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●『ジャン・コクトー展』
先月25日だったか、デ・キリコ展の後に神戸の大丸に行って観た。すぐに書くべきがすっかり忘れていた。



●『ジャン・コクトー展』_d0053294_2340369.jpgジャン・コクトー展は日本で何度か開催されている。筆者が最初に観たのは1995年9月の京都高島屋でのものだ。その時のチケットを見ると、裏面に『ジャン・コクトー映画祭』が京都みなみ会館であって、全8プログラムが上映された。そして10月3日に同映画館に出かけ、『詩人の血』と『ジャンゴ・ラインハルト』を観ている。1995年のコクトー展は出品作品が250点ほどであった。金欠だったためか、図録は買わなかった。その後何年かして、筆者が観たものより2年前の93年に難波の高島屋で開催されたコクトー展の図録を古本で入手した。扉には「総合的にコクトーが紹介されることは、日本において今回が初めてのこと」とあるが、実際はコクトー生誕100年の1989年に図録つきの大きな展覧会が開催されている。これは関西には巡回しなかったと思うが、当時開催されたことだけは記憶がある。それはさておき、93年のコクトー展は出品数が95年と同じで、きっと同じ作品が高島屋系列のまだコクトー展を開催していない会場を巡回したのだろう。そして今回は神戸元町の大丸でちょうど10年ぶりに観たことになるが、出品数は260で、未発表を含むとある。だが、展覧会を観た後、帰宅して93年の図録で確認すると、ほとんど出品作は同じであった。チラシには『本展では、個人コレクションとしては世界最大のサヴァリン・ワンダーマン・コレクションより、日本初公開作品を含む約260点を厳選…』とあるが、93年の展覧会も約30点を除いて、後は全部サヴァリン・ワンダーマン、つまり「セブリン・ウンダーマン美術館」より出品されているので、内容がほとんど同じであるのも当然だ。このブログで何度も書くように、一度あるコレクションから作品を借りて日本で展覧会をするとコネが出来るのか、大体10年後にまた同じ所蔵先から同じような内容の作品を借りて展覧会が開催される。ただし、この10年はちょうどよいスパンだ。10年経てば新しい若い世代が登場しているし、またかつて観た人も10年ではほとんど作品を忘れてしまっているので、新鮮な気持ちで接することが出来る。日本の百貨店を利用したこうした展覧会は、なかなかうまいシステムを構築したと言える。この調子ならば、作品を所蔵して美術館を建てずとも、せっせと外国から借りて来て10年ごとに開催する方が安上がりかつ客集めになってよいというわけだ。最近も東京のどこかでコクトー展が開催されたが、ひょっとすれば今回と同じ内容なのかもしれない。あるいは全然違ったコレクションから借りて来たかだが、もし後者とするならば興味がある。というのは、コクトーの代表作がこのサヴァリン・ワンダーマン・コレクションに集まっているのかどうかを確認したいからだ。個人コレクションにコクトーの代表作が集中しているのであれば、今後もコクトーの作品が公的コレクションには収蔵されず、したがって美術史で正当に評価されないのではないかと思うからだ。
 コクトーは多芸であったので、画家として正しい評価を下しにくいということもある。つまり、文学者の余技に見られるわけだ。そのため、ピカソやモジリアニといった画家のようには個人画集が企画されない。たとえば100人の欧米の画家を採り上げて全集を考える場合、絶対にコクトーは入らない。これは画業が二流であるためだろうか。この疑問に答えてくれるのが日本でよく開催されるコクトー展だが、その内容が本当にコクトーの代表作をしっかりと網羅しているのかどうかがわからない。海外の画集などを見れば推察出来るだろうが、その機会はまだ得ていない。コクトーの画業を考えると、いつも思うのはその代表作は何かということで、その次に即座に思い浮かべるのは、前述した93年の図録表紙の作品だ。これは一筆書きのように簡単で、しかも何度も描いたはずの、竪琴を抱えるオルフェの横顔だが、その仙厓ばりの略画にコクトーの神髄がある。代表作をこの1点に絞ってよいと思う。そしてこの絵は一見ピカソやマティスに似てはいるが、全くコクトーの独創と言えるもので、この1点を見るだけでコクトーの優れた画才がわかる。このオルフェは今回の展覧会のチケットのアポロとよく似ている。そして筆者にはこれらコクトーが描くギリシアの神々の横顔はどこかジャン・マレーを思い出させる。コクトーは同性愛者でもあって、阿片もよく吸引していたが、これらは年譜によれば17、8歳頃に洗礼を受けたそうだ。コクトーの年譜は読んでいてなかなか劇的で面白い。いかにも芸術家という感じがする。貧乏じみた印象が皆無で、まるで壮大で豪華なドラマのようだ。コクトーが9歳の時に父はピストル自殺したが、そんなショッキングな事件を少年時代に経験すれば、その後どんな人生が待っているか、平凡な家庭に育つ者には全く理解が及ばない。それにコクトーのように多感で、またディレッタントな家庭に生まれたのであれば、自由気儘、奔放な芸術家にしかなりようがない。そして実際コトクーは自分の気の赴くままに生きて活発に創作し続けた。自分をたとえば詩人といった狭い枠に押し込める必要は何ら感じず、あらゆるものに手を染めた。そのため、コクトーの周りにはあらゆる芸術家が絶えず出入りした。これはアポリネールと多少共通する。今調べてみると、アポリネールはコクトーより9歳年長で、コクトーが30歳の時に37歳で死んだ。コクトーはアポリネールが死ぬ2年前にピカソやキスリング、ヴラマンクらと一緒にアポリネールのための夜会を開いているし、アポリネールが死んで半年後、アポリネールを忍ぶ朗読会に出ている。そしてその時に16歳の詩人ラディゲに出会い、間もなく親密な関係になる。アポリネールは男色趣味はなかったように思うが、きっと阿片とも無縁であったろう。アポリネールに比べてコクトーは、もっと「恐るべき子ども」がそのままダンディになったような印象がある。そんなコクトーをブルトンやアラゴンらシュルレアリストたちは激しい敵意を抱いたというが、これは何となくわかる。そしてコクトーの芸術の位置を考えるうえでもそれはヒントになる。
 ラディゲとは各地を旅し、ともに文筆の創作に励んで、両者ともいくつもの作品を得るが、3年ほどしか関係は続かなかった。ラディゲが病気で急死したからだ。コクトーは悲しみのあまり葬儀に出られなかったが、この直後から阿片を常用するようになる。そしてカトリック信仰に救いを求め始めもする。コクトー35歳の頃だ。この傷心の時期にコクトーはホテルにこもり、鏡を見ながらペンとインクで自画像をたくさん描いた。それらは「鳥刺しジャンの神秘」として有名で、今回も数点が展示されたが、どれもタッチが違い、画家として非凡なところをあますところなく伝えている。コクトーはホルスト・ヤンセンと同様、自画像をたくさん描いたが、両者とも自殺願望から遠ざかり、精神を安定させるためには自分を凝視して描くこと以外に方法はないと思っていたかのようなところがある。だが、文章ではなく、絵を描くことで危機を脱したようなコクトーを考えると、その画業はいつからどのように始まったのかを知りたくなる。コクトーの絵の作品で最も初期のものは、93年の図録によれば、1909年頃に遡る。「キュビズム的な自画像」「サラ・ベルナール」がその時期に当たり、翌年には「ロシア・バレー団のためのタマラ・カルサヴィーナのスケッチ」がある。これは20歳頃で処女詩集を出したばかりの時期であったが、ロシア・バレエ団との出会いがあったことは後のコクトーの舞台作品を考えるうえで無視出来ない事件であったし、また女優に恋心を抱き、結婚を希望するも家族の反対にあって関係が終わるという事件もあって、奔放な行動がすでに現われてもいる。「キュビズム的な自画像」はしっかりとした線が描かれた佳作で印象には強く、何事もものの本質を的確に把握し、自分の表現手段のひとつとして獲得することが出来たことをよく示している。「サラ・ベルナール」「…カルサヴィーナのスケッチ」はさっさと素早く描いたものだが、これもモデルの特徴をよく捉えていて、コクトーが画家の作業にのみ専念してもそれなりに名前を残したであろうことを充分に思わせる。
 コクトーのようにさまざまな人物と交流があれば、つき合いに忙しくて一体いつどこで創作したのかと思わせるが、多作であったことを思うと、予想外にコクトーは部屋での孤独な作業に勤しんだことが想像出来る。あるいは、気分の切り換えがとても早く、ちょっとした合間があれば、すぐに作品づくりに当てることが出来たのであろう。ここが驚異だ。人間は怠惰に出来ているから、それは常にそうした生活を心がけていなければ、また習慣づいていなければ不可能なことだ。誰かと談笑している時が最も幸福と感じる人ではそうは行かない。そこで思うのは、コクトーは一見華々しい人脈の生活をしていたが、本当は孤独で、しかもその孤独をじっくりと見つめ、それと対話しながら、作品をつくることでそれを克服することが出来た人物ではなかったかと思う。それゆえ本当は孤独ではなかったことになるのだが、阿片の吸引にしても、心身とも滅ぼすほどのめり込むことはなかったであろう。そんなことをしていれば創作どころではない。また、周りが仕事の依頼をすることで放っておかず、阿片吸引の暇もさほどなかったかもしれない。とはいえ、生涯に4度も解毒治療のために入院しているから、そうとうな中毒ではあった。絵画作品において阿片の影響が一般にどのように現われるのかは知らないが、アンリ・ミショーのようなタッチの絵とは違って、コクトーは純粋な抽象画を描かない。デフォルメや省略はあるが、常に何かはっきりとわかる事物を描く。ただし、それらの描写の中に確かに奇妙としか言いようのないものもある。その代表は1920年代の一連の「阿片」という言葉を用いたタイトルのペン画だ。たとえば「トゥーロン、阿片を吸う水夫に」は、まるでアルチンボルド張りに、横向きの水夫の上半身が吸引パイプばかりで構成されている。似た作品は他にもあって、そのどれもがかなり滑稽で不気味だ。阿片を吸いながら観た幻想とは思えないが、少なくとも阿片で感じた非現実感を記憶してそれを絵に反映させていることは確かな気がする。こうした絵も同時代のシュルレアリスム絵画を見慣れた目からすれば、別段特筆すべき出来ばえの絵とは思えないかもしれないが、コクトー、しかも阿片という文脈に置いて考えれば、その特異性が際立つ。これは1913年の『「ポトマック」のための挿画』にも形を変えて見られる。今回もこの作品から2点が出品されていたが、そこに描かれるお喋り女、吸いつき女の描写は日本の漫画そのもののタッチで、そこにまたコクトーの先駆的な才能の閃きを見る。それにしても、どのようなことがあってこうした滑稽で不気味なキャラクターを生み出すことが出来たのか、それが不思議でならない。こうした作品はピカソやマティスには絶対にないものだ。
 あれこれ書いていても埒が開かない気がするが、もうひとつ気になった作品について書いておこう。それは1950年代のパステル画だ。年譜によれば油彩画に没頭し始めるのも1950年頃からだが、色画洋紙に描いたパステル画は、陰影をきちんとつけて、モデルのフォルムを迫真を持って描いており、どれも素晴らしい出来と言ってよい。特に「子どもの顔」は実際の子どもを目の前に置いて描いたと思うが、生き生きとした表情がよく出ていて、コクトーの絵の中でも最高クラスに位置づけてよい。同じような絵を何点もシリーズで描いており、どれも独学とは到底思えない筆致で、どこかピカソを思わせもするが、コクトー独自の世界がそこから伝わる。コクトーは恋した女優を孕ませたが、結婚もせず、自分の子どもを持つことはなかったので、こうした子どもの顔を大きく描いた作品は、どういう気持ちで臨んだのか興味が湧く。コクトーは案外子ども好きではなかっただろうか。もうひとつ思い出した。コクトーが想像した独特の記号的な顔がある。それは人物が天を向いているところを真正面から描いたもので、その人物の顎や鼻孔のみが大きく見えている。通常この格好では目は見えないはずだが、コクトーは必ず目も描く。そのためロボットのような異様なとも言える顔になるが、1950年代以降頻繁に登場する。とうとうこの角度の顔の大きな仮面を作り、自分の劇作品に登場させたこともあった。若冲の描く鶏に正面顔がしばしばあるが、それとよく似て、この天を向く人物の顎と鼻孔と目が見える顔は、コクトーの後半生を特徴づけるひとつのヒントにも思えた。しかし、天を向くというのはいい。地面を向いた顔では頭しか見えないし、天は何よりギリシアの神々が住む場所でもあろう。コクトーにはキリスト教の聖母子像をモチーフにした作品もあるが、結局はもっと遠いギリシア時代に憧れがあったと言える。コクトーが映画『美女と野獣』を撮影したのは1945年だが、主人公のジャン・マレーとは共同で別荘を購入するほどの間柄であった。図録の表紙のオルフェは50年代以降に盛んに登場する横顔だが、ジャン・マレーを最初描いているうちに、そこを突き抜けて自分が理想とする人物像に昇華したものと思える。その意味で形を変えた自画像であるかもしれない。それは単純な線描画だが、黒1色ではなく、赤や黄、緑などが途中で交代して現われ、千変万化のコクトーの世界を端的に表現しているように見える。コトクーの姿を全部捉えるのは不可能だ。あまりにも多様で広大であるからだ。それでもただのオルフェ像1点でもコトクーがどういう人物であったかがわかる。あ、そうそう、コクトーの撮った『ジャンゴ・ラインハルト』はコクトーの音楽の好みがいかに多様であるかを示していたが、コクトーが死んだのはエディット・ピアフの死を知った後の発作が原因となった。今回の展覧会にもと一緒に写った写真があったが、20世紀前半のフランスを知るにはコクトーから入るのが一番よいのかもしれない。
by uuuzen | 2005-10-05 23:41 | ●展覧会SOON評SO ON
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