泥棒と間違われる可能性もあるので、立ち入り禁止とされている区域には入るつもろいはない。だが、完全に塀で囲って侵入者を防ぐような措置をしていない場合、そしてどうしても立ち入って写真を撮りたい場合は、人のいないのを見計らってさっと中に入ってさっと撮る。
そんなことを去年5月末頃に何度かした。それらの写真はこのカテゴリーの4枚目で、今調べると塀は去年4月25日から5月12日までの間に出来たことがわかる。投稿で言えば
「その264」と
「その265」だ。塀が出来てからも定点観測を続行したかったので、6月3日まではどうにか撮影した。だが、いつも周りを気にしてのことで、なるべく人が往来していない頃合いを見計らった。また、現場の作業員が全部帰宅した午後5時以降であるのは言うまでもない。今日の投稿でわかるように、塀の中から桜の林を撮った4枚目の写真が今日からはついに登場しない。塀の内部に入ることが難しくなったからだ。それほどに工事が進んで来た。この4枚目の写真は左右に桜の老木があって、目印をいくつか決めていた。塀の外から見ると、その後この2本は枝が部分的に切り落とされたようで、塀が取っ払われた後、同じ場所に立つことが出来て同じ方向を撮影しても、写真の加工の際に目印がかなり変わっていることを知るだろう。また、建物が邪魔して同じ場所に立つことは難しいかもしれない。そんなことをあれこれ思いながら、現在のところまだ塀はそのままだ。今日もちょうど1年前の6月6日に撮影した写真を載せる。5枚目は前回に続いて定点観測ではなく、臨時に撮ったもので、前回説明した桜の林の東西を分ける砂利道が見えている。奥に太鼓橋があるのがわかるが、これは桂川の支流に架かる。この橋の下でよく釣り人が糸を垂れている。太鼓橋の向こうは石畳の道があって、それにつなぐつもりで橋からこちら側の砂利道を石畳にする工事が先日始まった。街灯も増えるらしく、その工事と並行して、また温泉の建物の竣工とも合わせて石が敷かれる。7月末には全部完成する予定で、塀はもう少し前になくなるだろう。そうなれば真っ先に駆けつけて、4枚目の写真となる立ち位置を確認したい。2本の老木がそのままであれば、向こうに見える桜の林の東半分は従来のままであるから、今まで投稿して来た写真とほとんど変化がないことになる。
一昨日と昨日、定点撮影をしたが、1日の違いで現場は大きく違っていた。それを写真で紹介するのは来年になる。たまたま出かけて撮影するのであるから、現場が相当混雑しているのに、その様子に遭遇出来ない場合がある。むしろそういう場合の方が多いだろう。なるべく変化のある写真がほしいから、頻繁に観察に行くべきだが、副会長になって自治会内をチラシの配布で頻繁に歩かないようになってから、つまり4月からは桜の林にあまり足が向かない。それでも筆者はよくうろついていると思われている方だろう。先ほどムーギョからの帰り、とある酒場の前で酔っ払いが通りに向かって独り言をしていた。その前を両手に袋いっぱいの買い物を提げた筆者が通りがかろうとした時、その男性は筆者の方に向き、「あ、久しぶり」と声をかけた。顔馴染みというほどではない。また筆者は相手の名前や住んでいる家も知らない。そう言えばどこで会ったかもあまり覚えていない。確かに2,3年ぶりか4,5年ぶりに会うから、「久しぶり」の声は正しいが、そういう会話を交わすほどに今までお互い喋ったことはない。顔だけ知っているという間柄だ。それでも「こんばんは」と返しておいた。それにしても久しぶりに見るその男性はえらく老けて、髪もボサボサであった。まだ8時頃というのに、酔っているのであるから、体が弱っているのかもしれない。ま、家内が言うように、筆者は目立つ顔と体形をしているので、声を交わしたことのない人からも覚えられやすい。それもあって工事現場の立ち入り禁止の塀の中に入っているところを見つけられると、すぐに筆者とわかり、警察に白を切ることが出来ない。一昨日と昨日、桜の林に行った時、すぐに現場の警備員が筆者を見つけてお辞儀をした。20メートルほど離れていてもお互いがわかる。その警備員は駅前ホテルの建設中ずっといた人で、工事が本格的に始まる前に知り合った。ホテルの完成後は一時亀岡の現場に行っていたのが、また嵐山に戻って来た。太っているががっちりとした体格で50歳前ほどだが、普通の警備員とは違って、とある建設会社専属の現場の警備を仕切る役目をしていて、出入りする若い運転手のトラックに時に怒声を浴びせている。その警備員は筆者が地元の自治会長であることを知っていたので、ていねいな応対や挨拶をしてくれたが、おそらく地元住民の中では筆者の顔しかまともに知らないはずだ。しかも筆者が比較的頻繁に現場を見に訪れると思っているだろうが、筆者にすれば相手は制服姿であるし、いつも同じ場所にいるからすぐにわかるが、筆者はシャツの色が違い、帽子も違うものを被ったりするし、また他の通行人に混じっているから、すぐに見つけられないように思うのだが、いつも遠目に筆者とわかるようだ。それはさておき、昨日ちょっと驚いたのは、その現場に彼と同じ服装をした若い女性警備員がいたことだ。ふたりは親しく言葉を交わし、筆者がその女性を振り返ると、笑顔を絶やさなかった。驚いたのは、女性がモデルのような顔立ちであったことで、なぜ警備員になっているのか少々理解しにくかった。それほどに就職難と言うことか、あるいは制服姿でヘルメットを被っていたので、より美しく感じたのか。
それにしても警備の仕事は大変だ。炎天の夏場は体力の消耗が激しい。先の男性警備員は顔が赤銅色をしている。冬になって色が薄まる暇がない。その点筆者は全くひ弱で、日焼けなどまっぴらと思っている。それに焼けても赤くなるだけで、すぐに水ぶくれが出来て皮がめくれる。そこまでして焼く必要のないことを10代で知った。筆者が小学生の頃、夏休み明けに学校で日焼け大会があった。京都に住む同じ歳の従妹は生まれながらにして色黒であるのに、これ以上のお転婆はいないと言っていいほどの活発な子で、体育が大好きであった。そのため、夏休みは思い切り肌を焼いて、周囲からはクロンボの娘と囃したてられた。日焼け大会ではいつも上位か優勝であったのは言うまでもない。もともと色黒であったから肌をこれでもかと焼いても、どおってことはなかったのだ。だが、60を越えた今、相変わらず色黒であるのはいいとして、顔面には細かい染みがたくさん出来ている。化粧品会社はそんなことになることは教えないで、夏は日焼け娘に限るといった宣伝を毎年し、そのための化粧品を売りまくった。もっとも、60になることを考えて10、20代の青春を謳歌しない手はない。若さとは日光をたっぷり浴びて全身を真っ黒に焼くことという考えは、今も半ば常識化しているだろう。10、20代の者に60歳になった時の姿を想像しろという方がおかしい。そんなことは筆者でも出来なかった。また、する必要もなかった。60まで生きるかどうかわからないのに、60以降の生活を考えて10、20代が今を始末して生きるなど、大馬鹿者と嘲笑すべきだ。だが、刹那的に生きるべしというのではない。10代は10代、20代は20代としてのすべきことがある。よくそんなことを書いた本があるが、筆者は読んだことがない。そういう本との決定的な出会いは否定しないが、実際の人との出会いの方が大きな影響を与える。それに、当人が生まれながらに持っている資質だ。同じ豆を同じように植え、同じように育てても実りに差が出る。人間も同じと思う。そう思えば自分の才能のなさや、不如意な現状にも立腹せずに済む。それに、周囲から優秀と誉めそやされる人も、それを自惚れることはない。ただ、遺伝的にそうなるように生まれて来たに過ぎず、自分の手柄でもない。こんなことを書くと運命論者で、努力の必要はないと言っているように思われるが、そうではない。努力する人はするし、しない人はいくら周囲から言われてもしない。また、さほど努力しないでもうまく世間を泳いで行く人もたくさんある。
それにしても桜の林の工事現場をうろつく筆者を見て、警備員は筆者が気楽な生活をしていると思っているかもしれない。そう言えば隣家のリフォームがって、ここ3,4か月は仕事と呼べることはしていない。もっとも、筆者は昔からそうで、収入が確実な作業のことを仕事と呼ぶのであれば、筆者はほとんど仕事をして来なかった。では毎日何をしているかだが、仕事がいつあってもよいように準備していると言える。かなり言い逃れも混じるが、だいたいそういうところだ。これは警備員とは大いに違う。彼らは1時間いくらといった厳密な「タイム・イズ・マネー」の仕組みに組み込まれている。またそうでなければ生活は出来ない。そうすれば筆者は生活者ではないということになりそうだ。あるいは生活能力に乏しいと言い代えてもよい。これは端的に言えば仕事の注文がないからで、またその理由は宣伝をしていないからだが、宣伝をたくさんしたから仕事がたくさん舞い込むかどうかは疑問だ。そこには運も左右するだろう。これも今日のムーギョ行きの途中で知ったことだが、2,3年前にオープンした木工店がついに閉店セールをしている。もう店内にはほとんど商品はなかった。筆者はその前はムーギョに行くたびに通ったが、中に入ったことはなかった。その店舗は今まで何度か業種が変わったが、どれも長続きしなかった。そういうジンクスのようなことを予め知っていたなら、店を開くことを多少は躊躇するだろうが、不動産屋はあえて言わないに違いない。その木工店は朝のTV番組「よーい、ドン」でも紹介されたことがあって、若い店主はラップの音楽をやっていてCDも何枚か出していると語っていた。だが、近くにある喫茶店も先月閉店し、バス通りに面している割に客が入らない。喫茶店はコーヒーが250円という安さであったのに、それでも店を閉めた。それだけ不況と言うべきか、あるいは店の努力が足りないのか、それともたまたま近隣では流行らない原因を抱えているか、とにかくこの木工店は筆者の予想どおりに閉店してしまった。店を開いた時は意気盛んで、人生の黄金時代を思ったであろう。それがいくら待っても客が来ないでは閉めるしかない。筆者の場合、店舗をかまえていないし、また今より落ち込むことは考えられない最低の高度、すなわちムカデのように地面を這っているから、毎晩このようにどうでもいいことに時間を費やすことが出来る。それはそうと、これも今日思ったことがある。毎晩こうして書くのは、文章にどのように夜の要素が影響するかだ。早朝は無理だが、せめて午前中に書けばもう少し全体の雰囲気が違うのではないか。そしてその方が絶対にいいに決まっている。今日の写真は見方によっては早朝のようだが、これは日暮れ時。