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●第4章その2 フランク・ザッパに会見した前後の頃①
毎日なぜこうも早く時間が過ぎるのか、毎晩このブログに投稿する時には特にそう思う。はたと気がつけばまた何かを書かねばならない。今夜は何にしようかと思い、取りあえず書きたいこともないので、このカテゴリーに登場してもらう。



●「フランク・ザッパに会見した前後の頃」
さて『パーフェクト・ストレンジャー』のCD解説を脱稿したのは92年2月末頃だった。それまではザッパの旧LPのCD化作品ばかりを担当し、1、2を残しておおむねそれらは書き終えてしまったので、次は発売されて間もない新作アルバムの解説を手がけることになった。それが第11、12章の基になったもので、92年の4月上旬には書き上げた。続いて、未CD化作品『ユートピアから来た男』の解説のほぼすべても、勢いの乗って下旬にはまとめておいた。このアルバムは「大雑把論」が掲載された手前、CD解説は是非とも担当したかったので、依頼がないのに勝手に書いておいた。結局それは陽を目を見て、今回新たに書き換えて第10章とした。解説を書いた順に並べるのであれば、同章は12章に来るはずだが、前章とのつながりなどを考慮して、中入り後のまず最初に『ユートピアから来た男』を置く。「大雑把論」からちょうど10年目にして同じアルバムの、今度は解説を担当し、ぐるりと大きな円が閉じた気がする。続く3つの章はいずれも冒頭文「フランク・ザッパのレコード音楽の面白い云々」を墨守している。しかし本当はそれを適用したのは『ユートピアから来た男』が最後であった。
 合計12編のCD解説というのも何となくきりがいいし、当時はもう解説仕事はそれで充分という気がした。それにMSIとしても発売するものがほとんど残っておらず、書く場もなかった。12編は最初から全体としての構造を予期して書き進んだものではまったくなく、MSIから割合自由に書くことを黙認されたので、後になるほど悪乗りして原稿枚数が増えた。その結果、12編それぞれのバランスはよくないものになった。書けば書いたでまた書きたいことが見つかり、言葉のボロボロの山を築くにも、あちこちから崩れ始めるような気分を味わった。まさに言葉のバベルの塔だ。そこで本としてまとめるに当たって、各章の相互の関係をいかに緊密化して、しかも情報のだぶりなきようにできるかに最も苦労した。しかし12のアルバムだけを論じても、ザッパの全体像にはならないから、どうしても書き切れないものが混沌として、心中にドロドロ山状に堆積している。これをすっきりさせるには全アルバムを見据えて解説に挑む必要がある。だが今はそれを考えることはできない。ザッパとて、自分の最期の作品がどういうものになるかをあらかじめ知ったうえでデビューのスタートを切ったのではない。解説をザッパの仕事と少しでもアナロジーの関係にするのであれば、ある程度行き当たりばったりに任せてもよいように思える。後のことは後で考えるか。
 『ユートピアから来た男』を勝手に書き上げて1カ月ほど後の92年5月下旬、ロンドンからサイモン氏((本章では以下「才悶」)夫妻と2歳の子ジュリアン、一夜明けて東京からはMSIのH氏がわが家に来て合流した。どちらも初めての面会だった。才悶はロサンゼルスでザッパに会って来たばかりで、その足で日本へ飛んで来た。わざわざ拙宅を来訪するための京都への旅、この点は大いに感謝せねばならない。才悶とは当然ザッパに関する話となった。後に『文明、第3期』となってザッパの死後に発売されたアルバムをスタジオで聴かせてもらったこと、前立腺癌がひどく悪化しており、放射線治療をそうとう試みたがもう断念し、今は自宅でヒーラーによるヒーリング治療を受けたりしていること、息子ドゥイージルとスタジオに入ってギターのジャミングを2、30分行なったことなど、内部の者にしかわからないことまで含めて、いろいろ最新情報を耳にすることができた。そして何よりもの話は、9月にドイツのフランクフルトで同地の若手室内楽団を使ってコンサートをする予定で、そのためにザッパは意欲を発揮しているとのことであった。病状は急に悪化するとは思えないが、ひょっとすればザッパが海外で開く最後のコンサートになる恐れもある。才悶は一緒に観に行きましょうと言葉をかけてくれた。せっかくのいい機会ではあるが、即答は差し控えた。一方で、H氏はMSIの雑誌広告に、同コンサートのためにひとり50万円程度で50名ほどの日本のファンの参加を広告で募る予定だと語った。この話はその後どこまで具体的に進展したのかは知らない。同じ年だったか、どこかの大学の先生が学生相手に無許可で海外旅行斡旋業務をしていたことが問題沙汰になっていた。MSIが勝手にツアーを組むことはできなかったから、どこかの旅行代理店とタイ・アップする必要があったろう。結局日本からまとまった人数のファンがコンサートを観に行く話は実現しなかった。ロック・コンサートではないうえ、ザッパのファン・クラブもないような状態では、日本から団体ツアーを組んでも人が集まるのは難しかったと思う。
 自由業であるので時間的なつごうはいくらでもついたが、資産家か有名でもない限り、気ままにそういう人生を送る者は収入は不安定で、経済的拘束に身動きが取れないことがしばしばある。フランクフルトまでザッパのコンサートを観に行くとは、そうとう贅沢なことだ。ヨーロッパへ行きたしとも、ヨーロッパはあまりに遠し。そう思いつつも京都ドイツ文化センターで調べると、印刷物によって公演名が『ザ・イエロー・シャーク』であることなどがわかった。それまで3カ月ほどしかない。金も心配だが、本当に行くかどうかの決断も必要だと思っていると、ひょんなことから真夏に作品が100万ほどで売れた。それは神がぽんと肩を後ろから押してくれたようなものだった。西洋の有名な諺にあるように、チャンスの神は前髪しかない。向こうからやって来るのを捕らえないと、通りすぎた後ではつるつるに禿げた後ろ頭ではつかむにも手が滑る。行くことに決心し、どうせだから60年ほど前に父子で渡欧した辻潤にならうつもりで、嫁さんは放っておいて息子同伴に決めた。運よく入ったお金はちょうどふたり分には足る。息子は小学4年生であるから、少しくらい学校を休むのは問題ではない。帰国後に旅行記を書かせる方がまだ意義がある。息子は才悶がわが家に連れて来た年下のジュリアンにまた会えると、ヨーロッパ行きを大喜びで期待した。フランクフルトついでロンドンにも1週間ほど滞在して、美術館を片っ端から観よう。またフランクフルトには是非とも観たい現代美術館がある。すぐに才悶に手紙を出して、コンサートの前日にロンドンで落ち合うことにした。この押しかけは才悶にとってはかなり迷惑だったろうが、一緒に行きましょうという言葉をおべんちゃらと思わず、真に受けたということにした。MSIの紹介状もなし、頼みの綱は才悶だけという状態であった。音楽関係者の顔をして行くよりも、才悶の知り合いとして観光気分で行く方が責任も何もないので気も楽であった。だが、ひょっとすれば才悶の取り持ちでザッパに会えるかもしれず、それを後でファン代表の立場として記事にできるかもという思いが湧き起こった。そして旅経つ少し前に、ある音楽雑誌社に往復ハガキを出した。ところが「当方で記者を派遣するので、その必要なし、あしからず」との返信だった。音楽評論家になろうとして自分を売り込もうとしたつもりではない。ただ楽しい思い出は分け合うべきで、自分なりに面白い体験が得られれば、それをザッパ・ファンに伝える役目は進んで負いたかった。雑誌社は妙な売り込みと勘ぐったのかも知れない。結果、派遣された評論家はザッパに会うことができず、予定していた特集企画は没になった。1年半経って当の雑誌社は別のザッパ企画を立て、MSIの紹介で原稿依頼をして来た。皮肉のひとつでも言ってやろうかとも思ったが、それを実行するほど腹黒ではないから、ハガキの一件は持ち出さなかった。「プロならばもしものことを考えて、あらゆる手を打っておくべき」という教訓を、雑誌社から与えてもらったと思えばよい。

by uuuzen | 2005-10-04 23:56 | ○『大ザッパ論』サプリメント
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