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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●売茶翁の石碑
は鱒の仲間で、鮭と鱒は明確に区別出来ない場合があるようだ。昨夜の投稿を今朝見て気づいたのは、キャプテン・ビーフハートのアルバム『TROUT MASK REPLICA』を『鮭仮面の複製』と書いたことだ。早速鮭を鱒に直した。



「TROUT」が「鱒」であることくらいわかっているはずなのに、昨夜は「鮭」と書いてしまった。これは鮭のことをここ数日、たとえば百貨店の中元売り場で見かけた荒巻鮭の1本を初めとして、何度か思ったからでもある。それに『TROUT MASK REPLICA』は日本語訳の題名がついたことはない。「ますかめん」よりも「さけかめん」の方が音韻的にはよい。そんなこともあって、「鮭仮面」と書いてしまった。今朝それがまずいことに気づいて「鱒仮面」と訂正したが、運のよいことに、このブログの冒頭の一字にまだ「鱒」も使っていなかった。それで今日は「鮭」からまた始める。それにしても「鮭仮面」とはビーフハートも変わったものを見つけて来てそれを被って写真を撮ったものだ。「複製」とあるが、実際は本物の「剥製」かもしれない。大きな鱒を釣った人が記念に拓を取るよりも、そのものずばりを保存したかったのではあるまいか。鱒や鮭は大きなものになると、アイヌの衣服に牛革のように使われるように、その皮はかなり厚いだろう。つまり、剥製に出来ると思う。そんな剥製の頭の部分だけを所持し、仮面のように被る態度は、考えとしては突飛だが、面白半分としてはよく理解出来る。それはともかく、キャプテン・ビーフハートのことを書いても、このブログを読む人はほとんど何のことかわからない。ロック・ミュージシャンではあるが、奇妙な詩人兼画家と言った方がよく、流行から超越していた。そのため、経済的にはとても苦労した時期があったが、そんな時、少年時代からの友人のザッパが一緒にコンサート・ツアーに出かけることを誘うなど、援助した。それでもそれは一時期のことで、その後自分のバンドを再結成してまた名を復活させはするが、最晩年はどのように稼いでいたのだろう。絵がずっと高値で売れ続けていたのかどうか、ビーフハートの経済事情に関しては情報がない。あるいは筆者が知らないだけかもしれないが、ザッパのように毎年億単位の稼ぎがあったはずがない。それでもビーフハートは淡々として生涯をまっとうしたはずだ。金で買えることは多いが、買えないことはもっと多い。ビーフハートの内面は誰も奪うことが出来なかったし、ビーフハートは充実した思いで人生を過ごしたろう。
 ビーフハートの音楽を筆者は一時期よく聴いた。今でもたまに聴くことがあるが、新たな発見はない。最初に聴いた時の印象が変わらずに持続している。それは音楽を聴いている時が楽しいのはもちろんとして、その人柄が偲ばれるからだ。誰でもそのようにして音楽を聴いていると思うが、筆者にとってはビーフハートの場合はその最たるものと言ってよい。簡単に言えば、音楽よりも人柄が好きということだ。会ったこともないのに、なぜそんなことが言えるのかと謗られそうだが、音楽からひしひしと感じるのだ。で、ビーフハートの人柄をどのように感じているかだが、優しいとか逞しいといった月並みな形容詞では表現出来ない。であるからこそ、ビーフハートについて思い始めると、その顔を初め、全体像が心の中でくっきりとして来る。そして、筆者は言葉ではなく、テレパシーでビーフハートと話し合っている。ザッパにはそういうことを感じたことがない。筆者はザッパよりビーフハートの方が好きなのかもしれない。話は変わる。わが家の3階は仕事場にしているが、友禅の作業のために部屋に鉄の棒を何本か立てる必要があった。それを家を買った時に不動産屋に頼んだ。最初のものは細くて柔らかく、使いものにならなかった。それで再度依頼した。すると、不動産屋は鉄工所の主とその雇用人を2名連れてやって来た。その時驚いたのは主の顔だ。ビーフハートそっくりであった。それが面白かった。寡黙な人で、また鉄を長年扱って来た風格がある。学はないかもしれないが、簡単なことでは動じない貫禄があった。それでいて偉そうなところがない。話をしたのは10分程度だったろうか。後日、鉄の棒が運ばれ、筆者が指定した位置に取りつけられたが、あいにくその日筆者は家にいなかった。そのため、主には会えず、その後ももちろん会うことはなかった。それでも鮮明に覚えているのは、よほど印象深い、あまりどこにでもいるようなタイプの男ではなかったからだろう。年齢は筆者より10数歳上のようであったから、生きているならば70代半ばから後半か。その鉄の棒がこれ以上頑丈なものはないというほどで、今も取りつけた当時のまま、どこもガタつきがない。さて、前置きはこのくらいにして本題に入る。最近知ったが、売茶翁を顕彰する石碑が北大路橋の東畔に建てられたことを知った。京都新聞を読んでいればすぐにわかったはずだが、筆者は新聞を取っていない。NHK京都放送は毎日見ているから、それで取り上げられれば情報がもっと早く得られたのに、NHKでは放送していないだろう。それほどに一般的ではない出来事と言ってよいのかもしれない。売茶翁とビーフハートでは、日本ではどちらが知られていないだろうか。どっちもどっちで、両方を知っている人は少ないかもしれない。ビーフハートが鱒で売茶翁が鮭と言うつもりはないが、どちらも例外的な存在であったことでは同類で、しかも詩人だ。
●売茶翁の石碑_d0053294_1593076.jpg

 若冲は売茶翁の肖像画を何度も描いていて、売茶翁の顔や姿は若冲が最も真に迫ったものを描いたとされている。確かに若冲画の売茶翁の顔はどれも似ている。理想化はされていると思うが、実際の売茶翁は若冲が描くよりもっと激しい顔をしたかもしれないし、その逆であったかもしれない。これは若冲の人間の器としての大きさが関係する問題である一方、その若冲描く売茶翁像を見る人が売茶翁をどのような人間であったかと考えること、すなわち若冲画を見る人の器の大きさに関係することでもある。ということは、若冲画の売茶翁像を元にして、そこから実際がどうであったかを考える自由が誰にでもある。そして、筆者が若冲の売茶翁像を模写ないし参考にして描けば、また若冲画とは違う印象を与えるものになるだろう。肖像画の面白さはそこにある。だが、そういう人間対人間の激しいとも言える対峙が好きでない人の方が多いだろう。それで花や風景がよく描かれる。本当はそれらも画家の人格を表わし、その絵を見る人の人格が試されるのだが、肖像画ほどではない。それはさておき、売茶翁の石碑を見に行ったのは2日前だ。小雨が降っていたが、すぐにその場所はわかった。北大路橋の上からでも石碑の背面が小さく見える。その場所は「半木の道」の起点ないし終点で、鴨川の左岸の桜並木の南端だ。なぜそこに石碑が設置されたかと言えば、売茶翁の詩に因んでいる。売茶翁は道行く人に一杯の茶を売るという、当時の職業でも最も賤しいとされたことをした。だいたい還暦頃から四半世紀だ。いつも同じ場所ではなく、京都市内の各地に赴いた。西は嵐山まで来たはずで、どこに石碑が建てられてもよかったが、北大路橋辺りならば、下鴨や松ヶ崎に近く、京都では最も知識人が多く住む。そういう場所が売茶翁にはふさわしいと考えられたのではないか。売茶翁が住んでいたのは現在の京都国立博物館の少し東の家が建て込んだところで、同博物館の中庭でもよかったが、そこには石塔やその他の設置物があって、目立ちにくい。それはともかく、売茶翁の石碑が今までなかったのは不思議な気がする。だが、若冲ブームが2000年に開催された展覧会以降沸き起こり、それに伴って売茶翁もよく知られるようになったから、時機がちょうど熟したということだ。売茶翁の漢詩は茶色の石に彫られている。これは売茶翁の筆跡ではない。それが残念で、売茶翁の書から選ぶことが出来なかったのだろうか。この石碑はてっぺんから裾にかけての形状が朱衣を被った達磨を思わせる。この石碑の向かって左に、小ぶりの黒の御影石の石碑が並ぶ。若冲画の売茶翁像を刻み、漢詩の和訳、そして売茶翁の生涯を簡単に記す。背後には大きな桜の木があるので、春は見事だ。若冲ファンにとって新たな訪れるべき場所となるのは間違いない。府立植物園がすぐ近くなので、そこに足を延ばすのもよい。あるいは河川敷を下って四条辺りまで行くか。
●売茶翁の石碑_d0053294_20169.jpg

 売茶翁の還暦以降のことはたくさん残されている書からだいたいわかる。それでまず思うのは、生きるためには食べねばならず、食べるためには金か食べ物を得ねばならないことだ。黄檗宗の禅僧であった売茶翁は、当時の仏教界のあまりの腐敗ぶりに嫌気が差し、還俗して茶売りを始めた。ということは黄檗宗とも関係がなくなったが、現在では宇治万福寺には売茶翁を顕彰する小さな建物があり、そこで茶会が開かれる。売茶翁は還俗しても仏教を棄てたのではなく、よりいっそう禅、達磨に帰依したと言ってよい。茶を売りながらでも、人を仏教の教えに導く方法もあると考えた。売茶翁は坊主が大きな寺に住み、華麗な袈裟を着てふんぞり返るのが大嫌いであったのだ。そのため、餓死するかもしれない茶売り生活に入った。収入を得るにはもっとほかの方法もあったかもしれない。たとえば上田秋成がそうだ。彼もまた晩年は経済的に困窮し、食べるものも食べられない生活であった。それを見かねた人が、和歌でも教えれば授業料がもらえるのにと言ったが、そんなことで収入を得ることは嫌であった。それほどに秋成は誇りが高く、そのことを揶揄する者が今でもいるが、筆者は秋成の思いがわかる。売茶翁は還暦近い年齢になれば肉体労働は無理であるから、か弱い女や子どもでも出来る茶売りがよいと考えた。これは世間の最下層に身を沈めることだ。偉いお坊さんならばもっと気楽に尊敬されて生きて行けるものを、なぜ好んでそんな生き方をするのか。そのように嘲笑した僧は多かったであろう。あえてそのような生き方を選んだ売茶翁であることを考えねばならない。それは全く野にある姿で、肩書きや地位とは無縁だ。そういう人物が死んで250年も経って顕彰のための石碑が建てられるのであるから面白い。だが、筆者は売茶翁がそんなものを喜んでいるとは思えない。売茶翁はどこか特定の場所に縛られなかった。売茶翁のことを思のは、いつどこでも可能だ。こうして書いているこの瞬間でも筆者の心の中には常に同じ姿でたたずんでいる。売茶翁を慕っていると思う人たちが茶会を開くことについてとやかく言うつもりはないが、そうした人たちは、一度でも雨を凌げない場所に行き、最も賤しいとされる仕事に携わろうと考えたことがあるだろうか。売茶翁が茶売りをしたことのその精神を考えて実行しないのであれば、何の意味もない。単においしい茶を飲むだけなら、自分で買って来くるか、喫茶店に行けばよい。問題は茶売りではなく、生き方だ。何を考えて生きるか。
●売茶翁の石碑_d0053294_2049.jpg

 このことをここ数日筆者は考えた。いわゆる賢いと言われる知識人が、無学な肉体労働者より人間として格が上だろうか。世間に名を轟かせる人が、無名のままで生涯を終える人より偉いだろうか。筆者がビーフハートや売茶翁のことを心に留めていることが、そうでない人よりも尊いだろうか。あらゆることは人によって見方が違う。絶対的なことはない。それがあるとすれば、そう思う心だけで、他人がどう思おうが自分はこう考えるという態度だ。それは他人から見ればただの頑固で何の価値もない場合がほとんどだ。人はそのように誰もが違う。何が正しいかは自分で見つける。ところが、人生は多くの人との出会いの連続で、正しいと思ったことに進めない場合が往々にしてある。僧侶は妻帯しなかったから、一般人よりも世間のしがらみから解放されていた。秋成は妻が先に死んで、しばらくは立ち直れなかったほどに孤独を囲ったが、売茶翁はそんな思いに囚われたことがなかったであろう。その分、心の晴れは多かったのではないか。ただし、人間が生きて行くには食べねばならない。茶売りで稼げる金は少ない。たまには葬式にお経を唱えた後にお下がりに食べ物をもらうこともあったが、そういう場合、与える方は乞食坊主に残飯を投げ与えるかのような態度だ。そういうことも耐え忍びながら、つまり人間の最も醜い部分を見ながらでも生きて行かねばならない。売茶翁の時代と現代がどれほど違うかと言えば、何も変わっていないかもっとひどくなったと見てよい。売茶翁が今京都のどこかで茶売りをしていれば、警官が真っ先に飛んで来て交番へ連れて行くか、子どもに石を投げられるだろう。茶売りが現実的でなければ、「BIG ISSUE」の雑誌を売っている姿を思ってもいいかもしれない。ただの失業者としか見られず、その人がいかに高邁な精神を持っていて、詩を書くことが出来るとしても、誰も見向かない。肩書きとそれにふさわしい学歴や身なり、身のこなしこそが大事で、人間の見えない中身などどうでもいい時代だ。「増す仮面 右も左も のぺらぼう」
●売茶翁の石碑_d0053294_20297.jpg

by uuuzen | 2013-08-04 22:59 | ●新・嵐山だより
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