砕く力が左右で違うことを最近食事のたびに気にする。ほとんど右側で噛んでいて、そのことに気づいてすぐに少しは左でも噛むようにするが、強く噛むと歯肉が少し痛い。それでなおさら右で噛む。
人の顔は精確な左右対称ではないとよく言われるが、年齢を重ねるほどにそれがひどくなって行く。歯並びがそうで、若い頃にほんのわずかにずれていた箇所が年々ひどくなる。高齢になるとそのように歪みがどんどん増して行くから、整形手術を受けた人は不自然さがよけいに際だって来る。筆者の顔の左右は今では右の顎が左よりかなり出っ張っていて、これは右ばかりで噛むせいだが、そのことで脳にも影響が出るのではないかと思う。また、左で噛む頻度が少なければ、やがて左の歯は劣化して右より早く抜けそうな気がする。それとも右ばかりで噛むので右の減りが早いとも思える。歯がいつまでも丈夫で、硬いものを噛み砕く力が衰え知らずであればいいと思うが、90近くで死んだ伯母は虫歯が一本もなかったのに、亡くなる5,6年前に痴呆症になって寝た切りであった。体の中で何が最も早く衰えて行くかは誰にもわからない。遺伝子の検査によって今では寿命がどれほどで、どういう病気に罹る割合が大きいかもわかるようになって来たが、そうなったからといって人間が幸福であるかどうか。今日は「砕」という文字を最初に書いたのは、目下地元の郵便局前でビルの解体工事が行なわれていて、防音防塵の覆いの隙間からコンクリートをバリバリともぎ取って行く機械が見えるからだ。もっと小さなコンクリートの塊なら、電動ハンマー・ドリルでやるが、4階建てのビルともなるともはや人の手には負えない。人間の何十、何百倍もの力を持った機械を人間が操って、時間も大いに短縮して取り壊しを終えてしまう。粉塵が巻き上がらないように絶えずホースで水をかけている若者が傍らにいるが、それでも吸い込むはずで、しんどい仕事だ。その建物は鍼灸医院で、ここ2,3年は特に老朽化が目立った。営業していなかったのかもしれない。筆者は鍼灸には今まで縁がなく、これからもそうありたい。そのため、なおさら地元では特に目立ったこの鍼灸医院に注意を払うことはなかった。その医院の名前と同じ名字の家がすぐ隣りにあって、そこに入って行く男性を一度見かけたことがある。その時にようやくその男性の名字を知ったが、もっと以前からその男性のことが気になっていた。
かなり以前にブログに書いたと思うが、その男性と一度だけ言葉を交わしたことがある。もう10年ほど前のことだ。阪急嵐山駅に着いて切符を改札に入れた時、音が鳴って仕切りが閉ざされた。駅員が飛んで来て筆者が入れた切符を確認すると、電車に乗る前に改札に入った時に自動的に開けられる小さな穴がなかった。つまり、改札を通らずに電車に乗ったということで、駅員は半ば威嚇する顔、半ば嘲笑する顔でそのことを筆者に行った。わけがわからない筆者はそんなことをしていないと言ったが、駅員は機械が間違うはずがないと言う。そんなやり取りを始めた途端、また改札が同じ音が鳴った。駅員はその男性の切符も見た。同じように穴が開いていない。今度はその男性相手にキセルの疑いをかけた。切符を見比べると、筆者と同じく四条河原町からの乗車だ。見知らぬふたりがキセルをし、うまい具合に同じ駅に降り立ったと駅員は思っている。機械が間違うはずがないと頑固として譲らない。人間は間違うが機械は間違わないと思う相手にどう反論出来るだろう。正直な話、こういう知能の低い人を相手にするのはしんどい。結局駅員は今回は見逃すといった素振りでふたりを解放してくれたが、その後筆者と筆者に続いて改札を出た男性が通った改札ではどの切符も穴が開けられなかったことがわかったであろう。機械が間違うはずがない? 機械はよく壊れるものではないか。ま、人間もそれは同じで、筆者に応対した駅員が壊れていたと思えばよい。ところが人間の思い込みが治るのは機械より難しい。ましてや何十年も生きていると、自分はどこからどこまでも正しいと思っている。さて、その一件で筆者はその男性と顔見知りになった。それ以前からも顔は知っていたが、より親しくなったと言ってよい。ただし、立ち止まって話すことはなく、家の近くや電車の中でたまに会うたびにあいさつを交わす程度であった。筆者はあまり視力がよくないので、たいてい相手の方から先に筆者を認めて笑顔で頭を下げた。腰の低い人で、笑顔はまるで恋人だけに見せるような親しげなものであった。年齢は筆者と同じかひとつかふたつ上だろう。いつもスーツに革のカバンという格好で、スーツはかなりたくさん持っていて、またお洒落であった。長身でやや面長、俳優の近藤正臣タイプの雰囲気だ。また、かなり知識が入っているようで、しかも優しい人柄だ。サラリーマンにしてはいつも出歩く時間帯が違い過ぎる。いったい何の職業かと訝ったが、それは相手も同じであったに違いない。筆者はいつもふらふら近所を歩いていて、また派手なシャツにサングラスをかけて正体不明と思われていたであろう。筆者が自治会長になった4年前は特にその人のことを思うことが多かった。というのは、その人も自治会長になって自治連合会で顔を合わせることがあるかもしれないという期待だ。そうなれば、一気に距離が縮まり、お互いの家を出入りするようになるかもしれない。どちらかと言えば、筆者はそういうように仲よくなることがままある。ともかく、お互い名前も知らないまま、月に2回ほどは見かけてあいさつをするという関係が10年ほど続いたが、鍼灸医院の名称と同じ名字であるらしいことは、その人がその家に入って行くのを一度見かけたからだ。
その男性を久しぶりに見かけた時、かなり驚いた。それは珍しく3,4か月ぶりの出会いで、いつもどおりスーツ姿であったが、後ろ姿がとてもやつれて、スーツがかなりぶかぶかであった。それに背が曲がり、歩く姿はがに股がやけに目立つ。つまり、完全な老人で、70歳半ばの農夫に見えた。数か月でそれほど痩せ、また老けて見えることに老いの残酷さを思った。いつか筆者もそうなる。あるいは少しずつそうなって行っている。たまに見るので、相手の体の変化に気づく。その意味で、筆者も半年や1年ごとに会う気の置けない人が必要だ。話を戻して、男性のあまりに老けた姿を見たのを最後に、ぷっつりと見かけなくなった。それが2年ほど前のことだ。そして先月、ついに鍼灸医院の取り壊しが始まった。このカテゴリーの写真からわかるように、阪急嵐山駅前は開発の波が途切れずに押し寄せ、当分このカテゴリーの材料に事欠くことはないが、郵便局前の鍼灸医院の取り壊しも、駅前ではないが開発の波のひとつと言える。そのことが昨日自治会内のある組長と立ち話した中で出た。その組長は今70代半ばの年齢で、以前はよく同鍼灸医院にはお世話になっていたらしい。話の中でわかったのは、医院長が亡くなったので廃業となり、建物の取り壊しが始まったことだ。その組長のおばさんは、その家の事情にそこそこ詳しいようで、筆者にはさっぱりわからない、また関心もないことをあれこれと話してくれた。その合間に筆者は、わが家の近所でよく出会った男性が鍼灸医院の隣りの家に入って行くところを以前見かけたので、たぶんその家の人だと思っているが、ここ2年ほどは全く見かけなくなったのが不思議だと言った。そしてその男性の特徴をあれこれ伝えると、組長は「その人は医院長で、2年ほど前に亡くなった」と言った。これにはびっくりした。そう言えば、最後に見かけた時、一気に老けて見えたが、あれは病気のせいであったのかもしれない。きっとそうだ。「何歳で亡くなったのですか」「60くらいだったはずよ。とても優しい先生で、学もそうとう入っていたしね」 何十回と今まで笑顔であいさつを交わしながら、お互いついに名乗らず、またどういう人柄かも知ることがなかった。だが、しゃべらずともどういう人かはわかった。筆者とほぼ同じ年齢で逝ってしまったことを思うと、筆者もいつ死んでもおかしくない現実を自覚せねばと思う。今日はその男性の姿をあれこれ思い出しながら、筆者が死ねば同じように思い出してくれる人が数人でもいるかとぼんやり考えた。たぶん数人はいるだが、思い出してもらってもそのことが死んだ筆者にはわからない。生きている時にお互い素敵だなと思える関係をたくさん築いておくに限るが、その前提は出会い、何かのきっかけが必要で、ほとんど家に籠ってこうして文章を打っている筆者にはその可能性がきわめて少ない。それに60を超えた年齢ではもう新しい出会いはほとんどないだろう。これからは年々、左の歯の噛む力が衰え、顔がますます左右対称からかけ離れ、グロテスクにも崩れたなと人から思われる。古びたものは新しいものに取って変わられる。新しいものは古いものを覚えていない。それでいいのだろう。今日の写真はいつものように、ちょうど1年前の撮影。