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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●描き続ける日常-チェーホフの『熊』
曲にはあまり関心がなく、以前にも書いたがチェーホフはまだ読んだことがない。その本を先日探した。2冊持っている。1冊は新潮社から70年代に出た分厚いもので、もう1冊は河出書房が70年頃に出版した。



それを隣家で必死になって探したのは、先月9日にチェーホフの『熊』の上演を見たからだ。原作を読んでから感想を書くつもりでいた。ところが2冊にはチェーホフの最初期の同戯曲は掲載されていない。岩波文庫に収まっているようだが、ネットで買うほどのことでもない。図書館で借りようか思っているうちにこの猛暑だ。すっかり右京図書館に自転車で行く気力が失せた。それでひょっとすればネットで読めるかもと思って調べると、青空文庫にあった。しかも上演が使用したものと同じ神西清の訳だ。ネットでいつでも読めるとなると、途端に読む気がなくなった。それで今日は原作を読まずに書く。さて、実は昼間の暑い盛りに2時間ほどかけて大半を書き終えつつあったのに、急にパソコンが暗転し、修正プログラムのダウンロードが始まった。予告なしでこういうことがあると困る。WORD文書に随時保存すればいいものを、筆者は一気に書くのでそのことを忘れがちだ。今日の昼も一度も保存しないままだった。それでもパソコンの電源が切れると自動的に書いた箇所まで保存されていた。今日もそうなると思ったところ、すっかり消えていた。38度の部屋で費やした2時間が無駄になった。先ほど気を取り直してまた書き始めたが、全く違う内容になるだろう。ということは、昼に書いた文章は没の方がよかったかもしれない。何でもそのように前向きに考えよう。この暑さ、そうでもなければ倒れてしまう。戯曲に関心がないとはいえ、わざわざ上演の案内が2通も来た。これは見に行かねばならない。しかも上演日は先月の各日曜日に一回ずつあったが、初日の9日に見に来てほしいとの依頼だ。それで出かけた。場所は四条富小路下るの徳正寺だ。筆者はその前はごくたまに通るだけで、詳しくない。それでもわかりやすい場所だ。北隣りに救世軍があって、寺の本堂の中で上演を待っていると、ラッパの音などが聞こえていた。救世軍はそのように楽隊はつきものだ。
 上演の案内はK先生からであった。ここで少し先生について書いておく。昨日紹介した大志万さんと同じ大学の同じ西洋画科卒で、筆者より確か10歳上で今年71か2だ。大志万とは20歳ほどの開きがある。同じ大学の同じ学部を出ていれば、お互い多少は知り合っているかと思うと、毎年卒業生はあるし、よほど卒業後に出会いがなければ名前も顔を知らないままとなるだろう。ただし、一旦後輩先輩の間柄と知ると親しくなるのは早いと思える。ただし、画家となるべく学んだのであるから、誰しも我は強く、意見の対立も珍しくないはずで、仲よくなるといっても誰もが誰もというわけではないだろう。そのことで思うのは、昨日書いたように大志万さんは今年は13人のグループ展を開き、少なくともそれだけの仲のよい同窓生がいる。卒業して四半世紀経ってもそのような集まりで近況を伝え合い、しかも最新の作品でお互いの思いを確認し合えるのはよい。大学を出た意味は本当はそういうところにあるだろう。筆者は学んだ専門とは無関係の世界に移ったので、芸大、美大の仲間といったものとは無縁だ。それを意識し過ぎているためでもないだろうが、筆者は昔年配者から狷介と言われたことがある。この言葉は「孤高」を後ろにくっつけてよく使われるが、筆者は孤高という格好いい柄ではない。筆者が狷介だとして、そうならざるを得ない状態がある。筆者は中学生の時に美術の先生から執拗に京都市芸大に進むように言われた。その言葉にしたがっていれば、筆者は大志万さんのように同窓生と一緒にグループ展を開催するようになっているだろうか。昨日書いたように筆者はそれがいやだ。だが、今より多少は絵や芸術のことを縦横に語り合える友人がそれなりに出来ていたかもしれず、狷介と呼ばれるようにはならなかったかもしれない。一方では結局同じことで、今の筆者と変わらなかったのではないかという思いもする。こんなことを書くのは、K先生が出演した『熊』は、先生が学生の頃に一時仲間を組んだ演劇集団が70歳を越えて飲み合ううちに再結成しようということになり、その手始めの演目であるからだ。絵画のグループ展ではなく、いわば趣味の演劇グループだ。これも芸大という世界を味わった者ならではのことで、その意味で昨日に続いて今日取り上げる気になった。
 K先生のことに戻る。先生と知り合って親しくしていただき始めたのはちょうどバブルの頃だ。大阪天王寺の出身ということもあって、なおさら意気が合うと思っていただいたのかもしれない。先生は油彩画を学んだが、生活のためもあって染色に鞍替えした。油絵具は使わないが、染料と蝋によって油絵にはない独特の世界を表現出来ると考えた。そのため、ローケツ染めでありながら、普通一般の人が思うそれとはかなりかけ離れている。ここで西洋画とローケツ染めがどう交わり得るのかを書くと長くなる。西洋画は時代と場所に応じて流派を生み、その延長上に現代絵画と呼ばれるものがあるが、現代美術はグローバル化していわば何でもありになって、たとえばルネサンスの透視遠近法の確立といった歴史を何ら知らなくても斬新と思われる表現は出来る。これも筆者がよく書くように、理屈が先にあってそれにしたがって描くのではなく、わけのわからない何かに突き動かされながら描いたものを後年評論家が理由づけしてくれるところが大きい。あまり昔のことをたくさん学ぶと身動きが取れなくなることが多い。そうはいっても絵を描くと同時に人は考えるし、早い段階、すなわち幼少期や小学生でいわゆるゴッホ、セザンヌといった巨匠の作品を無意識にしろ見てしまう。その原体験のようなものは案外本格的に学び始めた頃に影響を及ぼす。またそうでなくてもTVや雑誌から新旧問わずにさまざまな画家の作品が目に飛び込んで来る。そういったものから影響を受けない方が無理で、画家は必ず誰かの画風らしきものを内蔵せずにはおれない。ああ、もうすでに深みに入りかけている。話を戻して、K先生は20年ほど前か、マーク・ロスコに心酔された。正直に言えば筆者はそのことをやや冷やかに見た。ロスコの作品は宗教が絡み、「絶対」という言葉を連想されるが、それは日本では馴染みがないとは言わないが、模倣し難く、感化もされにくいものに思える。ロスコ風に描くことは簡単だが、そうして仕上がった絵には何の価値もないだろう。先生の作はロスコに似てはいない。具象の痕跡を強く残す作も多く、その点からはロスコに憧れるというのは、単なるファンのレベルかとも思える。憧れの作家にとても似た作品を作る人がよくある。筆者はそうした人を評価しない。二番煎じはそれだけのことだ。K先生の作品は誰の作にも似ていないので、すぐにそれとわかる。ただし、筆者が多少不満なのは、先生の教え子の作が先生とまるでそっくりであることだ。これは表面的なものしか見ていないと言われそうだが、まずはその表面が問題だろう。
 先生と最もよく話した時期からもうかなりの年月が経った。奥さまが亡くなられてから疎遠になってしまったが、個展やそのほか、たまにお会いして立ち話をほんの少し交わした。そのたびに先生は「また電話する」とあいさつのように話されるが、いつもそのままになる。筆者が手紙を書くなりすれば実際にお会いする機会も得られるが、ここ10年ほど筆者も多忙で、なかなかその気になれない。そこうしている間に先生は二度引っ越しをされ、今は下鴨におられる。60以降は沖縄の芸大に長い間教えに行かれていたが、70を越えるとそれも引退だろう。それで昔の芸大仲間が集まって演劇でもやろうということになったのかもしれない。先生は映画にも詳しく、大阪出身であるから子どもの頃から文楽にも親しんで来られた。そういった絵画とはあまり関係がなさそうな事柄が先生の作品にどういう影響を及ぼしているのかいないのか、そのことはおうかがいいたことはない。長年長時間ふたりだけで話していないので、もしいつかそういう機会があれば、昔とは違って話題はさらに多くなる気がしている。あるいはお互い興味が異なり過ぎて話が噛み合わないか。先生が60歳を前にした時、筆者に話していただいた印象深い言葉がある。「大山くん、ぼくはもう60やけど、見ててや。この10年頑張るで。本当の作品はこれからや」その言葉を筆者は60になる前に思い出した。そしてもうそろそろ60代も2年が過ぎようとしている。まだ8年あるが、考えようによってはもう8年しかない。70になれば思いはあっても体が言うことを聞かなくなるだろう。K先生は近年目の手術をされた。『熊』の上演の後、少し話したところ、その病の後、かなり痩せられたそうだ。そう言えば演じている時、かなりスリムに見えた。演劇を仲間と始めたことは、趣味だろう。それはもはや染色の作品を世に問うことを諦めたということではないはずで、一種の息抜きが必要で、それがあってまた染色の新たな境地が開かれるかもという思いではないだろうか。ま、そういうことは先生と膝を突き合わせて話さないことにはわからない。
●描き続ける日常-チェーホフの『熊』_d0053294_0473832.jpg

 本堂は小さいながら風格があって、天井の照明が誂えだろう、蓮の花を模した形をしていた。上演中の撮影は無理であろうから、そのUFOのように見える照明の写真だけを撮った。上演が始まるまでの30分、客がひとりふたりと入って来る。全部で20名ほどか。その程度の数の椅子しか用意されていない。筆者の右隣りに70歳くらいの男性ふたりが座った。ひとりはこの上演を企画し、演出した人だ。本人がもうひとりにそう語っていた。そのもうひとりは、その人と久しぶりに会った友人だ。面白かったのはふたりの雰囲気だ。金持ちそうには見えない。ひとりはランニングシャツの上に革のヴェストを羽織っていた。ふたりともスーツを着てサラリーマンを経験した風ではない。芸大卒が70になればこうなるのかと面白かったのだ。そういう筆者も10年後にどうなっているか。ふたりはお互い健康のことで話が盛り上がり、いつ死んでもおかしくないし、またふたりとも死の一歩手前まで行く臨死体験をしたと語っていた。70とはそういう年齢なのだ。その日は先日書いた麦藁の黒のボーラーハットを被り、上も下も黒でまとめた。K先生は最初筆者とはおわかりにならず、2,3秒してから「あ、大山くん」の言葉が出た。たぶん本堂の中が薄暗く、また目の手術によって視力が減退しているのではないだろうか。それに昔の筆者とは違う雰囲気の身なりでもあった。先生にお声をかけたのは、上演が終わって本堂の奥の部屋で客全員にお茶がふるまわれた時だ。この劇は登場人物は3人で、しかも場所は地主の屋敷内部のみという設定で、寺の本堂内部は持って来いであった。3人のうち、地主の未亡人ポポーヴァはK先生と同じくらいの年齢だろうか、小柄なかわいい女性が演じ、残りふたりのうち、いわゆる『熊』のような風体であるはずの金貸しのスミルノーフをK先生が演じた。セリフが3人のうちでは最も多いだろう。経本仕立てにした戯曲内容を3人とも持っての演技かと言えば、そういうところもあったが、ほとんどのセリフを記憶しての演技で、しかも間違いはなかった。いちおうはプロンプターの若い女性が中央に陣取り、彼女は一度だけ大声でセリフを伝えたが、プロンプターは役者本人にだけ知らせる程度の小さな声を出すべきだ。ともかく、K先生の演技はそれなりに見事で、熱心な練習の跡がうかがえた。上演が始まる前、50歳くらいだろうか、男性が中央に登場し、演目の簡単な紹介をした。その内容は配られたチラシに書かれているのと同じで、K先生から届いたお手紙にも似た言い回しがあったところ、おそらく先生が用意されたものだろう。その簡単な案内には、『熊』が喜劇であるとチェーホフは謳っていたとある。上演後の集まりではみんな遠慮してお茶を飲むだけであった。筆者はよほど意見を言おうとしたが、場が白ける気がしたので言葉を飲んだ。意見しようと思ったのは、筆者の右に座っていた演出家が、「みなさん、笑えましたか。喜劇という割りにこの作品は面白くないです」と発言したからだ。確かにそうだ。
 チェーホフには有名な戯曲がいくつかあるのに、なぜ『熊』を選んだのか。ちょうど1時間ほどで終わるので手頃と思ったか。そのあたりのことを訊きたかった。この戯曲の喜劇性は、当時のロシアに関する知識がなければ理解し難いだろう。2,3か月前、筆者はゴーゴリの『結婚』を読んだ。この戯曲も喜劇で、ゴーゴリの影響を受けたチェーホフが『結婚』を知らなかったはずはない。その本をどこに収納したのかわからず、誰の訳かわからないが、新訳で、しかも大阪弁を一部使っていた。これはゴーゴリの原作が方言を使っているからだ。方言すなわち大阪弁というのは賛成し難い。そこには訳者の悪意があるのではないか。そう思ったが、その訳者は大阪出身だ。大阪人は自虐的なところがあるから、同戯曲のつまらない男に大阪弁を使わせることに躊躇がなかったのだろう。『結婚』は確かに喜劇で、笑える。ところが『熊』はそうではない。そこで真っ先に思うのは、翻訳のまずさではないかという疑いだ。『結婚』の登場人物の名前は、音読みをそのまま片仮名表記してはゴーゴリの工夫がわからない。そこが不満であった訳者は、思い切った訳をした。つまり、仮に金貸しであると、「カネカシスキー」といったようにだ。実際ゴーゴリは登場人物の人格がただちにわかる形容詞を含んだ名前にした。そこからして当時のロシア人には即座に喜劇とわかった。ところがそうした面白い工夫が日本語にどこまで置き換えられ得るか。ドストエフスキーの深刻な小説でもそういった言葉遊びの笑いがふんだんにばら撒かれているのに、最初に日本に紹介した翻訳家はそれが見抜けなかった。『熊』の翻訳にもそういうところがなきにしもあらずとは言わないが、19世紀の貴族がまだいた時代のロシアと現代日本とでは、笑いの質もそうとう違っているであろうし、戯曲を注釈つきの文章で黙読するのと、演劇として接するのとでは、また笑いの壺はずれるだろう。そこには演者のそういったことに対する深い理解度の差もある。となると、なぜ『熊』を手がけたかだ。演出家自身がチェーホフが喜劇だとする点を批判しても始まらない。そこはチェーホフの側に立ち、どこが笑えるのか、そこを明確化して演者にそれを客に伝えるようにせねばならない。
 物語としての内容そのものに普遍性があるとすれば、いつどこで演じても喜劇性は表現され得るが、『熊』が笑える話とすれば、それは当時のどういう客層を狙ったものかも考える必要がある。近日中に感想を書く用意をしている韓国ドラマに『名家の娘ソヒ』がある。19世紀の朝鮮から日韓併合、日本の敗戦による朝鮮の独立までを、名家の4代にわたって描いた大河ドラマで、珍しくも笑いの要素はない。『熊』のポポーヴァが若い未亡人とされる。同じような未亡人が『名家の娘ソヒ』にも登場する。時代はほとんど同じで、貴族が没落に向かう時代であった。ポポーヴァは屋敷に住み、貞操を守って生きている。そこに生前のポポーヴァの夫に金を貸したと言うスミルノーフが現われる。彼はポポーヴァから金を回収し、それをその日のうちにまた誰かにわたす必要がある。切羽詰まった様子でポポーヴァに迫るが、ポポーヴァはその日には出せないと言う。ふたりのやり取りがあれこれあって、ふたりの異性に対する考えがわかって来る。ポポーヴァの夫は女遊びをしたが、それに対する反感からかえって操が固い。スミルノーフはさんざん女と関係を持って来たが、ポポーヴァのような女性は初めてで、最後は恋に落ちたことを告白する。ポポーヴァも同じで、ふたりが抱き合うところで劇は終わる。その前にスミルノーフはポポーヴァに決闘を申し込む。筆者はここが一番の喜劇的なところだと思う。スミルノーフは貴族ではない。そんな彼が若い女性相手にピストルによる決闘を申し込むとは何事か。それは本当はポポーヴァのセリフだろう。ポポーヴァはピストルの扱いを知らない。それを懇切丁寧に教えるスミルノーフも呑気なものだ。ポポーヴァがいくらきりりとした女性であっても、重いピストルを持って撃ち合うなど、どんな馬鹿な男が強制出来るか。題名の『熊』はそんな田舎者のスミルノーフを茶化しているのではないだろうか。もうひとつ考えられるのは、決闘はオネーギンの時代の話で、当時のロシアではもう時代遅れではなかったか。貴族が没落して行くなか、気位を貶められたと言って決闘を申し込むのは滑稽でもありまた憐れだ。そこで思うには、チェーホフはこの戯曲をどういう階層の人に読んでほしかったのか。これは他のチェーホフの作品を読み込まねばわからない。ゴーゴリは「ゴリゴリ押す」の男性的イメージがあるのに対し、チェーホフは「ほふほふと小さい」感じがして、筆者はまずはゴーゴリを読んでからと思っている。それもあって、戯れに『結婚』を読んだが、先んじる生まれからしてもまずはゴーゴリだ。
by uuuzen | 2013-07-11 23:59 | ●新・嵐山だより
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