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●「MISIRLOU」
幅のよいことを今ではメタボと言うのかどうか。20代半ばで発表したギター曲「ミザルー」を73歳のディック・デイルがステージで演奏している姿を収めたYOUTUBEを先ほど見て驚いた。



●「MISIRLOU」_d0053294_052401.jpgまだ現役でバリバリ演奏しているようだ。半世紀も同じ曲を引っ提げ、観衆を熱狂させるのであるから、芸能人とはいえ、見倣うでき貫禄だ。月末の今日、昨日まで何の曲を取り上げるか迷っていた。それが午後になってCD棚にディック・デイルの3枚を見つけた。サウナ状態の熱気こもる部屋で大音量で聴きながら、海辺を思い出した。ディックのCDは毎年今時分になると聴きたくなる。浜辺のサーフィンを思い出させるところ、筆者の思いは万人に共通したものと言える。日本でも夏になれば活動する男性歌手がいた。ディックもそのうちかもしれない。ディックのギター・サウンドはアメリカ西海岸で生まれ、サーフ・ギターの王様などと評される。左手で弾くその独特のギターの音色は、誰もが一度は聴いたことがあるが、日本では代わってヴェンチャーズが人気をかっさらい、ディックの名前はほとんど「ミザルー」1曲で知られるのみだ。10代半ばでボストンからカリフォルニアに移り住み、その8年後の1962年に「ミザルー」を大ヒットさせる。アメリカ東部から西海岸へと転居したのはザッパと同じで、また音楽を始めたのも大差ない。そして先に人気を得たのはディックだ。ザッパがその奏法を意識しなかったはずはないだろう。そのことは後述するとして、筆者が「ミザルー」を最初に聴いたのはビートルズが有名になった頃、60年代半ばであった。当時のラジオでよくかかったし、70年代になっても民放の音楽番組のテーマ曲になっていたと記憶する。今の若い人はタランティーノ監督の『パルプフィクション』で知ったと思うが、その映画で使われた時、えらく懐かしい曲を引っ張り出して来たなと思った。ともかく、タランティーノが映画に使ったおかでリバイバルしたのではないだろうか。毎年日本に来るヴェンチャーズとは違って、ディックはかなり地味で、損をしている。これはヴェンチャーズが他人のヒット曲からクラシックの古典、それに歌謡曲までカヴァー演奏する量産主義の前ではなおのことかすむ。ディックのレパートリーは彼らほど多彩でもまた数も多くない。それだけ商売熱心ではないというのではなく、自分が演奏したい曲にヴェンチャーズより忠実であったからだろう。自分のカラーを大切にして来たと言ってよい。それはどんなものかと言えば、「ミザルー」にすべてが表われている。と言えば、ディックは自分の最初の栄光に半世紀も縛られ続けて来たことになって、才能の乏しい音楽家と思われかねないが、何でも屋のヴェンチャーズとは違って、大きな特徴を最初から獲得していた点で天才と称してよい。
●「MISIRLOU」_d0053294_0525647.jpg

 筆者が今日最初に聴いたのはRHINOから出ているベスト盤で、そのジャケットにはおそらく20代のディックの写真が使われている。ジャケット表は白黒のコントラストが強調されるので顔の細部はわからないが、ブックレット裏面にはサーフ・ボードと一緒に写った同時期の白黒写真が全面に印刷される。俳優のような顔立ちと逞しい肉体で、当時はかなり女性に持てたに違いない。これらの写真からは、音楽をやるような若者には見えない。当時西海岸には無数のサーファーがいたはずで、そういう連中に混じって遊びながら、一方ではギターの演奏を得意としていたが、サーフィンもギターも当時の彼にとっては同じだけ面白いものであったのではないか。そのため、奏でるギター・サウンドはサーフ・ギターと称される音の代表格になった。つまり、ディックはサーフィンで時間を費やす経験があったからこそ、「ミザルー」の大ヒットを得たということだ。とすれば、サーフィンの腕前もそうそうのものであったろう。ところがサーフィンでは音楽が大いに売れた結果の収入は得られない。そうしてサーフィンよりも音楽に邁進することになったのではないか。若い頃のディックの体格はメタボからほど遠く、また線の細さもない。ちょうどいい肉体美で、そうした身体を維持する力がギターの奏法に影響したであろう。ディックの曲はどれも図太さがあって、これは通常よりも太いギターの弦を使うことと、ピックで力任せに弦をかき鳴らすことによる。トレモロはマンドリンでは普通に使われるが、それを弦の太い大きなギターで用いるにはそれなりの訓練と力がいる。それをディックは「ミザルー」で全編において駆使した。その今までに誰も聴いたことのない音色が歓迎された。ギターの太い音色は、実は今日取り上げようかどうか迷った、デュアン・エディのトワンギー・ギターもそうだが、ディックの特徴は音の広がりを意識したリヴァーブ処理と、そしてトレモロ奏法にあって、日本ではヴェンチャーズの「テケテケ」で馴染みになったトレモロ・グリッサンドも「ミザルー」には使われている。ついでに書いておくと、デュアン・エディはディックより1歳下で、サーフ・ギターではなく山間部の土臭さを表現する。ディックがそうしたカントリー調の曲を演奏しないかと言えば、そうではない。アメリカで大きな人気を得るにはカントリー・アンド・ウエスタンは無視出来ない。だが、そうした分野のギターの巨匠に腕を並べるとなればサーフ・ギターで売ったディックはハンディがある。それで半世紀の間、サーフ・ギターの代名詞に沿った活動を続けている。ヴェンチャーズは毎夏日本に出稼ぎにやって来るが、ディックはアメリカで同じように出番があるのだろう。幸いなことにYOUTUBEでは20代から70代までの演奏を見ることが出来る。
●「MISIRLOU」_d0053294_0531951.jpg

 「ミザルー」は途中でトランペットのソロがある。なぜそのパートをディックが演奏しなかったのだろう。ディックは歌わないから、曲を多彩にするには、音色の違う楽器がほしかったのだろう。レコード会社の要請もあったかもしれない。また、ヴォーカリストをゲスト出演させると、自分のギターがかすむ。そこにギターのみで立つミュージシャンの難しさがある。筆者は「ミザルー」を最初に聴いた当時、トランペット奏者の曲と思っていた。だが、その割りにはトランペットの出番が少ない。一方、ヴェンチャーズはトランペットやサックスといった管楽器を使わず、ビートルズと同じ4人編成で歌を省いたアンサンブルで、その方が「ミザルー」よりも先進的な感じがした。トランペットを主役にしたムード音楽は60年代に大いにはやり、いずれこのカテゴリーでもそういった曲を取り上げるつもりでいるが、「ミザルー」はそうしたムード音楽にどちらかと言えば傾斜していたように感じたのは、色気のあるトランペット・ソロのためだ。当時のTVに出演したディックとそのバンド、デルトーンズの映像がYOUTUBEに投稿されている。そこにはやはりトランペット奏者がひとり混じり、ディックひとりが数人の伴奏者より一歩前に出て演奏している。ビートルズもヴェンチャーズも4人が横並びで、ひとりだけ前に出て目立つバンドは、ヴォーカルを主体にした場合はあっても、インストルメンタル・バンドでは珍しかったのではないか。それほどにディックは主役としての才能があり、また格好よかったからで、バックのメンバーは誰が担当してもよかった。とはいえ、「ミザルー」はドラムスがなかなか激しい音を出し、またかすかに聞こえるリズム・ギターの切れもとても印象的で、とても62年の古さを感じさせない。それほどに斬新な曲はそうは生まれない。かくてディックはこの1曲のみで音楽の歴史に長く名を留めるに違いない。ではどうして爆発的な人気を獲得したか。この曲は題名がまず変わっている。スペリングは別にあるようだが、筆者はライノ発売のベスト盤に倣う。作曲者名として4人が記されているが、ブックレットの説明によれば、40年代のギリシアのヒット曲という。そうした曲がアメリカに入って来ていたのは、さすが多様な人種が住むアメリカだが、ディックの父はレバノン、母はポーランドの出身で、この地中海と東欧の血筋はディックの音楽に大きな、圧倒的な影響を与えている。ザッパはこの曲から感じ取り、また後年大いに触発されたと言ってよい。あるいはザッパはこの曲の祖先となった民族音楽に関心を抱き、後年の糧とした。ともかく、ディックとザッパは共通点があり、トレモロ・グリッサンドについてはザッパは73年のアルバム辺りから使い出し、それはディックからの感化とみなしてよいだろう。
 だが、直観で演奏するディックに対し、どちらかと言えば理詰めで作曲するザッパで、理論豊富なザッパの方が多作で多彩な曲を書いた。では、直観に頼ったディックがうすっぺらいかと言えば、「ミザルー」から明らかなように、オリジナリティは高い。通俗的でありながら、普遍性もあると言えばよいか、なかなか手ごわい様子は70代になった顔や身振りからも伝わる。若い頃に比べて恰幅がよくなった分、顔の表情にも深みが出て、大御所ぶりが否応なしに滲み出ているが、アメリカではたいていの高齢になった有名ミュージシャンがそのようになる。長年忘れ去られずに業界で生き抜いて来た者特有の迫力と言えばよいか、演奏に多少の粗があってもそれをものとも感じさせない。若い人はそれを老いさらばえた姿と捉える場合が多いかもしれないが、そんな人も50や60を越えるとわかるようになる。筆者は若い頃のディックより、老いてからの方が顔も演奏も好きだ。「ミザルー」の中年以降の演奏をYOUTUBEで見ると、62年の録音のようにトランペットを使っていない。全編を自らのギター・ソロで通し、また単調さを避けるためか、スペインの名曲のメロディを一部取り入れている。その原曲の名前がなかなか思い出せないが、たとえばペレス・プラードの「闘牛士のマンボ」や「チャチャチャ・フラメンコ」に通ずるメロディだ。ギター曲はスペインが王国と言ってよく、そのスペインにアラブが混じり、またスペイン音楽は南米に移植されたから、ディックが「ミザルー」を改変して来たのは、ワールド・ミュージックのひとつの先駆であり、またその流れに沿った行為と言える。そういう一種多国籍ぶりがディックの音楽の特徴で、60年代の日本のヒット曲にもそういう味は一時好まれたが、その後鳴りを潜めたのは、あまりにエキゾティックな雰囲気に見合う歌詞が書きにくかったからだろう。そこにザッパの曲のメロディが日本で受容されにくい原因があるとも思える。ライノのベスト盤には63年録音の「HAVA NAGILA」という曲が収められている。これはイスラエルの曲で、ジョン・ゾーンの「MASADA」に収めてもいいようなメロディを先取りしているのが面白い。ユダヤのジョン・ゾーンにすればイスラエルと一緒にされては憤慨するかもしれないが、音楽は国境を越えて広がる。ともかく、出自を自覚したかのようなディックの音楽がアメリカで今なお歓迎されているのは、小さな国粋主義で固まる国とは違っていかにも解放的で、多様主義とでもいう文化のアメリカの自由さを改めて認識する。今YOUTUBEでビートルズのそっくりさんが演奏した「ハヴァ・ナギラ」を見つけた。ビートルズが解散しなければ、これに似た曲を演奏していたかもしれない。彼らにとって新しいメロディを追求するとなると、その方向しかなかったであろう。ま、それをディック・デイルやザッパが早々にやったのだが。
by uuuzen | 2013-07-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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