にはつい見惚れてしまう。映画の最後近くで、船場の実家がもう一度映るが、その中で姉妹が、「こんなに暗い家だった?」と会話をする。そして茶を注いだばかりの碗の中に天井から白いものがぽたりぽたりと入って浮く。白蟻だ。旧家もそんな虫が湧くような状態になっているのだ。この象徴的なシーンは谷崎の言いたいことを凝縮しているように思う。
旧家はほとんど没落してもなお旧家であることを誇りにして、身分の違う者との結婚を拒むが、最も若い妙子は、板倉と出会ってからは自分の腕一本で生きている男の魅力というものに気がつき、姉たちとは違う人生を歩んで行く。妙子は普段はキモノも着ず、もっぱら派手なプリントのワンピース姿だが、そのモダンさがまた新時代をよく表現している。ひとつの家の中の4人姉妹ともなると、長女と四女とでは大きく考えが違うもので、この設定はうまい。そして妙子の、親から譲り受けるべき財産は、長女が自分の子どもたちの教育費に全部使ってしまったという筋立てにしてあり、これもきわめて現実的な話で、損な役割を演ずる妙子が最後に家から出て行くというのは、残酷な話ではあるが、一抹の希望もあって、谷崎がこの四女の今後の人生に、新時代の裸一貫から出発する逞しい人間を提示しているであろうことがわかる。前途多難ではあるが、旧家の代をきちんと守る長女がいて、その姉妹にこんな人生を歩む者がいることもまた人生の真実であろう。この小説がベスト・セラーになって名作であり続けているのはよくわかる。どこかトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』を連想したが、谷崎の場合は関東大震災以降に関西に移住し、いろいろと関西文化を知ったことが栄養となり、またこの小説の舞台となった戦前にではなく、戦後間もなく出版していることからは、戦後がらりと変貌して行く日本を見つめていたとも思え、日本の未来像と妙子の人生がだぶって見えるところがある。関東大震災の被害を避けて関西にやって来た有名人物としては岸田劉生がいるが、彼もまた京都で古美術に目覚めてその後の作風を変貌させるきっかけを得た。谷崎の場合は新聞小説を担当していて、その挿絵画家としてたとえば北野恒富を得ているが、そんな大阪画壇と谷崎の関係からでも、谷崎の小説を読まなくてもその世界が想像出来るだろう。それはきわめてモダンでありながら、古き日本の情緒もまだ保有していたもので、もし今の若い世代がこの小説を読んで感じるものがあるとすれば、大正ロマンに似た回顧的な味わいで、珍しい、そして豪華な骨董を見つめるような眼差しにおいてかもしれない。映画でもそれはよく滲み出ていた。たとえば洋風居間の壁にかかる掛軸や、あたかもベニヤ板かと思わせるような木目の細工を活かした扉、アール・デコ調の家具などで、昭和時代を生きた者ならば誰しも見たことがある和洋折衷スタイルの懐かしさがあった。そんなモダンさが今はどのように伝わっていて、またこれからどのように変化して時代に残る大きな様式を作り立てるだろうか。それがあるとして、古いものの中からヒントを得るしかないように思う。