友好的であることの方が難しいのかどうか、隣り合う国は仲が悪いことがあたりまえとTVで評論家が言っていた。仲がよければ国境もなくなる。したがって、日本が中国や韓国と仲が悪いのはごく正常なことと考えた方がいいかもしれない。
先日自治会のある婦人は、100万年単位の将来、日本が北に移動して中国と陸続きになってしまうと語りながら、あんな国と地続きになるのは悔しいと続けた。筆者は「その頃には国境がなくなっていますよ」と応じたが、ひょっとすれば人類はいないかもしれない。その可能性の方が大きいだろう。あるいは人口の少ない日本は中国の飲み込まれて、その辺境の小さな県になっているかだ。そんな気の遠くなる将来のことを心配するほどに現在の平均的日本人は中国嫌い、韓国嫌いが増している。ヨーロッパではどうだろう。普仏戦争はフランスがドイツの統一を恐れた結果に生じた。結局普仏戦争に圧倒的に勝利してドイツはひとつの国になった。その20年ほど前がバッハ没後100年で、楽譜を可能な限り集めて出版する事業が始まった。その完結に半世紀を要するが、ヨーロッパでは全集と言えばこのように息が長い。それは現代の日本ではまず考えられない。それはともかく、隣り合うフランスとドイツは民族も宗教も違い、また普仏戦争以降第1、2次大戦でも戦ったので、仲がよい方ではないというのが一般的な考えだが、現在はさほどでもないだろう。さて、今日取り上げる映画は右京図書館で去年の今頃借りて見た。記憶がうすくなっているが、何となく書いておきたい気になった。だが、昨夜触れたように、資料があまり手元にないので、いつものように雑感めいたことしか書けない。この映画を撮ったのは、夫婦同然なのかどうか、フランスの男女だ。フランス人がバッハの音楽に関心を持つことは珍しいだろうか。自国の作曲家を紹介すればいいものを、ヨーロッパはアジアと違って、戦争を盛んにしても平和な時はまとまる。政治はさておき、文化ではそうだろう。また、たくさんの国がひしめき合う狭いヨーロッパで隣り合う国がどこも憎しみ合っていたのではアメリカにますますかなわない。そんな理由からでもないだろうが、ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレという男女はバッハの生涯を映像で紹介する作品を撮ることにした。それはバッハの作品を作曲年代順に紹介し、また生演奏をそのまま撮影、しかも演奏者はバッハ時代の身なりと楽器を持ち、そして極力バッハが演奏したのと同じ体裁の教会などを使うもので、鑑賞者はバッハ時代に忍び込んだような錯覚を覚えるように仕組まれている。
とはいえ、バッハを演じるグスタフ・レオンハルトはバッハの肖像画とはさっぱり似ていないし、また少しずつ老ける化粧も施さない。現在のCG技術を使えばバッハそっくりの顔を表現出来るが、CGを使った事実を知ると、それを駆使していない場面も作り物に見えてしまう。この映画は変な特撮を使わなかった分、またカラー作品ではないため、かえってバッハ時代を目の当たりにする錯覚に陥る。バッハの有名な曲を年代順に演奏してつなぐだけならば、簡単に撮影出来るように思う人が多いかもしれない。だが、本作は1967年に製作され、レオンハルトにはその10年前に出演依頼をした。57年に監督がバッハ映画を撮ろうとしたのではなく、それ以前から考えがあった。ということは、戦後の混乱が鎮まった頃に思いが芽生えたのだろう。一方でそれはドイツが東西に分裂した頃とも考えられ、東ドイツにゆかりの深いバッハの映画を撮ることは難題が多かったことが想像される。また、撮影に要する資金不足もあったはずで、レオンハルトに出演依頼して10年後に思いがかなったが、結果的にはその方がよかった。それは、バッハ研究や、また古楽器による演奏が進歩したからだ。そうそう、去年秋に同じ図書館でロミー・シュナイダーとイヴ・モンタンが共演した『夕なぎ』を見、その感想をブログに書いた。同作でモンタンが声高らかにバッハの『ブランデンブルク協奏曲』第5番の第1楽章のメロディを二、三度口ずさむ場面がある。それは別に不思議ではないが、同作で無学な男を演じるモンタンがその曲を知っているのは愛人のシュナイダーから少しはクラシック音楽の素養をと強制されたからで、フランスの多少知的な女性はバッハの代表曲は知っていることがほのめかされる。また、フランス人がバッハの曲を好んでいたことも監督は言いたかったか言えば、そうとも思えるし、そうでもないとも言えるが、バッハをドイツの作曲家と捉えるより、ヨーロッパの音楽の父という評価がとっくの昔に定まっていたのだろう。そのため、『夕なぎ』でバッハの曲が印象深く用いられることは過大に考えることもないかもしれない。筆者が面白いと思うのは、今日取り上げる映画が67年で、『夕なぎ』が72年の作であることで、前者は後者の監督に何らかの影響を及ぼしたと考えられることだ。つまり、本作によって少なくとも知識人の間では、大きなバッハ・ブームがヨーロッパで起こったのではないか。
本作の題名はバッハの音楽に多少でも関心のある人は一度は聞いたことがある。筆者は20歳くらいの時に知ったが、その頃は『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』であった。もちろんそれはこの映画ではなく、バッハが再婚した妻アンナが書いたとされる日記のことで、しかも偽書であるとされていた。これは、アンナの没後別人が書いたものということで、日本でも似たことはよくあって、柳沢淇園の『雲萍雑志』は好例だろう。だが、ウィキぺディアによると、『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』の作者は騙そうとしたのではなく、ヨーロッパ人ならば空想の産物であることがわかるつもりで書いた。空想と言ってしまえば語弊があるが、可能な限り史実に基づきながらの執筆で、言うなれば歴史小説で、1925年にイギリスで出版された。第1次大戦後のことで、当時のイギリス人がバッハの音楽と生涯に関心を持っていたことがわかる。そういうバッハ礼賛の思いが、本作のふたりの監督に継がれた。だが、先日韓国ドラマ『名家の娘ソヒ』に書いたように、文章で古い時代のことを書くことは比較的簡単でも、それを映像化するのは多くの人の手と資力を要する。それがそこそこであればそこそこの映像しか得られず、時間と金のかけ具合によって迫真性は左右される。また、その時間はバッハ研究の進み具合に左右されるもので、本作は67年当時の研究の成果までしか盛られておらず、その後半世紀の深化は反映され得ないから、いくら史実に忠実に撮るといっても限界がある。本作の題名に話を戻すと、原作と同じ題名が付された。「CLONICLE」は普通は「年代記」と訳されるから、本作の題名はおかしくはない。だが、原作は妻が書いた文章とされているから、それは「日記」と呼ぶべきものだ。そのため、現在は筆者が最初に知った頃と同じように『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』と呼ばれる場合もあるようだ。「CLONICLE」は「CLOCK」からもわかるように、時間に関する言葉で、時系列に並べるという意味がある。したがって、本作で演奏されるバッハの曲は、バッハが実際に演奏した年代順に配されている。とはいえ、前述のようにそれは67年での研究成果で、その後作曲年代の間違いがわかり、本作の曲配置を本当は変更しなければならないところがある。
作曲年代ですらそうであるから、古楽器を使っての演奏となると、もっと誤謬が混入しやすい。それを少しでも防ぐために、レオンハルトに出演依頼して10年後に製作したことはよかった。67年当時レオンハルトは39歳で、これは本作で最初に演奏される曲が前述の『夕なぎ』に使われた『ブランデンブルク協奏曲』第5番の第1楽章で、バッハがそれを伯爵に捧げた年齢とほとんど変わらず、レオンハルトにとってはバッハを演じる機が熟したと言ってよい。本作の名作ぶりは、最初の場面から一瞬にしてわかるが、それは『夕なぎ』でイヴ・モンタンが口ずさんだメロディからではなく、途中のチェンバロのカデンツァの場面から始まる。同曲を深く聴き慣れた人ならば、そのカデンツァは同曲のものとすぐにわかるだろうが、バッハのチェンバロやオルガンの即興演奏部分はどれも似ている。本作では演奏するレオンハルトの斜め後方上より見下ろした角度で、しかもカメラをほとんど動かさずに撮り続けるが、長大なカデンツァが終わって『夕なぎ』で歌われた主旋律の合奏が始まった途端、「ああ、この曲か」という鮮やかな目覚めが訪れ、画面にさらに引き込まれる。映像をカデンツァから始めたのは、なるべく多くの名曲を紹介するには、大半の曲を短くして、そのエキスのみを紹介せざるを得なかったからでもあろう。この節約主義がきわめて濃厚な味わいをもたらしている。そして、どの曲もバッハや当時の楽団、合唱団がそのまま現前に立ち現われているように見てもらわねばならず、どのような知識人が見ても納得するだけの時代考証をあらゆる点に尽くす必要がある。衣装や演奏場所はまだいい。問題は古楽器による演奏だ。これはさほど簡単な問題ではなかった。レオンハルトに白羽の矢が立ったのは、20代にして古楽器によるバッハ演奏を目指していたからだ。そういう仲間にチェロ奏者のニコラス・アーノンクールがいた。彼は本作にレイプツィヒ市の君主役として登場し、レオンハルトすなわちバッハと一緒にヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する。また、本作の製作後、その共演を本格化させ、70年から20年近い歳月をかけてバッハのカンタータ200曲を録音する。その意味でも本作はふたりにとって重要な契機になった。つまり、本作の撮影を依頼された若きレオンハルトは、その後の生涯を、迷いなく古楽器で演奏することに邁進出来る機会を得たと言える。アーノンクールも同様で、このふたりが現在の古楽器による演奏を定着させた。ふたりは当初小さな規模の演奏しか出来なかったのは言うまでもないが、本作では受難曲という大曲も含まれる。それをバッハ時代の音で演奏録音するには、古楽器をたくさん揃え、また人数も必要だ。本作ではあちこちから応援を求めて実現させた。これは本作がきっかけとなって、その後バッハの大曲も古楽器で演奏出来ることを可能にしたと言ってよい。ただし、製作から半世紀経った今、その古楽器による演奏もあちこち当時の未熟さを抱えているであろう。
古楽器による演奏を作品が発表された順に並べるだけでは人間バッハの味わいが乏しくなる。そこでまずラインハルトにバッハらしさを演じてもらう必要があった。ラインハルトはバッハの楽譜を書き写し、やがてほとんどバッハのものと見分けがつかないまでにその癖を習得したという。バッハになり切るのに、顔や体つきを似せるのではなく、その精神を学ぼうとした。一旦それを獲得すると、どのように振舞ってもバッハらしく見えるだろう。これは貫禄、気迫に肉薄するからだ。もちろん誰も本物のバッハを見たことはないし、その演奏を聴いたこともない。となると、バッハの楽譜の筆跡やまた楽譜の内部構造すなわち音楽の構造を研究し続けるしかなく、そうしたバッハ以外の人物によってバッハ像が定着し、また深まる。奏者が違えばつまらないバッハに聞こえるし、その反対の場合もある。レオンハルトはバッハの神髄に深く分け入ることによって、本作でいかにもバッハらしい雰囲気を獲得することが出来た。一方、本作は題名にあるように、アンナから見たバッハ像でもある。アンナはソプラノ歌手で、父はバッハの父と同じように音楽家であった。バッハは最初の妻を亡くした時、4人の子持ちであった。妻の死後の翌年アンナと出会って結婚し、10数人の子をもうけるが、半分ほどは夭折する。バッハの子は有名な音楽家になったものが数人いるが、本作で印象深いのは、最初の妻との間に生まれた三男のヨハン・ゴットリープ・ベルンハルト・バッハで、彼は20少しの年齢で他郷で死んでしまう。賭博好きな問題児で、そのような子を持つバッハ夫妻の心配が暗示される。人間バッハを描くにはそういう私的なエピソードは効果的だ。アンナはバッハより16歳下だが、あまり美人が演じない。それもよい。ラインハルトは演奏する姿を見せるだけで全く話さず、アンナが演奏の合間に映画らしい演技でほんの少し語る。それがバッハの日常をうまく表現していて、音楽だけを並べるのとは違う、生活の落ち着きや波乱を伝える。演奏場面はどれもカメラをほとんど動かさないが、これはカメラマンの立ち位置がこの映画の鑑賞者のそれと思わせるにはつごうがよいし、また落ち着いたバッハの曲からしてそうするほかなかったとも言える。せせこましい教会の祭壇部に大勢の奏者は合唱隊がひしめき合って受難曲を演奏する場面がある。その教会はバッハが同曲を演奏した教会ではないが、同じ様式を持つ教会を探したという。広いコンサート会場の舞台でゆうゆうと演奏する現代とは違って、それはいかにもバッハ時代らしく、それだけでも見る価値がある。