茱萸と書いてグミと読むことを今知った。毎回このブログの冒頭の一字はインディゴ色、フォント・サイズは5で指定している。しかも何度も書くように、同じ文字を二度と使わない。もう枯渇してもよさそうで、毎回使用していない文字を探すのにそれなりに苦労する。

そして今日のように、筆者が使ったことのない漢字を引っ張り出すことになる。もともと語彙が少ない筆者であるから、初めて使う漢字は自分のものでないような気がして、何となく嘘を書いている気分になる。それでも「グミ」については何度か書いて来たし、その漢字を調べて書くことはちょっとした進歩でもあるから、今日は半ば苦し紛れではあるが、「茱」という字を使う。この漢字、グミの実の感じであるのが面白い。グミの実はまだオレンジ色が勝っている時はさほどでもないが、完熟するとその赤は独特だ。グミにしかない色と言ってよい。いや、トマトに似た色があるかもしれない。今日の最初の写真は裏庭で5月28日に撮った。グミについて書いた日だ。背後に見える小さな赤は蛇イチゴで、これは今年初めて出来た。グミの実は毎年2,3個しか出来ない。たlくさん花は咲くのに、不思議だ。20年ほど前は200個ほども収穫出来たのに、それ以降毎年少なくなり、激減もいいところだ。グミの甘酸っぱさは梅雨時には似合う。写真の2個は筆者が濃い赤の方を食べ、まだ若い、そしておそらく渋さの残る方は仕事から帰った家内に食べさせた。木には緑色のがひとつついていて、それが赤くなった頃にもぎ取ろうと思っていたのに、見当たらない。地面に落下したかと探すと、ない。思い当たったことは鳥だ。早朝から雀その他の鳥がたくさん飛来する。赤く実ったものは早々に鳥が食べたのだろう。そう思うと、食べた2個もそのままにしておいてやった方がよかったかと思った。そして、昔100個近くもあって、今は毎年2,3個しか実らないのは、実際は100個が密かに実り、頓馬な筆者が気づく前に鳥がさっさと食べているのかもしれない。そうであれば面白い。人間はあまりに何もかも食べ過ぎる。これは昔の話だが、ある女性染色家がどこかの野原で野イチゴを大量に見つけ、それをごっそりと摘み取って持って帰り、染色材料にした。野イチゴでどんなきれいな色が出来るか楽しみたかったのだろう。考えとしてはわからないでもない。だが、その記事を読んだのと同時期、野イチゴのような野原に実るものは鳥や小動物の貴重な食料になるということを知った。それもあってか、その女性染色家が嬉々として語る口調に何となく腹が立った。結局ろくな作品に仕上がらないはずで、そんな個人の大いなる無駄のために、小動物のせっかくの御馳走がなくなる。美しい作品を作る者は、まず美しいと言われる心を持つべきだろう。野イチゴが珍しく、それでどんな発色が得られるかと考えるのは作家魂かもしれない。だが、環境が一変するほどに採り尽くすことは欲深い。そんなもので染めなくても、もっとほかに染料となるものはある。また、野イチゴの赤い実に感動したとして、それを煮出せば同じ赤が得られると考えるのはド素人だ。美しい色は得てして表向きはそう見えない材料から得られる。人間も同じだったりして。

2枚目の写真は苔の仲間だろうか。名前を知らない。多肉植物にも見える。これが桜の林のすぐ南の道路脇に生きている。これも5月28日の撮影だ。「緑のタペストリーと絨毯」のシリーズではなるべく撮った順に載せるつもりが、全然そうなっていない。そのうち機会を逸して紹介しないままになるものもあるだろう。撮影した順に紹介しないのは、紹介するには今ひとつかと思うからで、そのうち「これは合格」と思える被写体に出会うからだ。その意味で今日の写真は撮った瞬間に紹介することを決めたもので、これより以前に撮ったものより出来がよい、あるいは「緑のタペストリーと絨毯」の題名にふさわしい。題名に振り回さることもないと考える一方、それからあまり逸れるのもまずいと思う。今日の写真は題名には似合っている。それはそうと、これは「リフォーム、リリフォーム」の話題だが、少し書いておくと、隣家の3階の北側にモルタルが敷き詰められていたのをハンマードリルで削り取ったことを書いた。その下に黒いゴム・シートがあって、それはどうやら刷毛で塗って固めたものだ。薄いところで0.3ミリほど、厚いところで8ミリほどもある。これをすっかり取り除いてから、そこにフェルトのような布を敷き詰め、その上にタイル・カーペットを張るつもりでいる。フェルトのような布というのは、元々3階の床全体にあったもので、その窓際部分を切り取ってゴムを塗り、そしてモルタルで嵩上げしてあった。つまり、ゴムを除去し、そして切り取られたフェルトらしき布を貼れば、元の状態になる。ゴムがついたままでは表面がデコボコするので、全部取ろうと思っている。ところがこれが予想以上に難題で、まだ4分の1程度しか終わらず、しかも両手をかなり痛めていて、連日の作業が出来ない。それはさておき、切り取られた布の断面に定規を当てると、厚さ4ミリだ。オレンジ色で、今でも同じものが売られているだろう。ところが商品名がわからない。フェルトのようで、またそうでもない。フェルトなら厚さ1センチのものがとても安価で売られている。1センチでは厚過ぎる。4ミリでなければ、モルタルのあった場所とそうでない場所とでわずかに段差が出来る。この商品名がようやくわかった。パンチ・カーペットと呼ぶ。モルタルが敷き詰められていた面積分では5000円ほどだ。暑さ4ミリ、色も同じものがある。どうせさらに全体をタイル・カーペットで覆うので、同じオレンジ色を求める必要はない。そこで考えたのは、階段に同様の素材のものが貼られていることだ。それは新品に交換するから、剥がせばゴミになる。なるべくゴミを少なくしたいから、それを使い回しすればどうかと考えた。濃い青色で、オレンジ色とは正反対だが、面積的には充分賄えそうだ。ところが、残念なこと厚さ5ミリであった。1ミリの差は少ないようで、実際に境目を踏んでみると足は段差を感じる。ならば、ゴムを撤去し、さらにその下のコンクリートを1ミリだけ削れば、この5ミリ厚のものが使い回し出来る。ところが、そんな芸当はまず不可能だ。そして思いは一気にきれいになった状態に飛ぶ。タイル・カーペットは50センチ角だが、緑色を中心に、ところどころピンクや赤を混ぜるか。野原のイメージだ。鳥がやって来て窓から入るかな。コウモリだと家内が悲鳴を上げて卒倒する。ムカデも這うだろう。それを食べにコマドリが飛来する。天井の照明はブルー・ライトだ。そうだ、今の隣家の3階のカーテンは濃い青で、まるでブルーのヴェルヴェットだ。SM部屋のようで悪趣味。交換するならキミドリ色か。