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●『伏見人形展-我国の土人形の元祖をたずねて』
はあまり見かけない犬になった。飼い犬には流行がある。ペット・ショップも食べて行かねばならず、人気の品種を量産して金儲けせねばならない。昔、友人のNと梅田で飲んだ後、よくペット・ショップを覗いた。Nは犬好きで、何万円か出してペット・ショップで買った芝犬を大事にしていた。



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犬好きだけではなく、ハムスターや熱帯魚など、常に何かを飼っていた。Nが不思議そうに言った。ペット・ショップでいつまえも売れない犬はどうなるのか。大きくなると餌代に困るし、小さい頃のようにかわいらしさが減り、ますます売れない。店は損することはしないから、売れないとわかるとさっさと薬で殺す。Nはそう言った。まさかと思ったが、それは正しい。たくさん生まれて来ても、人間に買われ飼われてかわいがられるのはほんの一部だ。さて、今朝パソコンを開いた途端、ネットで驚くべき記事を読んだ。1.3メートル四方だったか、狭い檻に8匹の犬を飼っていた人物が逮捕された。動物愛護の法律に抵触するとのことだ。檻の中には糞が1トンも溜まり、そして3匹は死骸になって、生き残っていた5匹に食べられた痕跡があった。飼い主は何を思って飼っていたのだろう。犬は解放されたが、警察はどうするのか。餌やりの世話をするとは思えない。それでいて、飼い主の所有物であるから、勝手に保健所に引き取らせて薬殺処分も出来ないだろう。そうした犬が、昨日書いたベッキーが世話をしようとしている憐れな犬となるのだろう。世話をボイコットされた犬は、保健所に収容されて引き取り手がない場合は死を待つのみで、昔のように野良犬になって残飯を漁る生き方は出来ないだろう。そう言えば昔は野良犬が多かった。今は野良猫はたくさんいるが、犬は人を噛むので野良犬はすぐに捕獲される。となると、犬は飼われるしかない存在で、人間で言う「在野」の生き方はない。これは犬にとっては由々しきことだ。一見犬は大いに持てはやされ、ペット・ショップで高値で売られているにもかかわらず、管理社会で生きるしかない。しかも管理者の元締めの飼い主が飽き性でなく、愛情に溢れる人ならいいが、そうではない人も大勢いる。シベリアン・ハスキー犬が昔流行し、たちまちあちこちの家で見かけるようになった。ところがすぐに飽きられ、捨て犬になるものが多かった。そしてペット・ショップは次の流行犬を作り出す。昨日の2枚目の写真は地元で新たにオープンする犬の美容院の玄関を捉えたもので、店名は「Plume」とある。「Blume」は「花」で、「Plume」は「羽」だ。「羽」はだいたい白を連想させ、昨日の投稿は一昨日の「梅雨明けの白花」に続くものとしては関連があった。それはともかく、店の大きなウィンドウ内の垂れ幕に描かれたのは毛がむくむくした白い犬で、これはプードルかもしれない。昨夜そう思いながらも「マルチーズ」と書いた。犬に詳しくない筆者にはどっちかわからないが、プードルは今流行っている。それを狙っての開店と看板絵ではないか。プードルは独特の毛の刈り方をするが、写真のように全体に毛を生やす場合もあるだろう。
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 さて、今日は伏見人形の展示について書く。6月中旬に『京都市考古資料館 特別展示 伏見人形』を投稿した。京都市考古資料館でたくさん撮って来た写真のうち、未加工のものが10枚ほどカメラに入ったままで、捨て難い思いをしていたのに、昨夜全部消してしまった。今日は伏見人形について書くのであるから、残念なことをした。同館でも展示されたが、現在伏見人形は伏見街道にある丹嘉という店がほとんど製造している。菱屋という店はより素朴な筆さばきで、伏見人形のファンはそっちを評価する人が多い。それは生産量が少ないからでもある。その菱屋が何年か前に廃業したはずで、もう作られることはない。そのため、伏見人形は丹嘉製がますます代名詞のようになって行く。これは伏見人形なるものを限定的に認識させかねず、あまりよいことではない。だが、ないものをねだっても始まらない。新品の伏見人形ならば丹嘉製を買うしかなくても、天神、弘法の縁日などでは稀に菱屋のものでもない、古い型に出会える。また、そうして人手をわたって来たものの方が手垢がつき、古色を帯びて味わい深い。そうそう、遠谷茂という人の『江戸時代の土人形』という本がある。題名どおりに江戸時代のものばかりかと言えば、明治のものを混じっている。また、以前にも書いたように、土人形の製作年代の特定はほとんど不可能に近い。絵具によっておおよそわかるが、江戸時代と思っているものが実際は明治である場合がかなり多いだろう。それはともかく、同書に取り上げられる68点のうち、伏見人形は1点のみで、大半が花巻のものだ。このことは、著者が東北出身かと思わせるが、京大の医学部卒で医学博士でもあるから、京都出身かもしれないが、巻末の文章を読むと京都在住ではないことがわかる。また、この本に掲載される土人形は嵯峨にある「さがの人形の家」が所蔵するもので、土人形発祥の地である伏見を抱える京都が、花巻に憧れている様子が見え、複雑な思いに囚われる。花巻の土人形は確かに伏見のものにはない一種艶めかしさとでも言うような色気が漂う。土人形のファンの中で伏見が断然よいと評価する人はあまりいないのではないか。柳宗悦がそうで、彼は京都に住んだのに伏見人形を愛好しなかったと言ってよい。筆者はやはり伏見人形がいい。とはいえ、『江戸時代の土人形』に1点だけ載るような古作がほしい。それが無理なので、取りあえず現代ものを入手している。丹嘉は絵具は時代に合わせて入手出来るものを使い、また今はどの色も原色の派手好みとなっているが、型は昔のものをそのまま使うことが多い。新たに作る時でも昔の型を模倣する。そのことは、『江戸時代の土人形』収録の1点からもわかる。「遊ぶ子供達」と題され、高さは22.5センチある。これは伏見人形の中でも最大の部類に属する。また、この型は丹嘉にはないとは思うが、とても似たものはあり、同種のものとしては「這い子」がある。顔その他、全体の表情は丹嘉がたくさん所蔵する「子ども」の型と共通しており、この作品の色合いが原色であり、また手垢がなければ、現在の製品に見える。つまり、伏見人形は江戸時代から型そのものは変化がなく、丹嘉は頑固にその伝統を守っている。繰り返すと、残念なのは色合いだ。だがこれは花巻も含め、日本のどの郷土玩具も同じだ。江戸時代に使っていた土絵具と同じものは見つけられないことはないが、そこまでして売れるものでもない。アナクロに陥らず、現在は現在のありようで作ればいいということなのだろう。実際、江戸時代の土人形は、おどろおどろしい雰囲気が濃厚で、それを嫌う人も多いだろう。そこで彩色は現代の家具調度に混じっておかしくないものをと考えられる。
●『伏見人形展-我国の土人形の元祖をたずねて』_d0053294_1395669.jpg 今日取り上げる展覧会は、京都市考古資料館でも展示された丹嘉の製品の拡大版で、京都市勧業館(みやこめっせ)で今月25日まで無料で開催されている。伏見人形に詳しい人は見るべきものがないが、知識のない人の入門のためにはよい機会だ。丹嘉は土人形の型を2000ほど所蔵している。ということは2000種類の土人形を作り得る。それらすべてが常時製作され、商品の在庫があるかと言えば、全くそんなことはない。2000点すべてを作るのは100年ほどかかるのではないか。それほどに作るものは毎年種類が少ないと思う。郷土玩具ファンは、丹嘉の主と個人的に仲よくなり、数十年ほどは製作されたことがない型を特別に製品化してもらうということを聞いたことがある。ただし、それも半世紀前ほどのことで、代が新しくなった今は知らない。また、2000種類とはいえ、たとえば犬は狆のみで、これが大小24か5ある。つまり、題材の種類数となるとうんと減る。犬の型が狆だけというのは面白い。江戸時代の画家は狆以外にも描いている。にもかかわらず、伏見人形では狆しか見かけない。これは当時狆がよほど流行していたためか。また、伏見人形の狆は、彩色の黒と白の方法にもよるが、現在の狆とはかなり違う。毛並が短く、また目の周囲に黒がない。狆は元は大陸からもたらされた。それが長年の間に品種が改良され、現在のようになったが、江戸時代がどうであったかは絵画で知るしかない。そして伏見人形では狆と言われればそう見えるが、その特徴は顔の両側に垂れる黒い耳ないし毛並みで、江戸時代はそのように毛をトリムしたのだろうか。伏見人形の狆は大きなものは比較的珍しい。天神さんの市では1万円ほどはするだろう。白と黒ではなく、肌色と黒に塗ったものを見かけたことがある。それは狆のつもりではなかったのだろう。小さなものはよく見かけ、筆者は2個持っている。その写真を載せておく。丹嘉の狆の中で最も大きいのは2匹が前後に重なっているもので、これは前に位置するものが雌で、その背後から雄が性交しようとしている。あるいはその最中を表わすもので、最近ネット・オークションに出品され、数万円で落札された。数年に一度は見かけるが、いつもそのくらいの高値になる。丹嘉はめったに作らないだろう。作っても5,6万円以下では難しいのではないか。ともかく、伏見人形が今後も生き残って行くからには、現代に見合った題材を見出すべきという意見があって、たとえば犬なら半ば以上忘れ去られた狆ではなく、プードルがよい。その毛並のフワフワさ加減を土で表現するのは困難で、今ではぬいぐるみがいいところだ。結局、懐かしい遠い昔を思い出させてくれるものというところに伏見人形の価値があり、新型は需要がない。あるいは、伏見人形の前衛とでもいうものを目指すのであれば、思い切った題材の冒険が出来るが、そうした土人形を歓迎する向きがはたしてあるだろう。作ってみないことにはわからないから、人形作家が挑戦すべきだが、筆者が知らないだけで、伏見人形の現代版を実行している作家はいるのかもしれない。伏見人形が日本各地の土人形の源になったのであるから、丹嘉が作るような古型だけではなく、現代の面白い何かが表現出来ないものか。
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 「みやこめっせ」には「伝統産業ふれあい館」がある。これは以前取り上げた。丹嘉は伝統産業としての土人形を製造している商いの店であるから、その商品を入場料を取る公的な美術館などで展示することは難しいだろう。税金を使って個人の商売を宣伝するとは何事かという意見がきっとある。そこでというのでもないが、ようやく「みやこめっせ」の一画を使っての展示が実現した。「丹嘉」という名前を出し、その商品が京都である程度まとまって展示されるのは今回が初めてではないか。最初に迎えてくれるのが、狆だ。昨日の3枚目の写真がそれで、狆の土人形を左から右へと4個並べる。これは色つけをどういう手順でするかを示したもので、肝心の土人形本体そのものをどう作るかはこのケースの中では紹介されていない。伏見人形は大きく分けて、型を作る職人、その型を使って土人形を焼く職人、そして焼き上がった土人形に白の絵具を塗り、その後華麗な彩色を施す職人という3つの役割がある。最初の型作りは、前述のように、丹嘉では所蔵する古い型を使うので、ほとんど必要がない。丹嘉を紹介する雑誌や映像では、たいていこの3番目が強調され、土を型に込め、それを取り出して土人形を焼く工程は省かれる。企業秘密とでもいったものがあるからか、それとも外注に任せているからか。伏見人形は型から作る量産品で、土はきめが細かいので型の細部まで再現出来るものの、やはり型には完成品としての土人形にない気迫がある。これは複製はオリジナルの1点ものにかなわないことをいみじくも示していて、いかに型を作った職人の才能が高かったかを証明している。今回の展示ではわずかだが、そうした型も展示されている。断っておくと、型には雄と雌の2種がある。まず最初に雄型を作り、その全体に土を被せ、ふたつに割って雄型を取り出すと、残ったものは雌型となる。それを焼いて硬くし、そこに土を埋め込んで張り合わせると、雄型と同じ商品としての土人形が得られる。丹嘉が所蔵する雄型を網羅した本が昔非売品で製作された。それは丹嘉の全面的な協力によって生まれたもので、伏見人形の資料集としては白眉だ。今回の展示はその本で紹介される作品から選ばれたと言ってよい。最後におまけとして、先月京都市役所前のフリー・マーケットで1000円で買った伏見人形の十二支を円形に並べた写真を。これは以前から所有していたものを3個混ぜるなり交換するなりした。
●『伏見人形展-我国の土人形の元祖をたずねて』_d0053294_106048.jpg

by uuuzen | 2013-08-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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