軌跡ではなく奇跡が題名に使われている。奇跡は奇人を連想させ、本展がいかにもアメリカ人好みの江戸絵画を展示するものであることを匂わせる。漢字は便利なものだ。

昨日だったか、韓国では義務教育で徐々に漢字を教えなくなったので、同音意義語を理解しない人が多いとネット・コラムに書いてあった。あまりにもその弊害が大きくなったので、また教える漢字を少し増やしたと聞いたことがある。それが20年ほど前ではなかったか。今はどうなのだろう。韓国ドラマを見ていると、ハングル文字が生まれる以前の時代劇では漢字の手紙や屏風などが小道具によく使われる。それがことごとく稚拙で、いかに韓国で漢字を毛筆で上手に書く才能が少なくなっているかがわかる。ハングルを毛筆で書く文化は健在なようだが、それは漢字の複雑さにとてもかなわないから、漢字を書いた時にぼろが出る。とはいえ、今の日本でも同じかもしれない。開高健や富士正晴といった文豪と呼ばれる人の筆字がどれも漫画で、明治生まれの歴史に残っているような人たちには逆立ちしてもかなわない。それでもまだ日本は韓国よりはるかに漢字の国であり、若い書道家も育っている。それはさておき、ハングルばかりの表記では、日本の平仮名ばかりの文章と同じで、同音意義語の判別に戸惑うことが多いはずだが、そこは文脈から瞬時に推定してさほど問題は生じていないのかもしれない。それでも日本の平仮名の筆字は平安時代の流麗なものから、今の若者の丸文字まであって、やはりハングル以上に多様な表情の歴史を持っているだろう。ただし、ハングルに漢字が適当に混ざっている文章と、漢字、平仮名、片仮名、それにアルファベットもよく混在する日本の文章とでは、どちらがすっきりしているかとなると、前者と言ってよく、そのことがパソコンでの入力や表示にどれほどの合理性の差が出て、そのことが数百年単位の長い経過の間に両国民の考えや資質の差にどう影響するかと思う。筆者はこのブログを書くのに、時にとてもイラつくことがある。それは入力のIMEの「あ般」がいつの間には半角英数の「A般」に変わっていることがあって、それを元に戻すのにとても苦労するからだ。IEを開き直した画面ではいくら表示を切り替えても駄目で、どうやらトップ画面のIMEを切り替えてからでなければならないようで、そうした手間及びいまだに判然としない切り替え方法にうんざりする。これが欧米では「あ般」はないわけで、パソコンの文字入力からして日本は欧米より著しくハンディがある。そのような言語が世界で普遍的になることは考えにくい。そのことからしても、数百年しない間に日本は日本語を棄てるのではないかと思う。
アメリカ人が日本美術に関心を持ち、そして作品を収集するようになることは今回の展覧会を初め、幾人かが知られている。彼らはどういうところに面白味を感じているのだろう。今回も一般公開前日の招待日に信楽のMIHO MUSEUMまで見に行ったが、開会式では本展出品作を所蔵するファインバーグ夫妻のうち、ベッツィー夫人が紹介され、挨拶をされた。最初少し日本語で話された後、通訳つきの英語に切り替わったが、江戸絵画のどういうところに魅せられたかといった突っ込んだ話はなかった。チラシを見ると、開会式の翌日は「アメリカ人の好きな日本美術」と題して学習院大名誉教授の小林忠氏が講演したようで、そこには筆者の疑問を晴らす内容が含まれていたかもしれない。筆者が思うに、アメリカ人は江戸絵画をわかりやすいものと思っているのではないか。文人画の山水は、よほど多くの作品を長年見続けなければ、ぱっと見てすぐに感動するといったものではないが、荒い、激しい、図太い筆致の水墨画は、子どもでもその迫力は感じられるし、言葉を超越したようなそうした絵画はまず最初に収集の対象になるように思う。それは「奇想」の言葉で有名になった蕭白、蘆雪、若冲の3人で、今回の展示にももちろん彼らは含まれた。これは江戸絵画の収集で有名なジョー・プライスも同じで、アメリカ人が好む江戸絵画はまずそうした「奇想」的なものとみなしてよい。それは簡単に言えばわかりやすい絵で、その「わかりやすい」は、別の言葉で言えば「絵に力がある」だ。それは筆さばきだけではなく、構図も大事だ。それに何が描かれているかも大事で、この画題に関しては花鳥、山水、美人画に大別され、しかもそれら各ジャンルの画題はさほど多くない。西洋絵画もその点は似たようなものだが、時代と国ごとに流派がたくさん生まれ、その多様性は江戸絵画に限った場合とは比較にならないほど圧倒的だ。つまり、江戸絵画は狭い画題の幅からもわかりやすく、また平明に描く点からもそうだ。これはさらに煮つめて行くと、図案のように単純化されることであって、ロラン・バルトの『表徴の帝国』も日本の、美術には限らないそういう物の見方を論じたもので、欧米人が見る日本美術の面白さは、描く対象から陰影を省き、記号のように単純化してもなお、何を描いているかわかるというあっぱれ感だろう。江戸絵画が簡単な図案のように蒸留され得るのであれば、それは漫画の絵とも近い。今は漫画絵にも複雑なものがあるが、その図案のような漫画でさえも作者によって個性が著しく違うのは、日本が深化させた多彩な世界だが、江戸時代の絵画はもちろん漫画絵以上に複雑で、その深化による多彩度も百花繚乱と呼ぶにふさわしい蓄積をした。そのことが、つまりは「奇跡」で、一旦その味に魅せられると、芋蔓式に隣接する画家たちの作品に目が行き、収集したくなる。
江戸時代はまだアルファベットは一般化しておらず、画家は平仮名、片仮名、漢字を使っていた。現代はアルファベットを使うどころか、英語その他の外国語を話す人は珍しくない。そういう日本になって来ると、江戸時代の絵画はどこか物足りないものに見えるかもしれない。そこで生まれたのが、日本の油彩画でもあったが、それが世界的に見て、つまり世界の美術史に革新的なものとして記録されるものであるかとなると、目下のところ、とても疑わしい。第一、明治の洋画家の作品を収集するアメリカ人があるだろうか。このことを日本は考えるべきだが、日本は日本独自の評価があってよいという見方が大勢を占め、世界に通用する、すなわち世界中の美術収集家から買い求められるような油彩画はほぼないに等しい。では、江戸絵画がなぜ人気が高いのか。そして、現代の日本はなぜその伝統をほとんど失ってしまったのか。もちろん今でも日本画家はたくさんいるし、彼らは江戸時代の絵画の伝統を背負っていると自負している。ところが、彼らの作品を喜んで買う西洋人がいることを聞いたことがない。これは江戸時代の絵画の伝統が途切れ、同じ日本から生まれた絵画であるのに、全くの別物になったという認識が強いからだろう。それはひとつには筆を自由自在に操って描く才能がなくなったためだ。花鳥画は現在も日本画の主流を占めていると言えるが、筆使いが江戸時代とは全然違う。それは西洋画を覚えた後のもので、その点では和洋折衷で、そこに積極的な意義を見出すことも出来るが、江戸時代の伝統が消えたことも意味する。個人の努力である程度その筆さばきを江戸時代並みに学ぶことが出来るが、それは例外であって、江戸時代のように裾野がない分、高みもしれている。パソコンの文字入力のIMEに、「あ般」と「A般」が混じることが現代の日本美術のあり方をいみじくも示している。では、日本がいつか英語を話す国になったとして、そこにどういう美術が生まれているかを想像すると、現在の日本画をより油彩画に近づけたものが人気を博しているだろうが、そういう試みは今までに行なわれており、どれほど新鮮なものが生まれるかとなると、筆者は悲観的に考える。そこでまた「江戸時代の奇跡」だ。これはファインバーグ夫妻の思いだろう。江戸時代が奇跡のような絵画を生んだのに、その後の日本は金持ちにはなったが、美においては鈍化したのではないか。かといって、今さら江戸時代の美術に回帰して、それを深化させる試みが可能かとなると、これにも悲観的になる。
さて、本展は東京から巡回して来た。東京では2か月の会期中、10万人以上が見たという。MIHO MUSEUMでの展示も同じほどの人気があるかとなれば、会期が今月20日から8月18日までの1か月ほどだ。それに足の便が悪い。チケットには若冲の作品が使われている。大人気であったのは、若冲画が見られることもかなり影響したであろう。だが、圧倒的人気が若冲だけであるとすればさびしいもので、江戸絵画全般にそれほどの人気があるのかは多少疑問だ。今回は里帰り展で、めったに見られない作品がまとまって展示されるところに人気があったのだろう。それにアメリカ人が喜んで買ったというところに優越感を覚えるからだ。「どうだ、アメリカ人には真似出来ないだろう」という思いが多くの鑑賞者にあるはずだが、残念なことに、今の日本人にも真似が出来ない。いや、真似は出来るが、それは見るに耐えない醜悪なものになる。だが、前述のように、江戸絵画は画題の幅は狭く、画家はお互い見習い、また剽窃し合った。つまり真似し合った。その結果、ごくわずかに違うといった個性がたくさん生まれた。模倣の果てに、独自のものが生まれたが、もちろんそこには贋作という醜悪も大きく混じるから、結局最初は模倣したが、すぐにそれに気づいて独自の道を模作した者だけが歴史に残った。模倣から創作に至るのは西洋も同じであった。最初から創作などあり得ず、まずはその世界のしきたりにどっぷりと浸かる必要がある。しきたりから逃れられないものはやがて沈むし、しきたりを最初から無視するものは誰からも相手にされない。本展に展示される作品は、どれもあまり美術に詳しくない人が見ても、いかにも江戸時代であることがわかるだろう。それは日本では似た絵を見る機会が多いことと、まだ江戸時代の感覚を完全には忘れていないからだ。山水画はひとまずおいて、花鳥画は今でも馴染みがある。地球温暖化によって日本が熱帯化しつつあるとはいえ、まだ季節感を誰しも味わう。だが、床の間に絵を飾る風習は壊滅したも同然で、本展の出品作は用としての部分は忘れ去られた。そこに現在の画家がどのようにして才能で生きて行くかの難し問題が横たわっている。需要がなければ廃業するしかない。あるいはほしがられる商品を考案するか。そんな需要が現在の平均的な日本の世帯にあるとは思えない。絵はカレンダーやTV、パソコンで充分で、たまに本展のような展覧会を見るだけで満足だ。かくて現在の画家は芸大美大の先生で食って行くのが尊敬もされるし、また製作も多少は出来る。あるいは、画才以上に商才があればよい。いやいや、まず商才ありきで、それさえあればほかの才能などどうにでもなる。

ファインバーグ夫妻はどの収集品も自分たちがいいと思うものを買うそうだ。これは当然だ。そして、買ったものを小林忠氏に見せて意見を仰ぐ。そこには次はこんなものを買えばどうかの示唆はあるだろう。数がたまって来ると、系統立てて集めたいもので、それには画商の奨めだけでは無理があるだろう。今回の目玉は、チラシの表に全面印刷された葛蛇玉の「鯉図」のようだ。この画家の作品は珍しく8点しか発見されていない。有名なものはプライス・コレクションにある屏風だ。忘れないうちに書いておくと、筆者が出かけた招待日の開会式にはジョー・プライス氏も来ていたらしいが、いつもより椅子の数が多く、あちこち見回しても見つけられなかった。これもついで書いておくと、石峰寺の若い坂田住職は袈裟姿で見かけ、挨拶しておいた。同じくついでながら、今回筆者は家内のつごうがつかず、2年前から一緒に行こうと誘っていた、先日「渡月橋上流」の油彩画を描いた大志万さんを誘った。彼女は同じ自治会内のデザインの仕事をしているAさんを誘い、3人で出かけた。大志万さんはこの美術館は初めてで、一度は見ておくべきと言って誘った。次回の『根来展』もたぶん招待されると思うが、8月31日の土曜日だ。家内が無理なら、また誰かを誘うつもりでいるが、周囲に美術好きは稀で、たいていは筆者ひとりで行く。話を戻して、蛇玉の「鯉図」は一見して長崎派の影響が強く、若冲と同時代のこの謎めいた画家の位置がおおよそわかる。出島を抱える長崎だけが当時は輸入絵画の流入地で、日本にない面白い絵画を求める者はこぞって長崎に目を向けた。当時の輸入絵画は中国画と朝鮮画が大半で、油彩画は長らく途絶えていて、吉宗の時代にごくわずかにもたらされて江戸の寺で飾られた記録がある。現在のように情報の伝達が早くなかったが、新しい絵を求める貪欲さはいつの時代も同じであろうから、予想外のところで予想外の広がりを持ったはずだ。ところが、長崎派の研究はまだこれからと言ってよい部分があり、ましてや蛇玉の作品発掘や画家の全貌は誰も手をつけていないに等しい。こうした里帰り展によって、江戸絵画の人気の高まりは目覚ましいものがありながら、個々の画家の研究は未開発同然の状態にある場合が少なくない。若冲ですらまだそれに似ているも同然で、江戸絵画が真の意味で日本において広く認知されるには、まだ数百年かかるだろう。それほどに日本は自国の過去を忘れやすいとも言える。そして、出島から細々と世界を垣間見ていた頃と違って、今や世界中どこにでも日本人がいるが、それで世界通にも、また日本通にもなったか言えば、はなはだ疑問ではなかろうか。これからもあらゆる分野で軌跡は続いて行くが、奇跡と呼ばれる目覚ましいことがこと芸術の分野でどれほど成果が上げられるか。江戸時代で終わったと言われないようにはどうすべきか。