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●『恋せよシングルママ』
娠は結婚式を挙げてからというのが世間の常識だが、その逆が増えている。また、結婚するならばまだしも、それが無理な関係である場合もあって、妊娠は中途で強制的に終わらせられる場合もある。



昨日ネットで知ったが、日本のフィギュア・スケートの有名選手が父親の名前を明かさずに出産したことについて、週刊誌がそのことをどう思うかというネット・アンケートを実施した。たちまちそれが言語道断であるという意見が殺到し、週刊誌はアンケートを中止したが、企画したのはたぶん若手だろう。信じられないような誤字や発音がTVでは目立つ。アナウンサーや局員になる前の常識教育が昔ほどではなくなっているのだろう。何が常識かが揺らいで来ているからでもあろうか。これも昨日初めて知ったが、ツイッターだろうか、同スケート選手の出産に関して秒単位で画面に次々と意見が書き込まれていた。ある行を読んでいると、どんどん下方にずれて行くから、途中で見失うことが何度もあった。それほどたくさんの人が日本中から意見を書き込んでいて、リアルタイムでそれらが読める。どれも似た内容で、週刊誌の常識のなさに呆れていたが、なかにこういうのがあった。同選手が父親の名前を明かさないのは、明かせないからではないかというのだ。その理由はもちろん誰が父親かわからないからで、それほどの同選手のセックス・ライフが奔放であったのではという想像だ。こういう意見を同選手はとても悲しむのはあたりまえだが、世間はさまざまな見方をする。意地悪も含まれるのは仕方がない。同選手が同時に数人の男性と性行為を持ち、本当に父親が誰かわからなくても、自分の子であることは確かであるから、結局は生むのではないか。周囲から父が誰かと詮索されても黙っていればよい。そういう女性をとんでもないと罵る自由はあるが、女性にすればそのようにして妊娠、出産しても誰からも文句を言われる筋合いはない。ただし、子どもが成長する過程で父親がなぜいないのかと母に訊ねるし、その時に真実を述べられるかどうか。その心配はあっても、女性が父がわからない子を産むのは自由だ。そうであるから、同選手が複数ではなく、ある時期ひとりの男を深い関係になり、男も自分の子であるとわかっている場合は、なおさら父の名前を公表するかしないかは自由で、他人がとやかく口を挟む問題ではない。
 今日取り上げる韓国ドラマは数え歳19、つまり韓国では高校3年生で出産した女性が主人公だ。高校生の妊娠は特にこの2,30年は珍しくなくなっているだろう。処女でなくなるのが中学生というのもざらにいる時代で、高校生ともなればもう完全に性的には大人で、また最もセックスがしたい頃だ。表向きはとても真面目で、しっかりとした両親のもとで育ったような女性でも、案外数人の男と関係を持った経験があったりするから、セックスに関してはわからないものだ。それを思うのがこのドラマで、主人公の女性ト・ミソルは厳格な育て方をされたことが明らかな真面目で美しい顔をしているが、大学受験が迫っているというのに妊娠を知ってしまう。「やることはしっかりやっていた」と誰しも思うが、ま、実際そうなのだ。このドラマはそういう現実を深く掘り下げずに、とにかく最初にポンと妊娠したことを提示する。もっとも、なぜ妊娠したかについては視聴者は興味があるから、その説明はある。別のクラスだったろうか、交際していた男性コ・ソクビンがある晩、ミソルのもとにやって来て、涙する。何に動揺していたのかは忘れたが、ミソルはソクビンの悲しみを脱ぎ去ってやるために、ソクビンに抱かれる。その結果、1回の性交渉で妊娠してしまう。ふたりのその夜の場面は描かれないが、どういう状態であったかは大人なら誰でもわかる。抱き合っている間に行くところまで行ってしまった。避妊具をつける暇がないほど燃えていたということだろう。それに、まさか1回で妊娠するとは予想しなかった。体調が思わしくないので薬局で試験薬を買って来たミソルは、妊娠を知る。激しく動揺し、やがてソクビンに打ち明ける。ソクビンは寝耳に水で茫然とし、お互いの母親に妊娠が知られてしまう。ミソルは自分の母親にソクビンが父であることを言わない。そのため、学校の先生も含めて、ミソルが数人に暴力され、誰が父かわからないのだと思う。そんなひどい誤解があっても、ミソルはソクビンのことを言わなかった。一方、ソクビンの母は息子の将来を台無しにしてくれたとばかりにミソルを罵り、ソクビンの子ではないと主張する。そして、ソクビンの大学受験が目前に迫っているのに、アメリカに留学させる。ソクビンはミソルが出産したことを知らない。19歳、日本で言えば17歳の男とはそのように母の言いなりだろう。ミソルがソクビンが子どもの父親であることをなぜ明かさなかったか。それはソクビンの将来を思ってのことだ。つまり、愛しているからだ。そうとしか考えられない。あまりに一途な恋だ。ところがソクビンはさっさと留学してしまい、音信が途絶え、ミソルは高校を中退して出産した。周囲の目は冷たく、ミソルは母とともに転居し、それから7年が過ぎたところからドラマは新たな段階に入る。それまでの前段階は7回ほど用意されていて、高校生のミソルを演じるイ・ソヨンは、20代の大人の色気があり過ぎて、かなり無理がある。彼女は初めて見たと思っていたが、『春のワルツ』に出演していた。その時の印象が消えているのは、主役でなかったからだ。あるいは平凡な演技であったかもしれない。このドラマでも主役であるから目立ってはいるが、美貌を見せておればよく、演技はさほど難しくなかったのではないか。何と言っても難しいのは悪役だ。嫌われ役は本当の性格まで悪いと思われがちだが、それは役者冥利に尽きるだろう。
 高校生で出産し、しかも父親がわからないでは、どのようなハードな人生が待っているか。ミソルは高校中退後に大学はいちおうは出たが、子どもがいれば就職はままならない。そこで母が自分の子として籍に入れ、ミソルとともに暮らしている。これは現実的で、今でもよくあることだろう。そのままソクビンやその親と出会わない可能性が大きく、やがてミソルは別の男と出会って結婚というのが常識だが、それではドラマにならないので、ソクビンとの再会とその後の悶着をあれこれと描く。全50話で、少し長いように思えたが、最終回まではらはらさせ、見応えはある。それは、ソクビンとその母というふたりの大きな悪役がどう破滅するかという関心だ。最終回でそれは用意されているから、それまでの間、毎回視聴者は悪役のこれでもかという策略に怒りっ放しになる。その怒りは最後にすっかり晴らされることがわかっているので、安心して見られるが、韓国ドラマはそんなハッピー・エンドばかりとは限らない。ところがこのドラマは予想以上にソクビンを懲らしめており、脚本をそこまでする必要があったかと思わせないでもない。ソクビンが留学したのは母の強制による。その点でソクビンは犠牲者だ。ソクビンがミソルの出産を知っていれば事態は変わっていたであろう。ところが母親は中絶させたと嘘をつく。それに、ミソルたちは引っ越ししてしまったから、もう厄介事は全部片づいたも同然だ。ソクビンの母ペ・ジョンジャはイ・フィヒャンが演じる。彼女は悪役では有名で、このドラマでも本当の主人公は彼女だ。それほどに出番が多い。それに陰気な悪役ではなく、コミカルで図々しい、それでいて計算高く、用意周到といった複雑な人物を演じる。このドラマは彼女の演技なくしては成功しなかった。その点はソクビンも同じで、アメリカから帰って来てから、会社を乗っ取ろうと画策して行く姿は、顔の表情ががらりと変わって凄味を増す。それでいて、ミソルが産んだ自分の子の成長した姿を見ると、本当に子ども好きしか見せないような笑顔を絶やさない。表情が豊かなのだ。憎いソクビン親子の見事な演技によって、ミソル親子の憐れさはなおのこと光る。だが、韓国ドラマの常として、次第に真実が明らかになり、正義が勝利して行くので、安心して見られる。それは退屈と裏腹でもあるが、このドラマでは難しい問題をどう決着させたものかを、視聴者の反応を見ながら修正して行ったのではなく、最初からソクビンは邪魔者として消えさせるしかないと考えられたのだろう。
 ソクビン親子が完全な悪役であれば、ミソルが産んだ子を無視するはずだが、7歳になったかわいい孫を見て、ジョンジャは目を細めるし、それはソクビンも同じで、親権を求める。見捨てるには惜しくなったのだ。その理由は、ソクビンは渡米している間に性病に罹り、無精子病になってしまったことがわかったからだ。もはやソクビンは子が作れない。ところが、ソクビンは渡米中に仲よくなった女性と結婚し、その女性はソクビンがミソルと偶然再会して以来、よそよそしくなったため、その腹いせに旧友の男と一夜を共にし、妊娠してしまう。ソクビン親子はそれを知って離縁しようとするが、会社を乗っ取るためには孫が必要で、妻の不貞を黙認する。このように打算的なソクビン親子は、なぜそうなったか。それはジョンジャの夫の兄が社長で、その豪邸に同居しているのだが、社長は子がないままに妻を自動車事故で亡くしてしまったからだ。社長は妻の母、そしてソクビン一家と一緒に暮らしている。社長の妻は夫と結婚する前、ミソルと同じように出産した。そのことを名家の恥とばかりに母は許さず、生まれてすぐの子を孤児院に拾われるように棄てた。そして何事もなかったかのようにして娘に婿を娶ったが、ふたりの間に子は出来ず、また妻は子を棄てた罪悪を感じたまま死んでしまった。だが、夫である社長は妻のそんな秘密の過去を知らない。死っているのは妻の母だけだ。彼女は娘が亡くなってからは、20数年前に自分がした行為を恥じて、密かに孫を探している。そのことを知った同居一家のソクビンたちは、どうにかして孫が発見されないように願い、また早く自分たちの子を社長の養子にさせ、ソクビンが次期社長になるべく動く。棄てられた孫はミソルの妊娠時の高校の先生が育て、やがてミソルと出会ってふたりの恋は発展する。そこにもたくさん茨が待っているが、ふたりは少しずつそれを乗り越えて行く。
 ここで疑問なのは、ミソルはソクビンのことをどう思っていたかだ。一度の性行為で妊娠してしまったとはいえ、お互い恋人であるとは思っていた。また、ミソルはソクビンが留学したのは母の強制であることも知ったはずで、本当ならば、ソクビンの思い出を心に宿しながら子育てをしたであろう。大きくなるにつれて子の顔はソクビンに似て来る。ソクビンが帰国し、会社の重要な地位に就いたことを知ってもミソルの心はぶれない。完全に冷めている。ソクビンはミソルとやり直したいとまで言うが、ミソルは応じない。これは新たに男すなわち前述の棄てられた孫と知り合い、彼から猛烈に迫られたからだが、7年の間にすっかりソクビンのことは忘れたということだ。ここに子を産む女の強さを見る。もっと言えば、母となった女にとって、自分から去った男は何の価値もない。ミソルとソクビンの間はそのように割り切れるだろう。ところが、年々子どもは大きくなって行く。子どもから父親は誰かと聞かれるのは当然で、保育園で子どもはさびしい思いをする。そのためにも、ミソルは結婚し、新しい父親を子どものために作ってやるべきだが、数えで7歳と言えば、もうかなり大人の事情はわかっている。子どもの心を中心に考えた場合、ミソルはどうすべきか。このドラマのある意味では一番大きな問題はそこだ。会社の社長の妻の母は、かつて娘が出産してことを直視出来ず、娘の嘆きを無視して赤ちゃんを棄てた。一方、ミソルの母は、ミソルが父の明かさず、また堕胎にも応じないことを認め、そしてわが子として籍に入れて育てた。この対象は鮮やかだ。金持ちほど世間の対面を気にしているということで、現実はそうだろう。堕胎や出産経験があっても処女のような顔をして結婚する女性は少なくないはずで、そういう現実が韓国でも珍しくはないことをこのドラマは紹介している。きわめてナイーヴな問題をどうドラマ化し、また妊娠した女性はどう対処すべきか。周囲の社会はそのことにどういう援助や温かい眼で見ることが出来るか。ソクビン親子の財産狙いとは別に、そういう社会的に大きな問題も描いているところがよい。最終回まで数話というところで、たまたまミソルは15歳で妊娠した女性に出会う。ミソルはいろいろアドヴァイスし、彼女が無事出産出来るように手配する。そのエピソードはこのドラマの中心話題からすればなくていいものだが、未婚の母となったミソルがいかに学び、それを同じ境遇の女性に伝えようとしているかを思えば、ソクビン一家の成り行きよりもむしろ大きく扱ってよかった問題だ。さて、欲を出すソクビン親子がどういう末路をたどるか。それはこのドラマを見る者全員の楽しみだ。
 いじめ抜かれ、騙され通しであったミソル親子に最大の幸福が訪れることと、ソクビン親子の没落は裏表の関係で、ミソルが会社の社長となるべき孫である青年と目でたく結婚することは、ソクビン一家は会社を去らねばならないことだ。それだけならまだ足りないとばかりに、最終回では予想のつかないソクビンの悲劇が用意されている。交通事故に遭い、一命は取り留めたものの、脳をやられてしまう。そして廃人になるが、子煩悩な彼はミソルとの間に産んだわが子と会っている時のみ笑顔を絶やさない。そういうソクビンを見ながら、ミソルと恋人の孫はどういう気分だろう。ソクビンには親権があるから、ミソルが結婚してからも、週に一度はソクビンに会わせるという約束をしていた。その約束以上にミソルは廃人になったソクビンに子どもを引き合わせる。ソクビンが廃人になるという筋書きは、ソクビンはミソルに妊娠させながら、尻尾を巻いてアメリカに逃げたためと考えることが出来る。母親を説得し、ミソルと結婚していればよかったものを、ソクビンの母は金に目がくらんだ。だが、それが現実であって、ソクビン親子のようにドライに動く連中が大金持ちになる。一方、出産したミソルは生涯慎ましく生きるしかない。若気の誤りがどれほど生涯を悲惨なものにしてしまうか。そういうことのないように、高校生はセックスなどするな、あるいは避妊を忘れるなということか。最終回でソクビンとミソルの子は、廃人になった父親にとても優しかった。彼は新しい父親にもなついているが、実際の父はソクビンであることを知っている。その父が廃人になってしまったことは、笑顔で接してはいても、大きな心の傷だ。母のいいなりになったソクビン、それに孤独に出産したミソルは憐れだが、もっとそうなのは子どもだ。子どもは自分が両親のどういう愛から生まれて来たかに興味はあるし、また知る権利もあろう。母が父の名を子に明かさないまま母子家庭で育てることは珍しくないが、そのようにして育った子の心を想像すると、言いようのない孤独が巣食っているのではないか。母の愛情の大きさによってそれをカヴァー出来るという意見もあるが、あるべきものがないという欠如感の最大は親であって、それを埋めるものはほかにはない。
by uuuzen | 2013-07-06 23:58 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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