桟橋が復元されていることをNHKのTV番組で見た。火野正平が自転車で日本各地を訪れる番組でのことだ。同番組は視聴者からの手紙に応じて訪問先が選ばれる。火野は筆者より2年早く生まれている。自転車で日本を縦断するとは、なかなかタフで、かつて女殺しと言われただけはある。
60を超えて新たな番組に抜擢されることは、それだけ年齢を重ねて味が深まったと周囲から思われていることで、これは男として見習うべきものがあるだろう。もう20日ほど経つはずだが、たまたま火野のその番組を途中から見た。「舞鶴」という言葉が聞こえたのでチャンネルを変えずに見ていると、JRの東舞鶴駅前の商店街を自転車で走っている場面になった。家内と同じ通りを歩いたので、台所にいるのを呼んだが、すぐに場面は変わってしまった。それでも筆者らが見て来て間もない舞鶴市内が紹介されていたので、最後まで番組を見た。4月5日は天橋立を見た後、舞鶴市内をぶらつくことにした。今日から4日間を写真とともにその紹介に充てようと思う。ただし、途中で他の話題についても投稿する。TV番組で思い出した。これは筆者らが天橋立に行った日から数日後のこと、若手のお笑い芸人が天橋立に行く番組が放送された。JR駅前やケーブルカーのあるところ、そして「飛龍観の股のぞき」と、お決まりのコースとはいえ、実際に見て来たばかりの場所がTVに映ると、何となく得した気分になる。それはさておき、天橋立だけを見るのではいくら日帰りでももったいない。それでこれも昔から気になっている舞鶴にも立ち寄ろうと計画した。舞鶴は国立高専がある。甥がそこを出ていて、学生の頃、一度行きたかったのが、その機会がなかった。また、冬は雪が積もって寒いから、行くなら冬以外の季節と考えていた。それがちょうど桜が満開の頃に訪れたので、長年の思いを最高の条件下で果たすことが出来た。舞鶴で特別見たいものがあったのではない。京都市は京都府の中でも最も南と言ってよいところに位置し、舞鶴はその反対に北の端だ。「京都」と言えばそれは京都市のことをおおむね指すが、それでは京都市以外の府民は面白くないだろう。そこはよくしたもので、NHKの京都放送では、京都市内の話題だけではなく、府全域について紹介する。KBS京都という民放も同じようなところがあって、たとえば番組のスポンサーを舞鶴の鮮魚市場が引き受けて、いかにも舞鶴が見どころのある観光地のように宣伝する。その番組は何年も同じ映像を使っていて、それだけその市場が有名であり続けていることと、一方ではいかにもローカルであるかのように、映像を撮り直す予算が乏しいことも感じさせる。
舞鶴に行けばこの市場に行きたいと多少は思いながら、行った時の気分と時間の余裕次第になることはわかっていた。また従姉にその市場のことを訊くと、舞鶴に何度か行ったのはそこで買い物をすることが大きな目的であったが、思ったほど安くないとのことであった。ただし、新鮮なので、車で行くにはいいらしい。筆者は電車だ。それに好天であれば魚はすぐに臭うだろう。前調べはほとんどしない筆者だが、たまたまネット・サーフィンしていると、舞鶴のとある寺に樹齢300年だったか、風格のある老木の枝垂れ桜があることを知った。地図を調べると東舞鶴駅から北西へ数キロの湾沿いで、拝観料も安い。これはせっかくなのでぜひ見たいと思ってアクセスを調べるとバスが1時間に1本ほどしかない。それに時刻表がわからない。府の観光課に電話をかけて調べてもらった。バスは市営ではなく、地元の人たちが通学に使う私営のマイクロ・バスで、1時間に1本もない。それでもうまく時間を合わせると、寺で30分ほど桜を見れば、帰りは駅前まで最終の便があることがわかった。だが、そこまでしてという思いもあった。団体ツアーでない日帰りでは、あれこれ欲張ったところで、見て回れる場所はしれている。また疲れ過ぎては旅の思い出が悪くなる。そこで、結果を言えば、枝垂れ桜のことは家内には言わなかった。電車の中から満腹するほどにたくさんの里の桜を見た。話が前後するが、舞鶴を紹介したもうひとつのTV番組について書いておく。これは筆者らが行く直前の3月末頃だったと思う。60歳くらいの地元の男性が1リットルのペット・ボトルの空きビンを使って高さ3メートルほどの凱旋門を作ったという話題だ。それは舞鶴では観光客が目当てに訪れる煉瓦の倉庫群の前に左右対照を構成するように設置されていた。夜は照明が当たり、夜でも見物と紹介していた。これも結果を言えば、筆者らが訪れた時には撤去された後であった。それでも見どころの中心である煉瓦造りの倉庫群には当然行って来た。同じようなものは函館にもある。筆者は函館には行ったことがないが、舞鶴で見ると、もう函館の煉瓦倉庫はどんなものか想像がつく。
舞鶴には西舞鶴と東舞鶴のふたつの駅がある。筆者らが降り立ったのは東だ。そっちの方がより大きな街という気がしたからだ。ふたつの駅は隣り合っているので、その気になれば歩ける距離だ。今地図を見ると、5,6キロだ。1時間はかかる。日帰り旅行ではそんな無駄は出来ないから、どちらかの駅で降りて煉瓦倉庫を見なければならない。そしてそれは東舞鶴駅からの方が断然近い。西か東か忘れたが、たぶん東だろう。舞鶴駅の玄関が映画『飢餓海峡』で映る。それがとても印象的で、そのことがあったのでこの駅には一度は降り立って見たかった。また結果を書くと、映画とは似ても似つかぬ近代的な建物に変貌し、何となくがっかりした。だが、今思い出した。昔若宮テイ子さんから聞いた。彼女は道後温泉に行った時、その建物やその周辺はいかにも時代遅れに見えたそうだ。神戸という、常に新しくなるハイカラな街をよく知っていると、昭和レトロを売りにしたような建物や環境は、ありがたい骨董価値にはまだほど遠い、ただの安っぽさだけが漂うだけで、そこに一種の惨めさを感じるだろう。その思いはわからないでもない。おそらく東舞鶴駅の駅舎は老朽化が激しくなり、騙し騙し修復して利用するより、思い切って建て替える方が安かったのだろう。それに、駅前商店街の希望もあったと思う。戦争直後そのままの木造の建物では街が古くて貧しいと思われるだけで、せめて街の玄関である駅舎くらいは最新のデザインにしたい。そのようにして日本中のJRの主だった駅舎は、国籍不明のハイカラ具合となった。京都駅を見ればそのことは何よりもはっきりする。古都の代表の京都が、もはや古都とは全く無関係の未来的な駅舎だ。これを他のもっと小さな市が真似しないはずがない。木造ではかえって高くつくし、鉄筋コンクリートにガラスでは、木造よりはるかにデザインの自由が利く。筆者は松山に行きたいと思いながらまだ行っていないので、その駅の建物がどんな風であるかは知らないが、道後温泉は昔のままのたたずまいを残そうとしているはずで、どことなく全体に垢がこびりついたような惨めっぽい古さは相変わらず漂わせているだろう。とはいえ、若宮さんと違って筆者自らの目で確かめてみないことにはどういう思いを抱くはわからない。家内は温泉に行きたいと言っているので、次回は道後温泉がいいか。さて、今日は4枚の写真を載せておくが、説明は次回にする。