善悪の判断が生後10か月ほどの赤ちゃんに出来ることを証明した実験が京大で行なわれたというニュースを昨日の早朝に見た。四角い画面に青の丸と黄色の四角を置き、常に青が黄を突っつきながら追う動きを見せる。
つまり、一方はいじめられ、もう一方はいじめているとするのだが、その画面を見た途端に疑問が湧き起こった。まず、青と黄という2色だ。青がいじめ側で、黄がいじめられている側であると大学の研究者は設定しているのだが、そのことを本当に正しく赤ちゃんが理解し、そしてその画面を見た後、いじめられている四角の黄色に加担して、それと同じ形をしたオブジェを選ぶだろうか。こういう研究の場合、色はつけるべきでない。また丸と四角も駄目だ。そうなればいじめ行為を図示出来なくなるが、実際そうだ。「いじめ」という行為はどのようにして判断するか、これは大人でも難しい。というより不可能に近い問題でもある。たとえば先の画面だが、筆者は逃げ回る女性としての黄を、恋する男である青が追いかけ回すようにも見えた。簡単に言えばストーカーだが、今では犯罪になるその行為は「いじめ」ばかりとは断言出来ない。場合によっては複雑な事情があって、黄は青をじらせて疲れさせために、つまりいじめようと思って逃げ回っているかもしれない。そのようにいかようにも読み取れる図形アニメを赤ちゃんに「いじめ行為」と思ってもらえると考える学者は何と呑気なことか。まさかと思ったほどだ。だが、ごく短いニュース映像であるから、研究では青と黄を役割を交代させる程度のことはしたであろう。そうでなければ天下の京大が小学生でも疑問に思う研究発表をするはずがない。ま、それはいいとして、映像を見せられた後の8割の赤のだが、それは研究と呼べるほどの行為ではないし、また人間は本来性善であるという先入観が強過ぎはしまいか。それに、性善が性悪よりいいのだろうか。筆者のような年齢になると、いいと言われるものには反対したくなる。何事もいいもわるいもないのではないか。いいとわるいとか言うようになって人間の没落が始まった。人間以外の動物はいいもわるいも考えない。宗教や教育では善悪をよく言うが、人間が人間以外の動物から遠ざかるほどに宗教、教育が幅を利かし、かえって悪と呼ばれる行為が増えた。簡単に言えば、宗教や教育が悪の元凶だ。筆者には何となくそう見える。
もう12,3年前の事件になるが、旧石器時代の遺跡から発掘が捏造であるニュースを夜9時のNHKのニュースで見た。その時に画面に映し出された捏造事件の張本人の手元を含む何枚かの写真をありありと覚えている。縄文や弥生時代にもあまり関心のない筆者は、それより古い時代の日本がどうであったかなど、ほぼ全く興味がない。そのため、その衝撃的な事件について本を読むこともなかった。それが先日急に気になって本を取り寄せ、一気に読んだ。面白いというより、悲しい話で涙が出た。ネットで調べると、捏造者の藤村氏(以下、F)という男性は自分で右手の指を失くしたそうで、精神的に深い傷を負った。Fひとりの行為によって日本の考古学会全体が世界に大恥を晒したようなものだが、Fを追放しただけでは蜥蜴の尻尾切りと同じで、学会の体質は何ら変わらないのではないか。確かに毎日新聞がスクープしたことで日本の歴史が世界最古100万年前まで遡ることが出来ると考えた一部の学者たちの暴走を食い留めることの決着を見たが、もう半世紀もしない間に、今度は失敗しないぞとばかりにさらに巧妙な捏造をする人物が出て来ないとも限らない。それは、学会、引いては日本政府がそれを望んでいるからだ。最近日本の右傾化が言われる。となれば半世紀も待たずに、やはり日本で世界最古の文明が発祥したという証拠を捏造する連中が出て来そうな気がする。この事件やその後に関してはネットですぐにいくらでも読むことが出来るので、今では古いことしか書いていない本を買って読むことはない。だが、今日はこの本で筆者が特に気になった箇所について書く。ま、そのことについてもネットでたくさんの人が書いているから、屋上屋を重ねることになる。筆者がまず気になったのは、Fが縄文時代など、新しい時代の石器を旧石器時代の地層に前もって忍ばせたその一番の原因だ。Fは高卒で、子ども頃から発掘が好きであった。古代にロマンを抱く朴訥とした人柄であったようだ。つまり、Fの周囲にいた学者などは、誰しもFのことを悪く言わず、性善そのものを強調する。これは実際そうであったのだろう。では、なぜそんな人が絶対にしてはならないことをするのか。性善が180度回転して性悪になり、自分のやったことのあまりの大きさに耐えられず、ひっそりと暮らしながら自ら右手の指を切り落とした。それくらいのことで悪いことをした反省にはならないと今も激怒し続けている人もあるかもしれない。だが、前述のように、トカゲの尻尾切りとなって、学者はたいていはそのまま安泰ではないのかと思う。これでは高卒は永遠に浮かばれず、大学を出た者のみが手柄を取る。
本を読んで知ったことの中に、大きな皮肉があって驚いた。簡単に言えば、Fのような在野の研究家と論文を書く専門の学者だ。発掘は誰にでも出来るので、在野の人でも参入はたやすい。そして世紀の発見をすることもあり得る。学者と違って発掘に携わる時間は長いから、大発見は本当はみな在野の人が先鞭をつけると思ってもいいだろう。ところが、そんなに簡単に世間は褒美をくれるはずがない。学者が初めて権威づけるし、学者が無視すれば、真に偉大な発見であってもただのゴミになる。本にはそういう例が書かれていた。戦争が終わって間もない頃、在野の研究家が旧石器時代の石器を発掘する。それが本物であるかどうかは、大学の学者に見せて認めてもらわねばならない。そして出会ったのが、民藝の染色家で有名な芹沢銈介の長男である長介で、当時明治大学の院生であった。長介は石器を見て驚き、教授に見せた。そうして大学挙げての発掘となり、旧石器時代のものと断定された。ところが、論文を書いた教授は在野の研究者の名前を一切出さなかった。成果の横取りだ。「この性悪者!」と内心怒ったか、長介は大学を出た後、東北大に移ってそこで自分の学派を立てた。そうしてかつての教授の卑怯を見返すには、より古い旧石器時代の遺跡や石器を発掘せねばならないと思うようになった。学者のそうした対立をFは当然知っていたはずで、Fが自然と東北大の長介グループに所属したくなったとしても当然であろう。何しろ長介先生は在野の味方で、発掘成果を横取りせずに、きちんと成果と認めてくれる。そういう見上げた学者であるから、ぜひとも期待に応えねばならない。Fは夢にまでそう思ったのではないか。筆者でもそうなると思う。「在野の人間を馬鹿にし、あたかも自分が発見したかのように論文を書いて名前を売って有名になって行く学者など、糞喰らえ!」 Fがそこまで思ったかどうかはわからないが、自分たちのような地道に現場に通い、こつこつと土を掘る人間がいて初めて日本の考古学はあるとの矜持はあったに違いない。Fはついに旧石器時代の石器を発見し、毎年のようにその古さを更新した。そのたびに長介は手放しで褒め、しかも「100万年前のものを」と期待した。Fは長介を喜ばせたい一心で、新しい石器を万年単位の古い地層に埋めて自分で発掘した。本からはそのように読み取れた。憐れなのはFだ。長介に悪気はなかったとしても、常軌を逸している。かつで在野の研究家が発掘した旧石器時代の石器の成果を横取りした教授に絶縁状を突きつけたというのに、今度は在野の弟子Fに裏切られた。長介が「日本が100万年も前に人間が棲みつき、しかも1万年前と変わらない縄文人と同じ意識と技術を持っていた」というように日本を別格視したかったのは、学者である前に、皇国民の意識が抜け切らないどころか、それが敗戦後にさらに燃え上がったように見える。筆者は正直こういう人は一番苦手だ。だが、長介だけではなく、Fの捏造に躍った考古学者たち全員が同じ精神病に冒されてた。
Fは実際は100万年前の石器を発掘する前に毎日新聞の記者に捏造場面を撮影されてしまった。それは日本をせめて恥大国にしなかった幸運だ。Fは行為を暴露された後、同新聞の記者たちに感謝の言葉を発した。ほっとしたのだろう。自分の行為は魔が差したものと答えている。そうとしか言いようがない。筆者が不思議なのは、60万年前の石器が発見されたとなれば、日本は世界4大文明より古い文明国家を持っていたことになり、世界の考古学会で大騒ぎになるはずなのに、それが全くなかったことだ。日本だけが浮かれ騒いでいた。これでは世界でも類を見ない間抜けな国家と思えて来る。それを毎日新聞が食い止めてくれたのであるから、新聞は「毎日よーむは」と、レゲエのリズムの古いコマーシャル・ソングを歌いたくなる。本には、捏造発覚後の外国での反応がわずかに書かれていて、一番的を射ているのが韓国だ。ネットにはそのことについて触れているのがほとんど見当たらないようで、これは考古ファンに嫌韓派が多いからか。それはともかく、韓国では考古学のニュースが新聞の第1面を飾ったことが一度もないというのに、日本では高松塚の古墳以降、たびたびあって、これはそれほどに世界的な発見が多いということかと言えばそうではない。日本で騒いでいるだけのことだ。韓国が言うように、それほどに日本は国家の古さにコンプレックスがある。『中国なんかナンボのもんじゃ』という思いは戦前、戦中派から今の若者に継がれ、またより肥大化している。北京原人より古い原人が日本にいたことを妄想するあまり、縄文時代の石器を数十倍古い時代のものと思い込んでしまう。真実を見極めるのが学者と思っていると間違いだ。自分が思う真実に合わせてしか現実を見られない精神的な障害者だ。簡単に言えば、本物がわからない。物を見る目がない。そういう人がだいたい学者になって偉そうにする。気楽な仕事だ。在野の真面目な研究家を食い物にし、成果を横取りしても恥じるところがない。また、ごく一部の学者は真実に気づいているが、それを言えば学会から追放される。職が与えられないのだ。そのため、研究の対象を変えた学者もいることが本に書かれていた。筆者が思わず笑ってしまったのは、英語で論文を書く能力がないのか、ほとんど誰もこの世紀のというより、人類の大発見である旧石器時代の前期の石器発見に関して、外国の雑誌に論文を投稿しなかったことだ。また、発見した石器は非公開で、反対意見を出しそうな人は手に取っての観察が許可されない。これも驚きであった。こんなことが通るのであれば、捏造はあまりにも簡単で、そこそこ有名な学者が「300万年前の石器を発見しました」と言えば、誰もそれを検証する手立てがない。
長介がFの発掘した石器を信じ切ったのは、自説があったからだ。それは『層位は形式に優先する』で、これはたとえば縄文土器が発見されたとして、その出た地層が江戸時代であれば、縄文土器とは認められないということだ。つまり、地層を優先する。こうなれば、旧石器時代の地層から壊れたラジオが出て来たとして、長介はそれを日本の旧石器時代には現代人と同じような人間がいて、同じ文明を築いていたと考える。笑い話のようだが、その自説に固執した。こうなるとFが暴走するのは簡単なことだ。学者が示す旧石器時代の地層に、発掘の間に自分で石器を埋めておけばよい。それが誰が見ても不自然な石器であったとして、日本の歴史は世界一古いと思いたがっている精神病学者たちは旧石器時代のものとして一歩も譲らない。韓国から醒めた眼差しが向けられても仕方がない。それほどに日本が自国を世界一古い国と思いたがっていることは、筆者から見れば本居宣長から始まっている。『古事記』の研究によってそんな考えに達した宣長は、論争を挑む上田正秋をせせら笑って相手にしなかった。前にも書いたと思うが、筆者は同じ大阪生まれの大阪育ちであった秋成の合理的な考えは好きで、宣長の考えは狂気じみて見える。ところが、秋成は論争に敗れた形となり、餓死同然の死に方をするが、一方の宣長は日本中に弟子を抱えてその授業料で食って行けた。今で言えば秋成は在野の学者であった。宣長にかなうはずがないとも言える。宣長の天皇を頂点とする神国思想は明治に栄え、東郷元帥が参じた日清日露戦争に勝ったはいいが、あるいはそれに勝って慢心したか、その後の戦争ではボロボロになる。それでも天皇は生き残り、今なお天皇陛下の前でバンザイを叫ぶ政治家があり、しかも最近は右傾化が顕著と言われる。旧石器時代の発掘の捏造は、どこかで宣長の思想につながっている気がするし、それは日本がある限りなくならないだろう。ということは、今後も世界に大恥を晒すことがある。先日は橋下市長の慰安婦に関連する発言で世界が反応したが、面白かったのは橋下が世界的視野が欠けていたと謝ったことだ。実際そのとおりだ。日本の考古学も世界の考古学を多少でも知れば、まさか100万年前にせいぜい1万年前と同じ石器が出るとは考えないのではないか。それが実際は、日本こそが基準であり、日本こそが例外であると思い込む。無知でしかも学ぼうとしない人にはつける薬がない。それでも日本の学者は同業者とおもんぱかってのことか、他の学者を批判しない。ましてや師弟関係があるとなおさらで、違うとわかっていても口をつぐむ。そうすればより安定した、また名のある地位と高収入が約束される。『生活を犠牲にしてまで真実を述べることなど、在野のアホに任せておけばよい。どうせ奴らは上っても知れている』 だいたいこんな風に大学を出た学者は思っているのだろう。人間は生まれて来た頃は性善であると思う。より勉強してより有名な大学を出るほどに性悪になる。性善を少しでも留めたいと願うのであれば、しがらみのない在野にいるべし。これはネットで読んだが、Fは離婚後に再婚した。心温まる話だ。Fのような失意のドン底にいる男にも、慰める性善の女がいる。