沙汰やみになったのかどうか、これを書くわが家の3階の窓から見える料理屋の取り壊しが行なわれている気配がない。今月の1日から始まると回覧文書があった。その日にその店の周囲を歩いたが、何の気配もなかった。
1日くらい遅れるとしても1週間は考えにくい。とはいえ、表側からわからないだけで、別の出入り口を設けて、そこから内部にブルドーザーが入ったかもしれず、すでに建物や樹木の取り壊しや撤去は始まっているだろう。鳥ならすぐに飛んで行って確認するが、直線距離で100メートルほどというのに、用がなければその前を歩くことがない。会長をしていた頃は毎日のように自治会内を歩き回ったのに、今年4月からは回覧用の文書を書くだけで、随分と楽になった。会長職を3等分し、3人で手分けすることを画策し、そのとおりに事が運んだ。それにしても、過去4年、その3人分の仕事をひとりでしていたのであるから、家のことを初め、いろいろと疎かになった。家内は恨み節でそのことを暗黒の4年といったように言う。物は考えようで、時間を大いに取られたが、新たに経験したことも多々あって、それはそれでよかった。そのように慰めなければやっていられない役割であった。ところが家内は、筆者と興味が合う人は自治会内にほとんどいないし、心優しい人たちとそこそこ親しくなっても、何の益にもならないではないかと醒めた見方をする。それもそうだ。だが、顔見知りにならないよりなった方がいい。物は考えようだ。話を戻して、副会長になって役割が3分の1に減ったことは、3分の2の自由な時間が増えたことになる。ところがそのように感じない。かえってそのあまった時間をうだうだと過ごして体が鈍って来たようにも感じる。これは4年の間についた習慣がいきなり断ち切られ、戸惑っているからでもあるだろう。そのうち、いや、もうすでに慣れた気もする。うだうだ過ごすのは、天気のせいでもある。今日は体温に等しい気温になった。これでは昼間は居眠りも出来ない。わが家で最も涼しいのは1階の北側、玄関間だが、そこで過ごすことが多い。これからの酷暑を思うと、もうぐったりした気分になる。熱中症で今日は700人ほどが救急車で運ばれたと今しがたネットで読んだ。それに部屋がクーラーがあるのにそれを使わずに熱中症になる高齢者が多いようだ。家内に言わせると、高齢になると暑さに鈍感になり、まだ我慢出来ると思っているうちに、熱中症になってしまうとのことだ。蛙を水から茹でると高温になっても気づかないとよく言われる。そのことと同じだ。ところがこれは高齢者に限らず、人間すべてがそうだろう。この異常な暑さは人間の文明によるところが大だ。人間が賢いならば、なぜ地球温暖化が防げないのか。それどころか、ますます高温になり、体温より高い気温の中をサラリーマンがスーツを着て歩く。狂気以外の何物でもない。人間は蛙より馬鹿で愚かかもしれない。
あまりの暑さもあって、ムーギョとは反対方向にある桜の林や前述の料理屋があった場所には足が向かない。今日工事の気配がなかったとはいえ、正直に言えば、今日3階に上がったのはつい先ほどのことで、外は真っ暗だ。工事をしていたとしてもとっくに業者は帰宅している。それに今日は日曜日だ。工事はしない約束だ。明日は桜の林に行って温泉施設がどのように完成に近づいたかを撮影するつもりでいるし、ついでに料理屋があった場所にも立ち寄って撮影する。おそらく内部にブルドーザーが入って取り壊しを始めているはずだ。建物の取り壊しは、地元の郵便局前の鍼灸医院の鉄筋コンクリートの建物からもわかるように、周囲を防音シートで覆う。それは防塵も兼ねる。そう思えば料理屋であった場所はまだそんな覆いが見えない。あるいは建物の周囲を多くの樹木が囲っているので、それに遮られて見えないだけかもしれない。ま、こんな詮索をここでしても仕方がない。明日確認すれば済む。家の工事で思い出した。先ほどTVで久しぶりに「ビフォー・アフター」を見た。正しい番組名は知らない。また最初の方を見ていないので、どこに建つ家かは知らない。吉野と言っていたので、和歌山か奈良だ。100坪の古い家で、欅の大黒柱は9寸角、今ではもうそんな材木を新しく用意出来ないと言っていた。木を見いだせても、柱として使うことが出来るまでに50年という乾燥期間が必要だ。大金があっても自由にならないことがある。リフォームの費用は2500万だった。かなり変わった雰囲気で、それでその価格とはかなり安いと思った。わが家の隣家のリフォームは、内装を変えることで95パーセントは完了する。その内装もビニール・クロスの張り替え程度だ。居住面積は70数平米で、大したことはない。それでも従姉の旦那さんは1000万はかかるだろうと言った。そうだとすればリフォーム業者はぼったくりが過ぎる。つまり、先ほどの番組のリフォームは、かかった費用がいくらかとクイズとして出されれば、筆者は5000万くらいと答えたほどで、それくらいは充分すると思えるほど、庭の塀や納屋の作り変えも含め、全面的なリフォームであった。ただし、同番組はいつも設計代は含まない。それがいくらかかるかだ。工費の1割が相場と聞いたことがある。これも設計者の有名度によって差があるのは当然で、超有名人となると、工費と同じくらい請求するかもしれない。その番組で取り上げられた家は、重厚な日本建築であるから、どこにもビニール・クロスなど使われなかった。漆喰塗り仕上げだ。隣家も元は壁はみな漆喰が塗られていた。その上にクロスを貼ったのはいいが、素人がしたので、あちこちブカブカし、また隅までしっかり貼られていなかった。全部剥がすと、壁に貼りついているクロス裏の紙まで浮き上がっている箇所がとても多い。それらを全部こそぐのは大変だが、少しずつ剥がしている。ある程度剥がして、その上から新たなクロスを貼ればよいようなものだが、クロスの厚さによっては下地のそんなわずかな凹凸も表面に影響する。紙をこそぎながら思ったのは、紙を全部きれいに取り除き、クロスを貼らずに漆喰を塗るのはどうかだ。その方が材料費としては高くつくが、クロスのつなぎ目を見ないで済むし、真っ白なきめ細かい壁の方が清潔に感じる。
「リフォーム、リリフォーム」の題名として書くべき内容になってしまった。話を元に戻すとして、どこまで戻したものか。「沙汰」と最初に書いた。これで思い出すのはまず「ご無沙汰」で、次に「地獄の沙汰も金次第」か。実際はどういう意味かと今調べると、第一の意味は「物事の処理」だ。「沙」は「砂」の意味というのは分かるが、「汰」は「選り分ける」で、これはすぐにわかる人は少ないかもしれない。だが、「淘汰」を思い出せばなるほどと思う。「砂を選り分ける」とは、昭和30年代ではそんな光景を町中でよく見た。篩に砂をスコップでドサッと入れ、篩を前後に動かすと細かい砂が下に落ち、粒の粗いものが篩に残る。今そんなことをする業者があるだろうか。機械がやってしまうはずで、またモルタルは最初から砂を調合したものが市販されている。そのため、大きな長方形の篩も今ではもう作っていないかもしれない。昔と違って、使う材料が変わり、工期は大幅に短縮された。そのために、前述の大きな家も2500万で済んだに違いない。話が変わる。昨日は畳屋としばし話をした。4代目だ。経営が厳しく、副業に手を染めている。彼の言うことには、30年ほど前、まだ呉服業界の景気がよかった頃は仕事が多かったらしい。というのは、京都の呉服問屋はどこも畳を大量に使用していた。昔ながらに畳に座って客と交渉するからだ。また、キモノは畳の上で羽織る。京都の呉服業界が急激に斜陽になると同時に、畳業界もそうなった。筆者が昔聞いたところでは、「キモノは日本に畳がある限りはなくならない」であった。誰もがそのことを信じた。実際そのとおりでもあったのだろう。街中にキモノ姿を見かけなくなり始めたと同時に、家のリフォームに際して畳部屋はフローリングとなった。昨日の畳屋によると、畳部屋をフローリングにする例ばかりで、その逆はないそうだ。つまり、今の住宅はもはや畳部屋を考慮していない。完全に日本は欧米化したと言えるかもしれない。畳の需要がそのように減って来たと同時に、材料のイグサは中国産が多くなったそうだが、畳そのものを中国で作らないのは、畳は規格品のようでいて、そうではないからだ。部屋の縦横の寸法を測り、それに合わせて畳の寸法を微調整しなければならない。そのため、同じ畳1枚を同じ家のほかの部屋に移動してもぴたりと嵌らない。畳は厳密な誂え品ではないが、工場で全く同じサイズのものを量産出来るものでもない。そこが中国が畳を作ることの出来ない理由になっている。キモノもそれに似る。筆者の染めるキモノは本当の誂えで、着用者の身体の寸法を測ってから作る。ところが、脇や、袖と肩の合わせ目の絵柄が多少合わなくてもかまわない、あるいは最初からそういった縫い目には柄をつけないキモノがある。これは同じ絵柄で複数生産するもので、一点ものより安価であるのは言うまでもない。とはいえ、そういったものでも市場価格は数十万はする。ま、それはいいとして、昨日面白いことを聞いた。税抜きで1枚5万円する最上級の畳は、その上に立った時、かなり固いそうだ。その感じは最低の1万円の畳と似ているそうだ。弾力性が強い畳は数年のうちにぶかぶかになる。それは安物だ。もちろん1枚1万円の畳は3,40年持てばいいそうだが、その思いのほか硬い様子は、あながち安物であるためとは言えないそうだ。本当の最高級品を知っていないからそうしたことを言うとのことで、そう言えばキモノも似たところがあるかもしれないと思った。というのは、手描き友禅は、模様の多さに仕事量が比例し、全身模様だらけ、つまり総絵羽となると、筆者は下絵から完成まで半年ほどはかかる。ところが、そうした安価なプリントものは、たいてい総絵羽風で、素人はそれを手で描き染めたと思っているが、実際は縫い目で模様が合わず、「絵羽」とは言えない。プリントも本物の手描きもわからない人が安価なキモノを着るので、何の問題もない。ただし、何事も上があるとわかり始めると厄介だ。そして、見る人が見ればすぐにその価値がわかる。篩にかけられるのだ。特にキモノはそうだと言いたいところだが、家でも何でもそうだ。ただし、フローリング全盛となった今、最高級の畳がわからない人は多いだろう。料理のあった場所には4階建てのマンションが建つ。畳の部屋は設けられるのだろうか。忘れるところだった。、今日の写真は1年前の今日、七夕の撮影。