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●ヨドコウ迎賓館、その5
の子が5,6羽、素から身を乗り出して一斉に鳴いているところを見た。ほんの少し立ち止まって眺めたが、警戒させるのがかわいそうなのですぐにその場を離れた。



●ヨドコウ迎賓館、その5_d0053294_18515322.jpg卵の間は軽くていいが、親鳥も巣に止まるから、成鳥になる直前は巣全体はそれなりに重くなっている。そのせいで巣が地面に落ちることがないように酢はしっかりと壁に固定されているが、燕は泥にさらに粘り気のある分泌物を混ぜるのだろう。よほどのことがない限り、巣は壊れることがなく、また壁から外れることもないはずで、その巣作りの本能は見上げたものだ。昨日ネットで読んだことに、燕の巣を雀が使うことが増えているらしい。雀は藁で巣を作るが、そのための場所が最近の建物にはないという。昔の木造建築ならば、巣作りにふさわしい隙間があったが、今は新建材で組み立てて密閉度が高く、雀を寄せつけない構造になっている。雀の数が減少しているのは日本の住宅が大きく様変わりして来たことと大いに関係がある。それでも雀は人間の生活空間の近いところで暮らし続けて来たから、今さら人里離れた山中に戻ることは出来ない。数を減らしながらもどうにか人間の姿が見えるところで生きて行かねばならない。そして新しく巣が作られないのであれば、その代わりとなるものを使うしかなく、そこで仕方なく燕の巣に卵を産む。藁ではなく、泥製であるから居心地は悪いだろうが、そんな贅沢を言うことは出来ない。燕が巣立った後、雀が使わねば来年また燕が使うから、燕と雀との間で戦いがないのだろうか。このニュースにはいろいろ考えさせられる。今朝はぼんやりと鳥小屋を作ることを考えた。巣箱を作ることは筆者の子ども時代、少し流行ったことがある。近所の兄さんたちが丸い穴の開いた巣箱を板で作っていたのをよく覚えている。それは伝書鳩用であったかもしれない。伝書鳩ブームもその頃あった。巣箱は結局どこにどのように使われたか知らないが、そのかわいらしい形を小鳥が気に入って利用してくれるならば、巣箱を作った者としてはそれ以上嬉しいことはない。隣家に取りつけてあった本棚などを取り外したので、巣箱を作るくらいの板はたくさんある。問題はそれをどこに取りつけるかだ。わが家の裏庭にはかなり背の高い合歓木があるが、その幹に設置して小鳥が営巣するだろうか。毎朝たくさんの小鳥がやって来てはその枝に留まってさえずる。小鳥の種類がどれほどかわからず、巣箱をひとつふたつ設置すれば、鳥の間で競争になるかもしれない。それもかわいそうだ。それよりもっとかわいそうなのは、嵐山の樹木や畑が姿を消し、雀を初め、鳥が生きにくくなって来たことだ。それで裏庭に巣箱を置こうかと考えた。
●ヨドコウ迎賓館、その5_d0053294_18523969.jpg

 巣の話をもうひとつ。先日家内と大阪の国立国際美術館に行った帰り、いつもとは違って堂島川沿いの遊歩道を渡辺橋まで歩いた。そこは以前はホームレスが何人か青いビニールシートで覆った家を作って住んでいた。市職員がそれを強制撤去させたのかどうか、ホームレスの姿はなかった。そう思いながら歩いていると、傍らの繁みでガサガサ動くものがある。鳩の番だ。そこまで30センチほどの近さで、鳩は驚いた素振りを見せて慌ただしく動き回りながらも、逃げない。立ち止まってはいけないと考え、見て見ないふりをしてその場を離れたが、繁みの中で巣を作っているのだろう。頭上には阪神高速が走り、雨に濡れることはない。それにホームレスもいないし、人間はめったに通らない。鳩も雀と同じように人間の生活圏内に生きる。大都会で食べるものがあるのかと思うと、かえって大都会であるから生息しやすいのだろう。人間も同じようなところがある。田舎であれば古くからの人間関係が煩わしく、また仕事も少ない。都会が出来て、それがどんどん膨らむ一方であるのは人間の本能に関係したことで、しかるべき理由があるだろう。筆者は都会育ちだが、緑が多く、鳥がたくさん見られる自然にも触れたい。嵐山はそんな望みを満たしてくれるが、年々都会になって緑が少なくなって行く。いっそのこと、もっと田舎に住む気があるかと言えば、ない。その点で筆者は鳥で言えば雀や土鳩にそっくりだ。鷲や鷹のように雄々しくありたいが、ま、無理な相談だ。それはさておき、鷲や鷹も巣は作るが、鳥は人間のように、体の数百、数千倍もの容量の建物を必要としない。自分で巣を作るのであるから、必要最低限の大きさでよい。人間は自分の力を他の人間に誇示したい欲求を持ち、そのことは住居に端的に表われる。家のローンを払い、子育てをしておしまいという人生は鳥を初め、他の動物と同じで、それほどに住居は大切と見ることが出来る。豪邸に住めば、「あの人は成功した」と言われ、本人も大いにその気になる。そのことを鳥の巣と比べるとどうか。人間はつい欲を出し過ぎて、必要以上のものを持ちたがる。豪邸に住む人は、それほど大きくて贅を凝らすことが自分には必要と主張するだろうが、人間は寝て一畳、立って半畳しか占めず、ホームレスの住居こそが自然にかなったものと言えるかもしれない。そのホームレスの棲家はみんなから嫌われ、強制撤去されてそこに代わって鳩が住みつく。
●ヨドコウ迎賓館、その5_d0053294_1852302.jpg ヨドコウ迎賓館は大金持ちが設計を依頼して建てたもので、庶民とは無縁のものと言える。だが、贅を凝らしながら、自然を拒否せず、それに溶け込む考えが見られる。住宅は本来そのようなものだ。ところが、ここ20年ほどの日本の住宅は新しい建材と工法によって、どれも接着剤で組み立てる模型の大型のように見える。実際そのとおりで、石油文化から生まれた産物で、昭和前半期には普通にあった木造建築とは大違いだ。そんな空間で暮らしていると、やがて性格まで画一的でのっぺりとしたものになって行く気がするが、そうなったところで、それが大多数すなわち標準であるから、ほとんど誰も困らない。そして老人は愚痴を言うだけのどうでもいい存在とみなされるし、まさにそのとおりだ。では、建物で言えば老人も老人のヨドコウ迎賓館は、現在に何を突きつけているか。その存在意義は何か。それは見る人が何かを感じ、考えるよすがになり得ることだ。そして、見る人の心にしたがっていかようにも映る。芸術はみんなそのようなものだ。それは稀な能力があって生まれるもので、作品となった時はその稀さによって求める人の多さとの関係で価値が上がり、いわゆる贅沢なものとみなされる。だが、その贅沢はどこで線引き出来るか。ヨドコウ迎賓館の各部屋には、今は緑青を吹いている正方形で少しばかり切り込みの装飾が施された銅板が飾りとして使われている。それはなくてもいいものと言えるし、またもっと安価に作ってもよいものだ。そのため、贅沢なものと言えるかもしれないが、もっと大金持ちならば、銅ではなく金を使うだろう。それに宝石を埋め込むかもしれない。ヨーロッパの王侯貴族の宮殿はそのようにして作られたものだ。そんな王宮と比べれば、ヨドコウ迎賓館はかなり素朴で、民衆のものという気がする。つまり、贅沢とは言えない。これは以前にも書いたが、何から何まで超贅沢であることはどんな大金持ちでも不可能だ。たとえば壁に名画を飾るとする。それが数千万円であることを家の持ち主は自慢しても、上には上があって、数億円の絵にはかなわない。このように、どんなものでも切りがない。そこで、誰しも調和を考えながら、ある程度のところで手を打つ。調和がよく取れている場合、それは趣味がよいとみなされる。だが、それも時代の流行にさらされ続け、いつかは趣味のよさが理解されないかもしれない。また、本人は趣味がよい住まいと思っていても、他人のものとなれば、さっさとリフォームされるし、そうでなくても、「あのカーテンは悪趣味で、もう少しいいものを買えばいいのに」といったように思われることはしばしばある。ワン・ルームのアパートに住みながら、スタインウェイのピアノを所有する人があって、そのことをピアノの趣味のない人は笑うが、一方のスタインウェイの所有者は大金持ちでも音楽のわからない無趣味を嘲笑する。このように、何が究極の贅沢かは人によって異なり、住宅に大金を投ずるのは食道楽と同じで、個人の満足に過ぎない。
●ヨドコウ迎賓館、その5_d0053294_18532055.jpg

 誰しも満足しながら気分よく生きたいから、住宅に大金を使うことは非難されるべきことでは全くないし、TVでもそうした住宅を紹介する番組が昔からある。昨日書いたように、そうした住宅がいつか重文に指定され、内部を誰もが拝観出来て、大いに何かを感じることがあれば、住宅を建てた人の熱意はさらに報われることになるが、そのような価値ある住宅がどれほどあるだろう。芦屋に豪邸が林立するとして、それらのいくつが見るに値するものだろう。ヨドコウ迎賓館が重文になったのは、フランク・ロイド・ライトの設計で、しかもその才能をよく示すものであるからだ。となれば、住宅の設計は、金が許すのであれば、有名建築家に委ねるのがよいことになる。若手でも才能のある人はいるが、その才能を理解する発注者はいつの時代でもさほど多くないだろう。得てして大金持ちほど芸術に無理解で、半ば詐欺師然とした作家に注文し、悪趣味を見せびらかす。筆者が思うに、ヨドコウ迎賓館は建ったばかりの頃、そのように思う人が少なくなかったのではないか。何でもありの今では驚かないが、大正時代では麓にある阪急の芦屋川駅でもまだ木造の粗末なものであった。そこに突飛な外観をしたこの建物が出現した。内部を見ることの出来る人はごく限られたが、そういう贅沢が出来る人は、やっかみ半分で悪趣味の汚名を着せられたこともあったろう。さて、今日も5枚の写真を載せる。最初のものは扉の左右に丸い照明が取りつけられ、また扉には銅板の装飾板が見える。このシンメトリの厳格さは心の落ち着きと、居住者の威厳を示すにはよい。傍らのスタンド照明はおそらくライトの設計であろう。「その3」の最初の写真にもあるように、別の部屋にも置かれている。記憶があやふやだが、この最初の写真の下端にわずかにパイプ椅子の上端が見えている。この部屋は建物の北端すなわち玄関から最も遠い山の上方に位置し、部屋の奥にTVが置かれ、ライトの生涯やこの建物の修復についての映像が繰り返し上映されていた。それを鑑賞するために置かれていたのがパイプ椅子で、これはこの建物を公開するに当たって用いられた。2枚目の写真からは、建物の縦軸が突き当たりで少し曲がっているのがわかる。写真の奥に見える部屋は子ども部屋として用いられた。また、撮影しなかったが、近くには小間使いが使った4畳半の畳部屋もあった。その扉にも装飾があった。3枚目の写真は天井窓と天井に接した壁にある窓で、採光に工夫が凝らされている。4枚目は台所で、写真左端にわずかにガス湯沸かし器が見える。これは近年取りつけたもので、大正時代はガスはなかったはずだ。写真の上方に太いパイプが見える。トイレ用のものかもしれない。この露出は格好よくない。設計当時からそのようになっていたものかどうか。天井がやや光っているのがわかる。ベージュ色の壁や天井はどこも合成樹脂系の塗料の吹付に見えた。それはここ半世紀前ほどの間に盛んに用いられるようになったもので、ライトの時代にはなかったと思う。筆者が想像するに、建った当時は壁や天井は漆喰塗りではなかったか。吹付素材を変えたのであれば、復元とは言い難いが、元の状態がよくわからず、それで建物の保存に最も無難で便利なものを使ったのかもしれない。5枚目の写真はまた別の部屋で、これについては明日紹介する。複雑な巣と言うべき建物で、人間は脳が大きい分、芸を欲して、燕や雀のように単純な生き方は出来ない。
●ヨドコウ迎賓館、その5_d0053294_18531133.jpg

by uuuzen | 2013-06-26 18:53 | ●展覧会SOON評SO ON
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