齢を重ねても、それにふさわしい役柄を演じればいいので、俳優は比較的食いはぐれのない職業に思えるが、人気が出て顔がよく知られるのはごくごく一部だ。
昨夜は地元の小学校で地域の夏祭りが開催され、その準備や片づけなどで終日時間を取られた。朝の準備時間に筆者に声をかけて来た女性がいた。息子が小学生であった頃の同窓生の母親だ。彼女の長男は小学生の頃から俳優を目指し、TVの子役に出演した。ところが時代劇専門で、その時代劇がさっぱり人気がなくなったこともあってついに去年俳優業を辞めた。とても食べられないからだ。俳優時代に料理人の技術を学んでいたので、料理屋に正社員として雇われたとのことで、ようやく遅まきながらも結婚して普通の家庭を持つことが出来ると彼女は喜んでいた。30年間は無駄に過ごしたようなものかもしれないが、美形でもあって女性には不自由しないようで、また30歳で社員として再出発出来たのであるから、気を落とすことはない。普通の若者ではなかなか無理なことを経験したことは今後どのように役立つかわからない。災難があればいいことがあり、またその逆もあるとでも考えねば、長い人生を過ごして行くことは出来ない。息子を俳優やプロ・ゴルファーなどのスポーツ選手にしたいと考える親は、有名になって金をたくさん得ることを思ってのことだが、何歳くらいでその夢を諦めるかと言えば、プロになったはいいが、あまりぱっとしないまま死ぬまでその仕事を続ける人もあるし、30で見限る人もあって、これは人さまざまだ。肉体を駆使するスポーツマンよりも俳優はまだ年齢に限界がないように思うが、どんな仕事でも体力は必要で、しかも老齢になっていきなり仕事がたくさん舞い込んで有名になる俳優はほとんどないだろう。 そのため、歳を取ると何事も衰える。先日40代半ばのアメリカの女性がビキニの水着を着て公衆の面前に現われることを禁止されて憤慨していた。その後どうなったのか知らないが、女性はそこそこの美人で、ビキニを着るなというのは酷なような気がした。ところが、「嫌なら見るな」とその女性が言いたいとして、たくさんのひとが訪れるプールでは目を逸らしたままでいることは難しい。女性のビキニ姿に文句を言った人は、「TV番組とは違う」とでも言いたいのだろう。だが、何を着ようが個人の自由であり、「若者とは違って身体の緩みが目立つ中年女性はワンピースにしろ」と強制される筋合いはないのではないか。そのことを家内に言うと、反対意見であった。ビキニが似合うのはせいぜい24,5までで、それ以上は姥桜であってワンピースにすべしという考えだ。これは、女性同士で辛辣に男に肌を晒す年齢を監視していることでもある。40半ばの女性は高齢の男性からすればまだ若者でも、20代の女性からすればすでに人に見せるべき肉体美を持っていないのだ。となると、女の肉体は全く刺身と同じで、急速に価値が下がり、40代半ばになると、子を産むことも出来なくなり、もはや腐臭を発している存在だ。そのように見られた先のアメリカの女性は、それに納得が行かず、自分の肉体を恥ずかしくないものと断固主張したいのだろう。
日本では男女とも寿命が伸びて、今では80代まで生きる。それでも閉経の年齢が昔より上がったかと言えばそうではない。伸びた寿命は昔ならとっくに死んでいた年齢の後につけ足されたもので、老人国家になっただけのことだ。これは無為徒食の人が増えたことであって、国力はますます衰えて行く。それで何か困ったことが起きるかと言えば、古びて行く家屋を見ながら、仕方ないなと諦めの境地になる老人と同じで、どうすればいいかと考えても策が思い浮かばない。そこで若者が老人を平気で殺す社会が到来するのはまず間違いない。それはさておき、日本が少子高齢化社会になって来たのはいくつもの理由がある。そのひとつは男女同権になって、女が自立出来るようになったからであろう。まだまだ日本は男社会だが、女性の働き場所は増加の一途をたどって来ている。江戸時代のような封建社会では、女は家を守って行くための子を産む機械のような存在で、三界に家なしなどと言われ、またそのことを女は自覚するように育てられもした。男の添え物のような人生で、男によって天国も地獄も見た。そういう女の人生を憐れに思ったのか、今日取り上げる溝口健二監督の映画『西鶴一代女』は、ひとりの若い娘がどのように何人もの男に振り回され、最後尼になるかを描く。脚本は井原西鶴の『好色一代』がもとになっている。筆者は同作をまだ読んでおらず、したがって今日この映画を取り上げることに多少の躊躇はあるが、ほかの理由があったので書くことにした。それは、昨夜書いた『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』を撮ったジャン=マリー・ストローブは同作の解説文で本作について少し言及しているからだ。その文章をスキャンしてデータを保存していたのに、先日MOディスクが壊れてしまった。そこで彼女がどのように表現していたかを正確に思い出すことが出来ない。その趣旨は、本作の主役の田中絹代が13歳から40年後の姿までを演じ、しかも田中の顔がさほど変わらないことに言及し、自作のバッハ映画においてバッハを演じるグスタフ・レオンハルトもそうであることを正当化しているもので、ともかくジャン=マリーが『西鶴一代女』を見てよほど印象的であったことがわかる。となれば、日本の戦後間もない頃の映画はヨーロッパの若者に大きな影響を及ぼし、日本人が予想もしなかった分野の発展を促したことになる。平たく言えば、古楽器でバロック時代の曲を演奏することは、本作やあるいは2年前の1950年にヴェネツィア映画祭でグランプリを獲得した黒澤明の『羅生門』がきっかけになったとまでは言えないが、促進させたとは言えるのではないか。『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』のまるでバッハ時代を見るかのような画面作りは、ヨーロッパ人が『西鶴一代女』を見た時の思いに等しいだろう。また、『アンナ・マグダレーナ…』にどうしても現代の作り物に見える部分は、同じく本作にも言えるのであって、ある昔を知る人が誰もいなくなった新時代にそのある昔のことをいかにもそれらしく撮影することが、戦後直後の洋の東西に同時的に起こった、あるいは本作が『アンナ・マグダレーナ…』に影響を与えたと言える。
本作での田中絹代が歳を少しずつ取って行くようには見えないかどうかは、見る人によって意見が違うだろう。本作は冒頭場面の続きは最後近いところに用意されていて、大半は冒頭部分の回想場面となっている。つまり、最初に50過ぎの女の顔が登場し、その次に13歳から順に50過ぎまでを田中は演じて行く。女は化粧する動物であることは西洋でも同じで、しかも本作では田中演じる50過ぎのお春は、20歳に見られたい女郎に化けている設定で、なおさら濃い化粧をしている。本作の撮影当時田中は43歳であったから、13歳よりも50過ぎの女を演じる方に無理がない。だが、西洋人の目からは日本の女性は年齢より若く見えるらしいし、田中は小柄でもあったので、あまり顔を大写しにしなければ、13は無理でも20代半ばには見えたであろう。それはともかく、50過ぎのお春の顔は、客を惹きつけるために化粧が濃いが、映画の中で自嘲するように、それは土台無理な話で、女にとって齢を重ねることの残酷さが映画が始まった最初から印象づけられる。また、女郎とはいえ、夜鷹で、道行く男に身を売る。これは最低の女郎だ。そこまでお春が身を落とすことになった理由を仲間の女たちは訊く。すると田中は五百羅漢像をまつった寺の内部で、羅漢の顔に過去の男を思い出して重ね、13歳の時に初めて知った男の話に移る。その後のお春の人生は転がる石そのもので、いい男に出会ったかと思うと不幸の底に沈むを繰り返す。これで思い出すのが、明治大正の新聞の特別付録にあった女の一生を双六にしたものだ。同様のものは江戸時代にもあったのだろう。その双六で言えば、お春は振り出しから始まって「上り」に昇りつめたと思った途端振り出しに戻り、ついには道を外れて最悪の地位に落ちる。男の一生を双六にたとえることがあったのかどうか。スタンダールの『赤と黒』は金のない男が成功するには軍人になるか僧侶になるかのふたつしか道がなかったと書いているから、封建時代はどこも女も男も似たような境遇であったと言える。ただし、日本では、あるいは儒教社会では、女は社会的地位が高い金持ちの男に嫁して安定した家庭に収まって生涯をまっとうすることが、双六の「上り」であって、その考えは今でもあまり変わっていないだろう。だが、そんな双六を作ると、女を飾り物として見ていないと猛攻撃を受ける。
お春はずるがしこい根性であったので、ついには女郎に身を落としたかと言えば、そうではない。正直に生きてそうなったのは、運が悪いのか、あるいは男が悪いのか。溝口はどう考えたであろう。お春は色気のある女性として描かれている。そのため、男から狙われやすい。男には真面目な者もいれば、金で物にしようと考える者もいる。その双方にお春は遭遇する。そして、一方では女に嫉妬に出会う。こうなると、お春は社会の仕組みによって女郎へと落とされたと言えそうだ。溝口は本作の4年前の1948年に田中を主役にして『夜の女たち』を撮っている。これは戦後直後の大阪の売春婦を描いた作品で、本作のお春は女が置かれる普遍的な地位を思っての作と言える。撮影に関しては『夜の女たち』よりも元禄時代を描く本作が格段に困難であったはずで、溝口が本作を国際映画祭に出品したのは、その苦労した部分に自信があったからだろう。井原西鶴はバッハ以前に活躍したが、『好色一代女』が書かれた頃にバッハは子どもであったし、また時代の変化の速度が現在ほど著しくなかったから、『アンナ・マグダレーナ…』を撮るに当たってジャン=マリーが本作に大いに触発され、また自信も得たことはよく想像出来る。ジャン=マリーが最も強く感じた箇所は、最初と最後近くに見える五百羅漢像をまつる寺の中での場面で、実際それはセットにしては製作費に無理が祟るし、本物の寺で撮影するしかなく、そのことは『アンナ・マグダレーナ…』における古い教会内部で演奏することを確信させ、また勇気づけたであろう。お春は奈良で女郎をしているという設定で、元禄時代の奈良に五百羅漢の木造を所有する寺があったのかどうかだが、『好色一代女』では岩倉の大雲寺とされていて、現在の同寺には五百羅漢をもそれを飾る建物もない。そこで溝口は原作を変えたのだろう。ただし、誰もが五百体もの羅漢像のどれかに似た顔があるとするのは、西鶴の原作にあり、また当時五百羅漢ブームが日本にはあって、世間でよく言われたことに違いない。五百羅漢像を所蔵する寺は各地に現存しているが、溝口にすれば上方の話であるので、また撮影のためにはあまり遠方は具合が悪い。そこで五百羅漢は今もそのままある彦根の天寧寺で撮影された。
本作で最も印象深い場面が五百羅漢の場面だとすれば、次はどれか。映画の最後の方でお春の仲間が笑いながら「どうせ世の中、何をやっても同じこっちゃ」と言う。これは死ぬことも出来ず、落ちるところまで落ちた女にとっては、自分も含めて笑い飛ばすしかなく、ひとつの真実を突きつけている。ではお春がそのように開き直って仲間に混じってその後も生きて行くかと言えばそうではない。そこに溝口の知識人としての矜持のようなものが見えるが、それは女の生き方に救いがあるとすれば、仏にすがるしかないという、現在から見ればなかなか信じがたい、一種のきれい事で、溝口はお春の最期を女郎のままにさせたくなかった。ましてや、憧れていた田中絹代だ。お春は殿様の側室になって後継ぎを産んだほどの女で、並みの魅力ではなかったという設定だ。そういう女が夜鷹にならざるを得ないほど、世間は非情であり、自分のことは自分で助けるしかなかった。それが現在では少しはましになったかどうか。身を売って生きるには派手なキモノがいる。それは仲間の女郎によれば、貸し屋があって、その世の中の仕組みもまた今に通じている。女郎で人生を終えるかと思われた時、かつて殿の後継ぎを産んだお春を探す者があって、やがて立派に成長した殿になった息子に面会させてもらえることになる。ところが、お春が女郎までしていたことがわかって、お春は母であることを息子の眼前で伝えることが許されない。身分制度はなくなったとはいえ、これもまた現在でも同じで、淫を売る職業は人前で言えない。お春が最後に尼僧になって民家を回り、布施に頼る生活をするのは、当時の身寄りのない女としては現実的であったろう。もはや女郎としての価値は全くない。つまり、仏にすがるようにして生きるしかなかった。今では50過ぎの女性でも美容を保つことに時間と金を費やせば、10歳ほどは若く見えるが、当時はもう死んでよい年齢であった。寿命が長くなった分、今の女性がいつまでも子どもを産めると考え、また若さを保つ努力を惜しまないのは当然とも言える。50過ぎでほとんどの人が死んだ時代と、それからまだ30年も生きる今とどっちが幸福感が大きいか。短い人生であることがわかっていれば、毎日生まれて来たことのありがたさを実感し、少しでも楽しいようにと考える度合いは大きいだろう。まだ時間はあるといつまでもずるずる生きる現在は、姥桜を過ぎた30歳になっても子を作らず、結婚もしない女性が多い。平均寿命が伸びたことで、何か特別にいいことがあったか。さして何も社会に貢献することのない老人は、若い世代に鬱陶しく思われないうちに消えた方がいいのではないか。齢を重ねた重みが発揮出来ない筆者ならば、その筆頭であることを自覚しなければならない。