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●舞鶴を歩く、その2
めを楽しみのであれば高速バスより鉄道であろう。昨日京都駅に行く用事があった。高速バスのチケット売り場の建物の横を通り過ぎる時、LPレコードや書籍の帯といった感じの派手な色の垂れ幕が自動扉の横にあるのを見かけた。今日はまずその写真を掲げる。



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京都から舞鶴まで片道2300円とある。線路とは全然違う道を走るから、車窓からの眺めも違うが、高速バスは高速道路をほとんど走るから、景色を楽しむ気になれず、また実際楽しくない。それでも意外な発見はある。20年ほど前かと思うが、中央高速道を走る夜行バスで東京まで行ったことがある。朝4時か5時か、明るくなってから目を覚まし、窓のカーテンをそっと開いて外を見ると、韮崎辺りを走っていることがわかった。その後しばらく窓の外を見続けた。家がほとんど見えない山地や平原は見慣れない風景で、それなりに楽しんだ。ほんの一瞬、「○○美術館」と記した、あまり上手ではない手書きの看板を掲げた建物が視界に入った途端に後方に飛び去った。それは今もあるのかどうか気になっている。美術館ではなく、郷土の民具を集めたような資料館であったかもしれない。たぶんそうだ。そうした施設は珍しくないが、周囲に民家らしき建物がほとんどないようなところに作って誰が見に行くのだろう。そう思うには車を運転しない筆者であるからだあろう。山梨では誰もかおそらく運転するので、辺鄙なところにあっても問題はない。ネット社会になったので、その施設は今もあるならば検索で簡単に見つかりそうだが、20年前ならなくなっていることも考えられる。「たまたま」早く目覚めて窓の外をしばしぼんやり眺めたことでその存在に気づき、そしていまだにそのことをよく覚えている。「たまたま」の遭遇がこのように長年記憶されることにどういう意味があるかとなれば、記憶のままに留めておくのであれば何の意味もない。だが、人生の記憶の大部分はそのようなものだ。ということは人生が何の意味もないということになりそうだ。また面白くない話題になりそうで、昨日書いたようにこれは深夜に書くからかもしれない。朝の光を全身で浴びることで体内時計も正確に動くようになるし、また健康にもいいとされる。筆者はその点ではきわめて不健康だ。これも昨日のことで、実は昨日書くつもりでいながら書かなかったことに、NHKのTVでたまたま見た番組が興味深かった。それは人間は光をまともに見るようなことはこれまでほとんどなかったのに、パソコンやケータイなど、光を発するものを毎日長時間見る生活になった。そして光の中で青は人間に悪影響を及ぼす研究があると言う。液晶画面の発明はTVの画質を一気に向上させたが、何でも便利な発明には影の部分がある。便利さと引き換えに支払うべき代償があるということだ。手放しで喜んでばかりいられるものはない。
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 先ほどムーギョに買い物に行って来た。松尾橋近くのコンビニの玄関脇に青い色を放つ蛍光灯があって、それが猛烈にジジという音を立て続けている。燕などの鳥が食べてくれる虫を、光で集めてその熱で殺す。人間にとってはとても便利で、これでコンビニの電灯入りの看板の周囲に虫がたかることを少しでも減らすことが出来る。その虫殺し機がなぜ青色を発するのかは知らない。赤でもよさそうなものなのに、青の方が虫が無視しないという研究があるのか。それはともかく、その青い色が人間に悪影響を及ぼすとは物騒だ。昨夜はその番組を見ながら、夜にこうして文章を書くことはやめた方がいいなと思った。青の光は人間を覚醒させるそうで、深夜にパソコンの画面を凝視すると、体内のリズムが狂う。鳥のように日の出とともに起きて、日が沈む頃に巣に戻って活動を休むのがいい。ところが東京では24時間バスや地下鉄が動きそうだ。こうなれば人間が本来持っている体内時計などどうでもいいということで、そのことによって体調が狂い、病気になる確率が増すだろう。文明の発達が人間を狂わせる。青い光は覚醒作用があるから、朝見るのはいい。つまり、このブログも朝のうちに書けばかえって健康によく、また文章から立ち上る雰囲気ももっと健康的になるに違いない。徐々にそうして行きたい。というのはここ1か月ほど、朝目覚めると目がすぐに開けられないほど痛い。すでに重症かもしれない。青い光の見過ぎだ。60年代のプロコルハルムの大ヒット曲に「青い影」があった。そう言えば今日は「影」の写真を載せて影について書くつもりでもあった。一方、「青」に因んである映画の感想を書こうとも思ったが、舞鶴の思い出にしたのは、昨日の手相のMに関連した枕から始めようと思ったからでもある。そこで話題を変えるが、昨日の手相Mの写真は、掌をかなり反らせた。ネットの画像検索で見られる同じ手相は、たいてい掌を反らせていない。すぼめ気味にした方がよく皺が出るからだ。だが、それは懸垂の際に首を鉄棒の上を越させないのと同じで、反則っぽい。そこで筆者は力を入れて反らせた。そうしてもくっきりとM字が見えない手相でなければならない。で、話はここからつながる。
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 これは大阪だけのことかどうか、筆者が子どもの頃、「じゃんけん」を「いんじゃん」とも言ったが、グー・チョキ・パーではなく、軍艦と破裂と沈没を使う場合があった。「軍艦軍艦はーれつ!」「破裂破裂ちーんぼつ!」といった具合に、最初は同じ言葉を二度発する。子ども心ながら、このいんじゃんが何とも物騒で、まった戦争に負けた日本をいかにも示しているようで、気になった。女の子が大声でこのいんじゃんをしている光景は漫画的な面白さで、しかも独特の迫力があった。軍艦が破裂して沈没し、大勢の兵隊さんが死んだというのに、戦後20年も経てばそれが遊びの言葉となっている。もっとも、このいんじゃんは真珠湾攻撃時に生まれたものかもしれない。となればアメリカの軍艦が破裂して沈没したのが愉快ということで編み出されたか。さて、昨夜手相のM字を撮影しながら筆者が思い浮かべていたのは、軍艦の破裂だ。なぜ軍艦かと言えば、舞鶴でそれを見て、しかも写生して来たからだ。つまり、昨夜は舞鶴の思い出の「その2」となるべきが、軍艦の破裂から掌を思い切り広げた「パー」を連想し、急きょ話題を変えた。これでようやく今日の本題に入ることが出来る。まず、「その1」で紹介した4枚の写真について説明する。最初のものはとある民家の壁にあったキリスト教の宣伝で、これは江名で同類を見かけたためだ。これもたまたまの遭遇で、これを見つけるために舞鶴に行ったのではない。だが、結果的にそれも舞鶴の思い出となっている。このことは、自分の足で歩かねば、「たまたま」に遭遇出来ないことを意味する。ところが前述したように、「たまたま」の遭遇をそのまま記憶に留めておくことは、他者にもまた自分にも意味はない。だが、意味あることのどこに境界を引くかは時の経過に関係することでもある。キリスト教入信の宣伝板を見たとして、その写真を1枚だけ撮ったとすれば、意味はほとんどない。それが別の場所で、いささか違う文章のものを撮影した場合、一気に何らの意味ないし意図が芽生える。そうして筆者は駅前の変化シリーズを続け、また飛び出しボーヤを半ばシリーズ化して来た。最初は何でも「たまたま」なのだ。そしてそれは自分の足で稼がねばならない。そういうことが舞鶴でもあったということだ。
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 JRの東舞鶴駅を降りると、正面に比較的広い道があって、それがどうやら海まで続いていることは誰しも勘でわかる。筆者が舞鶴で行ってみたかったのは煉瓦の倉庫群だ。そればかりが宣伝されるからだ。一度は見ておこうという物見遊山だ。駅前の通りは西側の歩道を歩いた。家内に言ったことは、まず「かなりさびれている」で、次に「大津駅前に似ている」であった。JRの大津駅前は下り坂で、その突き当たりは湖だ。東舞鶴では湾だ。駅前通りに人影は全くなかった。これには胸が痛む思いがした。いわゆるシャッター通りで、駅の建物がピカピカの立派なものであるだけによけいに古びて見えた。この街がかつて引き揚げ者でごった返したとはにわかには信じ難い。雪が積もる冬ならもっとさびしいだろう。そう思いながら、四辻に来た。駅の案内所でもらった地図によれば、そこを左に曲がれば倉庫群に近道だ。あまりの好天で汗ばみ、かき氷がほしいほどであった。駅前の商店街を外れると、店と民家が混合した街並みとなるが、民家も店も昭和レトロを感じさせるものが大半で、それが筆者に旅行気分を掻き立てた。そうして15分ほど歩いた頃か、家内がおかしいと言い始めた。そして絶対に道が間違っていると次に言った。方向音痴の筆者はそれを半ば信じなかったが、さすがに山を越えて行きそうなので、引き換えた。その道を間違った途中で最初の写真の家を見かけた。「たまたま」どころか、間違って歩いたことによって得た写真だ。ま、それも「たまたま」のうちだ。このように、予期せぬことが個人の旅にはつきものでそれが面白い。また、そうした間違いを楽しむだけの余裕が必要だ。引き返す際、八百屋でその奥さんに道を訊ねた。歩いている者は筆者らのみ。またその付近で店があったのはそこのみで、その店がなければまだ先に進んでいたろう。えらく遠回りしたが、観光コースから外れた生活道路が見られたことはよかった。旅の記憶はそのようにどおってことのない場所がかえって強く印象に残る。
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 えらく遠回りして煉瓦の倉庫群に辿り着いた。市役所のすぐ隣にそれはあって、市役所前の国道だろうか、その右手メートルほど先に「引き揚げ記念館」の倉庫が見えた。そこも行けばよかったが、家内は疲れ果ててそこまで行こうとは言わなかった。「その1」の冒頭に書いた「復元された桟橋」はその記念館の近くにあるはずで、火野正平は自転車でそっちに向かい、また山手に登って眼下に舞鶴湾を見た。TVでその眺望を見ながら、もう少し足を延ばせば素晴らしい海の眺めに出会えたのにと思ったが、次回の楽しみとして取っておく。煉瓦の倉庫が全部で何棟あるのか知らない。筆者らが最初に入ったのは市役所の向かって左手にある建物で、まず腹を膨らませることにした。舞鶴の倉庫群を紹介するNHKのTV番組によって、カレーライスが名物らしいことを知っていた。倉庫の内部は予想以上に広々としていて、1階は喫茶店兼レストランになっていた。筆者ら以外に客はいない。筆者が座った席から右を見て撮ったのが「その1」の2枚目の写真だ。窓の向こうに同じ大きさの倉庫がある。どういう理由から忘れたが、今に至るまで軍艦の船員は毎週金曜日にカレーライスを食べるらしい。値段も安いから当然だが、ごく普通の味だ。ただし、乾パンと金平糖が入った小さな袋がおまけとして出された。家内はもうひとつの名物の牛丼を食べたが、半分残し、そのいかにも残飯らしく湿ったものを筆者はカレーの次に平らげた。家内は筆者にいつもつまらないものを食べさせられるのが不満だが、とにかく何かでひとまず腹がいっぱいになれば機嫌は直る。食事後2階に上がった。それが「その1」の3枚目の写真だ。舞鶴の歴史をパネルなどで紹介するコーナーで、時間をかけて全部読めばいいのに、筆者はいつもそれをしない。その分、家内は必ずそうした説明をじっくり読む。後で家内に聞けばいいと思いながら、いつも聞かないままで、家内の方がよく知っていることが多い。展示物の中に、戦前のオリンピックで有名な銀と銅のメダルを半々に分けた陸上選手の紹介があった。その話を筆者は小学生で知った。教科書ではなく、漫画雑誌に載っていた記事による。その実物のメダルが目の前に展示されていて、「そうかあの有名な話は舞鶴に関係していたか」と今さらに思った。これも「たまたま」の出会いで、しかもそれによって長年知らなかったことがひとつわかった。やはり自分で歩くに限る。「その1」の4枚目と今日の2枚目は東郷元帥の人形で、一緒に撮影出来るコーナーが食事した隣りの倉庫の2階にあった。この東郷コーナーでも説明パネルが目立った。家内はまたもやそれをじっくり読み、帰りの道で東郷のことをあれこれ話してくれた。家内がそうした説明を読んでいる間に筆者は先へ先へと進み、見るものがもうなくなったところで家内を待つ。さて、今日の写真の説明は「その3」に回す。パソコンからの青い光をこれ以上浴びると寝つきが悪いし、翌朝は目が開けにくい。
●舞鶴を歩く、その2_d0053294_1184820.jpg

by uuuzen | 2013-06-08 23:59 | ●新・嵐山だより
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