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●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』
時の小さな展覧会は2、3年前に同じ大阪歴史博物館で開催された。その時のカラー刷りのパンフレットを探すのが面倒なのでこのまま書くが、今日は題名にあるように、若冲の作品を並べる展覧会をふたつ取り上げる。



●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_2358212.jpg最近相次いでひとりで見た。後者は帰宅して調べてわかったが、再度見に行く必要を感じている。9月29日までの長帳場であるから、慌てる必要はない。どちらの展覧会も図録はない。それは、大半の作品が紹介済みでもあるからだろう。写真撮影は前者はOKで、後者は禁止。そのため、今日の写真は前者のものが中心になる。どちらの展覧会も半ば義務で見た。前者は特にどういう作品が並ぶかは予想がついていたが、見ておくべきであったなどと後悔したくなかったので、念のために足を運んだ。結論を言えば、新しい情報は何ら得るところがなかったが、同館の別の展示に面白いものがあり、担当者と30分ほど話した。その展示は別の日に取り上げるつもりでいる。さて、奉時の作品を筆者が初めて見たのは1981年、尼崎での若冲展だ。これはあまり知られていない展覧会で、没後200年展以前に若冲への注目がそれなりにあったことを示す。筆者は同展で初めてたくさんの若冲画を見たが、若冲の作品ばかりではなく、いわゆる「若冲派」と呼ぶ画家の作もわずかに陳列された。その中に松本奉時も含まれていた。同展以降松本奉時と若冲の関係についてより詳しく何かがわかったかと言えば、そのようなことはあまり聞かないが、冒頭に書いたように、今回の『松本奉時と伊藤若冲』展と同じく大阪歴史博物館で奉時の小展示があった。大阪の画家なので同館がそれなりに力を入れるのは義務だ。そうは言っても、まだ一般的にはあまり知られない画家で、また作品があまり市場から出て来ないのか、新発見のしかも大作といったものは見かけない。奉時とほとんど同じ時代に活動したはずだが、耳鳥斎の展覧会は伊丹で5,6年前にあった。これも江戸時代の上方の特異な画家を回顧しようという考えによる。全くのろい歩みではあるが、忘れ去られた画家を見出して行こうという動きはある。若冲は今では日本を代表する画家とも言われるほどになった。それは宣伝の威力も大きい。若冲の周辺、あるいはわずかでも関連のある以前の画家に目を転ずると、それなりにどれも面白く、彼らの地点からまた若冲を眺めると、より特質がわかる。つまり、若冲だけをいくら凝視しても見えにくい部分があって、たまには関連する画家の作品に親しむことは必要だ。とはいえ、あまりにも若冲好きが高じて、他の画家を頭から評価出来なくなっている場合があるが、これは筆者としても「人さまざま」と思うしかなく、ここで筆者の思いをつぶやくだけだ。
●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_23584951.jpg

 『松本奉時と伊藤若冲』展は今月22日まで開かれている。どれくらいの数の作品が並ぶかを知りたいために、大阪歴史博物館のホームページを見た。写真が1枚載せられているだけで、そこからはたぶん前述した85年の尼崎での若冲展に並んだ作品ばかりであろうと思った。だが、写真にはない作品の展示もあるかもしれない。Eメールで問い合わせようとしたところ、そのサービスがない。それで電話した。すると、同展を企画した学芸員は手が離せないとのことで、詳細は教えてもらえなかった。少し待ってかけ直せばよかったが、それも面倒で、見に行けば済むと考え、2日後にひとりで行った。同館には何度も行ったことがあるが、常設展と特別展はチケットが別で、特別展のチケットで常設展に入ることは出来ない。これは珍しい。たいていどの館でも特別展のついでに常設展を見ることが出来る。常設展は三度ほど見たことがあるので、おそらく数点のみの展示であろう『松本奉時と伊藤若冲』だけ見るのに足を運ぶのは多少アホらしい。だが、仕方がない。掛軸が5点のみの展示で、残念ながら1点を除き、すべて尼崎での若冲展で紹介されたものだ。また、見ていない1点は山水画の周囲の余白に多くの印章を捺したもので、それらは奉時の交友の広さを示すものだろうか。その中に若冲の印はなかった。この絵の山水は若冲画とは何の関係もなく、奉時の画風があまり定まっていなかったことを思わせる。表具の本職のかたわらに趣味で絵を学んだのであろう。そのために作品が少ないのかもしれない。以前古美術商から聞いたが、奉時の作品は市場で見かけないらしい。それはともかく、この印章だらけの山水画も以前同館での奉時展に並べられたと記憶する。せめて若冲画は未公開のものを展示してほしかったが、どうも尼崎での若冲展で培った所蔵者とのパイプを重視しているのか、あるいはそれ以外の人脈がこうした公的な館では作りにくいのか、図録で紹介されている作品ばかりが並ぶ。言うまでもないが、本展の若冲画は馬と芭蕉の葉だ。その印章の拡大図も今日は載せておく。
●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_23591516.jpg

 若冲画は毎月のように新しく見出されており、そうした作品を借りて展示することはさほど難しいことではないだろう。だが、それには広く宣伝するか、あるいは古美術商と懇意になる必要がある。どちらも学芸員には時間を多大に取られることであり、また経費もかかる。それでも過去の展覧会の際に把握している所蔵家から借りるということになる。これでは研究が遅々として進まない。もっとも、奉時にしても耳鳥斎にしてもまだその人気が高いとは言えず、展覧会を開いても多くの来場者は見込めない。そうなると、税金を使って何をつまらない展示をしているのかという抗議がきっとある。奉時の名前にしても、若冲と面識があり、また若冲に近い画風で描いたというところで紹介される価値があると認められているも同然で、今回の小展示も『松本奉時』のみではほとんど誰も注目しない。逆に言えば、若冲の名前を出すことで少しでも興味を持ってくれる人があるだろうという、一種涙ぐましい目論見がある。どうせそうならば、もう少し進んで、出品数を20点ほどにし、また奉時に比重を4分の3ほどかけるべきだろう。ま、こういうことは学芸員と知り合いになれば言いやすいし、また実現の方向性も見えるかもしれない。わずかな学芸員の数では、毎月のように企画せねばならない小展示に振り回され、新公開の作品を集めるという労力は見出せない。ともかく、わずか5点ではチラシやパンフレットを作るほどでもないし、チラシやポスターがなければ展覧会情報は伝わりにくい。わざわざこの小企画展を見に来たといった人は筆者がその部屋にいた限りではいなかったと言ってよい。
●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_021327.jpg

 次に相国寺の承展閣美術館で開催中の『伊藤若冲の名品展』だ。同寺が若冲の質の高い作品を収集し続けていることを示す展覧会で、おそらく今後2,3年に一度は同じような名前で少しずつ作品を取り代えた展覧会を開くだろう。ただし、今回初めて筆者が見る若冲の作品は、同寺の所蔵なのか、それとも個人蔵を借りて来たものかはわからない。チラシに印刷されているものは同寺所蔵に違いないが、そうでない作品はそうとは限らない。本展も図録はなく、文字を印刷した目録とチラシ、ポスターが作られたのみだ。そして目録には、展示中の若冲の全作が同寺の所蔵といった断りがない。とはいえ、おそらくすべて同寺のもので、毎年のように若冲画を購入していると見る。おそらくそれは同寺が積極的に作品を探し回るのではなく、商売熱心な画商が売り込みに来る。学芸員の考えも含め、またすでに所蔵している作品とは雰囲気がだぶらないものを購入するのだろう。若冲画はとにかく数が多く、またその8,9割は鶏の絵で、しかも同じようなものばかりなので、珍しい若冲画を探すのは大変だ。ただし、あまりに珍しいと若冲とは思われにくいから、珍しさだけではなく、名品と呼ぶにふさわしい風格がほしい。となると、ますます入手し難い。それにそうした作品は市場に出ればほしい機関がいくつもあって値が吊り上がるだろう。その点は同寺は問題ないかもしれない。小さな寺では美術品を買う予算は捻出出来なくても、相国寺くらいになると、若冲画のひとつやふたつ、毎年購入しても財政に響かない。また、そのようにして新たに若冲画を購入することで、承天閣美術館の名前はさらに高まる。ということは、若冲の珍しい作品の出現が以前にも増して待たれている。そして、そういう作品はもはや一般人が入手出来る可能性はゼロに等しい。
●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_013034.jpg それはさておき、本展で筆者が見たかったのは、「菊虫図」という絹本の着色密画だ。これは去年だったか、どこか地方での『相国寺名宝展』といった巡回展に初めて展示されたと思う。小さな図版はネットで確認出来たが、細部を見るには作品の前に立たねばならない。本展でようやくそれがかなうこととなり、この1点のために出かけた。チラシの下端をほんの少しカットして図版を載せておくが、左上端の縦長長方形と右下の円形が部分図で、こうして取り上げられるところ、本展の目玉と言える。作品は思ったほど大きくない。半切で、「米斗翁七十八歳画」の署名がある。ただし、描かれたのは20年以上前、『動植綵絵』の時期だろう。このことに関しては話がややこしくなるのでここではこれ以上書かない。ほかに初めて見る作品が2点あった。1点は「売茶翁像」で、これは同じ構図のものが数点が紹介済みだが、本展のものは若冲と懇意であった梅荘顕常禅師による、初めて見る五言絶句の賛がある。若冲はいったい何点の「売茶翁像」を描いたのだろう。たぶん最低でも2,30点は描いたと思う。となれば、今後も新たに出て来る可能性があるが、それらはみなすでに知っている構図であるはずで、新鮮味は乏しい。確かに、どれもわずかな差はあって、本展の「売茶翁像」は公開済みの他のどの作とも違い、売茶翁の着衣には薄い藍が全体に刷かれている。保存状態がとてもよく、今までどこで埋もれていたのだろう。購入価格が気になるが、1000万はするだろうか。アベノミクスで景気がよいと言われれば、これからはもっと上がるかもしれない。だが、若冲ばかりが高価格になるのは、投機目的でもあるからだろう。前述したように、若冲周辺の画家でもそれなりに面白い。そして彼らの作品は信じられないほどの安価で買える。かつて若冲画もそんな時期があった。ブームになればそれが激変する。画家も人気商売で、芸能人と変わらない。早い話が与太者みたいなものだ。そういう連中の作品を真面目顔で学者と呼ばれる人が研究して飯を食べ、権威を標榜するのであるから、何となく笑えて来る。さて、初めて見るもう1点の若冲画は「伏見人形図」だ。全く同じ構図の作品が、確か『若冲アナザーワールド』展に出た。花魁と座る正面向きの布袋像で、本展作は左上の余白にびっしりと公卿の賛が書き込まれている。本展は相国寺が所蔵する若冲画すべてが一堂に会したものでない。それを思うと、まだ未公開の作品を抱えているかもしれない。若冲からはまだまだ目が離せないということか。
●『松本奉時と伊藤若冲』、『伊藤若冲の名品展』_d0053294_023463.jpg

by uuuzen | 2013-07-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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