絡みつくのが蔓の性質とすれば、人間は蔓性動物と言えるかもしれない。先ほど「連絡」という言葉に「絡む」が入っていることに気づいたが、何かを伝えることは人間の本質であり、人と人とのつながりを蔓が絡むことと同じと見たようだ。

ブログやツイッター、フェイスブックなど、ネットは人と人がつながる機能を有している。「NET」は「網」で、網は何かを絡め取るものでありながら、それ自身も繊維が縦横に絡まっている。ブログは読み手の意見の書き込みを拒否することも出来るが、そのように設定している人はほとんどいないのではないだろうか。筆者は最新投稿3日間に限り、拒否設定しているが、それはスパムが多いからで、それに辟易して試しに3日間程度を受信拒否すると、それを解除してからもスパムが届かなくなった。また、読み手が筆者の最新投稿を読み、それに激怒して反論を書こうと思った時、3日間は書き込みが出来ないから、その間に激怒も収まり、投稿しないことになるだろうとも思っている。熱い思いが冷めるのは3日間あればよい。それを越えてまだ熱ければ、その思いは本物だ。さて、筆者のブログは毎回長文でもあって、読み手は少ないと思う。意見の書き込みとなるとさらにそうで、年にひとり程度だ。これではネットの本来の意味はないが、読み手があるだけでも「絡み」は生じている。昨日は「あきらめワルツ」さんの書き込みがあって、梅田スカイビルに緑の壁が出来ると教えてもらった。書き込みのURLでは記事が表示されず、どんな壁なのかわからないまま、世界的に有名な名建築本体にマルビルのように蔦を絡ませるのかと想像して返答を書いた。先ほどそのニュースをようやくネットで見て事情がわかった。発案者はマルビルの蔦と同じで安藤忠雄だ。ただし、梅田スカイビルは彼の設計ではない。コメントの書き込みの返事に書いたように、阪急百貨店も緑化すれば、JR大阪駅を中心にマルビル、スカイビルとともに三角形を作ることになって、風水ではどうなのか知らないが、それなりに雄大な都市計画となって面白い。昔の甲子園球場は蔦で覆われて有名で、それと同じように新しく出来たばかりの阪急百貨店の外観を長年かけて蔦だらけにするのはいいことではないか。そこで筆者が夢想したのは、マルビルの丸、スカイビルに出来ることになりそうな長方形の壁と来れば、阪急は三角がよく、建物のどこかを巨大な三角形に区切って、そこを緑で覆えば禅の環境芸術みたいで海外で人気が出るだろう。それはさておき、スカイビルを囲む庭園は専門家が苦心して作ったもので、その一画に緑の巨大な壁を設けることを、作庭家が著作権の侵害だと主張している。安藤が考える緑の壁は高さ9メートル、長さ78メートルで、蔦で覆うのかと思えばそうではない。プランターで埋めるもので、これなら撤去も簡単で、即席の印象が強い。いわば都市のインスタレーション彫刻だ。安藤の一般的知名度は作庭家よりはるかに大きいので、結局は壁が出来てそれが人を呼ぶだろうが、スカイビルが建つ前から考えにあったものならいいが、後からはなかなか思い切ったことが実行しにくいことを示す出来事だ。筆者としては、「絡む」蔦の壁でないことが大きな失望だが、安藤があちこちに絡んでいるところが面白い。絡むで言えば橋下市長もだが、人間はせいぜい絡むべし。

これも「あきらめワルツさん」への返事に書いたことだが、先月18日は家内と出かけた。最初は芦屋に行き、次に伊丹に行った。もっと早く家を出て神戸に行ってもよかったが、体力がない。そう言えば一昨日、神戸の路上で菓子を販売しているOさんから電話があった。初めてのことだ。半年ほど会っていないので、どうしているのかと心配したようだ。また行きますと返事しておいたが、兵庫県立美術館はルノワール展が開催中で、あまり興味が湧かない。それはいいとして、建築つながりの話として、今日から何回かに分けて芦屋にあるヨドコウ迎賓館について書く。先月18日に行った。以前から行こうと思っていて、ようやくその気になった。最大の理由は、目下隣家をリフォームしかかっていて、少しは名建築を見ておいても損はないと思ったからだ。それに芦屋はJRの駅周辺や阪急の駅から南には何度も歩いたことがあるが、駅から北はあまり知らない。また、行ったはいいが、たくさん撮って来た写真にたじろいで、ブログに書く気が起こらなかった。昨夜思い切って投稿用に加工したところ、没にしたのは3枚のみで、予定では「その6」くらいまで続きそうだが、そこまで書くべき内容がある気はしていない。行く前にネットで地図を調べればいいのに、チケットに簡単な地図があって、それで充分だと思った。ところが、方向音痴の筆者は芦屋川からひとつ東の道を北上するのに、そのひとつ東を川から200メートルほど東の芦屋神社脇の坂道だと勘違いして、どんどん山手を上って行った。大きな屋敷ばかりで、さすが芦屋と関心しながら、行けども行けどもそれらしき建物がない。白シャツの男子中学生が何人も坂を下りて来る。ひとりを捕まえて訊くと知らないと言う。駅からでは20分かもう少し歩いたかもしれない。家内はいつものように筆者の後方50メートルを苦虫を噛みつぶしたような顔をしてついて来る。これは間違いだと諦めて、引返すことにし、川の横を東に折れ曲がる時に角に見かけた交番まで戻ることにした。そうと決めれば早い。家内に出会い、また後方はるかに置いてけぼりにして交番に入った。誰もいない。古い大きな地図が貼ってあった。それを見ると交番の斜め向かいにある。まさかと思って外に出た。川から一本東の道とは、川沿いの道のことであった。これはチケットに印刷している地図がまずい。

昨日の夕方、裏庭向こうの小川沿いに出て、小川から水を汲んで庭木にやろうと思った。ところが、気づくのが遅すぎて、午後7時過ぎではかなり暗い。またそれは曇り空のためで、どうせ雨が降るかと思って、あきらめてワルツを口ずさんだ。これは本当で、昨日はニール・ヤングの「ソングX」を大音量で聴き続けていた。裏庭に出ても丸聞こえで、近所中眉をしかめながら、あきらめているだろう。これも蛇足絡みに書くと、昨日BGMに「ソングX」を含むアルバムを聴いていて、途中で鼻をかんだ。その途端に耳の聞こえが3倍くらいに大きくなり、ステレオの音量のあまりの巨大さに驚愕し、半分ほどにヴォリュームを絞った。近所迷惑もそうだが、筆者はきっと狂人と思われている。話を戻して、今日はやはり雨で、しかも今まで降らなかった分を一気にまとめようというほどの大雨だ。これでは桂川の氾濫が少しは心配だ。その氾濫がかつて芦屋川にあって、そのことを谷崎潤一郎は『細雪』に書いている。小説を読んで決壊場所が気になっていたが、その石碑をヨドコウ迎賓館に向かう途中で見かけた。川沿いの道を挟め斜め南には『細雪』の大きな自然石の碑もある。その付近が小説の中心舞台であることがわかる。「犬も歩けば棒に当たる」で、自分の足で歩けば気になる何かに遭遇出来る。今日の3枚目の写真はそのようにして出会った、石碑近くの民家の薔薇だ。薔薇の写真はその後別の場所でたくさん撮ったのに、加工が面倒でブログに載せないままになる可能性が大きい。この芦屋川沿いで見かけた薔薇は、濃いピンクがひとつだけ下の方にあって、また光の当たり具合といい、気に入っている。植物園のいかにも手入れをされた状態ではなく、薔薇が自身の美しさに気づいていないと言おうか、さりげなく咲いているのがよい。芦屋川の決壊は昭和13年7月3から5日のことで、梅雨の恐さがわかる。戦後は堤防が高くなって、街中の河川はよほどのことがなければ氾濫しなくなったが、ここ嵐山の筆者の住む付近、特に桜の林沿いの桂川は幅が少し狭くなっていて、毎年梅雨の大雨の後は、北斎の有名な神奈川沖裏の版画に描かれるような大波の濁流が生まれる。その辺りの土手が決壊すれば低地になっているわが家はおそらく2階まで水浸しになる。そんな心配をしないで済むには山手に住むに限る。近くにある法輪寺は石段を100ほど上がったところに本堂があって、昔から麓がよく水浸することを知っていたのだ。さて、今日の4枚目はヨドコウ迎賓館の内部を見た後、芦屋川駅に戻り、その前から建物を遠くに臨んで撮ったもので、電車を降りた時にはその場所がわからなかった。写真中央やや右寄りに木立に囲まれた白茶の鉄筋コンクリートの建物が見える。手を伸ばせば届きそうなほどに見えるのに、写真右端をまだずっと離れた山道をかなりの高さまで上ってしまった。ま、その代わり、大金持ちは川の氾濫の心配のない山手に住んでいることがよくわかった。と、そんなふうに絡んでみる機会もない下町の筆者は、窓の外の大雨を見ながら、小さな庭の草木に水をやらなくていいことを思う。