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●忠犬ノラ公、アゲイン
犬ノラ公」と題して8年前に投稿した。当時はまだ冒頭に同じ文字を使わないように留意していなかった。それが理由でもないが、何を書いたのか記憶にないが、「忠犬ノラ公」という題名は覚えている。



筆者は犬を飼ったことがないので、深い親しみを抱いたことはなく、このブログでもほとんど犬について書いたことがない。今日は珍しくも犬に言及するのは、写真が3枚たまったことと、2日前にTVで見た犬のかわいそうな姿がとても印象的であったからだ。筆者は若いタレントや俳優、歌手などの名前はめったに覚えないが、たまに例外もある。それは好感を抱いているためでもない。それはさておき、ベッキーというハーフの女性タレントが捨て犬を2匹部屋の中で飼うというコーナーがあった。自宅なのかスタジオなのかわからない。犬はその部屋のちょっとした窪みにせせこましく入り込み、めったなことにはそこから出ようとしない。双子のように似た白いラブラドール・レトリバー犬だ。これが2匹とも人を信用しなくなっている。それでも食べずにはおれないから、ベッキーは餌を入れた容器を前に差し出して窪みから誘い出そうとする。2メートルでは駄目で、1メートル前までに接近したところでようやく出て来て食べる。よほど以前の飼い主に残酷な仕打ちを受けたのだろう。あるいは野良犬になっている間にさんざんいじめられたのかもしれない。いかにも情けない表情をし、ベッキーの顔をまともに見ない。心に傷を負ったこういう犬をどう癒すことが出来るのだろう。来週はその続きが見られるのかもしれないが、ベッキーはよほど根気よく接する必要がある。慣れる前に親しく接することを放棄すると、犬はさらに人間不信に陥るだろう。何より興味深かったのは、弱り果てたような犬の表情で、それをまた尻尾を元気よく振らせるにはどうすればいいかと筆者なりにあれこれ考えた。犬を飼ったことがないのにそのように気になるのは、あまりに憐れであるからで、またその向こうに見え隠れする人間の惨い仕打ちを思って暗澹たる気分になる。犬は飼い主が悪人であってもなつく。飼い主に絶対的な信頼を寄せる。それが裏切られたと感じることは、死ぬことに等しい。ペットとして飼い始めるのはいいが、すぐに飽きて捨てたり、まともに育てずに飼い殺しする人は少なくない。そういう勝手な人間に飼われるペットはかわいそうだが、それがペットの運命とも言える。飽きられればおしまいだ。人間関係でも同じことが横行している。そして、飽きることは正しい本能とされてもいる。飽きるからこそまた別の対象に心を寄せ、当人の人格が広がって行くと好意的に思われている。人間同士ですらそうであれば、ペットなどもっとはかないものだ。
●忠犬ノラ公、アゲイン_d0053294_054789.jpg

 一昨日、下鴨に建った売茶翁の石碑について書いた。その時載せていない写真が2枚あった。うち1枚を今日使う。もう1枚は2,3年先になると思う。傘を差しながら石碑の写真を撮った後、北大路橋を西にわたりながら、橋の東南方をふと見ると、セントバーナードだろうか、1匹の白黒の老犬がバス通りを北に、つまり石碑のある方向にわたろうとしている。車は盛んに通るから、轢かれるかもしれない。それで少し立ち止まって見続けたが、犬は横断を諦めたのか、車をやり過ごしている。跳ねられることを知っているのだ。あたりまえか。その付近は下鴨でも最も金持ちが多く住む地域で、その犬はまさか野良犬ではあるまい。毛が多いので首輪は見えない。飼い主が犬にリードを取りつけずに散歩させることは禁止されているだろう。犬が好きな人ばかりではない。飼い主がいくら噛まないことを力説しても、公道で勝手に歩き回る、走り回る犬に遭遇すれば身がまえてしまう人は多い。そんな臆病さを犬は感じ取り、なおのこと接近する場合は往々にしてあり、時には咆え、またじゃれついた挙句、噛むこともあるかもしれない。そういうことは飼い主はよく承知している。ところが、毎日の散歩となると、馴れが出てしまって、少しくらいの距離なら放してもよいと考える。それはさておき、その犬は一瞬の車の途切れを見つけて道を横断した。そして鴨川左岸の堤上を北上し始めた。すぐに売茶翁の石碑で、その付近であちこち草の匂いを嗅いでいる。周囲を見ると飼い主の姿はない。これはやはり野良犬か。筆者は2,3分の差でその犬に遭遇せずに済んだ。まさか筆者のいる橋の上まではやって来ないだろう。犬は慣れた場所なのかどうか石碑の周辺から今度は河川敷の遊歩道に降りた。雨なので、歩く人はほとんどいない。いつまでも犬の姿を見ていても仕方がないなと思った途端、筆者くらいの年齢か、ひとりの男性が犬と同じように通りを横断し、石碑に向かって堤を北上し始めた。その姿を犬は認めた瞬間、駆け足で北に向かった。男と犬の距離は50メートルから100メートルほどに開いた。男が飼い主であるのは間違いない。主人がいつものように散歩に連れ出してくれたのだ。そして主人の姿を見て喜んで遠くに走る。たっぷりと散歩したいのだ。その犬は幸福だと思った。緑が多く、散歩を邪魔するものはない。同じ犬でも狭い小屋で終日囚人のように置かれるものもいる。
●忠犬ノラ公、アゲイン_d0053294_0544276.jpg 松尾橋東詰めから徒歩2分ほどのところに以前木工店があった。オープンして2年も経ったろうか、最近店をたたんで出て行った。すぐに内装業者が入り、2,3日前に看板も上がった。ペット・ショップになることは内装工事からわかっていたが、犬の美容院だ。隣りは地元では有名は美容院であるから、人と犬が隣り合ってちょうどよかったかもしれない。開店は今月17日で、もう1週間ほど先だが、すでに大きなウィンドウの向こうにはアクリル絵具でかわいいマルチーズを巨大に描いた布が垂れ下げられている。目がくりくりとして、犬好きにはたまらない愛らしさだろう。飼い犬に衣服を着させることは珍しくないが、その次の段階として、女性が美容院にたまに行くのと同じように、犬もきれいに手入れをしてもらうことが流行するのは自然の成り行きだ。犬好きにとって、犬はもはやわが子と同じなのだ。そしてあっと言う間に大きくなるわが子とは違って、犬は忠実であるし、あまり大きくならない品種がある。あるいは自分の子どもより犬の方がかわいいとまでは思わなくても、子どもが巣立った後のさびしさを犬は慰めてくれる。それで犬を飼い、人間と同じほどの美容を施しても惜しいとは思わない人は今後も増え続けるだろう。前の木工屋と今度の犬の美容院のどっちが人気が出るかと言えば、後者に違いない。木工ファンの10や20倍の犬ファンはいる。木工製品は物に過ぎないが、犬は人間に対して愛情表現が出来る生き物であり、また自分の地位にふさわしい身だしなみを施してやることが出来る。これは単なる物とは違って、こちらの思いや行為に応じてくれる双方向性の楽しみを持った存在だ。一昨日、またその犬の美容院の前を通りがかった。すると、面白いことにガラスの扉の向こうから一匹の白いマルチーズが躍り出て来た。そして筆者の方を見つめる。アクリル絵具で描かれたのはどうやらその看板犬だ。絵の方はより目が大きいが、それは道行く人に振り向いてもらうための一種の媚びだ。それはマルチーズのものであり、店主のものでもある。そして、そういう媚びに即座に反応する人がたくさんいる。本物の女には関心はないが、描かれた少女の裸には勃起する男子が今は多いと聞く。そういう時代にこの店の垂れ幕絵はなかなかよく出来ている。プロに描かせたのかどうか、かなり素人っぽい仕上がりがまたよい。それは手作りのていねいさと、ごく一般的であることを匂わせ、料金はさほどでもないことを謳ってもいる。それにしても、客はこの垂れ幕絵とそっくりなマルチーズが店主に飼われていることに大喜びするだろう。犬好きではない筆者でもしばし微笑んで立ち止まった。すると犬の背後から若い女性が少し姿を見せ、筆者に会釈した。なかなか雰囲気はよい。何の商売も定着しない店だが、そのジンクスを今度は破ってほしい。このような店できれいにしてもらった忠犬が、いつか野良犬になり下がるというのはあまりに悲しい。飼い主はどうかこの店の垂れ幕絵を見て、犬の絶対的忠信を心の留めてほしい。さて、3枚目の写真は伏見人形だ。これの説明は明日しよう。
●忠犬ノラ公、アゲイン_d0053294_0545889.jpg

by uuuzen | 2013-08-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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