朧の満月がベランダに出てすぐに見えた昨夜、投稿後にもう一度ベランダに出ると、空の色は同じなのに、月は消えていた。雲は空全体を覆っていて、どこが分厚いのかはわからない。満月が見えた時はたまたまそこだけ雲が薄かったのだろう。
今朝は早くから大雨で、昨夜満月が見られたのは幸運であったとしか言いようがない。先月もそうであった。わずかな機会をものにするのも才能と言われるが、満月の写真に限っては筆者はそれがあるのかもしれない。だが、使うカメラが旧式の安物で、一眼レフで撮るような、月の中身まではっきり見える写真は得られない。これが多少不満だが、そのこととは別に最近一眼レフのデジタルカメラを買おうかとも思っている。もちろん安物の中古でよく、2,3万円程度が予算だ。ネット・オークションではその程度でたくさん出ている。どうせ撮るものはごく限られるし、カメラを他人に誇示する気持ちは全くない。一方、これは自治会がらみだが、小型ヴィデオカメラが先にほしい。これも撮るものがほとんどないので、買ってもすぐにまた売り飛ばすだろう。TVの通販番組を見ていると、数万円で新品が売られていて、ネット・オークションではもっと安いかもしれない。ケータイ電話でも動画撮影が出来る時代であるから、今はヴィデオカメラも昔ほど高価ではなくなったのだろう。それはともかく、先日MOディスクが壊れてブログ用のデータがなくなったので、ここしばらくの投稿に困っている。今日の投稿にしても、リサイタルの会場となったびわ湖ホールや最寄の駅からそこに至るまでに撮った写真が全部消えてしまったので、何となく書く意欲が減退した。昨夜は本格的にプログラムを探し、予想どおりに展覧会のチラシの山の中から見つけた。それで遅まきながら、このコンサートの感想を書く。見に行ったのは先月15日の土曜日で、午後3時開演であった。びわ湖ホールは噂には聞いていただけで、行ったことはなかった。場所はJR大津駅か京津線の浜大津駅から徒歩15分ほどだ。どちらの鉄道で行くか迷ったが、浜大津から歩くことにした。そっちの方が少し遠く、また電車代は割高だ。なぜそっちを選んだかと言えば、電車は山科を越え、浜大津に至るまでの路面電車ならではの景色が好きだからだ。同駅に着く直前、住宅ぎりぎりに電車が走る区間があって、車窓から蔦が繁茂した民家の壁が見えた。ゆっくり走っていたので、予めそれを撮るつもりでカメラをかまえていれば、このブログの「緑のタペストリーと絨毯」のシリーズに使うための写真が得られた。リサイタルを見た帰りに撮ろうと思いながら、帰りはJRを使った。
3時開演に合わせて何時に家を出ればいいか。めったに大津には行かないので、どれくらいかかるかわからない。余裕を見て、午後1時前に家を出た。阪急の四条河原町から三条京阪まで歩き、そこから京津線に乗り、予想以上に早く浜大津に着いた。駅舎を出る直前、雨が本格的に降り出した。雨は予想していたし、雨の琵琶湖の景色も乙なもので、湖を巡る船のミシガンが発着する施設の周囲を一周し、その待合室の中も一巡してからびわ湖ホールに向かった。同ホールの隣りには竜宮城のような建物がある。琵琶湖文化館で、数年前に閉館した。もう取り壊されたかと思っていたが、健在であった。学芸員などがまだ勤務しているのだろう。この建物の写真を撮り、目を向こうの琵琶湖に移すと、雨に煙った湖面をミシガンが北に向かって行くのが見えた。雨風が強くなり、下半身はほとんど濡れながら、空と湖を上下に二分する写真を撮った。江名に行った時にも撮ったように、それは杉本博司の真似だ。残念ながらその写真をブログに載せる前にMOディクスが壊れてしまった。同館に着く直前、街中から湖につながる雨水路が道路際にあって、道路から50センチほど低くなったその水路の縁に立った。バランスを失うと落ちる。そして筆者なら溺れるだろう。水路に立ったのはキミドリ色の細かい浮き草がびっしりと繁茂していたからだ。その写真を撮って、やはり「緑のタペストリーと絨毯」に投稿するつもりが、MOディスクの読み取り不可によって筆者の脳裏にしか存在しない。この浮き草は、リサイタルの帰りに見ると、風で飛ばされたのか、水路にどっと雨水が流れ込んだためか、遠くに移動していた。ま、リサイタルには何の関係もないことを書いているが、今日は朝から梅雨真っ最中の雨でむしむしし、これを書く深夜も同じように雨が降って来たので、ついホールに着くまでの道のりを思い出してしまう。ホール前に着くと、古代の神殿のように階段を20ほど昇らねばならない。そのてっぺんが玄関だ。大小のホールがいくつかあって、サロメ・カンマーは地下の小ホールで歌う。駅からゆっくり歩いて来たのに、着いたのが2時15分頃であった。たぶん大ホールでの上演と思うが、エントランス・ホールの突き当り近い左手の透明の扉の向こうに、若者たちがバレエの練習をしているのが見えた。何の演目かわからないが、それくらいしか見るものがない。ホール突き当りの窓から琵琶湖が少し見えていて、先ほどと同じか、ミシガンがまた見えた。バレエの練習を15分ほど見ている間、ピアノの伴奏によるクルト・ワイルの曲を歌う女性の声が聞こえていた。リサイタル直前のサロメの練習だ。筆者が立っていた場所から少し離れると聞こえなかったと思う。何となく得した気分だ。
サロメの来日はドイツ文化センターが随時送ってくれる催し物の告知メールで知った。さして関心はなかったが、見る機会を得た。彼女は何年生まれだろうか。77年から84年までヤーノシュ・シュタルケルにチェロを学んだから、1950年代の半ばの生まれだろうか。とすれば今50後半か。変わった経歴の持ち主で、83年から女優の活動を始める。88年には長編映画に出ている。その頃から声楽を学び、90年代から現代音楽を中心に公演を開始した。現代音楽の声楽となると、日本では認知度は期待しにくいだろう。プログラムにある紹介文には、現代音楽の初演に数多く関わっているとあって、筆者が所有するCDで言えば、ベリオやハンス・ツェンダー、クルターク、リーム、エトヴェシュなどの名前が挙がっている。ベリオやツェンダーはクラシック・ファンなら馴染みと思うが、クルタークやエトヴェシュの個性をよく知っている人は稀ではないだろうか。ということは、サロメのコンサートに駆けつける音楽ファンはよほどの現代音楽通ということになりそうだが、今回の来日ではあまり珍しい曲を取り上げず、よく知られるワイルの曲を演目の半分ほどに据えた。それはピアノ伴奏で歌えるということも大いに関係しているだろう。上記のドイツ現代音楽の作曲家がたぶん彼女のために書き下ろした曲はピアノ伴奏とは限らない。多くの観客動員が最初から見込めないことがわかっていれば、最少の人数で来日するしかない。そこでサロメとピアノのルディ・シュプリングのふたりとなった。ところで筆者は詳しくはないが、ワイルの声楽曲にしてもピアノ伴奏はワイルが書いたものばかりとは限らないのではないか。ワイルは自作のどの声楽曲も管弦楽ではなくピアノ伴奏用に別に書き換えたのかどうか。おそらくそうではなく、ピアノ伴奏として残っていない曲も含まれると思う。そういった曲をピアノ伴奏で歌わせる場合は、伴奏者が編曲せねばならない。あるいは有名なピアノ伴奏の楽譜があって、それを使うかだ。そして、後者の場合は少ないのではないだろうか。歌手の声域に合わせてピアノ伴奏を変える必要があろうし、また歌手と相談してより劇的な伴奏にするということも考えられ、同じワイルの名曲でも歌手によってそうとう違った雰囲気になるだろう。
リサイタルが終わった後、彼女を囲んで質問出来る場が多少設けられた。上記のことをその時筆者は感じながら質問する機会を失った。彼女は俳優から歌手に転向したこともあって、身振りが豊で、それと同様にさまざまな声色を駆使する曲が好みのようだ。そうした曲の中にワイルの作品も含まれる。筆者はドイツのワイルの歌い手としてはウテ・レンパーしかほとんど知らないので、どうしてもその聴き慣れた歌い方とサロメを比べた。どこが最も違うかと言えば、ウテの方が高い声の伸びがよい。たとえば、サロメが後半のほとんど最後に歌った曲「I AM A STRANGER HERE MYSELF」は、最後の方で飛び切り声を高く歌う箇所がある。ウテのヴァージョンでは、そこに至るまでのその悲鳴に似た歌いっぷりを待つスリルは、この曲を聴く大きな醍醐味になっている。そこで筆者はサロメがその部分をどう歌うかを楽しみに待ったが、ウテのように力強くはなかった。高音の伸びがよくないのは年齢のせいかもしれない。YOUTUBEではこの名曲を多くの女性が歌っている映像が見られる。先日それらをつぶさに見たが、ウテほどにうまく歌う歌手はいなかった。半数ほどはその箇所をウテより1オクターヴ低くやり過ごしている。楽譜を見なければわからないが、ワイルはウテのように歌うことを理想としたのではないだろうか。だが、誰もがソプラノの絶叫で歌えるわけではない。ウテはその点、この曲に限っては理想的な歌い方を獲得している。だが、サロメの歌い方が悪いというのではない。彼女のこの曲の表現は全体にキャバレー風というより、真面目な芸術家を思わせた。これはウテがリームやエトヴェシュ、ツェンダーの曲を初演するとは思えないことからもわかるだろう。YOUTUBEではアンネ・ゾフィー・オン・オッターのヴァージョンもアップされているが、彼女のようなオペラ畑の歌手は先の悲鳴の箇所は実にうまくこなしてはいるものの、全体にとても表情が硬い。サロメはウテとオン・オッターの中間に位置すると思えばよい。そのように一種棲み分けが出来るのはどの世界でも同じだろう。ウテの場合はその美貌もあって、どちらかと言えば流行歌手寄りの人気を保ったが、それは美貌が衰えればお呼びがかからないことでもあって、そのことはウテの新作CDの発売が滞りがちであることからも想像出来る。サロメは女優上がりであるから、美貌も持ち合わせているが、ウテのような妖艶さはない。
サロメの顔はポスターやプログラムで見るより、実際はもっと明るくチャーミングで、笑顔が素晴らしい。ステージには上下真っ赤な衣装で登場したが、下はパンツで、素肌の露出は上半身の腕や肩に限られた。後ろ姿の脇からどれほど贅肉の動きが見えるかと思ったが、かなり引き締まって中年の体形を感じさせなかった。オペラ歌手は声量のために太る必要があると聞くが、サロメは大きな声量で歌うタイプではない。彼女の本領はやはり女優につながった表現の豊かさにあって、身振りや顔つき、声色など全身を動員して、歌う姿を観客に印象的に留めるかに心配りがなされている。それはレパートリーに自ずと表われる。3時から始まったステージは、意表を突くもので、その登場の仕方と最初に歌う曲からして、観客を丸ごと自分の世界に引きずり込もうとする策略が見えていた。通常、歌手は舞台の上手か下手から登場するが、サロメはホールの背後から奇妙な声を発して登場した。そして通路を舞台へと進み、舞台上で歌い終わったが、これはベリオの「セクエンツァⅢ」で、その歌の概念を押し広げた表現の要求は俳優であったサロメには持って来いだ。この曲は楽譜通りに歌うことに慣れている人は尻込みするもので、歌手の自由裁量に任されている部分が大きい。現代音楽はそういう要素が強く、サロメが現代音楽作曲家と馴染みがあるのはそこからも理解出来る。今回の公演で最も印象深かったのは最初のこの曲と、後半の最初の曲でジョン・ケージが書いた「アリア」だ。これは図形楽譜で、さらに歌い方は歌手に任されているところが大きい。ケージはベリオに招かれてイタリアに行き、ベリオの妻のキャシー・バーベリアンと出会ってこの曲を書いた。この楽譜は公演終了後のサロメを囲んだ席で紹介され、筆者はページを繰りながらサロメの書き込みを見たりした。カラー刷りで、抽象絵画の楽しさがあった。サロメは使い込んでいるようで、あちこち紙の弱りがあった。同じ楽譜を5人の歌手に歌わせるコンサートを開けば面白いと語っていて、そこに日本の歌手が含まれ得るだろうかとふと思った。こういう曲を歌うには、度胸のほかにやはり創造性が欠かせない。それは即興でありながらも枠を守ることで、また枠がありながら、そこをいかに越えて行くかだ。それは何もないところに今までになかった何かを埋めて行くという作業で、それこそが創造なのだが、そういう行為を楽しむには固定観念に囚われていてはならない。今回の来日でサロメは得るものがあったろうか。サロメのCDはアマゾンで少しは入手出来るが、その本領はCDには収まり切らないのではないか。とはいえ、逞しく、陽気で美しい彼女の歌声を聴くにはCDに頼るしかほんとど方法はなく、もっと多くのCDを発売してほしい。ついでに書いておくと、こうしたコンサートでCDが販売される機会がほとんどないのはどうしてか。現在の録音技術では、歌った当日の録音をすぐにネットでダウンロード出来るようにすることも可能だが、音楽は一度限りで消えてしまうからこそ尊いという見方もある。つまり、一期一会だ。サロメはどちらかと言えばその立場ではないか。記憶はどれも朧になって行くが、その中で褪せないものがある。そういうひとつにこうしたリサイタルがあるとすれば、歌手としては本望であろう。