妬みがあるのはネット社会も同じだ。ツイッターやブログで意見を述べることは、人が多い交差点で大声で怒鳴るようなものだと言われる。先日のNHK-TVの番組で、家を購入したことをツイッターで報告した人がネット住人たちの妬みを買い、たちまち個人情報をあれこれと調べられ、自分が知らない間にネット上に広められたことを紹介していた。

ネットでは有名人でない限り、匿名で通すのが普通であることをその時に改めて知った。筆者もIDでこのブログを投稿しているが、ホームページでは名前を出しているので、今さら個人情報を守り通すもないが、サラリーマンでは名前を知られては困る場合が多いことは想像出来る。一方、筆者が理解出来ないのはフェイスブックだ。そこでは普通は自分の顔写真を載せ、しかも名前や生年月日も公開するから、個人情報が公になっているではないか。筆者は今後もフェイスブックを利用するつもりはないので、個人情報はもっぱらブログから漏れっ放しで、それどころか連日の長文であるから、内面もすっかり曝け出しているようなものだ。ま、自分のことはそれでいいが、他人のこととなると具合が悪い。家内は筆者のブログをほとんど読まないが、顔写真を何度か載せたり、また家内について多少書いていることを知ると、きっと激怒する。家内ですらそれであるから、他人ならなおさらだ。そう考えるので、今日の写真は本人の許可を得て、本人の目の前で撮影し、またブログへの掲載は先日電話で許可を得た。ところが、近日中に投稿するとは伝えたものの、どういう具合に文章を書くかは伝えていない。こうして書き始めてもなお、何をどう書きたいかがわからず、書きながら考え、考えながら書き進む。まず、このブログは有料の展覧会についての感想は今までにたくさん書いて来たが、画廊における個展やグループ展はほとんど取り上げたためしがない。ブログを始めた最初からそう決めたのだが、それは前述の「許可」という問題が絡みそうであるからだ。作品を公にすることには変わりはないが、有料の展覧会はたいてい物故者の作品の展示であり、またそうでなければ「金が取れる」有名人であるから、作者を呼び捨てにしてもかまわない。また、個展やグループ展の作品にあまり感動したことがないこともブログに取り上げない理由だ。今日は例外的にある人の油彩画を紹介する。13人のグループ展での出品で、個展ではないし、また大作と呼べるほどの大きな絵もなかったが、同じ自治会の顔見知りでもあり、今後の展開が興味深いので紹介しておく。
名前を公開してもいいかと訊くと、OKであったので、「Oさん」といった表現ではなく、「大志万伸子」という本名をまず書いておく。彼女は何歳だろう。たぶん50か51と思う。京都市立芸大の西洋画科を出ている。彼女の先輩に染色家のK先生がおられ、つい先日久しぶりにお会いした。そのことは明日書く予定でいるが、場合によってはもっと後日になるか、話題を没にするかもしれない。それはさておき、大志万さんは専業主婦で、絵を描くことは日課になっていて、またそれが生きるうえでの大きな意味にもなっている。彼女の作品を初めて見たのは2年前だ。同窓生とのグループ展が2年ごとに京都の寺町三条上るのギャラリー・ヒルゲートで開催される。この画廊の南隣りに版画専門の平安画廊がかつてあったが、今はその付近では有名な額縁店が権利を買い取って画廊として再出発している。寺町通りは京都で最も画廊が密集する商店街だ。かといって、半世紀を超える歴史のあるところはほとんどないのではないか。また、新しくオープンしても借り手が詰まらず、廃業して行くところも目立つ。そして、個展ではなくグループ展に貸すことがほとんどになっている。グループ展なら開きやすい。10人集まれば作品の数の画廊の賃貸料も10分の1で済む。筆者はグループ展がいやで、今まで参加したことがない。それにまた声もかからない。京都市芸卒で絵やそれに関係することで収入を得ている人はどのくらいの割合だろう。先日京都NHK-TVで、嵯峨芸大卒の男性の就職活動を特集していた。沖縄出身で、子どもの頃から描くのが大好き、知事賞をもらったりするなど、将来は絵で食べて行くことに決め、そして京都にやって来た。ところが、卒業の段になって就職活動すると、いくつか受けても全部駄目だ。沖縄では母親が離婚し、細腕ながら息子に仕送りして学業を続けさせた。それを痛いほど知る息子はどうにかして就職し、しかも自分の絵の才能を活かしたい。同番組は現実が甘くないことを突きつけて行くが、大学の先生の言葉が印象的であった。それは、『美大生は作品制作に没頭するあまり、人との対話が苦手な者が多く、それが就職ということに対しては不利に働く』というものだ。その言葉どおり、沖縄出身の彼は言葉が少なく、そのことが面接で自信のなさに影響していることが見て取れた。だが、20代前半かた半ばといった年齢ではそれが普通でもあるだろう。同番組は、彼がデザインした嵯峨野の野々宮神社のハート型の御札を、彼自身が街中の人にどういう意図でデザインしたかを説明する場面に進んだ。最初は話しかけることも怖がっていたようであるのに、少しずつ慣れて自分の思いを熱く語れるようになって行った。他者から褒められると一気に自信はつく。そうするとまた画風は変わる。その積み重ねでプロになって行く。だが、美大、芸大を出てその専門で収入を得て生活が成り立って行く人はどれほどあるだろう。まず、美術とは無関係な世界に就職する人の方が多いのではないか。ま、これは美大の序列にもよる。歴史の浅い嵯峨芸大より、有名画家をたくさん輩出している京都市芸の方が圧倒的に美術系の会社では待遇がいいだろう。それでも同大卒が全員そうした職に就くことが可能ではないはずで、女性の場合は特に結婚出産があって、せっかく入った会社も途中で辞めて行く。

大志万さんが芸大出であることを知ったのは筆者が自治会長になってからのことだ。それ以前、たぶん10数年前から顔は知っていたが、話をまともにしたことはなかった。彼女が芸大出であることを知って、にわかに筆者は関心が大きくなった。どの街でも同じだと思うが、絵を描くことがひとつの生き甲斐になっている人は決して多くない。以前のこのブログで書いたが、彼女はオペラ好きで、その話になると熱が入りそうだ。「そうだ」と書くのは、もともと彼女は寡黙で、これは綾部出身という、言葉は悪いがいわゆる田舎育ちのためと思える。だが、寡黙が悪いことではない。それは彼女が妻であり、自治会の集まりなどでそう親しく筆者とばかり話すことは、人目を考えても避けるべきであるところからしても当然であろう。前述の社交性の話につなげると、筆者は社会人になっても人見知りがひどい方であった。それがあまりそうでなくなくなったのは、京都に出て友禅の世界に入ってからだ。水が合っていたのだ。人間は好きなことをしているのが一番なのだ。精神的な悪いストレスがない。「水を得た魚のようだ」と、昔ある人から言われた。筆者が中学生であった頃をよく知っている人の言葉で、その頃と比べると別人のように見えたのだろう。これはそれなりに自信がついたからだ。作品やその技術に関して、自分がどこまで出来るかを知っているからで、別の言い方をすれば、もはや怖いものがない。それは単なる自惚れのように他人からは見えるかもしれないが、話に噛み合わない人とは付き合わない。大志万さんからオペラのDVDを借りた頃かそれ以前だったか忘れたが、2年前の彼女のグループ展を見に行った。おおよそどういうものを描くのかについては耳にしていたが、ひとつ筆者には未知の世界であったのは、日本の神話に題材を取った作品だ。微細画というほどでもないが、比較的描き込みが強い。また、そうでない作品もあって、何をテーマにしていか、まだ方向性が決まっていないようにも見えた。タッチはルドン風でも、西洋の幻想趣味とは違う。神話を題材にするところは、オペラ好きと大いに関係があるかもしれない。それは文学と踵を接している。彼女がどういう本を好んで読んでいるかは知らないが、聞くところによると、市立図書館の巡回サービスを利用しているとのことで、絵を描く合間に読書も欠かしていないようだ。だが、主婦であるから、家事は毎日せねばならず、その合間を見つけての製作で、100号クラスの大作がないのは理解出来る。これは物足りないという意味ではない。100号の絵を飾れる家は少ない。主婦であるゆえの、もっと実利的な考えを持っている。実際、彼女は絵を積極的に売りたいと語っていた。そういう機会がグループ展だが、売れる人は比較的万人好みの画題で、また個人的に顧客と呼べるファンがある場合が多い。古事記に因むような、いわゆる地味な画題では、まず何を描いているかわからない人がほとんどで、よほど絵と彼女に魅力がなければ、買い手はつかないだろう。

2年前の出品作に、ぽつんと1本の桜の木を描いた小品があった。自宅の窓から見える法輪寺の桜とのことで、そう言われても描かれた場所が具体的にどこかは筆者にはわからなかった。窓から描くとは、いかにも主婦だ。あまり遠方に写生旅行に行くことは出来ない。だが、近場で画題を探すのは悪いことではない。むしろそうすべきだ。そこで筆者は「いっそのこと嵐山を描いたら?」と言った。「あんまり有名過ぎますしね。描く気がしない」との返事で、それはもっともな話でもあった。それはそうなのだが、それでも嵐山をいかにもお土産の絵のように描かず、素直に描くことは出来る。それほどに彼女は嵐山に住んで長い。2年ぶりのグループ展が5月末から6月かかりまでの6日間に開催された。案内はがきは13人の作品の部分図がずらりと同じ面積で割り当てられている。それを見ながら、彼女の絵がどれかを当てると宣言し、三度答えたが、当たらなかった。画風が変わったのかなと思ったが、そうではなく、2年前の作品をよく覚えていなかったようだ。三度とも外れたので、彼女は少々険しい顔になった。そんな表情を見るのは初めてだ。6月1日だったか、その日は家内が休みなので一緒に見に行こうと考えたが、家内は少し遅れて行くと言った。画廊名を間違えて覚えていて、それを家内に伝えてしまった結果、結局家内は見ることが出来なかった。筆者のいい加減さがよくわかる話だ。家内が来なかった分、大志万さんとは長く話すことが出来た。2年前はほかの出品者の作品もじっくり見たのに、今回は大志万さんの数点だけにほとんど集中した。一番の大作は1階に飾られた渡月橋から下流を眺めた風景画だ。その部分図が案内はがきに印刷されていた。渡月橋に立って上流側は有名な嵐山が大きく見える。それはやはり彼女には面白くないようだ。そこにちょっとした反骨がある。2階には嵐山を題材にした風景画がもう1点あった。小倉山だ。先日書いたように、筆者はこの山の写真を36点撮り、それに自作の短歌を添えることを数年前に思いついた。そのことは彼女には言っていないと思う。となると、彼女と筆者は響き合うものがあることになるかもしれない。どういう題名か忘れたので筆者が勝手に命名するが、「渡月橋下流」も「小倉山」も有名なその場所よりも、空の方が大きな面積を占めている。その空は雲の配置に妙がある。どのように写生したかを訊くと、写真を見て描いたとのことで、雲のそのままらしい。形を自分で作るとわざとらしくなってしまうので、あえて写真どおりにしたとのことだ。先月彼女がどこに立って撮影したかを確かめに行った。曇天であったので、それは没にし、今月8日の梅雨開けにもう一度出かけた。ついでに書いておくとその日の夕方、ムーギョへの途上で初めて蝉の声を聞いた。

渡月橋を歩きながら、彼女が嵯峨寄りで撮影したことがわかった。使ったカメラの違いが大きいとは思うが、写真は1枚ではないに違いない。筆者のカメラでは左右上下と4枚で絵に描かれるものすべてが覆われることを知った。4枚をつなぎ合わせた写真を載せておく。雲が同じ形に見えることは不可能で仕方ないとして、筆者が改めて思ったのは、彼女はいつ撮影したかだ。雲は春から夏のものに見える。だが、夏では川面にたくさんの草が生え、絵とは違う光景になる。また、真夏では光が強く、彼女の絵のような色合いには写らない。それで4月頃かと思うが、これについては訊いていない。「小倉山」も同じ日の撮影だろう。どちらの絵も写真に忠実とすれば、家に屋根や四角いビルがたくさん見えるはずだが、そこは省かずにややぼかされたように表現されている。他の作品は静物画で薔薇を描く。彼女の好きな花が薔薇なのかどうかそれも訊いていない。大きな白い猫を画面いっぱいに描いた作もあった。野良猫ではないが、わが家の近所をよくうろうろしている。人間で言えばメタボで、ふてぶてしい貫禄がある。前回の展示では人物を描いたものもあったが、それは今回はなかった。何でも描けるようなので、人物画にもっと力を入れればいいと思うが、それでは売れない。岸田劉生など、あれほどに有名になったので、誰も知らない人物の肖像画であっても美術館に並ぶ。売るとなれば万人好みを目指すのがよい。それが理由でもないが、薔薇などの花を描いた作品は、女性らしく、また主婦らしくていい。構図としてはもっとひねりがほしい気もするが、「渡月橋下流」や「小倉山」が写真そのままとすれば、静物画的にではなく、庭に咲いている様子をそのまま切り取った、つまり背景にいろんなものが見えている構図も面白い。そうした絵は以前このブログに取り上げたように、アンリ・シダネルがさんざんやったことで、もう実験する余地がないかもしれないが、地元をあちこち歩けば、薔薇を植えている家は少なくなく、いくらでも日本的薔薇の絵は作り得るだろう。こう書けば大志万さんは心外だと言うかもしれないが、2年前のグループ展以降、筆者は彼女に自作の「薔薇小禽図」の訪問着を見せた。その時の薔薇がヒントになって薔薇を手がけたのかなと思うことがあった。筆者が展示を見た後、家内と行くつもりであったスーパーの前で待っていると、家内がやって来た。買い物をした後、よく入るお好み焼きの店に入った。そこで食べて阪急電車で帰宅の途に着き、電車が嵐山に着く寸前、後ろから大志万さんの呼びかける声があった。家内が一緒であることを伝え、実は家内も見るつもりが別の画廊名を言ってしまい、残念ながら作品に接することが出来なかったことを詫びた。家内が彼女にあいさつをすると、「いろいろと意見を言ってもらっています」との返事で、筆者は少々面食らった。意見はあまり言っていないと思うが、寡黙な彼女に比べると大いに多弁な筆者であるから、彼女はそう感じているのだろう。彼女のその言葉で咄嗟に思ったのは、薔薇の絵だ。筆者の「薔薇小禽図」が多少はヒントになったのかもしれない。2年後にどんな作品が生まれるか。人物画にも積極的になるのであれば、美人の娘さんを描けばよい。筆者も描いてほしいが、これは描きたい思いが湧かないであろうし、また描いてもらえば筆者が購入せねばならい。筆者が有名人になれば、やがてその絵はどこかの美術館がほしがるという夢もあるが、遺影になるだけでは彼女に申し訳ない。それはそうと、作品の評価は将来どうなるかは誰にも予想がつかず、それに望みを託すのでもないが、大志万さんも描き続ける。