滲みが広がって行くように都市は膨張し続ける。地図を見るとそんな思いを新たにする。腫物がどんどん膨らんで赤くなり、ついには膿が出て萎む様子は昔ならたいていの子どもなら経験した。
それは火山と同じで、自然なのだと納得した。栄養状態がよくなって今では青洟を垂らす子を見かけなくなったし、腫物すなわち大阪弁で言うデキモンが目立つ子もいない。そのためデキモンが火山と似ていることを思いもしないかもしれない。都市の拡張がデキモンのようだとすれば、それは自然ということだ。そして、いつか破裂して萎む。昨日は富士山のことを少し書いたが、昔読んだ本に、富士山を誉めそやす考えに水を差すことが書いてあった。日本の文豪で、誰かは忘れた。富士山は確かにきれいな形だが、それは自然が作ったもので、日本人が自慢すべきことでもないというのであった。それに、何万年か経てば噴火して形は大きく変わっているであろうし、そのようになってもまだ富士山が美しいなどと言っているかとも続けていた。何万年も経たずどうやら富士山は噴火しそうで、そうなれば頂上あたりの形はあまり変わらないかもしれないが、中腹辺りに大きな変化があるだろう。富士山が世界文化遺産になったのは、欧米の日本に対するイメージの代表が、100年もっと前から北斎などの浮世絵を初めとして、フジヤマ、ゲイシャとしてみなされたことが大きく影響しているはずで、つまりは日本への眼差しは100年前と大差ないということだ。これは手放しで喜べるかどうか。それはとこかく、北斎の『富嶽三十六景』に因んで筆者は地元からよく見える小倉山をさまざまな場所から見て写真に撮り、それに短歌を添えて『小倉三十六首』をやってみようと5年前に考えた。小倉山は富士山のように高くはないが、百人一首で誰でも知る。その小高い丘と言ってよい山は、近所を散歩している時にも見えるし、松尾辺りからも見える。そのため、36種の写真ないし絵は揃えられるだろう。ところが問題は短歌だ。筆者は俳句もどきは作るが短歌は苦手だ。だが、いろんな短歌に触れてみると、俳句よりむしろ簡単な気がする。それでも香り高いものとなると無理だ。それに小倉山をいろんな季節にいろんな場所から撮るというのは、絵はがき的な構図ではなく、むしろ前景に生活感が露わな何かを写し込み、遠景によく見ると小倉山があるといったもので、それは『富嶽三十六景』の手法でもある。となると、パロディ色が濃く、写真か絵に添える短歌もそのようなものになる。ともかく、筆者にとっては遠い富士山より、わが家からすぐの小倉山の方が馴染みがある。
「滲み」で思い出すのは癌細胞の広がりだ。都市は癌細胞のようなもので、縮小を知らない。癌細胞は不自然な生活すなわち不摂生を続けることによって発生するようだが、癌そのものは自然であろう。人間が病気になることは自然だ。体力が衰え、やがて病気になって死んでしまわねば、いつまでも老人が世の中に溢れて若者が困る。癌はデキモンの親玉のようなもので、いつか破裂してなくなってくれればいいが、人間の死の方が先にやって来るから困る。ということは、癌は火山やデキモンのように自然ではないことになる。人間の不摂生から生まれた癌細胞が人間を苦しめ、死に追いやるとするならば、それはあたりまえと言うべきことで、癌よりも不摂生をする根性を憎むべきだろう。今朝のネット・ニュースに、生肝移植した人の7割だったか、手術後にまた酒を飲むようになり、その2割がそれで死ぬとあった。昔は「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言ったが、人間は死んでも治らない。肝臓を移植するより脳を移植すべきだ。「滲み」に話を戻す。「滲」はサンズイがあるように、水に関係した言葉だ。人間は水がなければ生きられない。癌細胞もそうだ。人間の身体には水がたくさん詰まっている。ということは都市も同じで、実際建物が出来る前に上下水道工事が行なわれる。水を必要とするのは植物もだが、航空写真では森林田畑は緑色をしている。都市はコンクリートやアスファルトの灰色で、これがどんどん広がって行く。それでは味気ないというので、安藤忠雄は大阪のビル街に緑を増やそうとしているが、それが何となく不自然な行為に見えるのは、鉄とガラスの高層建築物に慣れてしまったことと、緑化の程度があまりにも小さいからだ。ともかく、不自然な都会に慣れてしまうと、自然の緑が不自然に見える。人間は何にでも慣れる動物であるから、そのことを不思議とも思わない。ついでに思い出した。今朝のTVでちらりと見た。以前から言われていることだが、遺伝子検査で将来罹る病気の種類とその確率がわかるし、また中国ではどういう才能を持っているかを早く知り、幼児教育に役立てているとあった。どんな病気に罹るかわかっても不安が増すだけ、また特定の才能だけ効率よく伸ばすことは野菜や果物の栽培と同じで、人間の養殖だ。養殖もんが自然のものよりおいしくないことは誰でも知るが、養殖もんしか口に入らないような時代になって来ている。そうなれば、養殖こそ自然とみなされる。
ようやく今日の本題に入る。グランフロント大阪はJR大阪駅北側、阪急電車の西側に今春出来た。筆者は家内と確か4月28日に行った。TVで盛んに放送され、近畿大学が研究している養殖マグロを料理して出す店があることも知り、そこを覗こうと思いながら、結局探し当てられなかった。完全な田舎者になっていて、案内パンフレットを見てもどこがどこかわからない。グランフロントのエリアはJR貨物の線路際の広大な空き地で、大阪人でも馴染みがなかった。線路をトンネルで西に越えた空地に観光バス・ツアーの集合地があったが、今はどうなっているのだろう。大阪駅北側は、昔国鉄のビルがあった。筆者は仕事の打ち合わせでその内部に二、三度入ったことがある。そのビルは小判形で、ほぼそのままにヨドバシ・カメラになった。それが20年ほど前か。そのことで大阪のキタは大阪駅の北側に広がるしかないことが予想された。グランフロント大阪はその実現だ。JR貨物の線路は今もたくさんあって、その東がグランフロントで、西にはそれに対峙する形で、貨物の線路を挟んで四半世紀ほど前に凱旋門のような形をした新梅田シティのビルが建った。世界的に有名な建築で、外国人がよく訪れるそうだが、大阪駅北は阪急側には昔から頻繁に行っても、西はこの建物が異様に高くて目立ち、殺風景なあまり、筆者にはさっぱり馴染みがない。グランフロントが出来たので、相乗効果で活気づくことが予想はされるものの、何しろ幅広い線路の土地が間にある。この東西の分断がなくならない限り、大阪駅北側は人の賑わいは望めないのではないか。とはいえ、オープンしたばかりの4月終わりから5月の連休は大変な人出であったようだ。それに混じって筆者らも見て来た。人に揉まれてざっと回っただけで、どこかで食事することもなかったから、一昨日、昨日のハルカスと同じく、外観の写真を載せるだけだ。食事で思い出した。グランフロントの特徴ある店として、ビール博物館もTVで何度か紹介された。世界の100何種かのビールが用意されていて、東郷元帥の肖像をデザインしたラベルのものがあるかと思うと、たぶんなかった。家内は飲めないし、また長蛇の列で、この店にも入らなかった。オープン当初の賑わいが下火になった頃では並ばなくても入れるだろう。ゆっくり待てばよい。ただし、500ミリ・リットルが1500円や2000円するのであれば入らない。そんな価格では大阪人はそっぽを向くだろう。
グランフロントに行くにはJRの大阪駅を越える。この駅は去年だったか、駅の上に京都駅に似た大きな空間が出来て、新梅田シティほどでもないが、長いエスカレーターで上へ上へと導かれる。また、梅田大丸ともつながって、駅の様子は一変した。そのあまりの変わり映えに驚いていると、その延長に今度はグランフロントが登場した。今日の最初の写真はJR大阪駅の伊勢丹百貨店近くから北のグランフロントを見通したもので、向こうに見える縦縞で楕円の建物がそうだ。ただし、これは南館で、さらに北にもビルがある。味があるのは南館で、大阪駅との接続部分が広場になっていて、地下にも店がある。この雰囲気が解放的でよい。高層ビルはオフィス部分が多く、大半は一般人には関係がない。2枚目の横長写真は南館の脇から大阪駅ビルの北面を見たものだ。前述の広場の意味が多少はわかると思う。たくさんの人がいて、また初めて見る場所だけに、1970年の大阪万博を思い出した。写真右端に少し見えているように、JR貨物の倉庫群が目の前にあって、再開発途上であることがわかる。このJR貨物はいずれ撤去されると思うが、その跡地をどう使うかが話題になっている。サッカー場を設けようというのもあったが、筆者は反対だ。3枚目は南館だったと思うが、通りに面したウィンドウの中に人間マネキンが立っていた。黒人と白人の女性で、ちょうど通りがかった時に大きく動いたのでびっくりした。観客は盛んに写真を撮っていて、それに向かってマネキンは手を振っていた。北館は車道をわたらねばならず、信号待ちが長い。この道路がせっかくのグランフロントを大きく二分していて、高齢者は北館に行く気が削がれる。北館は直方体のビルで、テナントはそこそこ珍しい物が入ってはいるが、庶民かつ老人には縁遠い。最後の写真は新梅田シティのアップで、この日に撮影したものかどうか記憶が定かではない。角度からして同じ日と思うが、あるいは半年ほど前に大阪駅ビルから撮ったかもしれない。側面に大きく反射しているのはグランフロントの南か北のどちらの館だろう。グランフロントまで歩くならば、ついでに足を延ばして阪急中津まで行くのがよい。その辺りは筆者はまだ知らない。大阪は広いから、筆者の知らないところだらけだ。そして、再開発が限りなく続き、高層ビルがじわじわと滲んで行く。「グランフロント」の名称は、この地区が大阪の表玄関になるという自負の表われだが、あべのハルカスの登場によって、南部にも大きな玄関が出来る。大阪湾はウォーター・フロントと呼ばれるから、そのうち四方玄関だらけになる。「いらっしゃい! 大阪」のかけ声からすれば、それは自然なことで、大阪がますます賑やかになるのはよい。最後におまけでもう1枚、ビルの窓に映るビルの写真を。これは上述の新梅田シティの写真や、同じようなビル中ビルを撮って使うつもりでいたが、いつのことやらわからず、没になる可能性が高いので、今使っておく。撮影場所は神戸だ。どこかわかった人には何か贈ります。