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●ヨドコウ迎賓館、その2
客として招かれることがない者でも今は簡単に重要文化財となった建物の内部が見られるのであるから、民主主義はいいものだ。「ヨドコウ迎賓館」は、企業名がつき、またそれが淀川製鋼所といういかにも硬い響きで、また実際硬いものを作る会社の持ち物であるだけに、何となく近寄り難い印象がある。



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設計はアメリカのフランク・ロイド・ライトで、これは筆者の世代では最も早く名前を知った外国の建築家のはずだ。筆者がその名前と作品を知ったのは中学生の美術の教科書だ。その最後かその1ページ前に「落水荘」の写真があった。その後数年して、東京の帝国ホテルを設計した人物であることも知り、それが取り壊されて玄関部分のみが犬山の明治村に移転展示されたことが大きな話題になったことも記憶がある。明治村でそれを見たのは20歳頃で、それから40年ほど経った現在、明治村の話題はさっぱり聞かないし、帝国ホテルの玄関部分もどのようになっているのか知らない。玄関だけ移築しても仕方がないが、全部瓦礫になるよりましで、それほどにライトの名声は高かったということだ。日本で本格的な展覧会が開催されたのは20年ほど前で、京都国立近代美術館においてであった。バブル当時、日本では奇抜な建物をどんどん建てることが流行していて、その波に乗って登場した建築家も多かったが、ライト展はそんな建築ブームを反映してのことでもあったのだろう。明治村で帝国ホテルの玄関を見る前、ライトの名前を冠した曲を聴いた。サイモンとガーファンクルのアルバム『明日に架ける橋』に収録される「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」だ。これが不思議な気がした。日本のフォーク歌手、あるいはロックでもいいが、建築家を愛し、その業績を偲んで作曲する者があるだろうか。ほとんどは男女の恋愛の歌で、その意味では日本の流行歌はアメリカの半世紀どころか、もっと遅れているだろう。あるいは永遠に追い着けないかもしれない。一方、アメリカではミュージシャンが建築家にオマージュを捧げることは珍しくない。その代表はバックミンスター・フラーで、ポップスからジャズまで、彼を敬愛する音楽家は少なくない。これはアメリカでは日本以上に建築家の地位が高く、また思想家としての役割を担っているからでもあろう。日本でその先駆たらんとするのが安藤忠雄かもしれない。都市の緑化は直接には建物の設計とは関係しない。安藤は建物それのみがいくらいいデザインであっても、周囲との調和がなければ意味がないことに気づいて来たのだろう。だが、何でもありの日本では、周囲と調和する建物となれば、江戸時代以前しかないと言ってよく、今では建築家の建物は周囲から浮いて見えることが求められ、また求められなくても個性の発揮によって目立つ。
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 個性を表現しておきながら、そこに植物の緑を添えることによって建物ないしその周辺を含めた地域を異化しようとする安藤の試みは、個性以上に大事なものがあると思い直してのことか、ただ単に緑の少ない大阪の汚名を返上したいだけなのかはわからないが、人間60、70代と年齢を重ねると、植木への関心も増し、身辺に鉢植えのひとつふたつも置きたくなる。あるいは盆栽でもよい。そういう一種の老後の趣味のようなものが安藤に湧き起こり、それが建築規模となってマルビルやスカイビルの緑化運動につながっているように思える。そうだとしても、それは悪いことではない。コンクリートの灰色の壁ばかり見せられる味気なさより、そこに若干の命ある緑が這っているのは心を潤わしてくれる。欲を言えば、建物が木立で囲まれることだが、梅田ではそれは難しい。それでわずかな緑の増加でも大きな話題になる。話を戻して、ライトは1959年に死んでいる。サイモンとガーファンクルが曲を捧げたのはどういう理由があってのことだろう。日本のサイモンとガーファンクルのファンに一部にはそれを知っている人もあるだろうが、大半はライトの名前も知らないのではないか。これを書きながら急に思ったのは、ライトのアメリカでの評価だ。ル・コルビジェとミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築の3巨頭と言われるそうで、コルビジェの名前も中学生の美術の教科書で知った。ミースに関してはもう少し大人になってからで、バウハウス絡みでグロピウスとともに知った。だが、肝心の建築となると、写真によってバウハウスやドイツで建った集合住宅くらいしか知らず、名建築家の業績を本当に納得することにはならない。この点は画家や彫刻家に比べると損している。日本では外国から絵や彫刻は名品がよく持って来られるのに、建築ばかりはこっちから現地に出向かねばならない。よほどの建築ファンでない限り、そんなことをする人は限られるから、建築を芸術としてみなす動きは日本では海外より低いのではないか。それがバブル期に一気に加速化したようであったのに、その後萎んでしまい、今また、たとえば金沢21世紀美術館を設計したふたりが世界的に注目を浴びるなど、少しずつ復活の機運はあるようにも見受けられる。
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 そうした大がかりな建築設計は一般人には縁がない。また、大都市には超高層ビルが各地で建ち続け、デザインよりも容量をいかに増やすかに知恵が絞られているように素人には見えるが、経済重視のそうした合理性は一般住宅にも共通したもので、居住面積を法律ぎりぎり、もしくはそれを無視してまでも増やし、庭はほとんどどうでもよいという考えが支配的ではないか。中には庭に凝る人があって、車1台が収まらないほどの狭いところに庭師を呼んで設計させる人もある。それがTVで話題になるところ、例外的なことと言うべきで、都会で庭を持つのは非現実的なほど贅沢なことになっている。そこで思うのがライトの建築だ。あるいはコルビジェやミース、グロピウスでもよい。彼らはモダンな建築で名を馳せ、そのモダニズムは日本ではそれなりに各方面で開花した。そうであったからこそ、ライトの建築が日本で建てられることにもなった。また、伝統的な日本の建築美と欧米のモダニズムは共通点もあって、そのことがライトが設計した建物が日本で作られてもさほど違和感を覚えない理由にもなった。日本にとっては欧米のモダニズムは移植しやすく、また日本的な美が影響も及ぼしていたので、積極的にモダニズム文化が花開いた。それが終わるのはいつだろうか。東京オリンピックの頃はまだ全盛であった。建築の専門家でないのでよくわからないが、モダニズムもやがて飽きられ、高度成長が頂点に達した80年代には、目新しい建物が歓迎されるようになった。何でも流行するから、モダニズムの洗練さは、やがてシンプル過ぎて面白くないという反動に遭ったのだが、モダニズムもいろいろで、ライトとコルビジェの建築は違う。もはやモダニズムの時代ではないという意識から、ポスト・モダニズムの動きが登場したのはバブル期だ。高松伸の建築はそのひとつの代表だ。彼が設計した建物で最も馴染み深いのは難波の戎橋にあったキリンプラザだ。外観は格好よかったが、中はかなりちゃちで、また狭かった。まさにバブルと言うべきか、20年ほどで解体されてしまった。これほどに寿命が短いとは、ポスト・モダンの建築家の短命さを象徴しているようで悲しい。せめて玄関だけでも明治村にという声がなかったのかと思えば、明治の建物ではないし、また「昭和村」や「平成村」は名前がふさわしくなく、「昭和町」「平成町」を無理にどこかが作っても、そこにキリンプラザが似合うはずもない気がする。それほどに突飛なデザインで、今にして思えばそれはそれで時代を象徴しており、なくなったのは惜しい。
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 さて、賓客ではないのにヨドコウ迎賓館の内部をじっくり拝見出来るようになったのはありがたい。当分は今と同じように見られると思うが、何でも変化するから、いつかまた公開禁止になる可能性も考えられる。そのため、近代建築に関心のある人は一度訪れておくのがよい。ライトの建物は日本で4つあって、最大の帝国ホテルは前述のように今では多くを写真に頼るしかない。その次に建ったのが、ヨドコウ迎賓館だが、建った当時は山邑太左衛門という、灘の酒造家の別邸であった。それを淀川製鋼が所有したのは20数年後、昭和22年のことだ。ライトの日本における建築として、東京にはもうひとつ、自由学園の明日館というのがあって、これも重文になっている。東京にはもうひとつライトの設計による邸宅があって、帝国ホテル以前ものだが、非公開になっている。ということは、ヨドコウ迎賓館がライトの業績を感得するに最もふさわしい建物と言ってよく、それが芦屋にあることは関西の誇りだ。先に書いておくと、ライトの設計とはいえ、ライトは現地を見ず、基本設計のみで、細部は日本人が手がけた。これでは何となく価値が劣るような気がするが、ライトの意志をよく汲んでいることは一見してわかる。これは、細部の全部をライトが指定せずとも、一部だけで全体を把握することが可能であったような設計をライトがしたためだ。これがポスト・モダンであれば、各部屋ごとに装飾を変えるといったことを平気でしたかもしれないが、ヨドコウ迎賓館では掌サイズの小物の設計が建物全体と相似になっていて、部分と全体が密接に関連している。また、その細部に関しては日本の各職人の腕の見せ所で、簡単な図面でもライトが見て満足するものが作られたであろう。つまり、手仕事の美が随所に表現され、日本の風土に違和感なく建っている。さて、今日は写真を5枚載せる。2枚目のパノラマは帰りがけに撮ったが、この写真のように建物の東側から出入りし、また横長の建物であるため、1枚の写真で全景を収められない。坂の上り口に建っていて、その坂はこの建物に因んで「ライト坂」と近年呼ばれるようになった。大山崎山荘の雰囲気に少し似た鬱蒼とした樹木に囲まれて建つ。5枚目の写真は模型で、それからわかるように山の斜面に沿って建ち、確かどこも2階建てになっている。4枚目の写真は玄関から入った最初の部屋にある大きなガラス窓から西を臨んだ。船内のような、やや細長い部屋で、東側にも大きな窓があるが、そこからはすぐ眼前に山肌が迫って見晴らしが利かない。反対に西側は見事な眺めで、山手の住民の優越感がわかる。芦屋の山手ではこのような眺望はあたりまえだろう。
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by uuuzen | 2013-06-20 14:52 | ●展覧会SOON評SO ON
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