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●梅雨明けの白花、その3
すると言えばかなりおおげさだが、毎晩こうしてパソコンに向かって文字を打ち込むのは、3000回も連続しているのであれば、それなりに自分にとって掟になっていると認めてもよい。



3000回はひとつの大きな節目で、2500回になった時に3000回までは絶対に続けてやろうと思った。ところが3000回が過ぎると、別にどおってことはない。次の節目は丸10年と考えているから、2年ほど先のことになる。だが、それは投稿回数で言えば3650といった中途半端な数で、4000回が区切りとしてよいと思うに決まっている。そして、4000よりも5000で、5000は半分であるから、10000を目指したくなるだろう。だが、10000回になればまらその次の区切りを求めるから、結局のところ、節目の数値はあまり意味がない。ともかく、一昨日は連続3000日の投稿となって、何となくもういつやめてもいいような気になっている。一方ではここ10日ほど、足で集めた画像がそれなりにたまっていて、それらを消化しない限りはやめたくない思いがあるが、それは欲というものだ。どんな人でも死の間際になって、やり残したことを思うはずで、生きている限り、もうこれでよいという悟りの気分にはなかなかなれないだろう。それもともかく、今日の京都は今年一番の暑さであったらしい。いつも同じように暑いので、そんなことを聞いてもぴんと来ないが、こうして書いている部屋の温度計は35度を指していて、これはいつもより2度も高い。それで窓を全開にしていると、ほんの少し風が入り、それがやけに涼しく感じる。実際のところはそんな微風では部屋の温度を下げることには少しも役に立たないのはわかっている。それでもこのほんの少しだけ、レースのカーテンをなびかせる風がありがたい。クーラーがあればもっと快適にこの文章を打つことが出来るのはわかっている。痩せ我慢ではないが、筆者は夏は暑いのがあたりまえと思い、めったなことには2階のクーラーも使わない。それで暑い暑いと感じながらも、窓からの風がまるで天国から吹くものであるかのようにありがたい。これは部屋を閉め切ったクーラーの風では味わえないし、部屋の温度が35度もあるので涼しく感じるのであるから、暑い部屋で汗みどろのままこれを書き進むことに、一種の快感を覚えている。去年も書いたと思う。猛暑、炎暑、酷暑もすぐに去って、気づけば秋風ではないか。と言いながら、老化に向かう筆者は暑さに対する感覚が若い頃に比べて鈍っているとも考えられ、気づけば熱中症で死んでいるということにもなりかねない。ま、そうなった時は仕方がない。「大山はんは痩せ我慢する人やったな。そいで猛暑と根競べして負けてしもた。アホな人や」
●梅雨明けの白花、その3_d0053294_043471.jpg

 さて、今日は何について書こうかと、書き始めるまで迷った。それでまたどうでもいいような話題でお茶を濁す。というのは、この「梅雨明けの白花」に使うための写真をここ1週間ほどでたくさん撮り、今のうちに消化しておかねば秋風が吹いてしまう。今日は秋田県で観測史上初の豪雨があって、東北が梅雨明けしたというのに、どうもまだそとは言えないところがある。それでせめてお盆までの間に白い花の写真を全部使い切ろうと思う。また、そうこうしている間にも珍しい白い花を見かけるので、全部載せるのに何日が必要なのか今のところ見当がつかない。今日の3枚の写真は、上から順にペチュニア、セイヨウセキチク(と思う)、そしてマンガンジトウガラシで、どれも近所を散歩している間に見かけた。ペチュニアはどこにでもあるので珍しくない。もっと白くて花弁が肉厚なものを写真に撮ったが、あまりに元気なものより、なぜか今日のものが気に入った。それは、左上の花が枯れ気味で、わずかに茶色の斑が入り始めている。花の写真を撮る場合、こういう老化したものを写すのは御法度だろう。醜いものが晴れやかに混じっている状態は、全体を艶消しにしてしまうというわけだ。筆者もそう思わないことはないが、花が枯れるのは自然なことだ。落下直前の全体が透き通ったようになっている花は、それなりに愛おしい。それで、もっと鮮やかで晴れ晴れとした写真を捨てて、あえてこのどこかしょぼくれかけた状態の花を見せることにした。そうそう、この花はラッパ状で、朝顔を思い出させるが、どういうわけか朝顔をほとんど見かけない。朝顔で窓を日除けするかわりに、今はゴーヤを植えることが流行している。朝顔は食べられないが、ゴーヤでは少しでも食費が浮くという考えか。夏の朝顔は実によいものなのに、その風情が忘れられかけている。また朝顔は青や青紫、赤紫が目立ち、白には遭遇しない。ペチュニアは暑苦しい花で、筆者は買って育てようとは思わない。それでもとにかくどこでもよく見かけるところ、かなり丈夫な植物で、放置しても毎年咲くのではないか。
●梅雨明けの白花、その3_d0053294_044233.jpg 2枚目のセイヨウセキチクは、花の形ですぐにセキチクとわかるし、またセキチクは2年前の「梅雨時の白花」で取り上げたので、本来はここで載せるべきではない。だが、日本のセキチクと違って、この花は茎と葉がとても奇妙で、洋蘭のように肉厚だ。蘭も日本や中国、朝鮮のものは文人が描いたように葉が細く、その可憐な様子に見どころがある。日本のナデシコ、セキチクも同じで、小さな花に見合う細い葉や茎を持つ。それがこの写真からわかるように、花は密集し、茎は図太く、葉もべったりとした舌のようだ。可憐さとはほど遠く、体臭が漂うような濃厚な色気とでもいうものがある。さすがバター臭い西洋であって、花もこのように東洋とは違って「肉食系」に変化すると見える。そして、そういう花を好む日本人が増えて来たようだ。珍しさも手伝っているが、筆者にはどこか造花めいて見え、やはり買ってまで楽しみたいとは思わない。セイヨウセキチクは品種がかなり多いようで、写真のように肉厚の葉を持つものから、日本産のような細い葉のものまである。だが、概して花は大きく、たくさんつき、色や花弁の形も豊富だ。それらはみな人間が交配して作った園芸種であろう。3枚目は畑で見かけた。見逃すほどに小さな花で、写真下端右寄りに、すでに花が散った後に結実を始めているものが見える。数日後に確認すると、それはもっと大きく膨らんで万願寺とんがらしに育っていた。これは京野菜で、今年はどういうわけかムーギョでほとんど見かけない。契約していた農家と縁が切れたのか、生産量が少ないかのどちらかだろう。筆者はマンガンジが大好きで、毎年夏になるとこれをたくさん食べるのに、今年はまだ一度も口にしていない。夏は夏野菜をバリバリ食べるのが楽しみなのに、年々野菜の世界にも異変があるようで、口にめったに入らないものが増えて行きそうだ。トマトやマッカ、スイカなど、夏は毎日のように食べた野菜があって、またそれらは今よりもっと香ばしくておいしかった。「その代わり、昔にはなかったものがたくさんある」と若い人は言う。それはそうなのだが、その意見は答えになっていない。ともかく、そのように世代ごとに思いが違い、花ひとつとっても流行があって、昔馴染んだものが廃れたりする。そう言えば今年の夏のゲリラ豪雨は、今後毎年あたりまえになって行くかもしれない。梅雨明けの日が曖昧になり、観測史上初の豪雨が毎年どこかが経験せねばならないとすれば、夏の花もいろいろ対策を考えるだろう。今での生態を律したくても、突然変異が頻繁化し、そこに原発事故の放射能拡散が加わってさらに変異したりして。
●梅雨明けの白花、その3_d0053294_0441957.jpg

by uuuzen | 2013-08-09 23:59 | ●新・嵐山だより
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