涙を流すほどに感動する人もあるだろう。特に主人公と同じ世代の親で、しかも似た経験をしている場合は。筆者も今年30になる息子がひとりあるので、この映画の父親の気持ちはよくわかる。
映画の最後で、ポール・マッカートニーの歌が聞こえて来た。同じように静かなピアノを奏でながらの歌は、確か『イル・マーレ』でもあった。その映画を今はもう行かなくなった祇園会館で見た。韓国映画のリメイクながら、もっと後味のよいように結末を心温まるものにしてあった。そのハッピーエンドにふさわしい曲がポールの歌声で、同曲を初めてその映画で聴いて、早速CDを買った。これがまたとてもよく、当時はポールの代表作と思えたほどに何遍も聴いた。家内もそうで、お互いにさすがの天才ポールなどと言い合った。同曲のどこか二番煎じ的な感じがするのが、この『みんな元気』というアメリカ映画の最後に流れる曲で、ポールは手抜きしたかと一瞬思った。ところが聴き進むうちに全く違う味わいがあることに気づき、やはり天才は健在だと再認識した。ポールがなぜこの映画に曲を提供したか。そのことはネットに載っていた。ポールはこの映画の主人公の思いに深く感じ入ったのだ。ポールほどの天才としかも大成功者という親を持つ子は、平凡な家庭の子には想像出来ないほどの精神的圧力があるだろう。周囲の同輩からは、激烈なやっかみが絶えず続き、まず孤立する。それでも経済的豊かさがあるだけましと、これまた平凡な家庭の人間は思うが、お金より大事なものがあるということを忘れがちだ。そうそう、一昨日、マリア・シャラポアについてのドキュメント番組を見た。筆者はスポーツに関心がないが、シャラポアの顔と名前くらいは知っている。それに彼女は美人だ。どういう育ちで名テニス・プレイヤーになったのか知らなかったが、同番組ではそれが詳細に紹介された。そして筆者が普段思っていることの実例であった。マリア一家はチェルノブイリ原発の事故の被害者だ。マリアが生まれて間もない頃だったか、原発事故が生じ、両親は3000キロだったか、シベリアの東の果てに移住する。福島原発の事故でも他府県に移り住んだ人は多いが、ロシアは広大な国土であるので、全く放射能に影響のない遠方に逃げられるのがよい。ともかく、シャラポア一家はそのようにしてひとり娘の将来を案じて放射能の影響から遠ざかった。ところがまず問題になるのが職業そして収入だ。収入は激減し、マリアにろくな遊びをさせられない。テニスが趣味であった父は、ラケットを娘に貸す。それを使ってマリアは終日テニスをして遊ぶという日々であった。めきめき腕を上げ、6歳になった頃、父はナブラチロワに娘を会わせられる機会を見つける。彼女はマリアの才能に驚き、アメリカでいい学校があるので、そこで学ぶとよいと意見する。マリアの父は今度はその学校のあるフロリダに移住しようとするが、まとまった金がない。身内に借りるなどしてどうにか自分とマリアの旅費は確保して学校の門をたたくと、入学は8歳からと言われる。帰国するお金はないので、言葉がわからないまま、アメリカに留まり、翌年入学するが、あまりの高額の授業料だ。娘の成功を夢見る父は仕事を3つかけ持ちしてそれを賄い、マリアは学校で懸命に精進するが、周囲の学生からはいじめに遭う。ま、そのようにしてウィンブルドンで優勝するのだが、マリアは子どもの頃から本当にきれいな顔をしている。父が娘の才能を信用したことが立派だが、マリアにすればほかの選択肢がなかった。それほどに子ども時代は貧しく、遊びはテニスしかなかった。それも大人用のラケットだ。日本では幼児教育に大金を使う人があるが、いつも筆者が書くように、99パーセントはその子は凡人になる。あるいはそれ以下だ。本当の天才はマリアのようにほかに道を選ぶことの出来ない貧しさのドン底の中から立ち上がって来る。話が脱線したようだが、そうでもない。
ともかく、ポール・マッカートニーはこの映画の主役の父親と同じ世代で、わが子のことを思い、そして情感籠る曲を書くことが出来た。ちなみに同曲が収録されたアルバムを早速買おうとしたが、シングル盤が出たのみのようだ。そうそう、書き忘れた。この映画をTVでたまたま見たのは10日ほど前だ。2009年の作品で、日本では劇場公開はされなかった。どおりで知らない映画だなと思った。チャンネルを切り替えた途端、画面中央に白抜きで小さく「EVERYBODY‘S FINE」と出た。筆者は「みんな元気」と呟いたが、後で調べてそのとおりの邦題とわかった。題名からしてハッピーエンドであることがわかる。主役がロバート・デ・ニーロであることがすぐにわかったので見続けたが、そうでなければ興味を持たなかった。デ・ニーロは笑顔がいい。もう好々爺を演じられる年代になった。始まって10分ほど経った頃か、「これは『東京物語』のリメイクかな」と家内に言った。先ほど調べるとそのようだ。しかも、1990年のイタリア映画をリメイクした。そのためにデ・ニーロの起用でもあったかもしれない。だが、イタリアとアメリカでは国土が全然違うから、かなりのリメイク度だろう。それを言えば前述の『イル・マーレ』だ。ハリウッド映画は韓国映画とはまるで似ていない仕上がりになっていた。当時両者があまりに違うので、結局どっちの感想もこのブログに書かなかった。アメリカ映画が新鮮は脚本に事欠き、ついに海外の有名作品のリメイクに手を出し始めたと思ったが、その一連の流れの中でこの『みんな元気』も撮影されたように思う。元となったイタリア映画を見ていないが、小津安二郎の『東京物語』は知っているので、それと本作を比較してしまった。結論を言えば、『イル・マーレ』の時と同じで、後味がよいようにしてある。これは金を払って見てもらうのであるし、また大多数の人に見てもらわねばならないから、心温まる最後であるべしというアメリカの娯楽映画の考えだ。その思い込みがアメリカ映画を面白くないものにして来たと言えるが、一方ではそれこそがアメリカ映画という観念も強い。先日取り上げた『ブルーベルベット』が何となく拍子抜けしたのは、そういうハリウッドの大衆に対する迎合性が最後に用意されていたからだ。だが、一編の映画をその最初から最後まで一貫したものとして記憶するばかりとは限らない。ある部分は納得出来るが、そうでない部分もあるといった見方をしても、それもまたその作品が持つ力でもある。つまり、映画ではこのように描かれているが、映画すなわち非現実の娯楽であるからであって、現実はもっと厳しいと思う自由もあるし、実際現実はそうだ。そうであるから、映画製作者はせめて映画ではと観客に夢を持たせてくれる。そのようにしてハッピーエンドが用意される。
本作でまず面白かったのは、デ・ニーロ演じる父親の暮らしがかなり贅沢なことだ。彼フランクは妻を失くして半年ほど経つ。いつもクリスマスには帰省する子どもたちが、全員戻れないことを伝えて来る。ならば自分から出かけて驚かせようとフランクは考える。その旅物語だ。結末を言えば、フランクのそれなりの優雅な暮らしとは違って、4人の子はみな苦労している。このことは、アメリカの現実を示している。親世代の豊かな暮らを子が享受出来なくなっていると言われたのはいつ頃か。日本でも同様のことが生じている。もちろんそれなりに成功して、親以上の豊かな暮らしをしている子はいくらでもいるが、一流企業に入っても昔のように安泰ではない。絶えず厳しい現実に向かい合わねばならず、その度合いは父親世代の比ではないだろう。ところが定年になった父親はそれがあまり理解出来ず、わが子が自分以上に成功して当然と思っている。これが子どもには息苦しい場合があるだろう。そして親と意見が合わなくなったりする。いつの時代でもそうだが、フランクは電線工事に携わって家族を養い、立派な家をかまえて4人を独立させた自負があり、子たちには自分とは違う、もっと立派な職業に就いてほしいと内心考えていた。いつの時代、どの国の親でも同じだ。親がこれだけ苦労しているのであるから、わが子だけはもっと金持ちになって有名にもなってほしいと願う。前述のシャラポア一家もそうだ。そして娘は親の期待に立派に応えた。ところが。それは万にひとつもない奇跡のような例だ。その現実を見ないか、あるいは知ってはしても自己を過信するあまり、わが子に英才教育を施す。それで子どもが順調に成長すればいいが、得てして親の期待どおりに行かない。むしろ反発してとんでない不幸に陥ったりもする。トンビが鷹を生むことはないのに、親は子に期待をかけ過ぎることがよくある。それで子が成長した時に、かつての親は自分のことを愛してくれたからこそと少しでも思ってくれるのであればまだ親としては救われるが、英才教育は虐待以外の何物でもなかったと恨まれる恐れも多分にある。わずか2歳の子にいったい何を強制して教え込むのかと筆者は訝ることが多々あるが、親はわが子には目がないものだ。本作のフランクもそうだ。電線工事で家族を養って来たからには、子どもたちはもっと高尚な仕事に就いてほしいと思った。それは当然だろう。『ヨイトマケの唄』の歌詞にあるように、親は工事人夫という肉体労働で苦労しても、子にはエンジニアになってほしいし、また高度成長時代はそれが普通に実現した。だが、社会の経済成長が鈍化すると、事情が違って来る。本作から垣間見えるのは、まずそんなアメリカという国の時代の変化ぶりだ。それが面白い。
フランクの子たちはみな父親思い。よけいな心配をさせないようにしている。そのため、突然会いに来られても、うまく取り繕って現実を見せない。だが、親はわかるものだ。その機微が見どころになっている。4人の子は男女ふたりずつで、全員が離れて住んでいる。フランクはひとりずつ順に訪ねるので、アメリカ各地を一緒に旅している気分になれる。その点はヴェンダースのロード・ムーヴィーに近い。4人の子はみな立派に成長すなわちフランクより成功しているように見える。たとえば長男はニューヨークに住み、画家となっている。電線工事に携わる父親から芸術家が生まれる。これはフランクとしては鼻が高い。長男は昔フランクに看板描きになりたいと言った。子どもの言うことであるから、正直だ。それほど長男は絵を描くことが好きであったのだ。そのことを見抜いていたフランクは、看板は犬に小便を引っかけられるので画家になりなさいと言う。その言葉通り、長男は画家になった。そしてニューヨークに住んで、絵がアパートの近くの画廊のウィンドウに飾られている。ところがフランクは長男に会えない。他の3人の子は長男が今どうなっているかを知っている。メキシコで麻薬所持で逮捕されたのだ。そのことを父に伝えるとショックで倒れるかもしれないから、3人は口を閉ざす。子どもたちは父親思いなのだ。ここが泣かされる。だが、フランクは子どもたちは自分に何か隠していることを察する。親は子のよそよそしさがわかるものだ。フランクはついに事実を言えと子どもたちに迫る。そして長男が死んだことを知る。そのことより泣かされるのは、画廊に飾ってあった絵は売れてしまったが、画廊主は別の絵が倉庫にあると言って、それを見せてくれる場面だ。それは電柱と電線を描き、父親の仕事を誇っている。亡き長男の遺品のようにしてフランクはその絵を買い求め、クリスマスに帰省した3人の子と食卓を囲む部屋の壁に飾る。長男は確かに誘惑の多いニューヨークで麻薬に溺れ、若死にしてしまった。だが、画廊主に語っていた言葉に、「父から芸術家になれと言われ、その言葉にしたがって本当によかった」というものがあった。長男は有名にこそならなかったが、芸術家として世を去った。立派なことだ。そして電線工事で自分を育ててくれた父を尊敬もしていた。その事実を知って悲しみの中にありながら、フランクは救われた。お互い遠く離れた暮らしをしていたが、息子は息子で現実と挌闘しながら懸命に生きたのだ。芸術家とはだいたいフランクの息子のようなものだ。有名になるのはほんの一握りだ。無名のままであっても、芸術に身を捧げているという思いで幸福なのだ。それを理解するのがたとえ家族のごくわずかな者でしかなくてもだ。誰からも期待も理解もされずに世を去る画家の方がむしろ多いだろう。
長男がそうであるから、他の3人の子も推して知るべしの暮らしだ。経済的に最も成功しているのは長女だ。プールつきの立派な家に住んでいる。ただし、アメリカのことであるし、また地域によっては土地家屋の価格は随分違うから、家だけでは推し量り難いところがあるだろう。長女には息子がひとりいる。フランクはその孫相手に庭でゴルフをするが、とてもかなわない。こまっしゃくれた孫で、お爺さんのフランクをあまり歓迎せず、素っ気ない態度を取る。娘の旦那も似たものだ。嫁にやった娘で、その夫にすればその父がひょいと姿を見せると、いったい何をしに来たと思いたくもなるかもしれない。フランクは長女の家で確か泊まることもせずに、次の子どもに会いに向かう。電車や飛行機、とにかく遠距離移動の連続だ。フランクがどこに住んでいるからだ、これは明かされなかったと思うが、中部でも東部寄りだろう。旅路で出会う人との会話も見どころになっていて、長男のアパートの玄関前で帰りを待っていると、売春婦が近寄って来る。そして短いスカートを少し持ち上げながら、足を見たいかと訊く。フランクはにこにこしながら、同じ仕草をして自分のも見たいかと言う。呆れて売春婦は去るが、そういう街に長男が住んでいることは、後の麻薬で死ぬことが暗示もされている。これは長男に会うために電車に乗っている場面でのことだが、向いの座席に座る女性にフランクは質問する。窓からずっと見えているものは何か。女性は当てられない。通路を挟んだ隣の年配の女性がその対話を聞いていて、「ロック!」と二度口走る。あちこち転がる大きな石を見ての答えか、とにかくそれも間違いで、笑顔でフランクは正解を言う。それは電車の電線で、自分はその工事にずっと携わって来たと話す。さて、次男だ。フランクは指揮者として成功していると信じている。ところが違った。オーケストラの打楽器奏者であった。長男と似たものだ。世間は広い。マリア・シャラポアのような天才はよほどのことだ。次男は明日は海外公演に向けて経つのでフランクと一緒に過ごす時間がないと言うが、これは嘘だ。それほど多忙ではない。あまり有名でもない地方の楽団の打楽器奏者となると、生活は大変だ。それでも長男と同じように、芸術に身を捧げている自負がある。次女はどうか。彼女は踊りが好きで、今はラス・ヴェガスのホテルでダンサーとして毎晩出演している。豪華な部屋に住んでいると思っていると、それは友人から急きょ借りたもので、しかも友人から預かったという赤ちゃんは、自分が産んだ子であった。誘惑も多いであろうラス・ヴェガスでシングル・マザーになっていたのだ。子どもたちはみな、フランクの思っていたような暮らしではなかった。だが、父親思いで、とにかく元気にやっている。フランクは子どもたちから逆に教わったことがあるような気持ちだ。人生はままならない。だが、元気にやれるだけでいいではないか。親が子の心配をするのは、まず健康だ。元気でさえあれば、希望が持てる。