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●『オールイン』
『美しき日々』に続いてNHKが放送したイ・ビョンホン主演のドラマが昨夜終わった。地上派で毎週欠かさず観た。韓国では2003年の1月から4月にかけて放映されたから、2年半ぶりに見終えたことになる。



妹が録画したビデオを持っているので、それを借りればとっくに全編を楽しめたが、どういう結末かわからずに毎週観るのもよいと考えた。1週間開くと先週の内容を忘れかけてしまうので、毎回冒頭に簡単に先週の放送内容が流れるのはよかった。この前回のあら筋と、それに次回の予告は大切で、韓国で放送されたものと日本版が同じかどうかわからないが、週に2編の放送がある韓国では前回のあら筋はさほど重きを置かれていないかもしれない。それはどうでもよいが、全24話は長かった。観終えるのにほとんど半年かかった。これでは気の早い人はとても待てない。それでレンタル・ビデオ店がはやることになる。すでに韓国で放送されて情報がネットなどに行きわたり、しかもさっさと全編を観ている人がたくさんいるドラマを毎週少しずつ観るのは、自分だけが取り残された貧乏人のような感じが伴うし、新鮮味もあまりない。それにドラマ自体の話題性も沸騰しないだろう。何の情報もない白紙状態で全国一斉に放送され、それをみんなが楽しむという状態のみがリアル・タイムの共有で、日本における旧作韓国ドラマの放送はその点どうも不完全燃焼感がある。それが韓国ドラマもそろそろ下火と言われるゆえんのひとつだろう。だが、誰しもネットをやっているわけではないし、韓国ドラマについて周囲に話せる人がいない場合は、旧作であろうと新作であろうと、自分が初めて観るものはそれなりに新鮮に受け止めることが出来る。それでもすでにたくさんの人が観て、評価のある程度定まっているドラマを追体験している感覚は去らないから、面白さはちょうど小説などの名作を辿るようなものに等しい。ちょうどそんなことを考えながらこのドラマを観た。前置きはこれで充分か。
 さて、タイトルからして最後はちょうど映画『スティング』のような痛快などんでん返しの大きな賭けが行なわれるものとばかり思っていたが、それはなく、何となくあたりまえに話が収まって、少々期待外れであった。だが、NHKでは副題に「運命の愛」を添えているから、結局は賭博の物語ではなく、ラヴ・ロマンスであることはそもそもわかっていなければならない。それに韓国ドラマでは珍しくも毎回大袈裟と思える雄大な音楽が流れるので、『スティング』のような印象に残るコミカルな部分にも乏しいはずであることは予想出来るはずだ。それでもやはり題名に最後まで引きずられた。賭博でオールインするのではなく、ひとりの女性にすべてを賭けるという結末は、女性ならいざ知らず、ほとんどの男性にとっては納得の行かないものではないだろうか。ギャンブラーは博打をしている時は横に裸の美女がいても何ら感じないというが、そんな筋金入りのギャンブラーの人生を描いたドラマではなく、結局はギャンブルに一生を捧げるのでもないただのチンピラの結婚に至るまでの半生を描いている。だが、NHKで放送するほどであるから、ギャンブラーの成功物語ではまずいし、それは韓国でも同じだろう。ギャンブル礼讃になるからだ。そう思えば、このドラマのイ・ビョンホン演じる主人公キム・イナの育ての親であるキム・チヌは、昔はかなり腕を鳴らしたというのに、中年以降はしがない雇われ人になって登場する。ギャンブラーの行く末とはこういう惨めなものであるという見本をわざわざ示しているわけで、そのことはドラマの最初の方の回でキム・チヌ自身も話していた。その時点で、イナは最後にギャンブラーで大成するのではなく、別の人生を選ぶということがうすうすわかる。また、イナがアメリカから帰って来て、ギャンブラーのマイケル・チャンと組んで大きな企てをするようになる時、イナはワインのテイスティングから立ち振る舞いまで、一流の人間を演ずるためにいろいろと努力する場面があった。だが、そうしたことも結局物語では何ら生きて来ることはない。てっきり最後に大勝負があって、それに勝って悠々と引退するのかと想像したが、それではギャンブル万歳のドラマになってつごうが悪いのだ。最終回で、キム・イナは青年時代に出会ったミン・スヨンに、ようやく家もかまえて一緒に暮らせることを告げるが、その場面ではふたりは風の強いチェジュ島の自然の中でいかにも心細いように見えた。新築の家でも海辺が近いと暮らすのは大変で、買物などもどうするのだろうと妙な心配をしてしまった。ふたりが住むならチェジュ島ではなく、むしろソウルではないだろうか。チェジュ島のホテルが舞台になったドラマであるので、ふたりの新居も同じ島にあるという結末にしたかったのだろうが、神妙にならなければいけない場面がおかしかった。もっとも、韓国ドラマにはそういう場面は少なくないが。
 どうも合点が行かなかった箇所はほかにもある。その最大のものは、ミン・スヨンが尼僧になろうとしていたのに、急にカジノで働くことになる点だ。これは非現実的な気がするが、韓国では珍しくないのだろうか。神に仕える禁欲的なシスターとしての生活と、金が常に乱舞するカジノとではあまりにも落差があり、ミン・スヨンという女性が何だか軽く、あるいは何を考えているのかわからないように見えた。聖なる世界と俗世間を行ったり来たりすることは珍しくないにせよ、俗の最たるものであるギャンブルの世界で働くのは、ちょっと神経を疑う。ここはもっとひっそりと目立たない仕事をしていてほしいものだ。だが、チェジュ島では若い女性が技術を身につけてそれなりに働くという場所はホテルくらいしかなく、またそうなればカジノという連想もおかしくないどころか、ひとつの必然であるのかもしれない。このドラマはチェジュ島のホテルのカジノの宣伝を大いにすることで、あわよくば日本からの観光客にお金を落として行ってもらおうと考えて作られているであろうし、カジノすなわち悪所というイメージを可能な限り払拭している。つまり、カジノは大人にとって健全な場所だが、プロのギャンブラーはよくない存在という描き方だ。だが、そうとは言い切れないかもしれない。このドラマで描かれるホテルの所有者や、賭博業界のトップの座を狙う者たちは、みな脛にきずを持つことでは共通しており、大金持ちはそれなりに悪どいことをして来ているという描き方をしている。これは『美しき日々』の軽音楽の業界を牛耳る連中の世界の描写に共通している。ここには韓国における一種の職業差別の見方が隠れている気がする。まともな人間ならもっと堅気の仕事に就くものだという世間の了解があるのだろう。つまり、医者や学者といった者こそが誰もが認めて尊敬する成功者で、興行や賭博にかかわる仕事は一発勝負の側面が常につきまとい、ヤクザ的な側面があってあまり感心しない金儲けの手段ということだ。だが、みんなが楽しむドラマでは、真面目で波瀾にも乏しいような医者や学者を主人公にするよりも、ヤクザが登場して食うか食われるかの俗世界が繰り広げられる方がいいのに決まっている。ただし、そうしたヤクザやそれに深く関係する人物は、キム・イナのようにみなそれ相応に末路は小さくまとまったものというように描かれる。それは韓国社会がチンピラやヤクザの生き方を完全否定はしないが、必要悪として黙認せざるを得ないということの表われにも思える。日本でもある程度は同じだろうが、ここに韓国ドラマのひとつの法則があると見てよい。日本のヤクザ映画には詳しくはないが、たとえば勝新太郎の『悪名』のシリーズなら、ドラマとしてただただ痛快な面が強調され、このドラマのように一途にひとりの女性を愛し続けるといった純愛の要素は入り込まない。ひとつのドラマの中にいくつかの相容れない要素があると、ドラマとしては成功はしないからだ。このドラマで相容れない要素というのは、先にも書いたように、ギャンブルと純愛だ。純愛は韓国ドラマの最重要な要素で不可欠として、そこにギャンブルを当てれば、主人公が軟弱な男という見方をされやすい。ギャンブルの物語はハード・ボイルドに徹してほしいわけだ。
 ハード・ボイルドでも純愛が成就する結末があっておかしくないが、このドラマでは最後はマフィアの陰なる登場があって、キム・イナを初め、ホテル業界人もみな骨抜きになってしまう。それではドラマとしては面白くない。イナ自身が自分をチンピラだと言うのはいいが、そうであってもひとりで堂々とマフィアとわたり合ってそれを出し抜くという筋立てにしてもらわなければ、ドラマの痛快さはない。どうせ非現実のドラマであるのだから、もっと主人公が暴れてくれる方がよい。にもかかわらず、最後はただの小さな生活を求めて結婚して引退するというのであれば、何だか話があまりに教訓的過ぎて、それこそが現実の姿というものでもあるのだろうが、逆にドラマ全体が非現実的なストーリーに思えてしまう。結局このドラマはキム・イナやあるいはそれに対して何ひとつ不自由しないで育ったお坊ちゃんのチェ・ジョンウンの友情と葛藤といった部分よりも、チェジュ島の風景や、ホテルにはカジノがあって、日本料理も食べさせてくれるという観光促進の映像の方が印象に強く、その筋から資金提供もあって制作されたのかと勘繰ってしまう。それが現実であっても別に何らかまわないが、昔からチェジュ島は石ころと、確か女ばかりの土地だと言われていた殺風景さは、このドラマからもよく伝わった。確かに観光誘致のためにホテルを初めさまざまな豪華な施設が造られたのであろうが、それでも自然そのものは変化はないから、最終回でキム・イナが石で垣根を造っているシーンでは思わずその石はチェジュ島ならゴロゴロしている火山岩系のものであろうと確信した。ホテルは立派でもそのほかの多くの民家はそうではないだろうし、仮に個人の家が立派でも、風当たりの強い海岸べり近くでは、いかにも侘しい。このドラマで何度も映った教会がそうで、ホテルの豪華さと対照的にいかにも貧弱で物悲しく見えた。つまり、このドラマで華麗なホテル内部が頻繁に映し出されるのはいいのだが、それに対してチェジュ島の何でもない場所の風景はリゾート地とは到底思えないさびれた感じが漂っていて、それがドラマの印象をある意味で強烈なものにしていた。実際のチェジュ島を訪れたことがないので何とも言えないが、土地は肥沃ではなく、かつては苦しい生活を強いられる人々が多く住んでいた島で、そのためにこの島出身の在日韓国人は少なくないと聞く。
 このドラマの見所のひとつはアメリカのラスヴェガスへのロケだ。ヘリコペターを飛ばしての撮影や、西海岸でのキム・イナたちの生活のシーンはほかの韓国ドラマにない物珍しさがあった。また、登場人物がやたら多く、その点でも大金が投入されたドラマであることがわかる。脇役はみな達者で、印象に強かったが、それに対して、これは個人的な意見だが、ミン・スヨン役のソン・ヘギョはミス・キャストに思えた。『秋の童話』でもこの女優の演技にはぴんと来なかったが、今回も同じ気がした。妹によれば、このドラマが終了した後、イ・ビョンホンと彼女はかなりいい仲に発展したそうだが、結局別れたという。そんなことはどうでもいいのだが、スヨン役はもっと別の女優であればさらに楽しく観たと思う。チソンが演ずるチェ・ジョンウンはどちらかと言えば悪役だが、中途半端さがあって,その分チソンは演じにくかったであろう。このドラマで見るチソンはたいして魅力はないが、『ラストダンスは私と一緒に』では見違えるほどの魅力を発散している。まるで別人と言ってよい。日本で女優業を始めるというパク・ソルミ演ずるソ・ジニはもっといい出番がほしかったが、登場人物が多過ぎるため、それは仕方なかったのかもしれない。あまり目立った演技もなく、『冬のソナタ』での強烈なイメージを塗り変えることにはならなかった。チェ・ジョンウンの父親や、ヤクザのサンドゥ親分、それに子分のイム・デスなど、みんな適役で、これらの悪役をうまくこなす俳優がなければ、このドラマの成功は半分にも届かなかったであろう。それほど存在感があった。その意味で言えば、このドラマはヤクザもののカテゴリーに分類してよい。人殺しの直接的なシーンはなかったが、その事件が2回ほどあって、そのためにキム・イナの波瀾の人生が始まったという設定であるので、そこをもっと強調して描き、純愛はすっぱりと切り捨てると、本物のハード・ボイルドになるかもしれない。ただし、ノ・スンイル著の原作の小説はどうなっているのだろう。このドラマと同じように、ひとりの女性を愛することにすべてを賭けたという結末であるなら、とても読めた代物でない気がするが。それはそうと、来週から同じ時間帯で『大長今』をやるとのこと、今度は全部終わるのに1年以上かかるが、大いに楽しみだ。
by uuuzen | 2005-10-02 23:33 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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