照明の電気代がどれくらい高くつくのかと思ったのが、梅津のスーパー、トモイチの前にあったブックオフだ。夜にその前を通りかかると、あまりの蛍光灯の眩しさに筆者は店をまともに見ることが出来なかった。本数を半分に減らしてちょうどいいと思った。

数えはしなかったが、長さ1メートル50センチほどの蛍光灯が数百本は使われていた。その電気料金や店員の給料など、経営がうまく行っているのが不思議な気がしたが、やはりついに閉店した。すぐに更地になり、先日コンビニが建った。50メートルほど西にあったコンビニが移転した形だ。そして以前からあったコンビニの方が閉店し、看板などが外された。なぜ移転したかと言えば、駐車場がやや大きく確保出来たからのようだ。移転するのに費用がかかるから、筆者にはより広い土地があったので移転するという考えがわからない。それほどコンビニは儲かると見える。ともかく、コンビニの建物は通りに面する駐車場のためにかなり奥に引っ込んで、以前のように眩しい蛍光灯群の輝きがなくなったのがよい。蛍光灯にもLEDが用いられ、大量に灯しても電気代をさほど気にしなくてもいいようになったが、LEDの電球や蛍光灯はかなり高価で、筆者は半年ほど前にLEDの小さなシャンデリア球を4個買う必要があって、その価格に驚いた。従来のものならば1個100円や200円で買えるのに、LEDならば3000円近い。20倍ほど高いのであるから、寿命が長いのはあたりまえだ。LEDのシャンデリア球は15000時間ほど持つと言うが、その保証があるのだろうか。安価なものを買って、切れれば買い代える方がいいようにも思うが、電気代に大きな差がある。ところがいいことずくめかと言えばそうでもなく、LEDは白熱電球の温かい色合いを再現出来ないらしい。きわめて似た色まで可能というが、比べると差があるとのことだ。これは白熱電球が熱を放つからだろう。LEDがその色合いを放っても熱はないから冷たい感じがする。それにLED照明は電気代が安いと思い込んでしまうと、ありがたみがなくなって前述のブックオフの蛍光灯のように明る過ぎても平気になる。その点、白熱電球ならば、電気代が高くつくから、なるべく始末して使おうという意識が去らず、明るさにありがたみが持てそうだ。

隣家のリフォームに際して、各部屋の照明をどうするかを考えている。以前あったものはすべて外して使わない。そして、代わりの照明器具をほとんど揃えたが、まだ2,3買っていないものがある。全体として雰囲気が統一されているのがいいが、和室も洋室もあるでは、それも難しい。その意味で日本は照明に関しては世界的に見て多様な部類に入るのではないかと思う。あるいは中途半端に和風と洋風が入り乱れ、結局どっちもデザイン的に発展途上にあるかもしれない。欧米では日本では入手しにくい凝った照明器具がたくさんあるはずで、そういうものをたくさん揃えた店を覗いてみたい気がするが、照明だけ格好よくて気に入っても、わが家に似合わないであろうことはよく知っている。インテリアは調和が肝心で、照明だけ目立っても嫌味になるだろう。そこで考えるのは店で売られているものではなく、自分でデザインしたものはどうかだ。10代の終わり頃、妹が学校で照明器具の傘を作って来た。亜鉛の板を切って曲げたもので、それを白熱電球に被せる。材料費は安く、手作りであるから味がある。そのようにしても一風変わった照明器具が出来ることを知って感心した。金属でなく、木材でもよい。それに提灯の仕組みを利用した和紙を使ったものも当時は人気が出始めていた。金属、木材、紙といった素材では電球を傘のように囲うが、筆者が最近考えたのは、FRP樹脂で彫刻のようなものを作り、その内部にシャンデリア球をいくつかセットして全体を光らせるものだ。壁面用の大型照明で、天使が数人組み合わさっているようなものを思った。天使ならばヨーロッパの照明器具に用いられている気がするが、一般に販売されているものにそれをデザインしたものがあるのかどうか。ま、照明のことをあれこれ考えていると、行き着くのは自分でデザインして作ることだ。そうなると作品と呼ぶべきものになる。そう思うと、照明器具アーティストと呼ばれる人がいてもおかしくない。日本にもきっといるのだろうが、誂えの照明器具を求める人は少ないはずで、作家活動は難しいか。だが、小型の変わったものとなればほしい若者はたくさんいるはずで、照明器具は創造の余地がまだまだ大きい気がする。ところが照明器具の取りつけに電気屋を呼ばねばならず、その面倒さと費用によって、よほどインテリアに凝る人でなければ面白い形の照明器具を実際に使ってみようとはしないだろう。

照明器具だけこだわって、他のインテリアはどうでもいいという考えもある。たとえば、真っ白は壁と天井、白のカーテン、床は普通のフローリングといった部屋に、前述のように思い切り凝った自分がデザインした照明器具を取りつける。その部屋の主人公はその照明だ。そこに招かれた人は照明の印象を強くする。それも凝ったインテリアと呼ぶべきで、住空間のこだわりが家具調度全般に及ばなくてもかまわないかもしれない。さて、ヨドコウ迎賓館は、家具調度はあまり多くない。照明器具は直径20センチほどの丸いガラス製で、内部に白熱電球が灯る。これと同じ形のものは今でも販売されていると思うが、いかにも戦前のデザインで量産品だ。フランク・ロイド・ライトが設計でそれを使用することを指示したのかどうか知らないが、大正時代では入手可能な照明器具のデザインにも限度があったはずで、縦横の線が強調される建物のデザインと調和させるには、球体の照明器具は無難かつ理想的と言える。この球体の照明器具が建物全体に使用されながら、ガラスの器に金属の帯が巻きつけられたものもある。この帯は市販品ではなく、特別に職人に作らせたものに違いない。こうした細部の凝った装飾は建物の随所に見られる。昨日載せた2枚目の写真からは、建物の外観で石が使われている部分が見える。その石は地元六甲の御影石のはずだが、わずかだが彫りが施されて、古代メキシコあたりの石造建築を思わせる。建物の強度には関係のないそうした装飾は、人間が本来持っている「飾り」に対する嗜好で、モダニズムの概念からすれば本来あまり重視されるものではない。だが、ライトは無味乾燥さを好ましく思わなかったのだろう。どの民族でも「飾る」は思っているし、その点において独自性を示している。構造すなわち意匠という方向もあるが、それでさえも構造の材質、その仕上げなど、意匠と呼べる部分を必然的に内蔵する。このことの例で思うのは文字だ。文字は意味を他者に伝えられればよいものだが、にもかかわらず、無数の書体があるのはなぜか。そしてその書体ごとに性質がある。文字が構造そのものとして、そこに意匠と呼ぶべきものがくっついて離れない。建築も同じようなものと思えばよい。日本の建具は書院造りの例からわかるように、縦と横に木材を組み合わせる。それは構造上、必要なものだ。だが、その構造をもっと強固にするならば、筋違が必要だ。近年は耐震のために鉄骨でその筋違を古い建物に施すことが流行しているが、日本の美意識の中にそれはなかったものだ。縦と横の木材の組み合わせの中に美を見出し、そのシンプルさがブルーノ・タウトを感激させもした。一方、中国や韓国を見ると、建具には装飾豊かな組子が多い。もちろん日本にもそれはあるが、使われるのは欄間など、ごくわずかだ。建具の強度を保たせながら、そこに装飾の限りを尽くす。そういう傾向が中国や韓国は日本以上に発達した。人間にはこのように凝ったものに向かう傾向がある。ヨドコウ迎賓館はその外観の細部からして、謙虚ではあるが、装飾好みが顕著だ。それは心の潤いにつながる。石という無味乾燥さに陥りがちな素材に温かみを添えるには、個性となる手の加えが必要だ。現在の建築物ではそれはしばしばタイルで代用されるが、そのタイルを特注のものにすれば個性は一気に増す。

ヨドコウ迎賓館は山の斜面に建つ細長い建物であるから、ほぼどの部屋も窓がある。そのため、昼間は照明は不要だ。採光に関してはよく考えられている。玄関を入った最初の大きな部屋は、天井に近い部分に小窓がたくさん並んでいる。今日の2枚目の写真の左上にそれが写る。それらを全部開けると、明かりとともに風が通る。そのように考えて設けられたものだ。ところが日本の風土、あるいは海に近い芦屋の山手を充分考えなかったのか、その小窓を全部開けると、雨水が部屋の中に入って来るそうだ。そのため、あまり開けたままには出来ない。ライトがこの建物が建つ土地にしばし滞在すれば設計がもっと違ったかもしれない。となればライトは無責任なことをしたようだが、小窓はどちらかと言えば装飾的なものだ。全部を開ける必要はなかったし、ほかの窓や扉の開閉で風通しは出来たろう。とはいえ、昨日の写真の、部屋で最も大きな窓は嵌め込みで、開けることは出来ない。今日の写真からわかるように、部屋の中の暖炉にも、建物の外観と同じように御影石が使われ、現代の彫刻作品のように見える。重厚な感じの六角形のテーブルと椅子はその暖炉によく似合っているが、これもライトの設計だろうか。形もそうだが、色の対比で面白いのは、暖炉の上に垂直に飾られる銅板の装飾だ。これは建物の外観の南米の古代遺跡のデザインを思わせ、正方形のタイルとして機能している。これが建物内部のあちこちに用いられ、たとえば今日の4,5枚目の写真のように、窓や欄間の装飾となっていて、外と内のデザインの有機的なつながりと、また材質の豊富さが目を引く。建物の持ち主や利用者が代わり、これらの装飾はなくなったものがかなりあったそうで、阪神大震災で被害を受けた後の大修理において、職人が集められて復元された。その様子を収めたビデオが一室で上映されていて、筆者は後半部を見た。全部を解体修理したのではないが、工事に2年半ほど要して一般公開出来るまでになった。今日の3枚目の写真は給水部屋で、古い蛇口がひとつ壁から出ていた。それがいかにも大正時代を思わせる。現在ならばこの部屋はもっと広く確保され、さまざまな器具が設置される。この部屋で気になったのは、天井の吹つけの一部がもう剥がれていたことだ。これが問題として照明が当てられているのかどうか。見て見ないふりをするのが上品な人の態度だが、隣家のリフォームで雨漏り跡が気になる筆者は気になった。その真上は屋上テラスになっていると思うが、足元の防水加工が充分でなく、下の部屋に雨漏りがしている。工事が終わって15年、そういうことがあっておかしくない。現在のこうした鉄筋コンクリートの住宅ならば、シート防水を施すのが普通だが、大正時代ではコンクリート張りにアスファルトを薄く塗ったのだろう。建った当時のままを復元しないことには建物の価値がなくなり、重文指定も受けないと思われる。維持管理に費用がかかるのは当然だが、雨漏りという最も厄介な劣化に関しては今後も修理とのいたちごっこが続きそうだ。