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●手相-Mと如意宝珠
望、希望、そんなものが何もない若い女性の話を先ほど家内から聞いた。「まだ20代なのに、夢のない話やな」と答え、続けてスケベエなことを笑いながらつけ足した。気の置けない者と酔った席で交わす猥談みたいなものだ。



そう言えば、これも家内から聞いたことだが、50代の女性が御主人について、「最近下品なことをよく言うようになって困る」と真面目な顔で話したそうだ。それを聞いて大爆笑した。筆者も似たようなもので、家内相手に下品な言葉を連発の毎日だ。ストレス発散のためでもない。面白がっているだけのことだ。さらに思い出すのは、7,8年前の自治会内の集まりのことだが、筆者より10歳ほど年長の夫婦が、筆者のすぐ近くに座っていて、何の拍子か忘れたが、御主人が「若いお×こなんかもう縁があれへんがな」といったようなことを言った。すると奥さんがげらげら笑ったが、筆者は度胆を抜かれて言葉がなかった。若い奥さんが奥の方に集まりかけていたから、聞こえたかもしれない。その話を家内に言うと、「信じられへんね」と目を丸くした。あまり親しくないみんなの前で「お×こ」という言葉を発する勇気は筆者にはない。だが、その御主人が常日頃奥さん相手にその言葉を平気で口走っているであろう様子を察して、それはそれで微笑ましいと思った。70代にもなるとそうなってあたりまえかもしれない。そんなあけすけなことも言えない夫婦は、早くに離婚するのではないか。それはともかく、夢も希望もなくして生きて行くことはどれほど辛いことか。冒頭に書いた若い女性は男性経験があるのかないのか、あったとしても胸ときめく恋をしたことがないのだろう。片思いでもいい。誰かを好きになる経験なくして自分も好きになれないように思う。それでも今は若者が夢を持って生きて行きにくくなっているのかもしれない。筆者のように還暦を越えると、今の20、30代が生まれた頃はよく知っているにもかかわらず、そういう世代が概して時代からどのような影響を受けたかがよくわからない。つまり、彼女の思いは同世代におおよそ共通するかもしれず、そうだとすれば、それはどこに責任といった問題があるのか、筆者のような親世代に反省すべき何かがあるのかと思ってしまう。身近なところでは筆者の息子が今年30になったが、冒頭の女性と大同小異だ。子育てしやすいように国はいろいろ考えて援助もしているが、そのことで出生率が高くならず、年々若者が結婚しなくなって来ている。したくても出来ないというのが実情でもあるし、またしたらしたで2,3年で別れる話をあちこちで聞く。昨日は自治連合会の人とそんな立ち話をし、別れてもいいから一度は結婚した方がいいということで意見が一致した。
●手相-Mと如意宝珠_d0053294_23545688.jpg

 話が急に変わる。筆者は右が利き手で、その掌に明確なM字の手相がある。昨日ネットでその画像を調べるとたくさんの人が自分のMこそ一番とばかりに画像を載せていた。ところが、筆者の見る限り、どれもかなり苦しい。筆者のは自分で言うのも何だが、本当にはっきりとしたMだ。これが昔からかというとそうではない。たぶん、20年ほど前からそうなった。手相が変わるのは本当だ。顔面にたくさん皺が出来て皮膚がたるんで来ることを思うと、手相が変化するのも当然ではないか。この利き手に見られるM字は、最大ラッキー運とされている。筆者は手相を信じないが、そう言われると何となく嬉しい。ところが昨夜さらに調べると、M相を持っていてラッキーなのは60歳くらいまでとあった。ということはすでに筆者は幸運が終わっている。終わっているのに、明確なMのままであることをまだ執念深くラッキー運を期待していると、Mはマゾヒストのことかと客観視もしてしまう。それはいいとして、異性と近づきになる一歩は、手に触れることで、昔から若い女性の手相を見てやることで口説こうとする男がいる。筆者は手相に詳しくないからそんな真似は出来ないが、ラッキーM相であることを自慢し、「握手するといいことがあるよ」と言えば10人にひとりくらいは信用して手を握らせるかもしれない。という全くアホらしい、またおっさん臭い想像をしてしまう。ここでまた突如話が変わる。昨夜書き忘れたことを思い出したが、それはトンビの話だ。それはいつか話題にするとして、もうひとつ思い出したことを。2、3年前の晩秋のことだ。家内と大阪の東洋陶磁美術館からの帰り、西天満から西進して老松通りを新御堂筋に出たところ、筆者はある女性から声をかけられた。家内は30メートルほど先を歩いていた。女性は筆者と同じくらいの背で、筆者より2、3歳上だろう。ある場所に行きたいが、それがどこにあるかわらないと言う。その場所の名前は忘れたが、何かのショー・ルームか、ネット・ショップのような名前で、聞いたことがなかった。住所も電話番号も知らないと言うのがどこか変で、長方形の赤い札入れを筆者に手わたさんばかりにしながら、途方に暮れた顔をする。身なりは近所から来たといった普段着で、あまり目立たない。どうにかして助けたい思いがあったので、さらに話を聞こうとしたが、要領を得ない。痴呆症かとも思った。どうもそうであるらしいが、そうでもないような雰囲気もある。ひとつ確実なのは、筆者をつかまえたままでいることがどことなく嬉しいといったオーラだ。札入れの中には1万円札が厚さ5,6ミリはあった。数十万円の現金だ。筆者はそれを見て、『このおばさん、大丈夫かな。誰かれかまわず見せると、すぐに奪われてしまう』と思った。それほどに話しかけられた場所はいつも人通りが少ない。帰宅して、示された片仮名の名前をネット検索した。おかしなことに該当するものがなかった。話している最中でも「ひょっとすれば」と思ったことは、場所を訊こうとしたのはどうでもよかったのではないかということだ。筆者があまりに長くその女性と話をしているので、家内は怒り顔で何度も遠くから手招きをした。それでとうとうその女性を置き去りにした。話している時に感じたが、その女性は筆者を誘っていたのかもしれない。100メートル先にラヴ・ホテルはある。売春婦というのではない。むしろ、自分からホテル代を出してもいいので、一時ともに時間を過ごしてほしい。そんな素振りがどことなく見え隠れしていた。また、それを感じながら、その女性痴呆症なのか、どこか精神を病んでいそうで、憐憫の情が湧いた。ひょっとすれば、界隈では有名な女性かもしれない。
●手相-Mと如意宝珠_d0053294_23562481.jpg その女性と話をした場所のすぐ背後に、今日の2枚目の写真に見えるポスターが貼ってあった。宝珠は筆者のブログやホームページのロゴマークでもある。この宝珠を尼崎信用金庫が宣伝材料に起用している。その様子が面白いので写真を撮った。撮ったのは東洋陶磁美術館に行く前だ。あるいは撮影は別の日かもしれないが、さほど隔たっていない。この信用金庫が、素焼きに着色した宝珠型の貯金箱を預金者用に配布していることを知ったのは去年のことだ。ネット・オークションで見かけた。買ってもいいかと思っている間にほかの人が落札した。それからまた1年ほど経って、同じ出品を見かけ、今度は買った。届いたものを見ると、なかなかの大きさで、ちょっとした桃ほどもある。500円玉なら何個入るだろう。満杯になるとずしりと重く、より風格が出るに違いないが、今のところ空のままだ。胴体に「如意之玉」と浮彫で書いてある。普通は「如意宝珠」と言うが、この玉を持っていると、何でも思いのままになるとされる。信用金庫ではそれは金の力であり、現ナマこそが現代の宝珠と言いたいのであろう。現金な話だが、実際そのとおりと言ってよく、こんな素焼きの軽い宝珠貯金箱など、ほとんどの人は喜ばない。それより現ナマだ。いっそのこと、硬貨はすべて宝珠を象り、お札には偉人の代わりに宝珠を印刷すればいいではないか。ついでなので、先に触れたトンビの話をしておく。昨夜布団に入った途端、夕暮れに松尾橋の上で見たトンビを思い出した。橋の下では2,3のグループがバーベキューを始めていた。その匂いが橋の上まで漂って来る。トンビはもっと高いところにいるのに、地上のことはすべて見通している。そんな話を知ったのは小学校の国語の授業で学んだ寺田寅彦のエッセーからであった。それはさておき、橋の半ばまで来た時、一羽のトンビは筆者のすぐ左を急降下した。バーベキューの隙を狙ったのだろう。トンビは必死だ。死活問題であるからだ。急降下によって食物が頓馬な人間から奪えたかどうか、死角になってわからなかった。ムーギョからの帰り、日はすっかり暮れてトンビはもはや飛べなくなっていた。先ほどの急降下はその日のほとんど最後の賭けであったのだろう。もし餌にありつけなければ、トンビは空腹のまま眠りに入らねばならない。そのトンビの思いになってみた。トンビは夢も希望も持っていないか。そうではないだろう。すぐに朝がやって来るし、頓馬な人間はまた河原で食事をする。機会はいくらでもある。餌にありつければ生きながらえるが、そうでなければ死ぬだけで、そのことに何の不思議もない。一方、20代の女性が何の望みもないと言う。お金の意味としての如意宝珠を思う必要はないが、人生は「如意」であることを一度は信用した方がいい。はははは、「信用金庫」とはよく言ったものだ。それに尼崎は「アマゴッタ」の地で、それは「ムーンゴッタ」につながった。ムーンゴッタ(満月)は宝珠形でもある。
●手相-Mと如意宝珠_d0053294_23554084.jpg

by uuuzen | 2013-06-07 23:56 | ●新・嵐山だより
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