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●『若冲と琳派』
チケットに余分があったので、日を置いて高島屋に足を運び、会期最終日の今日も観に行って来た。



●『若冲と琳派』_d0053294_023562.jpgだが、実際に最初に観たのは、この展覧会が最初に開催された2003年12月27日にも大阪難波の高島屋でのことだ。その時図録を買ったが、巡回地として2004年4月まで東京、横浜、名古屋でも開催されるとの記述がある。好評だったようで、名古屋の後に作品を収蔵する細見美術館で凱旋展が開催され、そしてさらに地元の高島屋でも開催されることになった。つまり、筆者はこの展覧会の最も初めの日と、本当の最終日に観たことになる。その間に約1年9か月が経っている。京都でも観る気になったのは、次にこうして細見美術館所蔵の若冲の作品にまとまって接する機会は、少なくとも数年先になると考えたからだ。それで、結果的に今日は観に行ってよかった。大きく得るものがあったからだ。そのことについてはここには書かないでおく。じっくりと間近で作品の前で考えれば、予想外のことが見えて来ることがある。作品との対話とは本来そういうものであるはずだが、会場を訪れる大半の人はものの10秒も観ないで次の作品に移動して行く。柳宗悦は作品の展示場ではじっくりと鑑賞することをせず、ぱっぱっと素早く見て行ったそうだが、それは美とは何かをずっと考え続けていて自分の目に確信を持てる人だけが可能な鑑賞方法で、直観力に信頼を置いている。この直観は誰にでもあるから、柳のように習練を経ずとも初見の作品の価値を瞬時に値踏みすることは出来ると言えるが、何が柳と異なるかと言えば、愛好する作品を日々眺めて、その特質を充分に把握し続けるという実績を持っている。簡単に言えば目が肥えている。この目の肥え方には段階があり、またきりがないものだが、観る人の関心や知識の多寡によってある作品は自在に人々にとって占める位置が変化する。それでも最初の直観は長らくその後を左右するもので、後から知識が増えても作品への愛情が深まることはあまりないように思う。だが、その直観も経験をたくさん積むと深まる側面があり、絵のことにほとんど何の関心もない人の直観と、美術畑で生きている人のそれとを同じ地平で語っていい場合と、全然そうではない場合とに分かれる。
 絵が好きな人は多い。誰でも美しいものは好きだからだ。次に多いのは絵を描くことの好きな人だろう。その次に絵を買う人が来る。絵を買うというのは一般の感覚からすれば贅沢なことだ。カレンダーを壁にかけるだけでもそこそこ部屋の感じが変わるし、用も足すので、絵を買うことなど思いもよらない人があるだろう。だが、一歩進んで、自分が気に入った版画なりを買って部屋にかけ、自分だけの空間を演出したいと思う人がある。筆者はその部類だが、絵を買うのはいい趣味としても、自己抑制しないと、たちまち貯金がなくなる。ある人が堅物に対して、「ゴルフをせず、車にも乗らないからお金がさぞかし溜まることだろう」と言ったとする。よくある話だ。だが、その堅物が密かに絵を買うのが趣味という場合もある。すると、ゴルフや外車どころではないほどのお金が費やされる。そんな人はおそらくたくさんいる。そしてそんな趣味人が会社を経営して、絵画購入のための潤沢な資金があるとすれば、次に考えるのは美術館を建てることだ。大金持ちは日本にたくさんいるから、美術館を所有しようと思えばいつでもそれが可能な人はごまんといるに違いない。だが、作品を集めるのはお金よりも時間が必要だ。作品と出会うという運も欠かせない。お金だけあっても駄目なのだ。結局、絵が好きという最初の情熱をいかに持続させるかが問題となる。そんないくつものハードルを越えて、自分が生きている間にコレクションを充実させ、そしてそれを一般公開する美術館を所有する人が稀にいる。細見美術館は実業家の細見良に始まる細見家3代にわたる蒐集を所蔵公開するもので、今回の展覧会が最初に難波高島屋で開催されたのは、繊維業で財を成した泉州出身の細見良を思えば当然の計画であったかもしれない。細見美術館の最後の展示室には常設かどうか知らないが、細見良の生涯を日本画家に描かせた絵巻物や、氏が描いた水墨画の小品がかかっているが、正直な感想を言えば、どちらも感心しない。コレクションを始めた初代を讃える意味合いは理解は出来るが、一般鑑賞者からはわざとらしい展示物にしか見えない。氏は絵は好きではあったが、画才は全くなかったと言ってよい。絵は人柄を表わすとするならば、氏の絵から伝わるものは、会って話をしたくない人の典型に思える。それは下手とか上手というものとは別の問題だ。下手でも愛らしい感じを伝えるものもあれば、逆に舌を巻くほど達者でも厭味な場合がいくらでもあるが、下手でいやな感じとなれば最悪だ。
 細見美術館が若冲の作品をかなり所蔵するというので、ここ数年にわかに知名度が上がった感がある。小学館が発刊した『若冲大全』は、どういうわけか細見美術館所蔵の作品がほとんどすべてと言ってよいほど掲載されている。これは何らかの陰謀めいたことを感じさせるほどと言ってよい。もっとほかにも掲載すべき作品が存在しているはずなのに、あまりに偏った一美術館の贔屓では『大全』の名が泣く。それはさておき、細見美術館が建っている場所は、以前はやや老朽化したフランス料理店だった。1、2回しか入ったことはなかったが、ある日急にそれが取り壊され、コンクリートの壁で囲まれた箱型の美術館が建った。平成10年のことだ。通常の美術館とは違って、各部屋が独立して部屋毎に自動扉があって、内部は収蔵庫を改装したような印象を与える空間になっている。京都の美術ゾーンである岡崎の一角に建っているので、環境としてはこれ以上は望めないものと言ってよい。泉州で同じものを建てても人はやって来ないだろうから、この美術館が京都に建ったのはよい考えだった。それに所蔵作品が江戸期の京都、しかも琳派を中心としたものであることから、京都以外では考えられなかったとも言える。琳派やそれに少なからず関係する若冲を蒐集するコレクションと言えば、即座にアメリカのジョー・プライス・コレクションを連想する。光琳を多数集めることは無理でも、抱一や其一ならまだどうにかなるといった時代に集中的に作品を集めたのも共通している。若冲にしても細見氏が買った当時はまださほどの価格でもなかったろう。細見美術館の絵画がプライス・コレクションとよく似た傾向であるとしても、やはり経済力の差か、それとも情熱の差か、いずれにしても個人コレクションとしては後者の方が筋が通っていて、逞しさすら感じさせる。また、プライス・コレクションで見る琳派の作品が、いかにもアメリカ人好みのおおらかさに叶って見えるのに対して、細見美術館のそれは光琳を生んだ京都にあるため、それなりに雅びさを伝えはするが、その雅びの質にどうも違和感を覚える。これは抱一や其一が江戸絵画の文脈で考えられるべき人物であるということが主な理由ではなく、細見氏が琳派に関心を抱いた理由がよくわからないからかもしれない。琳派や若冲を売りにする美術館が京都にあるのは喜ばしいことだが、これは単なる偏見かも知れないが、丁稚奉公から財を成した初代細見氏が琳派に関心を抱くことが何だか奇妙な印象を与える。特徴がありそうで、あまりないという感じがするからだ。琳派は現在かなりブームになっているが、そこから考えれば細見氏の目は先駆的であったことになるが、琳派の作品は一級品はいいとして、それ以外のものはあまり鑑賞には堪えず、観ていてもありがたみが少ないのだ。抱一や其一はそれなりにいい絵を描いたが、個人的な考えを言えば、宗達や光琳に比べてかなり女性的で軟弱、単なるエピゴーネンであって、才能は及ばない気がする。
 京都高島屋の美術ホールはいつもとは違って、壁面ががらんとしていた。出品数が少ないからだ。だが、あまり作品が多過ぎるのも疲れるから、今回の展示数程度でちょうどよい。前半は宗達や光琳から始まって抱一や其一につながっていたが、細見美術館が琳派を集中して集めていることがよくわかる展示となっていた。宗達の「双子図」は水墨画で面白い絵だが、上部の賛が無染のものであることに初めて気がついた。無染では時代が合わないのでおかしいなと思い、帰宅して図録で調べると、宗達の没後に無染がしたためたものであると説明があった。これはこの絵が真作とすれば当然の話だが、絵と賛は最低でも100年は隔たっているはずで、そんなことが現実にあるのかどうかちょっと疑問に思う。なぜなら、この絵は上部に賛を書くための余白を前もって充分に空けて描かれているが、そんなふうに上部が空いたままになっていた絵を100年後に僧侶が賛を書くのかどうか、話はかなりミステリーじみている。大体、生没年が不明な宗達の作品がそうざらにあるはずはなく、現在細見美術館は宗達展を開催しているが、国立の美術館、博物館ですら宗達展はほとんど開催した経緯がないことからして、一体どういう宗達をどれだけ並べているのやら、何だか途方もないような話でにわかに信じがたい気がする。光琳の作としては香包に柳を描いた小品があった。これは実によかった。落款はないが、光琳の卓抜なデザイン感覚がうかがえる。仮に後世の模写だとしても、元の絵は光琳が描いたものに間違いない。抱一や其一になると、さすがにたくさん作品が伝わっているらしく、今回も充分に堪能出来るほど多く並んでいた。抱一や其一は絵の技術的なうまさでは光琳より上かもしれないが、それは時代がそうであったからであり、そのうまさが逆に小手先のものに見えてしまう。抱一や其一が活躍した時代ではもう琳派は絵画の主流ではなかったと思う。そんな意味で、細見氏は保守的で装飾的な絵が好みであったことがわかる。一代で財を成すような人物は、古美術ではなく、もっと激しい現役画家の前衛的な作品を集めるものという妙な考えが一般にはあるかもしれないが、ま、美術コレクターもさまざまだ。
 会場の後半は若冲のコーナーになっていた。細見美術館が所蔵する若冲は興味深い作品がある。質が高いという意味ではなく、どちらかと言えばその逆で、問題作があるという意味だ。それを確認したいために2回も訪れた。もう1枚チケットがあったので、会期があればそれも使用したが、結局2回にとどまった。それで、ガラス越しにじっくりと鑑賞、観察したが、疑問は解けず、かえって謎が深まった。今後も考え続けるつもりでいるが、若冲にはまだまだ謎が多いということだけを書いておく。若冲コーナーを抜けて最後の部屋には七宝の工芸品がまとまって展示されていた。こうした工芸品まで細見美術館が手を広げて蒐集していることは珍しい。七宝は中国のものが有名だが、日本にもこのようなものがあったのだと認識を新たにする機会となっている。もっとも、京都の岡崎のすぐ近くには、七宝で有名な店もかつてはあったし、今は小さな美術館もあるから、その気にさえなれば、七宝はまだ身近に感じることは出来る。展示されている七宝作品には釘隠しがいくつかあったが、これを観て、細見氏はいずれ建設する美術館を日本建築でデザインし、コレクションの中からいくつかの釘隠しを実際に使用したい思いがあったのかもしれないと感じたが、実際に建ったのは前述したように、外観はきわめて殺風景な箱型の鉄筋コンクリート造りであった。それにしても細見氏は七宝蒐集にこだわりたい何かがあったのかもしれない。今回の展示では数が限られていたが、おそらくそう思わせるだけの質と量があるのだろう。だが、七宝だけではなく、細見美術館を訪れると、ほかにも珍しい作品がいろいろとある。若冲だけでクローズアップされるのではなく、京都が生んだ琳派を再確認するためにも一度は観ておくべきコレクションと言ってよい。
by uuuzen | 2005-10-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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