今年に入って平安画廊にはあまり行かなくなった。河原町に出ることが少なくなったからだ。それでも平安画廊からは個展の案内はがきが毎回届く。
版画専門の画廊ということになっているが、実際はそうでもなく、ごく稀に版画以外の個展がある。この画廊は京都の版画に関係する人のみならず、美術好きのひとつのサロンのような役目を果たしている。オーナーの中島さんがそう思わなくても、そんな雰囲気をこの画廊を訪れる誰もが感じるだろう。筆者がこの画廊で版画を最初に買ってからでももう15年近くなる。画廊の存在を知ったのはほとんど京都に出て来てすぐだったと思うが、ほんの一時期筆者は銅版画をやっていたことがあり、その関係でこの画廊をよけいに意識し始めた。それがもう25、6年前といったところか。とにかくかなり以前から馴染みの画廊だ。とはいっても中島さんと言葉を交わし、ソファに座って話をするようになったのはこの10数年ほどだ。いつも常連の客が訪れていることが多く、そんな時、大抵ソファはもう空き場所がないが、中島さんとしても新たに入って来た人をもてなすことが出来ない。それで作品を観た後はさっさと帰ることになるが、たまにソファが空いていると、他の客と相席の状態で座席を勧められ、お茶も出る。そして会話に加わって世間話に花が咲くことになるが、自己紹介はほとんどしない。その場に個展を開いている作家がいる場合、中島さんは必ず紹介してくれるが、そんな時はこっちもどんどんその作家に質問をぶつける。そんな具合に話が続いて、いつもすぐに1時間程度は過ぎ去る。その間、新たな客が入って来ると、それが常連の場合は適当にこっちも話を切り上げてソファの席を空けるようにする。個展は大体2週間続くので、毎回訪れれば2週間に一度は中島さんの顔を見ることになる。だが、前述したように、あまり平安画廊を訪れなくなっているので、2か月に一度ほどと言ってよい。中島さんの顔の広さもあって、版画界のみならず、京都の美術界のいろんな情報をその1時間かそこらのたまに話をする中で小耳に挟む。時としてそれが意外なものであったりするから、平安画廊で話をする時は情報収集のよい機会になる。この展覧会のチケットは前回画廊を訪れた時に中島さんから直接いただいたが、その時にどういう経緯か忘れたが、今年の若冲忌で音楽パフォーマンスを上演する若者の話になった。筆者が今年も若冲忌に訪れたと言うと、中島さんは去年平安画廊によくやって来た若者がいて、その男性は石峰寺で演奏したいと言っていたと話した。そして、何人かの美術家に会いたいと言うので、電話をかけて紹介してあげたとも言い、また、書家の井上有一からもらった手紙を手わたしたところ、本人はもらったものと思って返さないと笑って続けた。井上有一が京都で個展をした時に、中島さんの画廊が手伝いをしたらしく、井上は後日そのお礼として封書を送って来たそうだ。意外なところで、意外な話を聞くものだ。中島さんのところにはそんな他府県の見知らぬ若者が訪れ、それなりに話題を置いて去って行くのであるから、これはサロンと言うにふさわしい場であろう。
平安画廊近辺に画廊はいくつもあるが、みんなそれなりに棲み分けている。新参の画廊ではなかなか常に借手の予約があるとは限らず、京都ではもう貸し画廊の数は飽和状態にあると言ってよい。そして借手も少々高くついても有名な画廊で個展する方が箔がつくし、見てほしい人に見てもらえる確率も高いので、どうしても有名画廊だけがいつも盛況となるが、それでも平安画廊クラスの歴史あるところでも、版画専門で名が知られている状態で、しかも企画専門でめったに賃貸ししないので、訪れる客はどうしても常連が多くなる。その独特の空気を感じて入りにくさを覚える客も少なくないだろうが、画廊とは元々そういう空気が漂う空間であるので、入りにくいと感じて敬遠する人はそれまでの話だ。そいなことを意に介さず、自分が興味を持って見たいものを見るという意思の強い人だけが、やがて常連の仲間入りが出来る。前述した若冲忌で音楽をやった若者は誰かの紹介があって平安画廊を訪れたのかどうかは知らないが、もしそうでないとすればなかなかの度胸と言うべきだ。若い人はそのくらいがよい。自分を積極的に売り込む気力のない者は、そのままいつまでもそっとしておいてもらえるだけであって、何か人との出会いがほしければ自分から動いて行く必要がある。さて、話がなかなかこの展覧会につながらない。中島さんから招待券を手わたされた瞬間、そこに大きく印刷される女性の表情に少しおののいた。チケットの展覧会名称からすぐにタイの版画家の作品だとわかったが、この鋭い目とへの字の口元をした女性像の一種不気味でふてぶてしい表情は、好き嫌いは別にして何とインパクトが強いことか。絵画はまず観る者をドッキリとさせるものがなければ駄目だが、その意味でこの版画は完全に合格している。そして観る者は次にこのドッキリ感を吟味し始める。観たことのないものがそこにあるとして、その内容はどういうところに由来するものなのか、これは名作の条件を備えているかどうか、といったことだ。この作品の場合、まずタイの版画家ということがわかり、次にタイの版画家について何の知識も持ち合わせていない大多数の人々と同じく、筆者もこの作品を見てタイの一般的なイメージとどこで結びつくかを考える。タイを訪れたことのない者にとっての同国のイメージと言えば、せいぜい旅行チラシにあるような仏教寺院の名所や川で生活する人など、TVで繰り返し映し出されるお決まりのものでしかないが、こうした作品を作る美術家がいて、それなりに力量があって面白い作品があるのだという現実を知ると、今までとは全然別の同国に対する興味が湧く。それは筆者が美術好きであるだが、たとえばタイに3泊4日で団体ツアーしても、絶対にと言ってよいほど、こうしたタイの現代の美術家の作品が展示されている場所にはお目にかかれない。団体ツアーを味気ないと感じるのは、そうした自分個人の興味が満たされないからだが、ひとりでタイを訪れてもどこでどのような個展に巡り会えるかは運任せであり、何度訪れても出会えない美術家の作品はある。そう考えると、今回の展覧会は実に貴重な現在のタイ文化との出会いの場と言える。
タイの美術を紹介する展覧会そのものが日本ては20年に1回あるかないかの状態であり、しかも現代美術となると、もう新聞社や国立美術館の主催では期待はほとんど出来ない。開催しても人が集まらないからだ。そのために相変わらずルーヴルやアメリカのあちこちの美術館から作品を借りて来た展覧会ばかりがえんえんと続く。そしてこの展覧会の場合はさらに版画という、どちらかと言えば好事家だけが喜ぶような内容であり、大がかりな宣伝をしても来場者はたかが知れている。これはもったいない話だ。比較的情報が伝わってよく知っていると思う国でも、そこでどういう美術家がどういう作品を作っているかは知られていないもので、日本がヨーロッパの国々で相変わらず芸者がいてちょんまげの男が歩いていると思われているとしても、それは一方的に笑えないことだ。日本もそんな国の何をどの程度知っているかを考えればよい。お互いの国の現在をよりよく知るには現代の文化を見る必要がある。別にタイのことなど知りたくもないという人は論外で、そんな人は放っておく。だが、筆者もタイに興味があるとはとても言えない。せっかくもらったチケットであり、行かないでは中島さんに申し訳ない。それにチケットに見慣れない作風の作品が印刷されていれば、時間を作って出かけようと思う程度には積極性がある。そのような予期せぬ出会いがあって人生は進んで行くものであるし、そういう機会を重ねることで意外に知識が蓄積し、思考も柔軟になる。筆者の場合はさらに出かけることで身体の運動になるから、さらによい。話を戻すと、この展覧会は京都では市美術館の別館というあまり目立たない会場で開催されるが、12月には福岡アジア美術館に巡回し、そこで10日間展示されることをチラシで知った。福岡は知り合いがあるのにまだ訪れたことがない。韓国や中国に近いという地の利を活かして、アジア美術の紹介に積極的であることも昔からよく知っているので、いずれゆっくり訪れたい気持ちがある。福岡県が近畿や東京とも違った考えでアジア美術の紹介を地道に行ない続けているのは見上げたことだ。広い日本でそのような美術館がひとつくらいないと、日本の国際性も疑われる。
さて、会場受付でもらった小冊子には次のようなことが冒頭に書いてある。関西在住の日本版画協会の人々は、2000年に関西以西の版画界の活性と若手の育成を考えて版画京都展実行委員会を結成したが、単に西日本地区の現代版画展にとどまることなく、2001年からビエンナーレ形式で国際版画展として活動を始めた。同年は中国、2003年はブルガリア、そして今年はタイというように、2年毎にある1国を決めて、作品を招聘し、西日本の版画家の作品と一緒に展示することを続けている。これは知らなかった。今回の展覧会は会期はわずか1週間で、前述したように会場は京都会館の奥に目立たなく建っている市美術館の別館だ。予めチラシを目にしていなかったので、中島さんからチケットをもらうまで展覧会自体の存在に気がつかなかった。割合美術展には目配りをしているはずの筆者でもそうであるから、版画の国際展であっても一般の人が大勢訪れることにはならないことがわかる。宣伝が行き届かないのは経費の問題と言えるが、これまた前述したように、版画そのものが美術作品の中でも地味なものであることが理由としてある。これは世界的に見てもある程度同じ状況ではないだろうか。版画作品は比較的サイズが小さいし、複数生産という点で油彩画に比べてありがたみが少ないのは否定出来ない事実で、それも版画を地味な存在にしている理由と思える。だが、複数生産は逆に考えると、誰しも手軽に買える価格となることであり、美術の普及には大いに役立っている側面がある。ただし、版画をカラー・コピーすればほとんど同じものが出来るというように見る人もあって、複数生産、それに紙にインクを載せて表現するという作画技法からは、ありがたみがあまりないと考える向きが一般人にはより大きいかもしれない。また、ここ数年の版画界の顕著な動きのひとつとして、パソコンのプリンターでアウトプットしたものをそのまま作品として発表する作家が現われていることだ。そのような作品はこの展覧会にもあったが、版画とは何かを考えるうえで、そうした新しい表現方法が登場するのは無理のない話であり、版画が古典的な技法にのみとどまらず、時代に則してどんどん新技法が登場して問題提起をしている点で、版画はなお健在であり続けることを証明しているように思える。印刷したものは芸術とはみなさないという風潮は今後も根強くあるはずだが、パソコン・プリントを版画として提起する作家がどこまで面白い画面を作り上げるか、場合によっては、印刷もまた作家による芸術分野のひとつという時代が版画界から生まれるかもしれない。
この展覧会では、銅版画、木版画、石版画といった代表的な技法のほかに、初めて目にする横文字の技法によるものも若干あって、いろいろと興味をそそられるものが散見された。招待されているタイの出品作家48名の計94点の作品はみな初めて見るもので、しかもなかなか粒揃いであるのには感心した。小冊子の説明によると、アジアの中でも中国と並んでタイは最も版画活動が盛んらしく、近年は優秀な版画家を次々と国際舞台に送り出しているという。これはシルパコーン大学美術部に1943年に版画学科が創設され、国主催の公募展「タイ国展」での版画部門への積極的な奨励があるからだそうで、国を挙げての版画家育成が感じられる。それに、版画学科の創設から半世紀以上も経っているから、国際的な実力を持った作家が育って来ていることは充分に想像出来る。新しい文化が根づいて、ある程度の成果が上がるのは数十年単位の長い時間が必要なのだ。そうした背景を持ったタイからの作品出品であるので、日本の作家と比べても何ら遜色のないことは当然だ。しかもタイならではのと思わせるような、つまり日本の版画とは違うという意味での作品がほとんどで、安心して、また新鮮な気分で見ることが出来て楽しかった。それらは観光国タイをそのまま連想させるものでは全くなく、あくまでも現代に生きる問題意識を持った芸術家の作品であって、人間として共通の感覚を基盤にしている点でなおどっしりとした存在感を示していた。日本が外国にジャパニズム指向の強い作品を持って行っても、もはやまともに相手にされないのと同じで、タイもいかにもタイらしい紋切りタイプのイメージを素材として現代芸術に使用することは考えていない。そこに好感が持てた。そしてもっぱら好事家に愛好されがちな版画は、悪く言えば作家個人のきわめて私的な呟きを表現していると言えるが、その点において日本もタイも何ら変わらないということを改めて確認した。当然誰しも自らが所属する広い文化的背景を持っているが、版画家はそれをことさら意識はせず、もっと自己の内部に沈潜し、そこから作品を生み出そうとする。そうしてもなお共同体が抱える文化的背景が図らずも表われ出るものであり、鑑賞者はそのタイ国独自の伝統的な文化的側面と作家個人の現代的感覚のせめぎ合いを1作品の中に見て楽しむ。これは、作家個人がごく私的な世界を表現することで、前言を翻すことになるが、結局は個人を越えてもっと普遍的なものにつながり得るということだ。日本作家の作品は200点以上もあって、最後は閉館時間が来たために駆け足になってしまった。もの珍しい作品がふんだんにあって、もっと時間をかけてじっくりと見る必要を感じた。平安画廊の個展でよく知っている作家の作品もたくさんあり、それはそれで、他の作品の中で一緒に見るとまた新たな感慨も起こった。2年後はどの国が選定されるのか知らないが、楽しみにしたい。