洪水を見下ろす高台に建つうえ、屋上が広くて、たくさんの人を呼んでパーティを開くのに充分だ。ヨドコウ迎賓館のホームページによれば、灘の酒造家で8代目の山邑太左衛門氏が別邸として大正末期から使用したが、竣工は大正13年頃で、基本設計が終わって6年経っていた。
今なら半年もかからずに造ってしまうが、資金難ゆえではなく、山手でしかも個性的なデザインなので6年も要したのだろう。「その1」で書いたように、昭和13年7月に眼下を流れる芦屋川が決壊し、そのことは谷崎潤一郎の『細雪』の題材となった。当時は次の所有者である天木繁二郎氏が別荘として使っていたが、この人物は綿を扱う会社の社長であった。それはいいとして、この建物は芦屋川の決壊を目撃し、谷崎も知っていたはずで、そんなことを想像しながら同小説を読むとより面白いだろう。芦屋川の氾濫の原因となった大雨がこの建物や敷地にどういう影響を及ぼしたのかは知らないが、そういうことを予想して地盤を強固にすることは怠らなかったであろう。そのためにも工期に6年も要したのかもしれない。さて、「その6」まで書くことがあるのかと思いながら、今日を迎えた。撮って来た写真が多かったので「その6」まで続けることになったが、写真が多いのはそれだけ気になった箇所があったからだ。ただし、内部が撮影禁止ならば最初の回の投稿だけで終わったであろう。あるいは取り上げなかったかもしれない。「その6」まで続けるのは、せっかく写真を撮り、せっかく加工したからで、すでに使った労力を無駄にするのが惜しいからでもある。それにこじつけかもしれないが、今後の投稿内容と蔓のように絡ませる思いも多少あってのことだ。裏庭の山芋の蔓の先端が、次はどこに絡みつこうかと周囲をうかがっているように見えると先日書いたが、このブログがそうだと言える。蔓の先端が次に絡むことの出来るものを常に探しているのと同じように、筆者も毎回手探りしながら書き綴る。最後をどう締めくくるかがわからないままに書き連ね、気づけばちょうどいいところで終わりが来ている。無意識の中にありながら、意識の道筋を掘って行くようなものだが、書き上げた文章はすべて意識の産物かと言えば、そうでない部分が混じっていることを知っている。ヨドコウ迎賓館を設計したフランク・ロイド・ライトも同じようなことを思ったのではないか。この建物は丘の斜面に沿って建つ。それは蔓が何かに絡まって存在出来ることに似る。建物は地面に絡みつくものだ。そうして外形のおおよそのデザインが決まると、内部もそれに応じて芋蔓式にある程度は決まって来る。この建物の外観が内部の装飾性に通じていることからもそれは言える。ライトが内部のすべてのデザインを芋の蔓が次々に何かに絡みついて伸びるのと同じように決めて行ったとして、それは無意識の中を意識を通路を掘り進む行為でありながら、そこには相変わらず無意識の産物と呼べるものが残ったであろう。「いや、絶対にすべての決定を明確な意識下で行なった」と主張する人があるかもしれないが、筆者が言いたいのは意識は無意識の混沌の中から明確化して来るもので、意識と無意識を切り離すことは出来ないとうことだ。ま、この話は込み入るので日を改めて続きを書く。
話は変わる。今朝面白い夢を見た。筆者にすればめったに見ない種類の夢で、その出どころを目覚めて考えた。するとすぐにわかった。それでほとんど安心したが、目覚めている時に思ったことだけで説明がつかない部分がある。夢とはそんなものと思えばいいのだが、夢という無意識が意識している時には絶対に思い浮かべないような映像をもたらすことは何となく不気味だ。常に覚醒していたいと思っている人はそうだろう。今朝は夢から覚めた後、その夢の内容を2年ぶりに「夢千夜(むちや)日記」のカテゴリーに書こうかと思った。それほどに鮮烈で印象深かった。それでこの段落に概略を書く。筆者はLPレコードをプレイヤーのターン・テーブルに載せている。ストヴィンスキーのオーケストラ曲で、ついでに書いておくと、その曲をいつか「思い出の曲、重いでっ♪」に取り上げようと思いながら、もう何年も経っている。だが、このことは夢見とは関係がない。筆者の傍らに家内やほかの人物がいて、ひとつの奇妙な器具を手わたされる。それはターン・テーブルのカートリッジの先端に取りつける別のレコード針で、針の長さは10センチほどもある。また、針を取りつけているコンパスのような折り畳みの部材があって、針とは反対方向には金色の窪みがある。直径3,4ミリ、長さ2センチほどで、それにぴたりと嵌るのが、ターン・テーブルに元からついているカートリッジだ。筆者のカートリッジは針を交換してまだLPを2,3枚も聴いていないから、そこに特殊な折り畳み式のレコード針の器具を接続するのは本当は気が進まない。それでも手わたしてくれた人は使ってみろと強要する。しっかりと接続は出来たが、大きなカマキリの足を扱うようで、針をどのような角度でレコード盤に落としていいのかわからない。あまり変な方向に曲げると、2か所ほどある関節箇所が折れてしまいそうだ。どう操ったものか困り始めたところ、勝手にその取りつけ器具が動き、レコード盤が回転して音を発し始めた。だが、最初から2,3ミリ内側に入ったところに針が落ちたようで、曲は途中から始まる。片方のスピーカーから雑音が聞こえるのは、針がレコードの溝に対して傾いているからだろう。それをどう調節したものかと思ったところ、これも自動的に調整され、いつもどおりのよい音になった。『こういう変わった形のカートリッジを取りつけなくても、今までどおりで充分ではないか。それにこんなに重そうなものでは、レコードにかかる針圧が少なくても100グラムにはなって、レコードがすぐに駄目になってしまう』そう思いながら、せっかく持って来てくれたからには、不要なものという顔は出来ない。ふとターン・テーブルの脇を見ると、ビニール袋に入った新品で同じ形の、接続して使う折り畳み式カートリッジがあるではないか。『そうか、昔からこれがあったのに、面倒なので使わなかった。ま、せっかくもうひとつ新品が見つかったから、当分はレコード針を買わずに済む』
この夢の出どころはほとんどわかる。ここ2、3日はステレオやレコード・プレイヤーのことを考えていたからだ。だが、夢の中で特に鮮明であったのは、現在のカートリッジの先端に取りつける金色の凹凸の管部分だ。その出どころは、おそらく最近いくつか自分で取りつけた電気のスイッチやコンセントの配線の記憶が影響しているが、それは今こうして書きながら無理に思い出したもので、実際はもっと強烈なイメージがある。それが今日取り上げるヨドコウ迎賓館の写真だ。昨日の最後の写真に見える部屋は、この建物の最も北側すなわち山のてっぺんに近いところに位置し、同じ階からは床の高さが同じの屋上に出ることが出来る。昨日の最後の写真には写らないが、今日の最初の写真はこの部屋の天井が見える。1枚の写真に収まらず、上下2枚に分けて撮り、1枚に合成した。2枚目の写真からはよくわかるが、天井に細長い三角形の穴が開いていて、そこから丸い照明がぶら下がっていたり、また木彫りの幾何学的な彫刻のようなものも取りつけられている。これが奇妙で、単なる装飾には思えない。2枚目の写真からは、力学的に建物に必要なもののように見えるが、最初の写真からは暖炉上の壁に左右対照に貼りつけた飾りに思える。また、これは多少上下しそうな気配があって、カマキリなどの昆虫の足、あるいは製図に使うコンパスに似ている。昨夜これらの写真をMOからデスクトップに移動させながら、改めて気になった。いや、ほとんど気にしなかった。ところが、夢に出て来たターン・テーブルに取りつける見慣れない形のカートリッジの出どころはこの使途不明の木彫の部材にあるような気がする。それはいいとして、この変な部材がライトの設計だとして、彼はこの形をどこから導いたか。夢が目覚めている時の意識と関連しているからには、図面を引く際の意識は無意識の影響を受けている。ブルトンのシュルレアリスム宣言は1924年で、当時ヨドコウ迎賓館は着工されていた。ブルトンが言い始める以前にシュルレアリスム的な作品は生まれていたし、そういう世の中のムードをライトが感じ取っていなかったとは言えまい。現実を超えた夢の世界はモダニズムの造形家とは無関係であったと決めつけることは出来ない。「その3」に写真を載せたように、暖炉は玄関を入ってすぐの大きな部屋にもあった。だが、その部屋と、この建物の部屋を順に見て回って最後に到達する部屋は、天井の形の違いからか、印象がかなり違う。かといって別人の設計になるものとは思えない。そこにライトの多様な才能が見て取れそうで、またそれは単純に計算で割り切れるものではなさそうな気にさせる。
ライトは驚くほどたくさんの建物の設計をした。それは洪水のように溢れ続ける思いがあってこそ可能で、またそうした着想はある建物と別の建物をつないでもいるはずで、彼の仕事はみな絡み合っているだろう。そのため、ヨドコウ迎賓館に見られる個性が別の建物に顔を出しているはずで、前述の天井の細長い三角形の穴から吊り下げられる木彫の部材の形もほかの建物で幾分変容して登場していると思うが、そこには無意識の中を意識で掘り進むこととは別に、意識が無意識から生まれて来ることを知り、意識して無意識を大きくする必要のあることを知っていたであろう。さて、無意識の中を突き進みながら、意識して以上のことを書き、気づけば最後の段落になった。いつもこのような調子で、出鱈目もいいところだが、無意識の中から意識が生まれるとすれば、出鱈目の中から目が飛び出ない鱈も生まれる。そのように自分を慰めでもしない限り、書き続けることは出来ない。今日の最後は屋上から眼下に芦屋川を臨み、また川の上に建つ駅舎が見える。この建物は最後にこの屋上に出られることがとてもよい。玄関を入ってすぐの部屋は窓を大きく取って眺望が楽しめるようになっていたが、風を全身で感じることは出来ない。それがこの屋上に出ることで心が晴れる。4枚目の写真からは建物がライトアップされることがわかるが、屋上に立ってその足元を照らす灯りがあったのかどうか忘れた。パーティには最適な屋上で、京都ならば五山の送り火を見るのにこうした場所は歓迎される。今日の最後の写真は「その1」の最後の写真と対になるもので、遠くに見えている場所に自分の足で赴き、そこから遠くに見ていた地点を眺め返すことの一例を1日で味わうことが出来た。これは山登りをしている人が普通に経験出来ることだが、運動嫌いな筆者には比較的珍しい経験だ。また、人生は常に過去を眺め返して行くことであって、今この時点が最新すなわち最期とも言えるから、誰もが人生の最期の瞬間に接しながら暮らしている。遠くに見えている場所に実際に立ってみると、予想どおりである場合とそうでない場合があるが、予想どおりであっても実際にそこに行ってみることは、予想だけに終わることとは違う。だが、誰しも生きているということは、その各瞬間は他人には経験出来ないものであり、どのように時間を使っても、それはその人だけのかけがえのない経験だ。遠くに見えながらそこにあえて行かないという立場もあるし、そういう人でも遠くに見えているところに否応なしに連れて行かれるのが人生だ。もう40になった、やれ50になったと人は騒ぐ。何歳であっても常に若いし、常に死の間際だ。洪水のように溢れ続ける時間にどのように身を任せるか。ライトのようにいい仕事をしたと言われ、自分も満足出来るに越したことはないが、前者は人任せで難しい。